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6、ブルームーン-1



  6 ブルームーン



 結局、エルが館に戻るころには、日がすっかり暮れてしまっていた。

 ジャスティンの晩御飯を作り、店の片づけをし。それからすこし話をした。

『帰り、一人じゃ危ないから送ってくよ』

『いいよ、そんなに遠いわけじゃないから』

 すこしばかりそんな押し問答を繰り返し、ジャスティンが食事をし始めるのを確認してから、足早に帰ってきたはずなのだけど。

 夏至はついこの間のことだと思っていたのに。日が暮れるのも少しずつ早くなってきている。まだ肌寒さには程遠いけれど、空は雲が多くて星が出ず、暗い。日中すこしだけ晴れたと思ったけれど、結局それもすぐ雲に隠されてしまった。

 フェリはもう起きているだろう。エルは館の錆びた門扉を押し開ける。そしていつもどおり裏口から入ろうとして、館の異変に気づいた。

「なにこれ……」

 庭の薔薇が、すべて枯れてしまっていた。

 薔薇園は、春、夏、秋とそれぞれ季節に合わせて咲くように考えて育てていた。だからフェリの食べる薔薇に困ることはないはずなのに。薔薇のアーチも、花壇のものも、すべて枯れて頭をたれてしまっている。

 アバランチェはもちろん、ゴールドバニーに、チャイコフスキー。アイスバーグ、ドルスデン、クィーンエリザベス。どれも最後に見たときは元気だったのに。咲いたものがおろか、散りかけたものから蕾まで、どれもが見事に枯れてしまっていた。

 薄暗い中、目を凝らしてみれば、薔薇の茎や葉はきれいなままだった。花弁だけが枯れて散ってしまうのは、フェリが食すときだけだ。それに気づいて、エルは背伸びをし、薔薇園の中で彼の姿を探した。

「……エル?」

「フェリ!」

 夜は、フェリのほうが目がきく。彼はエルが帰ってきたことに気づいて、腕いっぱいに薔薇を抱えながら庭の奥から顔を出した。

「なにがあったの?」

 彼が腕に抱えていたのは、ブルームーンという薔薇だった。薄く色づいた紫が青くも見える、エルの好きな薔薇のひとつだった。変わった色のためフェリの口にはあわなかったようで、毎年庭の観賞用になっていたはずなのに。

「どうしたの? お腹すいてたの?」

 エルのもとへ歩み寄ってくるフェリは、ほんのすこし唇を寄せただけで、抱えていたブルームーンをすべて枯らしてしまう。それを見てエルは、この庭の薔薇はすべてフェリがやったのだと確信した。

 彼はローブに身を包んでいるため、夜闇に溶けて姿がよく見えない。あの銀の髪もフードの奥にあり、表情もまったくわからなかった。

 ふらふらと足取りのおぼつかないフェリにあわてて駆け寄れば、庭一面に散った枯れた花びらが木の葉のようにかすれた音を立てる。手に持ったかごが邪魔になり、エルはかごを放って彼の体を支えた。

「おかえり、エル」

「ただいま……」

 鼻をつく異臭に、エルはあたりをみまわす。まるで肉がいたんだような、生き物の死体が腐ったような、すえた臭いが庭の中に漂っている。けれどなにか動物が死んでいるわけでもなく、臭いの中には、真っ黒にこげたステーキを髣髴とさせるものもあった。

「今日も、帰ってこないと思ってたよ」

「ごめんなさい、勝手に家あけちゃって」

 エルの支えを振り切って、彼は気丈に一人で立ってみせる。その動きに乗る臭気に、エルは異臭の原因がフェリにあると気づいた。

 太陽もないというのに、寒いわけでもないのに、ローブを着込んでいるのもおかしい。エルが手を伸ばそうとすれば、身体を離す。右腕をかばっているようにも見えた。

「腕、どうかしたの?」

 エルが逃げようとする手を取ると、彼はかすかにうめき声をあげる。乱暴にローブから腕を出したとき、風がふいて雲が流れた。

「……ひどい」

 かすかな光の下、ようやく見えるようになったフェリの腕は、焼け爛れ、肉が腐敗していた。

「どうしたの、これ!」

 顔をあげると、彼はフードをはずす。限りなく満月に近い月の光が彼に降りそそぎ、浮かび上がったフェリの顔は、いつもの穏やかな表情とはかけ離れたものだった。

「…………!」

 声も出ず、エルは瞬きを忘れて彼の顔を凝視する。引きつった彼の唇は痛々しく、けれど確かに微笑んでいた。

 腕のほうがひどいはずなのに、衝撃は顔のほうが大きかった。腕と同じく、右側半分が、焼け爛れてしまっている。長く頬に落ちていたはずの髪は焦げて短くなり、頬の肉も皮膚が溶け、固まったところは醜く引きつったまま。むき出しになった肉は腐敗し、腫れあがり、まぶたの肉は完全に閉じている。その瞳が光を失っているであろうことは、かろうじて残る銀のまつ毛から伝う、血の涙で察しがついた。

「……どうした、の?」

 エルのふるえる口から出たのは、その一言だった。生ものが腐る臭い。かすかに、熟れすぎた果実のような甘いものも混じっている。嫌悪するはずのそのにおいを、エルは吸い込み、こみ上げる嘔吐感に堪えた。

 この傷は、火傷によるものだ。炎が伝ったり、熱した油をかけられない限り、こんなにひどいものにはならない。エルがいない間に負ったものだとしても、ここまで腐敗するのはおかしかった。

「……太陽にあたると、こうなるんだ」

 再びローブで傷を隠しながら、彼は言う。その声もまた、渇き、かすれていた。

「顔にあたったのをかばおうとしたら、腕までひどくなっちゃった」

「どうして太陽になんか……! あたし、町に戻って薬買ってくる!」

 庭に放ったかごを拾おうと、踵を返したエルの手を、フェリの左手が引きとめた。

「この傷には薬なんて効かないよ」

「でも、手当てしないと!」

「間に合わないよ。太陽の腐蝕は、すぐに広がっていくから」

 太陽の腐蝕。それは吸血鬼が日の光を浴びたときに受ける傷のことだ。日の光を避けて生きる吸血鬼は、一度日の光を浴びれば、そこから身体が腐り始めてしまう。現にエルの目の前で、彼の腕の腐蝕は広がり続けていた。

「腕は広がる前に切り落とせば大丈夫だけど、さすがに首は切るわけにもいかないし……」

 左手で右腕をかばいながら、フェリはうろたるエルから身を離す。彼なりに、腐蝕を見せないようにするための配慮なのだろう。

「どうにか、治す方法はないの?」

「……僕には、できないから」

 エルに背を向けながら、フェリは庭に残った薔薇に手をかざす。それだけで花びらはあっという間に散り、けれど肩で息をつく彼の様子は変わらなかった。

 彼は体力を消耗している。それを補うために、庭の薔薇を食べつくそうとしているのだ。

「あたし、薔薇とワインと、いっぱい買ってくるから!」

「いいよ、エル」

 いてもたってもいられず、なんとか彼の傷を軽減しようとするエルに、フェリはただ微笑むだけ。そして無事なほうの手で、目に涙を浮かべるエルの頭に、そっと手を伸ばした。

「綺麗な髪飾りだね」

「あ……」

 今日一日、つけ続けていた髪飾りだ。存在をすっかり忘れていたエルは、その薔薇も彼にあげようと手をかけたけど、フェリはその考えを読んで首をふった。

「その薔薇は、食べられないと思う」

「でもこれ、本物の薔薇だよ?」

 生気を感じられない、と彼は言った。

「それはエルがつけているべきだよ。僕が好きな薔薇に似てる。似合ってるよ」

 エルの乱れた髪を正す指先が、かすかに震える。傷の痛みをこらえているようで、唇もきっと引き締まっていた。

「ルーシーみたいだ」

「……ルーシー」

 本日何度も聞き、口にした言葉を、エルはもう一度舌の上に乗せた。

『花屋の、ルーシー・ヘルネスっていうひとは、あたしのお母さんなの?』

 今日、館に戻ったとき、エルはフェリにそれを訊くつもりだった。けれど太陽の腐蝕に苦しむ彼を見ていると、とてもじゃないけど訊けるわけがない。今は、すこしでも彼の痛みを軽減させることが重要だった。

 火傷の治療法を必死に頭の中で探すエルに、フェリはまた、微笑む。けれど腐蝕で表情筋までもを蝕まれた顔は、片方の唇だけが上がった、ニヒルな笑みしか作れない。

「エル。聞いて」

 彼はエルの肩に手を置き、背をかがめて、顔を寄せた。

「エルは、ルーシー・ヘルネスっていう人の、子供なんだ」

 フェリの吐息からは、かすかに薔薇の香りがする。けれどそれを打ち消すほどに、腐臭ばかりが鼻をついた。

「僕は、君のお母さんを殺したんだ」


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