5、マーガレット-1
5 マーガレット
エルはジャスティンにお願いして、花束をひとつ、作ってもらった。練習はしているものの、エルの作る花束はあまり褒められるものではなかったからだ。
ジャスティンが帰ってきたとき、持って来た花に、目当てのものはなかった。
それが届くまでの間、エルは何度か、ジャスティンのところに泊まった。フェリは理由を問いただすわけでもなく、帰ってくるといつものように、おかえりと声をかけてくれた。
「お代はあとで払うから」
「別にエルから金はとらないよ」
黄色い布に行儀よく包まれた花束を受け取り、エルはありがとうとお礼を言う。いつものエプロンははずして、髪も綺麗に櫛を入れた。着替えがなかったので、物置にあった前の店主のものを借りることにした。見つけたとき、ジャスティンの着替えと一緒に洗っていたものだった。
「本当ならおれが行くべきなんだけど……」
「いいの。あたしが行きたいの。ジャスティンはもう前に行ったんでしょ?」
ジャスティンが持って帰ってきたお土産と、洗濯して乾いた着替えを持ち、エルはジャスティンにじゃあねと手を振った。
ふと空を見上げれば、うすい曇が広がっていて、太陽の姿はなかった。洗濯をしたばかりだったので、雨が降ってほしくはない。
「サマンサさん」
八百屋の店先で、エルは首を伸ばして店内をのぞいた。
昼食前の買出しラッシュも終わったところで、ちょうど店に客の姿はなかった。夕飯の買出し時間になるまで、彼女は暇になる。エルが目を凝らして探すと、サマンサは店の奥でりんごを磨いているところだった。
「いた。サマンサさん!」
何度か呼びかけて、彼女はようやくエルの声に気づいたらしい。「はーい」と返事が聞こえたと思うと、彼女はりんごを片手に持ったまま店に出てきた。
「……エルちゃん?」
そして、手にしたりんごを落としてしまった。
「エルちゃん、よね?」
「そうですけど……?」
転がってきたりんごを拾いながら、エルは首をかしげる。サマンサは、まるで幽霊でも見たかのように、目と口をあけて呆然と立っていた。
「ジャスティンの着替え、返すの遅くなっちゃってごめんなさい。あと、ジャスティンが買ってきたお土産ももってきたの。ジャスティンは今、店に出てるから……」
かごにつめた着替えとシーツ。それから、近場では手にはいらない高級な焼き菓子。それを受け取って、サマンサはエルをまじまじと見つめる。すこし古いデザインだけど、物置にあった深緑のワンピースは、エルもすこし気に入っていた。洗濯してほこりも落としたし、かび臭さもないはずだ。
「その服、どうしたの?」
「店で見つけて……似合わないですか?」
サマンサの視線に、エルはおちつかなくてすそをつまむ。サイズもあっていて、もと店主も同じ体型であったのだと知った。
彼女はこの服の持ち主がエルではないと知っているようだ。亡くなった人の服を勝手に着ていることに、怒っているのだろうか。エルがそう思ってしまうほど、長い間、彼女は口を開かなかった。
「……なに、隠してるの?」
ふりしぼるように、サマンサがそう言った。それはエルが背中に隠すものを見て、気づいたようだった。
「あの、これ……」
サマンサの顔色が悪い。早く帰ったほうがいいと思い、エルは花束を出した。
「こないだ、いろいろ教えてもらったから、お礼にと思って……」
いつもよりリボンを多めに使ったおかげで、エルの手にかかってくすぐったい。サマンサはそれを見てさらに目を見開いたけれど、怒るわけでもなく、黙って受け取ってくれた。
「どうして、この花……?」
「嫌い、だった?」
あの業務日誌には、サマンサはマーガレットが好きだと書いてあった。だから花束もマーガレットが届くのを待ち、いろんな種類ででいっぱいにしたのだ。
「嫌いじゃないわ。大好き」
花束に顔をうずめて、サマンサが香りを楽しもうとする。
その花びらに、突然、雫が落ちた。
「サマンサさん?」
彼女の目から、大粒の涙がこぼれる。それは止まることなく、花びらは涙を受けて首を揺らし続けていた。
「ごめんね、エルちゃん……」
サマンサが涙を止めようとすればするほど、涙は次々あふれてくる。目も鼻も真っ赤にして、服の袖で懸命に涙をぬぐっていた。
突然の涙に驚くのはエルで、なにか悪いことをしただろうかとうろたえてしまう。けれどサマンサはしきりに「ごめんね」と繰り返すばかりだった。
「ごめんなさい、サマンサさん」
「違うの。エルちゃんが悪いんじゃないの」
嗚咽をこらえながら、彼女はかぶりをふる。そして泣き顔を見られまいと、手で顔をおおった。
「なんだか、ルーシーが戻ってきたみたいで……」
再び嗚咽の波が押し寄せてきたようで、サマンサは花束を抱きかかえたまま、両手で顔を覆う。エルは何も言えずに、ただ、ハンカチを差し出すことしかできなかった。
ルーシー。
それはこの花屋の元店主、ルーシー・ヘルネスのことだった。
○○○
「ごめんね、変なところ見せちゃって」
目が赤く腫れ残っているものの、落ち着いたサマンサは、エルに冷たいレモネードを出してくれた。
涙が止まらなくなってしまったサマンサに代わって店に出たのは一緒に暮らしている末の弟で、エルは彼女と一緒に二階の自宅へとあがった。サマンサが落ち着くまで、エルは居心地悪く、居間のソファーに座っていたのだ。
テーブルの上に皮を剥いたりんごをおき、サマンサもエルの隣に座る。軽く鼻をすすり、自分でもわかるのか腫れたまぶたをさすって、心配そうに見つめるエルに笑ってみせた。
「これで、泣いた理由を話さないのは、失礼よね」
「別に、辛かったら言わなくても大丈夫」
「いいの。私も一度、話したいなと思ってたから」
レモネードを一口飲んで、サマンサは視線を窓に投げる。開け放たれた窓は吹き込む風にカーテンが揺れて、それとともに子供たちの遊ぶにぎやかな声が聞こえてきた。
「ルーシーっていうのは、花屋をやっていた、私の友達の名前だったの。同い年で、小さい頃から一緒にいた、幼馴染だったのよ」
同い年だというのは初耳だった。もしルーシーが生きていたら、今のサマンサと同じなのだ。
「エルちゃんも知ってると思うけど、ルーシーはあの伯爵に殺されたの。それを最初に見つけたのは私で……部屋一面、真っ赤に染まってて、傷だらけで……」
当時のことを思い出して、サマンサの身体が震え始める。それでも彼女は気丈に話し続けた。
「こんな断片的に話してもだめよね。ちゃんと、順番に話すから」
「無理しないで。あたし、知らないままでもいいから」
ルーシーの話を、聞きたいという気持ちもある。けれどそれを語ろうとするサマンサはいつもの面影などないように、弱弱しく、倒れそうで、エルにはそちらのほうが心配だった。
心配するエルにまた微笑みかけ、彼女は話を続けた。
「ルーシーね、伯爵に襲われる前、しばらく家にこもってたの」
「……お店は?」
「閉めてたわ。店を閉めても、いままでの貯金があるから大丈夫だよって。それで、必要なものは私が買いに行ってたわ。頻繁に顔を合わせているのは私だけで、町のみんな、誰もルーシーに会ってなかった」
だから、異変に気づけるのは自分しかいなかったのに。サマンサは再びあふれそうになる涙をのんだ。
「たぶん、ルーシー、伯爵に狙われてるのを知ってたのよ。それで身を守るために、ずっと家にこもっていたんだわ。私、自分のことばっかりかまけて、全然話聞いてあげられなくて……」
レモネードのコップをもつ手が、ぶるぶると震えている。エルもコップを握ったままで、りんごにはふたりとも手をつけなかった。
「なんだか夜、ルーシーの家がさわがしいことがあったのね。それで次の日、様子を見に行ったら、ルーシーが居間で倒れてて……もう、死んでたの」