4、プリザーブドフラワー-2
ジャスティンがそばにいないとき。いけないとわかっていても、足が物置へと吸い寄せられていく。そして、いけないと思っていても、日誌に手を出してしまう。館にももう何冊にものぼるノートがあり、ジャスティンがいない間、自室にこもって日誌を読みふけっていた。
――吸血鬼の被害がまた増えてきたみたい。サマンサに十字架を持てといわれたけど、襲われる人もみんな持っているのだから、効果はないのだと思う。
吸血鬼という単語にはっとしたけれど、その日前後に、フェリの記述はなかった。どうやらフェリはまだ、彼女の前にあらわれてはいないようだ。
すっかり日誌を読むことに夢中になって、エルは日が傾きはじめても、部屋の明かりをつけなかった。ジャスティンの心配もそこそこに、日誌の中の彼女のことに夢中になってしまう。気になり、心配でたまらない。
――あの人は、また来てくれるかな。
どうやら彼女は恋をしていたらしい。たまに、『あの人』の存在がちらついている。店のお客のようで、毎日来ることを待ち望んでいるようだった。
――あの人は今日も来ない。話がしたいのに。
――私のことはやっぱり好きではないのかな?
――せめてもう一度会えたら、私もちゃんと考えを決めるのに。
三日連続、恋に悩んでいる。それがたまらなく切なくて、エルは急ぎ早にページをめくった。
――また吸血鬼の被害があった。最近はみんな、家で襲われているみたい。森で見つかることはほとんどない。
再び、吸血鬼の記述。けれど彼女はまだ、フェリに会っていない。
日誌の主は、吸血鬼に興味があるようだった。自分の命もいつ狙われるかわからないから、対処法を見つける目的もあったのかもしれない。過去の日誌を読んでは、フェリの手口が事細かに記してあることもあり、当時の吸血鬼に対する町の雰囲気のようなものがひしひしと伝わってきた。
――吸血鬼が、人の肉まで食べるっていうのは本当かな? 森で見つかった遺体は、たしかに損傷があったけど……
――吸血鬼は、なんのために人を襲っているんだろう? もちろん生きるためだろうけど、なんだかそれ以外のものもある気がする。襲う手口も、遺体を置いていく形も、ほとんど同じなんだもの。
――彼はあたしたち人間のことを、どう思っているんだろう。ただ襲うだけなら、なぜあんなにも綺麗な姿にしていくのかしら。みんなまるで、眠っているみたい。苦しむ顔も、おびえる顔も、何も無かった……
ジャスティンも知らなかったことが、この日誌にはたくさんつまっている。エルは瞬きをするのも忘れ、読みふけっていた。喉がからからだけど、水を汲もうという気ですらおきなかった。
これ以上日誌を読みこんだら。彼女のことを知ってしまったら。フェリに奪われた命を、詮索してはいけない。わかっているのだけど、やめられない。
エルは知りたかった。
――今日、彼が来た。
その日は一言で終わっている。淡々とした一文に、エルは視線をとめた。
『あの人』ではなく、『彼』。ただ気まぐれに書き方を替えただけかもしれない。けれどエルは、それがフェリではないかと思った。
――彼と約束をした。
間違いない、これはフェリのことだ。今までのやわらかかった文章が、昨日から凍り付いてしまっている。
「約束……」
それから数日、書いてあるのは業務のことばかりだった。フェリらしき人物にもまったく触れていない。
そして、何も書かれなくなった。その意味がわからず、早く続きをと震える手が、外からの声に、はっと止まった。
「――エル、ただいま!」
ジャスティンだ。エルは喜びよりも、焦りのほうが強かった。
「おかえり! 遅かったね!」
窓から、店の下で手を振る彼に声をかける。見えないとわかっていても、日誌を背中に隠した。
「ちょっと、探し物が長引いたんだ。なんか飯、ある?」
馬車にいくつか荷物があるようで、彼はそれを店内に運びながら聞いてくる。大きな声で話すエルたちに他の店の人たちが顔を出したけど、いつものことなのですぐに戻っていった。
「いちおう、作ってあるけど」
「さすがエル!」
やったね! とはしゃぐ様子では、風邪をぶり返していることもないらしい。荷物を乱暴に店内にいれ、馬車を見送るなり、彼は階段を上がってきた。
「ただいま!」
「おかえり」
エルはとっさに、日誌を自分のかごの中にしまい、何事もなかったかのようにジャスティンを出迎えた。
○○○
「……思ってたより、買い込まなかったのね」
「そんなにいっぺんに店に置いても、売れなかったら枯れちゃうし。市場の人にお願いして、定期的にここに届けてもらうことにした」
ジャスティンの持って帰ってきた荷物は、さほど多くなかった。買い付けの花もこれといって珍しいものがあるわけでもなく、大量に買ってきたわけでもない。それぞれ店の中に配置してしまえば、がらんと殺風景だった店が、いつもの調子に戻るだけだ。
「体調、どう?」
「すっげー調子いいよ」
エルの呼びかけに、こちらを向こうともしない。久しぶりに会えて嬉しいのは自分だけなのだろうか。エルはそっと、カーディガンのすそを握りしめた。
すっかり日も暮れてしまって、商店街もみんな閉めてしまっている。花屋も今日の営業は終了だから、エルにはもう、ここにいる理由がなくなった。
「……あたし、帰るね」
ジャスティンはあいかわらず、荷物の整理に明け暮れている。着替えを入れる大きなトランクから汚れた服をとりだしては、あーでもないこーでもないと呟いていた。
「ごはん、作っておいたから、食べてね。サマンサさんもジャスティンのこと心配してたから、明日、挨拶したほうがいいと思うよ?」
「うん、わかった」
だめだ、聞いてない。あまりにも適当な返事に、エルはため息を漏らした。
「じゃあね、おやすみ」
「――あった!」
エルが踵を返し、今まさに部屋から出ようとした瞬間。ジャスティンが嬉々とした声をあげた。
「待って、エル!」
振り向いたエルに、ジャスティンがぴょんと跳ねるように立ち上がる。その手にはなにやら、たくさんの洗濯物が抱えられていた。
それを目の前に突き出されて、エルはいぶかしげに眉をひそめた。
「……洗ってほしいの?」
「違うって。壊れないように、包んどいたんだ」
だからといって、なぜ洗濯物の中に。エルの呟きもよそに、たまねぎのように一枚一枚めくられていく洗濯物は、中心にいけばいくほど、清潔なタオルやハンカチへとかわっていった。
「エルに、買ってきたんだ」
そして最後のハンカチをめくると、中は白い綿ばかりで、彼の手からいくつか零れ落ちる。そして中から現れたものを、ジャスティンは誇らしげに見せた。
「……薔薇?」
手のひらにおさまる、一輪の薔薇が、大事そうに綿の中で身を潜めていた。
茎はない。額の下から切り取られ、ビーズやリボンでささやかに装飾されている。ジャスティンに手渡され、エルはうやうやしく、それを眺めた。
そのまま微動だにしなくなったエルを見て、ジャスティンは心配そうに顔を覗き込んでくる。