4、プリザーブドフラワー-1
4 プリザーブドフラワー
「――で、坊やは治ったなりさっさと出かけちゃったわけ?」
「そうなの。買い付けに行かなきゃーって、飛んでっちゃった」
ぶりかえしたらどうすんのさ。店先で、サマンサが呟く。からりと晴れた商店街は、店のガラスが太陽を反射して、道に転々と明かりを灯していた。教会の十字架も、日の光を浴びて、まるで日時計のように光を放っている。
「今日帰ってくるはずで、店開けて待っててって言われてたんだけど……」
店を開けて、掃除をしたところで、売れそうな花はほとんどない。しかたなく店先に出たところで、サマンサが声をかけてくれた。
「どうする? でっかい花束抱えて帰ってきたら」
「まぁ、買い付けにいったんだから、花ぐらい持ってくるとは思うけどね」
エルとジャスティンの間になかなか変化が訪れないことに、サマンサはやきもきしているようだった。
「毎回果物とか持ってってるんだし、餌付けは完璧なのよね」
「餌付けって……」
「あとは押し倒しちゃうとか?」
「無理ですあたし色気ないから」
「そういうのは色気じゃないのよ」
指先に髪をからめるエルを見て、サマンサが小さく嘆息した。
エルにはわかっている。自分が臆病になっていることを。すべてをさらけ出してしまえばいいのはわかっているけれど、でも自分には、本当に住んでいるところですら明かせない事情がある。
フェリと一緒に住んでいるのが嫌なわけではない。ただ、町で吸血鬼の話を聞いているジャスティンが、フェリのことを知っても受け入れてくれるかが不安だった。もし万一それを他の人に漏らして、館が襲われるようなことだけは、あってはならないことだから。
「サマンサさんだって、例の愛しの君、探せばいいじゃない?」
「こんなおばさん、誰も相手にしないわよ」
軽く頭を小突かれて、エルは笑う。その笑みを見て、彼女はふと、表情を消した。
「エルちゃん」
「なんですか?」
「エルちゃんは、本当に隣町の子なのよね?」
念を押すような口調に、エルは内心戸惑いながらも、力強くうなずいた。彼女もそのうなずきに安堵したのか、ほっと息をつく。
「どうかしたんですか?」
「ちょっとね」
その、ちょっとね、に闇がある。深く聞きだせず、エルはあきらめるしかなかった。
「じゃああたし、戻ります」
「うん。餌いっぱい用意して待ってなさい」
大きなキャベツをひとつ手渡しながら、サマンサはエルに、そっと耳打ちをした。
「吸血鬼には気をつけてね」
その胸元で、小ぶりの十字架のネックレスが、きらりと光を反射した。
昼ご飯の時間が過ぎてもジャスティンは帰ってこなく、エルは一人で食事をとった。
店の掃除はもちろん、ジャスティンの家の掃除までしてしまった。合鍵をもらっているのだから、勝手に立ち入っても怒られないはずだ。サマンサからもらった野菜で夜ご飯の準備をして、それでも暇をもてあましてしまう。
「業務日誌でも書こうかな……」
ジャスティンはエルが働くようになってから、店に業務日誌を置くようになった。一人で店番をしたときにエルが困らないよう、備品がどこにあるかなども書いておいてくれる。エルは店番している間、何度この日誌に助けられたかわからない。
そしてエルは日誌に、今日はこんなことがあった、という報告を記すのだ。
――私の家の庭でも、薔薇が綺麗に咲きました。店の庭の花も見ごろなので、店長、早く帰ってきてくださいね。
書いて、エルは鉛筆を転がす。これじゃあまるで交換日記だ。
店の裏口から外に出て、庭の様子を見る。その庭の手入れをするのはもちろんジャスティンで、そこで育てた花も店先に並ぶことがあった。あいかわらず綺麗に整えられた花たちは、日光を浴びて思う存分葉を伸ばしていた。
薔薇園と化している館の庭と違い、店の庭は実にさまざまな植物がある。そのひとつひとつに声をかけながら水をやるジャスティンの姿を、エルはいつも見ていた。
店に行けば会えるはずの人が、いない。それがなんだか寂しくて、エルはそっと、二階へとあがった。
あいかわらず女性ものの家具でそろえられている部屋は、台所とつながっているだけあって、エルのつくっていた料理の香りが漂っていた。今日は大きなキャベツをもらったから、ロールキャベツにしてみた。ジャスティンは好き嫌いなく何でも食べるから、献立に悩むことはなかった。
水でも飲もうかと台所に行こうとして。エルのまぶたの裏に、いつも閉ざされている物置がうつった。
物置には、ジャスティンが使わないと判断した家具などがしまわれているはずだ。先代の花屋の主人の持ち物なども、すべてここにしまわれている。だからエルは、女性であることは知っていても、店主の顔や名前はまったく知らなかった。
自然と、足がそちらに向いてしまう。いけないことなのはわかっているけれど、どうしても、身体が好奇心をおさえられなかった。
先代の花屋の店主。花屋を営むというイメージから、勝手に綺麗な女性なのだろうと思う。エルの父は、その彼女を殺めたのだといわれている。そんな人の情報を知ってしまったら、自分は花屋にいづらくなるかもしれない。わかっているけれど、ノブにかける手はとまらなかった。
部屋に踏み込み、まず空気に舞うほこりの多さに顔をしかめた。物置というのだからしかたないけれど、中も雑然として、足の踏み場も少ない。
しまわれているのは、主に本や、人形といった類だった。たしかにジャスティンには興味のないものだし、人形などをそばに置くのはためらわれるのだろう。
綺麗な細工の箱だと思ってふたを開けると、オルゴールだった。ねじを巻いたままだったようで、音が鳴り、エルはおどろいて箱を投げてしまった。
「あっ……」
いけないと、拾い上げる。幸い傷はなく、音楽も鳴り続けていた。この家には自分一人しかいないのだから、多少物音がしても、見つかることはないはずなのに。自分の臆病さに、エルは一人苦笑した。
オルゴールを元に戻し、衣類の入った箱に気がつく。こういう細かいものも、どうやら物置にはたくさん残っているようだ。
そしてエルは、床に散らばっているノートを一冊、拾い上げた。
散らばっているのは、ずっと前からだ。何冊もあるノートは、均等に埃がかぶっり、白く積もっている。
「業務日誌……」
表紙に、ジャスティンの荒っぽい字とは正反対の、女性らしい丁寧な字でそう書いてある。彼女もまた、日誌をつけていたのだった。
エルはそのノートを持ったまま、部屋を後にした。いけないことをしていると、鼓動が高鳴っている。けれど、どうしても見ておきたかった。
フェリが最後に手をかけた人を知りたかった。
丁寧に拍子についたほこりをぬぐい、震える手でページをめくる。そこには一日数行の、簡単な文章が並んでいた。
――今日はあまりお客が来なかった。やっぱり雨の日はみんな家にいるみたい。
――サマンサと話ばかりしてしまった。彼女の誕生日も近いから、サマンサの好きなマーガレットを仕入れよう。
業務日誌というか、日記というか。彼女一人で働いていたのだというから、たしかに引継ぎの連絡はさほど必要ない。
かといって、細かく日々のことを記しているわけでもないらしい。それにエルはほっとしていた。彼女の感情まで赤裸々に書き連ねてあったら、最後まで見る勇気がなかったから。
日誌は毎日書いてあると思いきや、何週間もさぼっていることもある。ただ、日誌を書く習慣は続いているらしく、このノートも何代目かのものだった。読み進めても、フェリがあらわれることはなく、該当する年に使われていたものではないようだった。
エルはもう何度も、こうして物置から日誌を持ち出しては、目を通していた。