表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/36

プロローグ

 


  プロローグ




 月夜の晩が、エルはいつも楽しみだった。

 いつもエルに早く寝なさいと怒るフェリが、満月の日だけは、夜更かししても怒らないからだ。

 部屋の窓を開け放ち、そこからのぞく満ちた月を見ながら、ワインを飲むのが彼の習慣だった。部屋の真ん中に猫脚のテーブルを置き、おそろいの椅子を置き、そこに座ってくつろぐ彼は、エルが近づくと抱き上げて膝に乗せてくれた。

 温めたミルクに砂糖を入れて、薔薇の砂糖漬けをひとつ浮かべてくれる。それを飲み終えるまでが、エルが起きていてもいい時間だった。

 町のはずれにある古びた洋館の、屋根裏部屋。そこがエルたちの家だった。決して天井は高くないけれど、豪華な家具も置いてはいないけれど。くもの巣とほこりだらけで床板も腐って抜け落ちたダンスホールより、この狭くもぬくもりの感じられる部屋がエルは大好きだった。

 テーブルの上に置かれた花瓶には、大輪の花を咲かせる真っ白な薔薇が飾られている。月光を浴びて卵色に光る薔薇が綺麗で、エルはじっと、それを見つめていた。

 自分を抱く長い腕は、彼の呼吸に合わせてゆったりと揺れる。まるでゆりかごのような揺れにいつも睡魔がおとずれるのだけど、エルは眠らないように必死に目を開いていた。

『……ねぇ、フェリ』

『なに?』

 彼の声は、木々のざわめきのように、深みがあり、静けさがある。見上げた顔は、銀色の前髪に隠れてよく見えない。抜けるように白い肌が、花瓶の中の薔薇のように、淡い光を映していた。

『フェリは、吸血鬼なんだもんね?』

『そうだよ』

『じゃあ、エルの血も吸っちゃうの?』

 見上げるエルの瞳に、フェリがぱちくりと目をしばたかせて、黙りこんでしまう。

 もしかして自分は何かいけないことを訊いただろうかと、不安になり始めたころに、彼はようやく口を開いた。

『……どうして、エルは、そう思うのかな?』

『だって、吸血鬼は血を吸うんでしょ?』

 館を探検して、エルは書庫を見つけた。まだ難しい字の読み書きこそできないものの、エルもフェリに教えてもらって本を読むことができた。

 書庫の本の中にあった、吸血鬼の出てくる小説。その中で吸血鬼は、人間の血を吸って生きていた。

 彼の薄い唇からのぞく鋭い牙は、人の首筋に傷をつけ、あふれる血潮を飲むためにある。フェリはエルに、自分が吸血鬼であることをはじめから話していた。

 だからエルは、彼が吸血鬼だとわかっていたけれど、その彼が小説に出てきた吸血鬼と同じかというと、どうも違った。

 まばたきもせずに、大きな目で見つめるエルに、フェリはまたすこし、沈黙した。やっぱり怒っているかなと心配すると、彼は吐き出した息とともに笑った。

『エルは、僕に血を吸ってほしい?』

『……ちょっと、こわい』

 考えて、ぽつりと呟いたエルの頭を、フェリが撫でる。エルの真っ黒な髪を指先に絡めながら、彼は息がかかるほどに顔を近づけてきた。

『僕は、血は吸わない主義なんだ』

 顔にかかる髪を耳にかけて、フェリがその綺麗な顔を間近に寄せる。その柔らかな表情に、いくぶんかこわばっていたエルの身体から、力が抜けた。

『本当に?』

『本当に。だってエルは、僕が血を吸うところなんて見たことないでしょう?』

 うん、と、エルはうなずく。そのふっくらとした頬に指先をあてて、フェリは微笑んだ。

『吸血鬼は、血を吸わなくても生きていけるんだ。だから決して、エルの血を吸ったりはしないよ』

 頬に落ちたまつげをはらい、彼はエルの額にキスをする。それはふたりのおやすみの挨拶。カップにはまだミルクが残っていたけれど、エルはそれをテーブルに置いた。

『おやすみ、フェリ』

 エルの背丈に合わせて身をかがめてくれるフェリの額に、おやすみのキス。ネグリジェのすそを翻しながら、エルは自分の部屋へと戻ってゆく。

 その後ろ姿にまた微笑みながら、フェリはテーブルの上に散らばる花びらを手に取った。

 茶色く縮み、水分を失った花びらが、いくつもいくつもテーブルの上に落ちている。そして彼の細くて白い手の甲に、いくつもいくつも降りそそいでくる。

 フェリがそっと息を吹きかけると、花瓶の中の薔薇たちは、見る間に枯れて首をもたげていった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ