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空海の風景 を聴きながら、今、書いていますが……、
……時折、……私は思うのですが(この今書いていることは、空海の風景の内容とは全く関係ありませんよ、空海の風景はBGMとして聴いています)私は……人との繋がりとは、……時折、……本当に繋がっているように……思うのですよ。……まるで、数珠繋ぎのように。
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……私のほんの短い今迄の人生の中で……それでも思うことなのですが、……繋がり、数珠のように縁がひと時切れない方々って、……その一瞬だけなのですが、……必ず、繋がっているのですよ。
……なにが、というと、……思考、と、です。
……その当時、私が必要としていた思考と数珠繋ぎのように、……人との繋がりがあるように、……錯覚してしまうことが……あります、
……だからこそ、……人と出会って、ああ、私は今、このようなことを求めていたんだな……と、気づくことが度々あるのです
……変な話かもしれませんが、……まるで気づかなければならないと思われる状況や答えを示したり、問いを発するかのような方々が、ふっと、不意に目の前に用意されているような……そんな奇妙な錯覚に陥ることがあるのです、
……だから、では、無いけれど……私が今、私のおなかの中のこの子に執着してしまうのは……どうしても、手放せないと思えてしまうのは……
……きっと、私自身が必要としているからです
……まだ、出会ってすらいないお腹の中のこの子との数珠繋がりのようなそれを、……とても偶然とは思えなくて、必要だと思えて、出会わなければならないと……思えてしまうのです、
……強くそう思えてしまう程のそれが
……血のつながりの意識だとしたら、私はそれを否定したい
……そういったことではないのです 私は、この子に会いたいけれど、それは、私の子だからだ、ということでは……極端に言うとそういった意識ではないのです、 ……どこか、私の子というよりも ……もっと尊い存在に思えていて、……何故か無償に出会わなければならないと思えてしまう存在だからです
数珠繋がりのように、失ってはならない繋がりと縁だと、執着してしまう程には、どうしても手放すことが出来ない ……出来ないからこそ