過去の自分が離してくれない 2
俺は肉親を殺した。
とはいえさすがに人を殺す話から語るのもアレなので、生い立ちからきちんと整理していこう。
◆◆◆
霧崎響冴、それは確かに俺の名前であり、一つの人格である。
しかしだ。
「きりさききょうご」って呼びづらいじゃん。なんか不自然じゃん。
俺は元々、石堂という苗字だった。
父親は石堂秀雄と言い「楽器のイシドウ」で知られる「株式会社イシドウ」という楽器メーカーの代表取締役だった。要は社長である。
母親は石堂薫、プロのピアニストだった。
俺の名前の由来は「冴え渡る命の音楽を響かせる」というものらしい。
……つまるところ、俺は御曹子であった。
俺は全てにおいて普通であることが許されなかった。
俺は、自分が生まれるまえから病気を持っていることが判明したらしい。
親が親だったので、医療も万全の体制で出産した。
しかし、俺の病気は指定難病に含まれるようなもので、生まれたときは内臓が外に出た状態だったという。
それに加えて、俺は他にもいくつか病気を持って生まれていた。
二歳になるくらいまでは入退院を繰り返した。
それからも毎月通院するような生活だった。
俺は生まれる前の時点で、二人に迷惑をかけていたのだ。
そして生まれてからも当然迷惑をかけていた。
「障害物」として見られるのは至極当然の展開だろう。
それゆえか、俺は世間で言う「虐待」を受けた。
三歳のころ、俺は母の勧めにより、彼女からピアノを習い始めた。
もちろん強制的に、だ。
俺の意思など関係なかった。
一度レッスンが始まると、明確な休憩の時間は与えられなかった。
俺がどんなに消耗していようが関係なく、母が疲れるまで、何十分も何時間も練習させられた。
今でもたまに思い出す。
「誰が『やめていい』って言ったの!? はやく弾きなさい!」
「ごめんなさい」
さながらBOTのように無機質な声で返事を返す。
人権など、なかったのだ。
そして平手打ちが炸裂する。
なぜ平手が飛んでくるのか、理由は依然として不明である。
そんな毎日が、今にして思えば人生の75%を占めていた。
「つかれた」
レッスンが始まって二ヶ月ほど経ったころ、俺はたった一度だけ、一言だけそう言った。
三歳の子供に耐えられる練習ではなかったし、体力的にも精神的にも限界を迎えたからだ。
でも、言ったあとになって後悔した。
案の定母はそれを許さなかった。
三歳児の頬を何度も往復する母の手。
ピアノ椅子から落ちそうになったが、ピアノに背を向けでもしたら恐ろしい蹴りが待っている。
頭がおかしいのは俺なのか? こうするのが「普通の子育て」なのか?
少なくとも、その頃には俺も狂いそうだった。
おもちゃで遊んだ記憶は一つもない。泣くことすら認められない。
少なくとも、俺はあのときから今もなお、普通じゃない人生のレールの上を走っている。
「ピアノ以外の音は出さないの! ほら、ここから弾きなさい!!」
レッスンが始まって以来、母が部屋を出るまで鍵盤から指を離すことは許されなかった。
幼い俺の苦行は、ピアノに限ったことではなかった。
勉強である。
俺は字の読み書きや算数の勉強、英語の習得などの様々な英才教育を施された。
問題が解けたときは「そんなこと赤ちゃんでもできる」と頬を打たれる。
失敗したときは「なんでそんなこともできないの」と腹や頭を殴られる。
あの女の血肉は、この世に蔓延る全ての理不尽から生まれ出たものだと、信じて疑わなかった。
しかし、母をただ憎んでいたわけではない。
あの女は音楽の天才だった。
自分の収入だけで、三ヶ月に一台ほど普通車が買えるくらいに稼いでいた。俺のピアノの腕は遺伝だろうし、奴の教えもあってその上達も早かった。
また、努力の天才でもあった。専業主婦であるあの女は、父の金を使って様々な趣味を開拓した。
それら全て、常人の何倍ものスピードで高水準まで高めたのである。料理や生け花、茶道、デッサン……効率的な努力の仕方を体得していたのだ。
石堂薫。あの女をプロのピアニストとして見れば、悔しいが認めるほかなかった。
では、父はどうだろう。
父は俺が六歳になるまで、一切の関心を持たなかった。
なぜ六歳なのかというと、俺はその頃、ちょっと大きいピアノのコンクールで一位に選ばれたからだ。
そのことは新聞やテレビのニュース、ネットの記事など、様々なメディアに取り上げられた。
普通は六歳の子供がコンクールで一位になったからといって、そうそうニュースになることはない。コンクール開催地の地方の新聞で、はしっこに載るくらいが関の山だろう。
言うまでもないが、俺は普通じゃなかったのだ。
俺は奴の子供ではない。
本当に、単なる商売道具にすぎなかったのである。
俺は「音楽一家の天才児」として世間に晒された。
すぐさまインタビューが殺到し、父はインタビューの一時間前に「受け答えリスト」を俺に投げつけた。
俺はそれを、まさしく死に物狂いで暗記し、「楽器メーカー社長の息子」というタスキを肩にぶらさげることになった。
当然、望んで覚えたわけではない。
父の命令や行動は、家庭においても社会においても『絶対』だったからだ。
父に口答えなどしようものなら、たとえ些細なことでも、たった一度口をついて出ただけでも、機嫌がなおるか忘れられるまで許されことはなかった。
反抗すれば家政婦の連中に庭に追い出され、昼夜を問わず鍵を閉められる。
俺は翌日誰かが気づくまで、ずっと家には入れなかった。
家事に一度も着手したことがないくせに、廊下にちょっとしたゴミを発見すると雇っていた全員をクビにして「掃除もできない家政婦だ」という難癖をつけ、評判を下げて廃業に追い込んだこともあった。
会社ではどんな有能な社員でも重要な人物でも、奴に不快だと思われたらその人の人生は終わりだ。
被害者のなかには、海を越えた辺境でしか生活できなくなった者もいた。
奴の社会に与える影響力は絶大だ。
弱みを握ることなく自分の権力のみで相手を従わせ、二度と逆らえないことを身をもって実感させる。
平然と、何の躊躇いもなく、汚ないカネを掴ませて従順な犬にする。
叩けばホコリしか出てこないような人間だったが、奴の不祥事は奴が死ぬまでなかなか出てこなかった。
父が「そうだ」と言えば、たとえそれが虚言であっても事実になった。
いくら大企業といっても、一つの楽器メーカーの領分はとっくに超えている。
コネクションだけ見ても、父が号令すれば一つの小さい国が成り立つほどだ。
父の存在は、良くも悪くも、そして社会と俺にとってとても大きいものだった。
だが、ある一点において、俺はあの男を尊敬している。
父は策士、特にこと経済界において、紛れもなく日本の支配者だ。
俺が再びピアノのコンクールなどで様々なメディアに取り上げられ、少しばかりその知名度を上げたころ。八歳くらいだったと思う。
父にとっての俺の評価は「プラスアルファの商売道具」から「楽器メーカー社長の息子」に昇格したらしかった。
どうやら利用価値があると踏んだようだ。
「響冴。ピアノのレッスンが終わったら、毎日この部屋の本を読み、将棋を覚えなさい。十日後、私と対局しよう」
父は俺に将棋のルールブックを手渡した。
ルール以外には何も載っていなかった。独学で戦略を考えろ、ということが言いたいのだろう。
俺が連れてこられたのは、父の書斎だった。
気に障らないように返事を返し、父が部屋を出てから本を漁り始めた。
そこには、父の全てがあった。
自費出版というか、自らの手で製本したというか、そういう本だらけだった。
中身も全て手書きだった。
そして、その中身に俺は驚愕した。
人の安全な使い方。リスクリターンの見積り方。カネの使い道とその相場。大国の経済情勢の特徴。
ビジネスマナー。政治戦略の概要。人身掌握の方法。信頼を得る方法とその使い方。イシドウの楽器メーカーから派生して生まれた企画の概要など。
要するに、今の「石堂秀雄」を形作るすべてのファクターが、本棚いっぱいに詰まっていた。
中には歴史の書物もあった。
孫子や上杉謙信、諸葛孔明や源頼朝、義経、アドルフ・ヒトラーなどの、采配や戦略の天才たちが刻んだ歴史の本があった。
そして、俺は本棚の裏に隠された空間を発見した。最初は進撃の巨人を想像したが、一畳分もないほんとに小さな空間だった。
そこには数十冊のクリアファイルが綺麗に整頓されていた。
一冊一冊がとても分厚く、広辞苑と勘違いしそうだった。
中を覗くと――父の日記が前半に、今後の人生計画が後半に事細かに記してあった。
記された人生計画と奴の経歴は、なんとピッタリ照合されたのだ。
俺の受けている仕打ちについても書いてあった。
理由は書いていなかった。
つまり、俺の歪んだ人生の形は、両親のクレイジーな性格によるものではなく、父の脳内に描かれていた「設計図」によって構成されていて、全てが「予定通り」だったらしい。
日記も人生計画も、全て父が十二歳のころから記されていた。最新がまさに昨日で、この量であれば欠かすことなく書き続けているのだろう。
――あの男の人生は、十二歳から死ぬ間際まで、すべて計画通りだったのだ。
そんな父の口癖は「天才は凡人でも理解できる存在だが、支配者は天才にしか理解できない。そして、人は同じ立場の者にしか共感することはできない」というもの。
もう一度言おう。
あの男は紛れもなく支配者である。上杉謙信も、諸葛孔明も、孫子も源氏の英雄たちも、ヒトラーでさえ達しなかったであろう栄華に、頂点に到達した、日本の支配者である。
しかし。
奴の手のひらで踊らされていたと知ったとき、さほど怒りはなかった。
俺は腐っても、石堂夫婦の遺伝子を受け継いでいたのだ。
俺は二人を、言葉のキャッチボールより拳の千本ノックを強制した両親を、「才能の塊」として、ひそかに尊敬していた。
では、プロローグはここまでにして。
物語の本題と行こうじゃないか。
俺は七歳のとき、たった一つだけ、あることを強く決心した。
努力の天才と日本の支配者から生まれた俺が「普通」であるはずがないのだ。
奴らに「やれ」と言われたらやらねばならず、反抗すれば右ストレートが飛んでくる。
奴らの前では真実すら「周知の事実」には敵わない。
そう、正真正銘の圧政である。
少なくとも日本において、石堂夫婦に反抗できる者などいなかった──
──ただ一人を除いて。
「普通でない」俺は七歳にして、あることを心に決めた。
「石堂薫と石堂秀雄。二人を五年以内に玉座から引きづりおろす」
全ては生まれる前から定められた、運命だったのだ。
◆◆◆
七歳。始まりの七歳。
大雑把だが計画を立てた。
本気でピアノを練習し始めた。
両親のことを「カオルお母さん」「ヒデオお父さん」と呼び始めた。
少しばかり特徴的な呼び方に二人とも怪訝な表情を浮かべていたが、対策として近所の書店を走り回って似たような呼び方をする子供向けの漫画を購入した。
◆◆◆
八歳。
ピアノで、初めてのコンクールの比にならない規模の大会で圧倒的な一位を掴み取った。
やはり多くのインタビューを受けたが、想定済みである。
俺は自分の功績を全て「両親のおかげ」と言い放った。
世間のウケはよかった。
件の書斎への出入りが認められた。
後日から、俺に対する虐待のレベルが徐々に下がっていった。
◆◆◆
九歳。
家庭内ヒエラルキーがランクアップし、ある程度の自由が認められた(友人との交流は、俺を介した情報漏えいを防ぐためか、小学校では一切認められなかった)。
八歳の時に父と例の将棋を対局したことをきっかけにして、将棋を始めた。
わざわざ電車で行かないといけない場所を選んだ。近所の将棋クラブだと父の気にしていることに触れるから、という理由をつけて承諾してもらった。
勉強とピアノのレッスンと将棋。両立は大変だったが、目的に近づくためだと歯を食いしばって続けた。
◆◆◆
十歳。
頭脳明晰で芸術肌な孝行息子としてさらに知名度を上げていった。
右足の病気をこじらせて、大きくて重い装具をつけるようになった。
メディアに顔を出したこと、また珍しい装具をつけていることから、将棋のクラブに向かうときは電車内や駅のホームで、登校中は通学路で、小さい子供から老人まで、知らない人に指をさされるようになった。
不快で不快でしょうがなかった、道行く人々に殺意すら覚えた。
株式会社イシドウから、正式なピアノの演奏の依頼を受けるようになった。
将棋でもピアノでも勉強でも、着実に上にのぼっていった。
母の俺を見る目が、父の俺に対する口調が、やわらかくなった。
◆◆◆
十一歳。
親のコネクションを使い、将棋でプロ棋士になった。
一時期「親の威光だ」という風聞がたったが、きちんと好成績を残したので最年少プロ棋士として多くのメディアに取り上げられた。
自分のお金が全て、親の管理下から自己管理にするよう打診した。経済について経験を積みたいと言うと、母はあまりいい顔をしなかったが父はこれを許してくれた。
「楽器のイシドウ」というキャッチのCMを、前よりテレビで見るようになった。
◆◆◆
十二歳。
小学校、六年生の夏。
両親の虐待が、俺の心と人生を蝕んでいた悪夢の日々が、ついに――
――ついに、止んだ。
計画も大詰め。
クライマックスである。
◆◆◆
その日、俺は両親とともに、電車に乗ってとあるプロ棋士との将棋の対局に向かった。
「お父さん、歩いていってもいいですか?」
父は顔をしかめることなく言った。
「いいとも。しかし、なぜ」
「緊張しているときは自分の足で向かうのが良いと、本で読んだからです。お母さんは、いいですか?」
「いいわよ。大事なことは入念な準備が必要ですもの」
「ありがとうございます」
大事なことは入念な準備が必要、ね。
まさしくその通りだと思う。
俺たちは電車以外、タクシーも使わず歩いていった。
……乗り換えの駅のホームで、俺はベンチに背を預けていた。
「ごめんなさい。歩いていくと言ったのは僕なのに」
「いいのよ。もともと足にハンデがあるのは、私たちが一番わかってるから」
「ああ。乗り換えの電車まであまり時間がないが、休んでおきなさい」
腕時計を一瞥する。
乗り換えの電車は十分後だが、アレはあと1分で来るな。
手に持っていたペットボトルをゴミ箱に捨てた直後。
反対側のプラットホームにいる少女の、大切そうに抱えていた帽子が風で飛んでいってしまった。
「あっ、わたしのぼうし!」
「ああ、小さい子がぼうしを……」
俺はつかれている足に気を使うことなく、彼女の帽子を拾いにいった。
帽子はこちらのホームに、ギリギリだが届いていた。
そして、その帽子を拾おうと膝を曲げたとき。
「う、うわあああ!!」
俺は足の装具でバランスを崩し、そのまま線路に転落した。
周囲からは悲鳴も聞こえた。
「「響冴!!」」
母はすぐさま駆けつけた。
父はそんな周りを一瞥してから、俺を助けようと駆け寄り、手を伸ばした。
「ヒデオお父さん!!」
その言葉に、誰かが気づいた。
「ねえ、あの子……ピアノの石堂響冴じゃない?」
「ああ、そうかも。確か今日って、将棋のほうの本番よね」
「じゃあ、あの二人ってもしかして……」
「ああ、間違いない。ピアニストの石堂薫と、楽器メーカー社長の石堂秀雄だ!」
ひそひそと、しかし確実に、俺たちの身元は知れ渡ったように感じた。
「掴まれ、手は届くか?」
一万円札の匂いが染み付いた父の手。
俺はそれに掴まり、ロッククライミングの要領でホームの壁を登っていき――
――あらゆる思いを両足に込め、思いっきり壁を蹴り、父ごと線路に引きずりおろした
「う、うん。ありがと……うわっ!?」
「うおっ!?」
結果として、俺はとっさにホームに掴まり、父は線路の真ん中に転げ落ちた。
「カオルお母さん!!」
「なんてこと……お母さんの手に掴まって! 踏ん張るから、はやく!」
「う、うん!!」
俺は同じことを繰り返した。
「きゃああああ!?」
「お母さん!」
「カオル!!」
滑稽だった。無様だった。
一人だったら笑い転げてお腹を痛めているころだろう。
……さすがにそんなわけにもいかないので、上半身だけホームに乗り上げてこう言った。
「お父さんお母さん、すぐに電車を停めてもらうから、少し待……」
言い終わる前に、右足が掴まれた――
――父は、いいや、あのクズ野郎は俺の右足を掴んできた。
「お前のせいで死んでなどッ……やるものかぁっ!!」
執念だった。
凄まじい執念が、俺の足にしがみついてきた。
位置の問題で、奴のセリフは周囲には聞き取れなかったようだ。
せっかく最期なので、本音で吐き捨てることにした。
「その手を放せ。この俺を、誰だと思っている」
「貴様は終わりだ。たった今、俺のこの右足にしがみついている時点で、貴様は俺より下なのだ。身の程を知れ!!」
俺は奴の手を振り払い、その顔に正面から思い切り蹴りを入れてやった。
それも、金属製の装具を着けた右足で、何度も何度も、ミシンのように素早く正確に蹴り続けた。
「ぐあああっ!!」
「今俺をここから落として自分だけ助かったら、このあとどうなると思う?」
奴はなにも答えなかった。
しかし、数秒の沈黙のあと、心底絶望したように目を見開いた。
「失うんだよ。お前が何年も何十年もかけて、汚い犯罪に手を染めてまで勝ち取った『名誉』を失うんだ」
周りには十分な目撃者がいる。奴がこれまでしてきたように、真実が「周知の事実」によって掻き消されるのは、近年のSNSが俺の代わりに務めてくれる。
「最高のジョークだよなあ。自分のこれからの名誉のために息子を有名にしたってのに、ぜーんぶ利用されて死ぬしかないんだから。社長のイスから降りたいんなら止めはしないがね!」
今度は健康で逞しく成長した左足で、奴の顎を蹴り上げた。
「き、響冴おおお!! 図ったのかぁ!!」
なおも俺を落とそうとしてきたので、敢えて線路に降りてから力いっぱいキックをごちそうしてやった。
自分のなかで、何かがあふれて無くなる感触がした。
焦げ付いていて、中身がドロドロした、どこまでも黒い何かが、父を蹴る両足を経由して無くなっていく感触が。
「汚れた線路に這いつくばってろ、この敗者が!!」
爽快だった。爽やかで、愉快で、とにかく心が綺麗になっていくように感じた。
「響冴ォ、お前、今までの恩を仇で返すつもりかあああ!!!
「恩!? 恩だと!? 貴様が俺にやってきたことが、どれだけ俺を歪めてきたと思ってるんだ!!」
歯が二、三本飛び散った。
肘の関節を両方とも破壊した。
骨が砕ける感触は、やみつきになるくらい、いいものだった。
「だが俺は貴様らを殺せて、非常に爽やかな気分だ! 俺の人生において、最大最強のラスボスは石堂家だからな。その金で出来たツラを殴るたび、俺の心の黒いものがすぅっと消えていく感触がするんだよなぁ!」
目の前に、左目をつぶされて、左目と口と鼻から血を流す負け犬がいた。
両腕が折れている。腰をやったから、体重を支えられずに地面に伏してこちらをにらんでいる。
「今の俺は、きっとお前が横領した金を使うのと同じ気分を味わっているよ! 人生で一番いい気分だ。こういう瞬間に出逢うために人間は生きているんだと痛感するくらい興奮している!! 大興奮だ!!」
「非常に気分がいい! 今まで味わったことのないくらい、最高の気分だ! ああ、ほんと、右も左も腐りきったこの世界でも、生きていてよかった!!」
迫り来る特急の電車。
その鉄の塊は、この駅に停まることなく走り抜けていく。
「……」「……ぅ……ぁああ…………ハア、ハア……」
母は声が出ていなかった。父はうずくまって喘いでいる。
俺は母と父に一発ずつ、万感の思いで渾身の蹴りを入れてから、安全な後ろに下がった。
「さあお二人さん。俺の新しい人生の開幕だ。息子の門出を祝おうじゃないか!!」
「許さん……許してなど、こんなところでぇ……死んでなど、やるものかあああああ!!」
最後の力を振り絞って、生きようとしている。
父は立ち上がろうとしたが、よろけて倒れた。
「まさに絶景だぜ! あの石堂社長が、日本の支配者と恐れられた男が、線路と熱いハグを交わすさまは、まさに無様で滑稽で、笑いが止まらねえよ!!」
「殺して、やる! お前みたいな小僧にこんな……こんな……! 殺してやる!!」
「じゃあ殺してみろよ! 十二年間も殺さずに苦しめやがったくせに、一丁前に殺すなんて言うんじゃねえ!」
母は簡単だが、この男は容易には殺せない。
気の迷いでもいいから、とにかく生への執着を剥がす必要があった。
そこで、俺は奴の最大の弱点である「名誉」を駆け引きに出すことにした。
案の定、そのことを口にしただけで、俺の足を掴む奴の手の力が緩んだ。
俺の五年に渡る計画は、全て「予定通り」になった。
俺は装具を外して右足をまっすぐ突きだし――
「シー・ユー……」
「……アゲイン!!」
二度と会わない相手に対する挨拶を二人への餞別に、
「ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン…………」
自力で立つこともできない、もはやただのお飾りと化した右足とともに、俺はその呪いと決別した。
◆◆◆
予定通り、二人は事故死になった。
右足を失う損傷が思っていたより大きかったため入院が長引いたので、退院後には中学校に入学することになった。
それはそれで都合がいいが。
それが理由で、俺の右足は義足になった。
これも全て目標クリアである。元より切り離したかったが、あの二人が不要な手術費を払うわけもないと考えていた。
田舎のほうに「両親がいない子供を一時的に無料で住ませてくれるマンション」があるというので、両親の遺した莫大な遺産を使って引っ越した。
ちょっとした裏ワザを使って相続税を納めることなく、奴らの財産を独占した。
まさかの総額13兆円。自分でもピアノなどで稼いでいたので、不労所得だけでも一生を十分遊んで暮らせる額である。
相続税のやつの方法が知りたい?
自分で考えたまえ。
話が逸れた。
そのマンション、普通は無料で住ませてくれるだけらしいのだが。
……なぜか俺はマンションオーナーの養子縁組に入った。
そのひと……養親は事故死したとだけ言って身の上話をすると、その話が降ってきたのだ。
理由は不明である。
しかも一緒に住んですらない。そちらの理由も不明である。
石堂の姓も捨てたかったし、とりあえず親がいたほうが、のちのち便利なので俺はこれを承諾、中学校入学時には「霧崎」の苗字になった。
ちなみに鏡華は中学校三年のときに引っ越してきた。
あのマンションの住人はほぼ自立した大人だが、一定数の恵まれない子供たちが住んでいた。
そしてあの日、七夕祭りの日に彼女は俺と出会ったというわけだ。
正直ああいうイベントは、創作物だと作者のご都合主義みたいで大嫌いだけど、美少女と出会えたことには感謝したい。
そう。
新しい人生の開幕である。
過去の自分を知るものは俺を除けば誰もいない。
そこからの俺は、少しずつ人格が変わったと思う。
正確には変わったわけではないが。
あまり人の目のない豊かな自然に囲まれて。
義理の両親から温かい歓迎を受けて。
また、少ないけど……というか一人だけだったけどかけがえのない親友をつくって。
そして、鏡華と出会って。
なんというか、素直になれた。
綺麗なひとの在り方に触れて、俺は他人を少しずつ信じられるようになった。
目を覚ましても、俺を殴る母はいない。
生ごみを見るような視線を向ける使用人も、商売道具を扱う父もいない。
以前では考えられないことだった。頭が悪いのかと舐め腐っていた連中のことが――
――俺は、綺麗なひとがすきになった。
しかし。
人はそうそう変わらない。いや、変われない。
「三つ子の魂百まで」という言葉がある。まさにその通りだと思う。
身体に染みついた習慣、心に染みついた汚れ、それらは肉親を殺すだけで綺麗に洗われるわけがない。
石堂響冴は生きている。霧崎響冴と共存している。
そこに壁など存在せず、常に二人の俺がいる。
考えることも、することも、感じることもすべて違う。
他人の言葉が信用できない。言葉の裏を探ってしまう。
無意識に他人の行動を先読みしている。道行く人々のことを目で追って警戒してしまう。
高圧的な態度の人間に寛大になれない。上から目線で理不尽なことを言われようものなら、自然と論破して気が済むまで精神攻撃してしまう。
感情がよくわからない。他人の喜怒哀楽に共感することができず、感動的な物語を読んでも常に冷徹な自分がいる。
なにより、感じるのだ。
綺麗なひとのそばにいたいと思いながら、傍らでは拒絶している。
自分も綺麗に在りたいと願いながら、同時に嘲笑う自分に気付く。
今の俺には、支配者の人格と男子高校生の人格が、完璧に共存していると、感じるのだ。
ここまでくれば、そろそろ分かると思う。
俺はきっと、いわゆる多重人格者だ。
霧崎はジキル、石堂はハイド。
普段はジキルが、怒ったり辛かったりするときはハイドがこの体を操縦している。今、こうして話しているのはジキルだ。
俺の場合、他人との接し方を変えると新しい人格が形成されるのかもしれない。
一度、ヴォルフガングの枠でも作ろうか考えてみたが、霧崎も石堂もいらないと思っているから作る予定はなさそうだ。
多重人格の原因は、虐待やネグレクト、病気など、思い当たるフシはいくらでもある。
恐怖や憎しみ、怒りといった、それらに向けられた負の感情。
負の感情を一時的に切り離すことで殺害計画は上手くいった。
しかし、完全に切り離すことは叶わず、両方が確実に俺の中で成長していった。
制御も効いてるし、何より意識は一つだから、多重人格とは少し違うかもしれない。
単純に体の中身が入れ替わるだけだ。ガンダムの中に仲のいい操縦者が二人いるような感じだ。
二人は考えることは違っても、お互いの人格を否定することはない。
だが、鏡華といると、石堂の俺も霧崎の俺も、心臓の鼓動が騒がしくなる。
もっと一緒にいたい、彼女のことをもっと知りたい、という恋愛感情を抱いてしまう。
彼女はすべての俺にとって、とても特別で大切で、愛おしいひとだ。
中学一年のときに一人だけ親友ができた。彼とも同じように、二つの人格が共感していた。……鏡華と出会う九日前くらいに交通事故に遭って亡くなってしまった。
そいつが死んじまったときは、ハイドな俺がずっと我慢してくれていたからしばらく大丈夫だった。
……まあ、鏡華が襲われているときには我慢の限界で、不良どもを気晴らしにボコボコにしてしまったが。
霧崎響冴と石堂響冴は常に一緒にいる。
霧崎にできない頭脳労働は石堂に助言を貰い、石堂にできないコミュニケーションは霧崎に任せている。
深刻な解離性障害ではない。むしろ有効活用できている。
それも全て石堂のおかげだが。あいつには感謝している。
呼び方を変えて周囲の注意をひきつけたように見せかけ。
ピアノで数々の賞を取って両親の評価を上げ、同時に世間に存在を認識させたと思い込ませ。
書斎の本や日記などから交流の少ない父の性格を的確に把握し。
将棋という未知のフィールドで知名度をさらに上げ、両親の俺に対する認識を改めさせ。
貯金の管理で、駅の近くで生活するホームレスたちに、社会人らしい衣服を買い与え、あのプラットホームでエキストラとして金で雇い、少女に帽子を投げさせ。
電車で通うことで適切な事故のポイントを導き出し。
普段から歩いて向かうことでルーティーンを演出し。
目撃者が適度に多くなる時間を推定し。
メディアや世間には、誰も悪くない、仕方がなかったという事故に見せかけ。
雇った人々にはずっと前から恩を感じるように接し、また口封じを自主的に行わせ。
両親がプラットホームから落ちないことがないように、あえて遠回りして足腰に疲労を感じさせ。
筆記を似せて俺が生まれる前からあったというような父の遺書を作成し。
母の虐待の記録と父の脱税や横領、贈賄および収賄などの不正の記録を、俺は自由に生きることにしたという趣旨のメッセージとともにテレビ局や新聞社に送りつけた。
苦節五年。
俺は無事ラスボスを倒し、民衆からは「これまでよく頑張った」と称賛され、遺産も入ってゲームクリア。
完膚なきまでの完全勝利である。
しかし。
エピローグたる中学校生活が始まってから、俺はあることに気が付いた。
「……今なら、石堂秀雄という男の言っていたことに、自然と共感できるような、そんな気がする」ということに。
理解とかそういう次元の話ではなく。
俺には「わかる」のだ。
中高生が友達と話しているときによく使う、あの「わかる」を感じるのである。
努力の天才と日本の支配者、二つの才能から生まれた俺はーー
――カネと暴力の魔王から日本を救った勇者ではなく、名実ともに「真の支配者」に成り上がった。
これが、霧崎響冴の、二人の「俺」の人生である。
◆◆◆
「……くん、ウォルフくん。大丈夫か?」
気が付くと村長が俺の顔を覗いていた。
眠っていたわけではないが、自分の昔話に興が乗ってしまい、すっかり忘れていた。
「…………あ、すいません。考え事してました」
「とても酷い顔をしていた。気分がよくないようなら、いつでも言っていいんじゃよ」
「いえ、続けてください」
「続けるも何も……」
「ウォルフ、つぎおまえのばんな! そんちょーのうごき、がんばれよっ!!」
「あ。」
アレンのまぶしい笑顔が見えると同時に、自分の顔が引きつるのを感じた。