問9 居る子、居ない子
「頭部が損傷ってわざわざ書いてるから、あの事件の関連か?」
お父さんが言った。
「荒縄市はふたつとなりの市だけど、だいぶん離れてるね。身元不明か。頭の皮が全部剥がされてたら、エンバーミングもできないのかな」
さくらは箸を止めてスマホをいじりだした。
「食事中にやめて。犯人はこの近所じゃないのかしら」
お母さんはそれでも、さも心配という顔をしている。
荒縄市。地図上ではそう離れていないけれど、道路や線路の都合でここからは近くて遠い町になっている。
最近、どこかで耳にした記憶がある。
わたしは食事の残りをさっさと片付け、まずはお風呂を済ませて部屋に引きこもる態勢を作った。
雨天の湿気のせいでなんとなくベタついていた肌をスッキリさせて、ベッドに転がりスマホを手にする。
『速報で、また事件だってでていました。今度は荒縄市。近所ではないですよね?』
『そうだね。いつも使ってる電車の沿線には無い町だよ』
『ネットの掲示板でも盛り上がっていて、資材置き場の場所が特定されてます』
颯太くんがマップの座標を送ってくる。荒縄市の端っこだ。
『やっぱり遠いね』
『ここのあたりから行こうと思ったら、公共の交通機関なら電車、バス、電車。車やバイクでも二時間は掛かりそうです』
電車、バス、電車。どこかで聞いたフレーズ。
咲綾だ。高城咲綾。
『高城咲綾はわざわざ荒縄市から通ってるって言ってたけど。十代の女性って、もしかして』
『消された、ってことでしょうか』
『まだ咲綾と決まったわけじゃないけど……』
わたしは慌ててSNSをチェックする。
茂木は相変わらずの沈黙。クラスのグループチャットは鈴木速報と「マジで?」の返信がひとつついてるくらいだ。
『次は茂木だったりして? あるいは茂木が高城咲綾を?』
『高城が殺されたのなら、次はあおい先輩の可能性だってゼロじゃないですよ。本当に気をつけて下さい。焼き鳥屋の件は家族には話してるんですか?』
『話すわけないじゃん。話したらおおごとになるよ』
『すでにおおごとですよ。本当に気を付けて』
『うん、ありがとう』
心配されて嬉しい。これがさくら相手でも嬉しいし、お父さんでもまあ嬉しい。お母さんだけはウザく感じると思うけど。
『ところで、犯人はどうしてわざわざ顔を剥いで殺すんだろうね』
『分かりたくもないですね。狂人の考えなんて。そもそも殺人の理由なんて正当防衛以外は理解できませんよ。殺さなくても、他人に危害を加えること自体が不適切です。科学的に脳内物質がどうのっていったって、代用する方法が存在する以上、言いわけですよ』
失敗した。颯太くんのスイッチが入りかかってる。
『わたしも顔を剥げますけどね』
『あおい先輩のは顔剥ぎというよりは、貌剥ぎですよ』
『貌?』
『風貌とか、表情です。剥げた顔を見た人は虚ろな表情になるんですよね?』
『確かに。じゃあ呼びかたは“貌剥ぎ”で決定だね。必殺技みたいだね』
『B級ホラー映画のタイトルっぽいですよ』
男子の好みに寄せたつもりだったけど、外れたらしい。
上手く話が逸れ、しばらく“顔剥ぎ事件”や“貌剥ぎの力”とは無関係な映画の話題が続いた。
すると、さくらからメッセージ。
『犯人かも&被害者かも&すでに殺されてるかもリスト』
名前とSNSへのリンクがズラリと並ぶ。
不謹慎過ぎる。
「茂木優次郎……」
ひとつだけ知った名前が紛れ込んでいる。さくらのサーチ能力は侮れない。
おもに被害者の知り合いや、知り合いの知り合い、共通グループの括りで当たったらしい。
かつ、ここ数日以上更新の無いもの。
「いつの間に調べたんだろ……」
ふと時計を見れば、日付が変わったところだった。
どうやら颯太くんとのメッセージのやりとりで時間が経つのを忘れていたらしい。
『あたしやおねえちゃんのクラスメイトと繋がってる人も居るよ。寝る』
不穏なコメントを残すさくら。あの子はいつもこんな調子だ。漫画の引きやテレビのCM入りじゃないんだから。
わたしもふたりにおやすみを告げて部屋のあかりを消す。
横になり、なんとなく顔に手を当てる。
ほんの少し、中指をこめかみに押し込んで、やめる。
さくらの貼ったリンクの人物たちの多くは高校生と大学生だった。
その周辺の人間関係を疑っているらしい。
あの子の言ったとおり、中にはわたしのクラスメイトや同校の子と繋がっているひともいた。
さくらはあんなものをわたしに見せて、どういうつもりなんだろう。
普段なら適当に流せるやりとりだけれど、茂木の名前があるせいで引っかかってしまう。
さくらにも、間接的に茂木と関わりあっている可能性があるのだろうか。
今のところ、わたしと茂木や高城咲綾を繋ぐ事件と、顔を剥がれた被害者たちは繋がっていない。
だけど、今回見つかった女の子が咲綾だとすれば……。
考え過ぎだ。
みんな、どこかで繋がりを持っている。知らないところでたくさん繋がっているんだ。
SNSを見て回れば、この子とこの子が知り合いなんだって驚かされることもよくある。
恋人、友達、知り合い、付き合いにしても色々。ただ、なんとなく繋がってるだけがほとんど。
コメントのやり取りすらしてない、いいねをするだけの関係だって多い。
フォローしあう人数やいいねの数が一種のステータスで、安心なんだ。
みんな、自分にあった数字を見て安心している。十人ぐらいが良いひと、百人ぐらいが良いひと。
もっともっとと、数字を無限に増やしていくひと。
誰に見られるかを重視するひとも居るけれど、こだわり過ぎればけっきょくのところ、その誰かも特定の反応を求めるための記号に過ぎなくなる。
あのひとに見られるからこれは書かない、あのひとに自慢してやろう。このひとの写真には必ずいいねをしておく。
人間付き合いの処理。まるでプログラム。数字と記号の世界。みんなそうして、そうされ合っている。
だから申し訳程度に絵文字や写真を添えて、「わたしたちは生きてます」って必死にアピールする。
生きてるアピールのために、友達とポーズをキメたり、食べる前に写真を撮る。
それも次第にお決まりのパターンになっていく。次はどうしたらいいんだろう。自分だけの自分は居ない。
みんな同じ。居ても居なくても、いっしょ。
こんなことを個人に言えば、「私がどう生きようと勝手でしょ?」と返ってくるだろう。
そのくせ、“みんなのもの”である有名人や政治家には好き勝手を言う。
彼らは私生活や発言のひとつひとつを監視されていて、誰よりもネット上で“人間”を晒しているのに、誰よりも人間扱いをされていない。
みんな一方的に繋がって、満足して去って行く。
薄っぺらくて本末転倒な世界。
わたしはなんでもかんでも気にしてしまうから、この世界には入って行けない。ただ眺めるだけ。
気になるのは、ネットの外でも同じだけど、現実世界は逆に濃過ぎてつらいことも多い。
ありえないレベルの裏切りにあって知らない男と危うく一番深い繋がりを持たされそうになる。
反対に、持ちたくなかったけど、持ったら気持ちの良かった繋がりもある。
チョコレートは甘い。イチかゼロじゃなくて、73%には苦みとコクが混ざっている。
わたしのタイムライン。
先週の金曜日はすっぽかして、月曜日はお互いの心の引っかかりを話し合って、火曜日には夜中に電話をかけさせて、水曜日には同じ傘の中。
日曜日にはモールのメガネ屋に行く予約設定だ。じつを言うと、土曜日にも図書館で会う約束をしちゃった。
そのあいだは空白。明日と明後日には何が起こるだろうか。
翌日。木曜日。
高城咲綾の席は空席のまま。殺されてしまったのだろうか。仮にそうでなくとも、わたしの前に姿を現せられるはずなんてないから、どちらとも言えない。
十代の女子が数日間居なくなっていて身元が明らかにならないのはおかしい。
家族は探してくれていないのだろうか。どういう暮らしをしていた子なのだろうか。悲しいことには違いはないのだろう。
さくらにそれとなくクラスメイトが来ていない話をしたら「行方不明なら今は周辺を当たってる段階だよ。おねえちゃんたち、クラスメイトなのに何も聞いていないんでしょ?」と言われた。
たしかに、おうちでお弁当を作って毎朝登校してるような子が消えれば、学校で誰も行方不明の報を聞かないはずがない。
家族了承で病欠か何かということになってるんだろう。
考え過ぎだ。
……?
わたしは首を傾げる。どうしてわたしを男に襲わせようとした子を心配しているんだろう?
学校での咲綾は無難な子を装っていたから、クラスメイトから心配の声が聞こえるのは当たり前だけれど。
水俣からもそれとなく咲綾のことを聞かれたけど、わたしは知らないと答えた。
裏切られても、やっぱり彼女が悪く言われるのはイヤかもしれない……。
いっぽうで、居なくなって喜ばれる人間もいる。
A組の久保田小夜子だ。
彼女も学校を欠席していたらしい。
らしい。本当なら、第二化学室のとなりの女子トイレで久保田に“反抗”をしたのだから、わたしは彼女について気を配っていなければならないはずだった。
だけれど、土日のお出かけや高城咲綾のことで頭がいっぱいだったから、放課後に颯太くんに「久保田に何もされませんでしたか?」と聞かれるまで存在すらも忘れていたのだ。
わたしは翌日の昼休みになってようやく様子を窺いに行くことにした。
賑やかなA組の教室。去年一緒だったクラスの子が挨拶をしてくる。普段はされない。
談笑。別のクラスの子の出入り。こっちのクラスでも野球部が汚い部活用の大きなカバンを床に置いて机で昼寝をしている。窓ぎわで寝ているのはソックス的にサッカー部っぽい。
教室では「殺されたのは久保田じゃないの」と半ば笑い交じりのウワサが飛んでいた。
理事長の姪が行方不明なら、いくらこの河船学園でも休校になるだろう。逆に、隠匿するために平常通りにするかな?
普段のA組はもっとひっそりとしている。久保田が必ず中心で、彼女の気分で教室のテンションが左右される。
今日はうちのクラスとあまり変わり映えの無い風景だ。
同じ、無個性な。だけど、久保田の声を基準にした気持ちの悪い個性なんてものは誰も欲しがらないだろう。
久保田小夜子は二日連続で休みのようだ。
来づらいのは分かる。わたしの「反抗」が彼女を傷付けたのだろうか。
考えづらいけど、「バケモノ」に怯えている可能性もある。
帰ろうとすると、教室前の廊下に短いスカートの“なんとかさん”を見つけた。
女子トイレで久保田に手を貸していた子の片割れだ。
床に座り込んで、日に焼けた脚を廊下の三分の一くらいまで真っ直ぐに伸ばしている。
同じギャル系の子たちとスマホ片手にお喋りの並列処理。
前を通ったオタクっぽい男子が、通りすがりに足元をチラ見した。スカートとふたつの肌色が作る、暗い空間を見たのだろう。
「よう」
彼女に話しかけられた。
わたしは向き直るも、返事ができない。彼女の仲間は片方はこちらをちょっと見たけど、もう片方はスマホに釘付けだ。
「あ、あのことは別に言わないよ」
わたしは咄嗟にそう言ってしまった。
「いいよ、みんな知ってるし」
知ってるってどの程度だろうか。
もし、わたしの顔が剥がれてひとを操ったことが知られていたらマズイ。
「小夜子は休みだよ。うちらに裏切られたのが効いたっぽい。なーんか急に冷めたんだよね。あいつが凹んだら、割とスッキリしたわ」
「ミカはモモをイジるのやめんの? エリはやめるつってたけど」
仲間がたずねる。
「どっちでもいーかな。面白いから付き合ってたけど、やっぱ小夜子は居ねえほうが面白いわ」
ミカはわたしに声をかけておきながら、そのままスマホに戻った。
わたしはホッと胸をなでおろす。
リアクション的に、わたしの顔が剥げたことは気付いていないか、見間違いで処理されていそうだ。
エリはもうひとりの“なんとかさん”のことだろう。
モモはイジメられていた子か。モモと呼ばれる子におぼえはない。
モモ、モモコ、モモカあたりだろうか。教壇の中に出席簿が入っているし、教室に本人が居るかも知れないけど、あえて関わりに行くほどでもないか。
「久保田さんって、どこに住んでるか知ってる?」
「知らね。みんな荒縄市かどうか気にしてるけど、誰も知らね」
ミカはさも興味が無さそうにスマホを見たままだ。
「殺人事件の被害者じゃないかって話でしょ? 死んでたらウケるよね」
仲間のひとりが言う。
「あんた板井でしょ? 戻って来たら目を付けられるかもしれないし、死んでたら良いね。地味系だと特にヤバいよ」
もうひとりも言う。
「そ、そうだね……」
勝手に答えるわたしの口。タテマエだ。いくら久保田が相手でも、死を願うなんてできない。
「あ、あのできれば。トイレでのこと広めないで貰えたら……」
「なんで? 自慢したら良いのに。ま、いいけど」
あっさり了承して貰えた。貌剥ぎの力に気付かれてないとはいえ、ウワサになるのは困る。
「おい、進路妨害するな。イスに座れ」
男の声がした。体育教師、生活指導部。古舘先生だ。
「フルタチ」「うっぜ」
ミカと、もうひとりが小さく文句を言った。残りの子は完全スルーだ。
「おまえら、何回注意してもやめないな」
「何回もスカート覗きにくんなよ」
ミカが言うと仲間がギャハハと笑う。
わたしは面倒なことにならないうちに退散した。
普通の子を装っていた咲綾はみんなに心配をされていた。
仮面を被ったウソの姿だけど、みんなにとっては確かに「居る子」らしい。
わたしにとってもそうだし、焼き鳥屋でシャッターが下りるまではそれなりに大切な友達だった。
イジメっこだった久保田は休んだだけで喜ばれた。
久保田は理事長の姪で権力があって、お金持ちで、しかも美人だ。「美人は性格が悪い」という格言が出ると、必ず久保田の名前が挙がるくらいに。
さっきの“フルタチ”ですら、頭髪検査でスルーするし、化粧をしていても、校則違反の装身具がついていても何も言わない。
それだけ大きな存在で、みんなの目の上のたんこぶで、怨みだって沢山買ってるはずなのに、誰も彼女の住まいを知らない。
久保田のSNSをチェックすると、普段の写真には沢山のいいねと羨ましがるコメント。
でも、みんなの裏アカウントでは彼女に対する心ない言葉が嵐になっている。
久保田は水曜日の夜に「サイアク」と短く書き込んで、それからは更新ナシ。
どうみても何かあった感じなのに、これに限ってはコメントの数がすごく少なかった。
みんなと繋がってるようで、誰とも繋がっていない。居るようで、居ない子。
もしも、わたしが居なくなったら、みんなはどういう反応をするんだろうか。
「それは……困りますね。必死になって探します」
少なくとも彼にとっては居る子なのかな。
わたしは放課後の図書室で悲しそうな顔を見て、ほくそ笑んだ。
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