問5 ふたつの事件
駅に着くまでも話し込んでしまったから鈍足になって、いつもより一本だけ遅い帰りの電車に乗った。
チョコレートの食べ過ぎ。73%は甘苦い。
帰りの混んだ電車の中でも、上のほうからカカオの香りがし続けた。
玄関のドアを開けると、さくらが探偵の目で出迎えた。
ダイニングから食器を置く音が聞こえたから、「ただいま。さきにご飯ね」と逃げる。
晩御飯はトンカツ。お母さんは公休日だったらしい。スーパーのお惣菜の再加熱じゃなくって、油鍋がクッキングヒーターに乗ったままだ。
さくらのおしゃべりにお父さんが受け答えて、お母さんがたまに口を挟む。
カツの衣をかじる音や、味噌汁をすする音ですら耐えがたい日もある。今日は良い日だったのだろう。
颯太くんのお兄さんは自殺した。そんな話を聞いたのに、何が良い日なんだろう。
お兄さんが亡くなった事実は変わらない。変わったのはわたしで、高城咲綾や河合颯太と仲良くなったこと。
今日は良い日でもいいじゃないか。でも、どこか心の隅に背徳感が居座る。
胃の中には甘いものがいらっしゃる。うがいをしたのに味噌汁は塩辛く、トンカツは胃にもたれた。
いつもとは別のかたちでツラい食事を終えて、さっさとお風呂を終えてベッドに転がる。
シャンプーの香りに混じって、チョコの香り。壁にかけたブレザーからだ。
さっきまで着ていたそれを遠目で見ながら、消臭スプレーをかけるかどうか思案する。立ち上がるのが面倒なだけだ。
ああいうのを「イイ感じになった」って言うんだろうか。
颯太くんが見せた悲しそうな顔を思い出す。浮かれてるのはわたしだけ。別に「そういうつもり」じゃないけれど。
不謹慎なのは分かってる。颯太くんのお兄さんのことのお陰で、お母さんのアレが大したことのないように思えた気がした。
他人の不幸が嬉しいということ? わたしが?
ふと、読みかけのままの「人殺しの手記」を思い出す。
あの手記はけっきょく、わたしのカバンの中に滑り込んでいた。
颯太くんと初めて会話をした翌朝に借りたのだ。それからそのままカバンの中。
すでに返却期限の半分以上が過ぎてるけど、あれはずっと、わたしへ手招きをし続けているような気がする。
彼は全部読んだと言っていた。それから、あの本を少しバカにしていた。
この前に少し読んだときは、殺人犯に少し共感をおぼえてしまった。だけど、颯太くんの打ち明けを聞いたあとなら、違った印象を受けるかもしれない。
チョコレートのにおいはそのままにすることにして、ベッドから身を起こす。
……と、ドアがノックされた。
「おねえちゃん」
女子にあるまじき短いお風呂タイム。さくらは髪にドライヤーもせずにやってきた。
それから部屋に踏み入るとドアを仰々しく閉める。「おしゃべりをするぞ」という強い意志が感じられる。
「大変なことになったね……チョコくさい」
さくらは鼻を鳴らした。
「何も無いよ。チョコをひと箱あけただけ」
「何も無いわけないじゃん」
「無いって。いつも通りにお喋りしてただけだよ」
「え? その話じゃなくって。でも、そっちも怪しいーっ! おねえちゃん、ちょっとなんかあったときの顔してる。それも良いことがあったときの。ご飯食べるのもゆっくりだったし……デート!?」
「違うよ。チョコトンカツは無理なだけ。どの話しようとしてたの」
わたしは少しニヤケてしまう。
「うーっ! 迷うけど今日はその話は勘弁してあげましょう!」
「騒がしいなあ」
もとはと言えば、わたしはさくらの心配軽減で友達や人付き合いを見直したのだけれど、当の本人はそっけなく、今日はなんだかそれどころじゃないらしい。
「ホントに見てないの!?」
そう言ってパジャマのポケット……さくらのパジャマにポケットはない。
彼女は腰のあたりをまさぐって、部屋を慌てて飛び出し、スマホを手に戻って来た。
「これ! また事件だよ」
スマホに表示されてるのはニュース記事。
『17日未明、河船南町の河川敷で若い男性とみられる遺体が発見されました。遺体は死亡から数日経過しているとみられ、頭部の損傷が激しく、一部が発見されていないことから、警察では死体遺棄事件として捜査を開始。先日の室井和美さん殺害の事件との関連も含め、未発見の部位の捜索とともに身元の特定を急いでいます』
「河川敷ってあっちの?」
休日にジョギングをしたり、電車で毎日跨いでいるあの川だ。
「そこ以外にないよ。朝、電車から警察のひとたちとかたくさん見えたんだよ。帰りもマスコミとか居たでしょ!?」
「全然、気付かなかった」
「最初に記事になったのは昼の2時だからね。男子とチョコレートパフェ食べてる場合じゃないよ。帰りに記者っぽいの見たのに、あたしには話しかけてくれなかったんだよ!」
「それは残念だったね。あと、パフェじゃないっての」
「みんなずっとこの話題で持ちきりだったのに、チョコレートフォンデュ食べてて気付かなかったなんて。探偵の姉失格ーっ!」
「誰が探偵の姉だ。スマホは切ってたんだよ」
金曜日は図書室をすっぽかしたから、今日は何かに邪魔されないようにって思ってスマホの電源を落としていたのだ。
電源を入れれば通知の嵐だ。
そういえば、今日は颯太くんのスマホを弄る姿も見ていない気がする。
クラスの連絡用のメッセージは三桁で流れている。咲綾や藤田からも個別でメッセージが来ている。
新着で、下のリビングでテレビの前に居るはずのお父さんと、さっき別れた颯太くんからも個別のメッセージが来た。
「大事件がふたつだよ。スマホ切って男子と密会って、本格的に怪しいよ」
驚きと恐怖のせいか、さくらのしつこい疑いが少しウザったくなった。
さくらに「音」の病気の話はしていない。もちろん、お母さんのアレも話していない。どっちも誰かに話をしたのは……彼が初めてだ。
最初に颯太くんへ返信をする。他はテキトー。藤田はスルー。
野次馬の鈴木からは不在着信の履歴。何が『返事がない。板井氏が犯人の可能性が?』だ。ブロックすんぞ。
颯太くんもスマホの充電が切れていたとかで、気付いたのはさっきのテレビのニュースでらしい。
『稲谷川の河川敷ですよね。頭部の損傷ってことは、顔も込みでしょうか? 最初の被害者の顔が剥がされていた説も、単なるウワサじゃないかもしれませんね』
返信を見ながら、ほぼ同じ内容のさくらの解説を聞き流す。さくらのほうは断定した物言いだ。
「推理をちゃんと聞いて! 男とスマホしてるでしょ! 妹と事件と男、どれが大事なの!?」
「みんなとスマホしてるんだよ。お父さんからも来てる。さすがにこれ、学校休みになるかな」
「そんな学生みたいなこと言って! 一生に一度あるかないかの大事件なのに!」
「学生だし。あんたは探偵や刑事になったら、こういう事件にも何回か遭遇するでしょ」
「別にあたし、ならないし」
「ならないんかい。小学校のころの将来の夢じゃなかったっけ?」
「今は刑事の奥さんになるのが夢」
「夫を支える控えめな奥さんとか、死体解剖とか現場検証とかするひと?」
「警察上層部に夫の死因を隠蔽されて、真実を追いかける主人公がいい」
「夫死んでるじゃん。やめとけそんな夢」
「冗談はともかく、まだ犯人が捕まってないって。今度は殺された人物の身元も分かってないんだよ。無差別の可能性だってでてきたよ!」
無差別か。例の手記の彼の被害者を選んだ理由はなんだろうか。まだそこまで読んでいない。
FBIのプロファイリングの本で出てきた連続殺人犯は、「彼らなりの理由」で被害者を選定していたみたいだけど。
「身元がはっきりしたら無差別か怨恨か、分かるんじゃないの。それまでは夜にコンビニに行くのはナシだね」
「おねえちゃんもジョギングに行ったらダメだからね」
さくらがわたしの腕を掴んだ。
「……大丈夫だよ。あんたじゃないんだから、事件に巻き込まれるようなことはしないって」
「死体を見つけたりもダメだよ。PTSDになるよ」
「無いって」
「学校の帰りも、図書室の男の子に送ってもらってよ」
「颯太くんに? 駅からは反対方向だよ」
背が高いから威圧感はあるけど、強そうかと聞かれれば微妙だ。
彼だって、ふた月前は中学生だったし。
「颯太って、河合颯太?」
さくらが首を傾げる。
「そうだよ。さくらと同級生だよ。だから言わなかったの」
「クラスが同じになったことはないよ。顔も忘れた。でも、その……」
「やっぱり有名なの? ……お兄さんのことで?」
「有名ってほどじゃないけど、調べたから」
ばつの悪そうな顔。
「そういうの探るの、やめといたほうがいいよ」
「おねえちゃんだって知ってるじゃん。調べたんでしょ? 河合颯太のお兄さんって、おねえちゃんより八つも上だし、自殺したのは大学生のときだって話だよ」
「そうなの? わたしは会話の流れで直接聞いたんだよ。でも、弟さんはまだ小学生って言ってたよ」
「小六だとしたら十二年差だからありえるでしょ」
「小四だって」
「ビミョーだ。両親が再婚してて連れ子なのかも」
「そういうのやめなって!」
思わず声を荒げてしまう。
「怒らなくてもいいじゃん! やっぱり怪しい関係だ!」
「怪しくてもいいから。その話はもう終わり」
再婚、連れ子。お母さんのアレがお父さんにバレたら、うちもそうなる可能性はゼロじゃないんだろうか。
「分かった。でも、事件のことは調べるからね。自衛のために!」
「ネットで検索するだけにしておいてね。無責任なウワサとか流しちゃダメだよ」
「おねえちゃんには教えるけど、よそには簡単に漏らさないよ。情報はあたしの資産だから。情報リテラシーはしっかりしてるつもりだよ。無闇なマスコミ批判だってしません。どーせあたしは情報消費者ですから!」
我が家の探偵が鼻息を荒く吐き出す。
それからわたしの制服の前へ行き、顔を近付けたり、袖を持ち上げたりしてにおいを嗅ぎ始めた。
「おまえは犬か」
「ワン! ホコリのにおいとチョコのにおい!」
「失礼な。GW中にもクリーニングに出したし」
「適当言った。まあ、あたし、男のにおいとか香水のにおいとかも分かんないんだけどね」
さくらはそう言って制服のスカートを摘まんで持ち上げた。
「そっちを嗅ぐのはやめて」
「冗談だよ。満足したので退散します。チョコ食べたくなったのでコンビニタイムだ」
「ダメって言ったじゃん」
「下でテレビ観てるひとに頼めば楽勝だよ」
「お父さんと一緒ならいいけど」
「ちっちっち。あたしはもう、お風呂入ったあとだよ」
憐れなお父さん。さくらに頼まれたらイヤとは言えない。
チョコだけじゃなくって余計な物も買って帰ってきたらしくて、お母さんの文句がイヤーマフを突き抜けて幽かに届いた。
また無駄使いをして。もう寝るだけなのに、カロリーが。オーケストラのヴァイオリンみたいな抑揚。
わたしはアクションマンガの達人みたいに肌で音の震えを感じて、エアコンの風を強めてパジャマの上にカーディガンを羽織った。
そう言うお母さんは、何度も新しい化粧品を買っていたよね。
わたしは中学のときに興味が沸いて、お母さんのドレッサーやポシェットを勝手に漁っていた時期がある。
今なら新しい化粧品の意味が分かる。
お父さんは知らない。憐れなお父さん。
でも、もっと憐れなのは、この手記の、犯人以外のひとたちだ。
被害者と遺族。
とりわけバケモノを産んで育ててしまった彼の両親には同情とは少し違う憐憫を感じた。
わたしは本に吸い込まれてゆく。
もしも、もしもわたしが、何かの切っかけで、誰かを傷付けたとしたら。
そしてそれが、気持ち良かったとしたら……。
一区切りを終えて顔をあげると、日付が変わっていた。
知らぬ間に静かになった家。冷え過ぎた部屋。わたしはベッドにもぐりこむ。
翌朝、クラスのチャットグループでは不満の行列ができていた。
うちの学校はなかなか休校にならないのだ。
さくらネットでは地元の小中学校は臨時休校になったとの情報だ。
わたしは少し時間をずらして、さくらと一緒に家を出ることにした。そうしないと金切り声の心配があったから。
ちなみにさくらは学校を休みたがった。理由は「聞き込みで刑事さんやマスコミが来るかもしれないから」。
「気を付けて行きなさいよ」
「「いってきます」」
声をそろえて、いつぶりかの挨拶。
さきに家を出たお父さんからも「気を付けろよ」のメッセージ。
変な話だ。凶悪事件がわたしを家族や友達に近付ける。
さくらの言った通り、川には今日も警察関係者らしきひとたちの姿が見えた。“顔”や証拠を探しているのだろう。
学校は平常通り。朝練の坊主くんとは時間がわずかに違ったせいか、すれ違わなかった。
図書室にて、颯太くんから『弟が休校になって。親は仕事でうるさく言うので、今日はぼくも休みます』との報告を受け取る。
律儀な子だ。
教室では、わたしを含む現場の地元組が質問攻めを受けた。言うまでもなく、誰も答えを持ち合わせていない。警察だって捜査中だ。
何人かは自主的に休校をしているみたいで、教室の席には歯抜けがあった。咲綾も居ない。
一つ気になることがあった。水俣がチラチラとこっちを見てきた。
なんで見ているのか聞きたかったけど、面倒そうなのでスルーしておく。
事件のことは彼女の前で、藤田や鈴木にも「知らぬ」と話しているので、用件は「図書室のイケメン」についてだろう。
イケメンの定義は分からないし……わたしは別に面食いというわけでもないけど……颯太くんはそこまでイケメンとは思っていない。
わたし自身も地味でイマイチだと思う。お父さん似。
さくらは多分、化粧をすれば美人だと思う。お母さん似。
颯太くんは居ないけど、放課後はいつも通りに図書室へ向かった。
手記の残りを読んでしまいたい。
久しぶりの「おひとりさまの時間」だ。
だけど、斜め向かいが空席なだけで、そこに居るはずだった彼としっかりとスマホでメッセージのやりとりをしてしまった。
休校になった弟くんはここぞとばかりにゲームにいそしんでるらしい。
最近、対戦ゲームで勝てなくなったと颯太くんがボヤく。『歳だよ』とわたしは茶化す。
通知が多くて気付かなかったけど、水俣から個別でメッセージが来ていた。
『あの子って、危ない人とつるんでるってウワサ聞いたことあるよ』
殺人事件での混乱の中でこういうことを言う。水俣は本当に余計なことばかり。
颯太くんはそういうのとは縁が無さそうなキャラだよ。
不愉快だったので、既読無視をする。
『化けの皮が剥がれてからじゃ遅いよ』
わたしは水俣をブロックした。水俣がブロックされる話はちょこちょこ聞こえてくる。一時的でも、永久でも。
とうとう、わたしもそっちの仲間入りだ。
また少しイラつき始めてしまう。水俣のせいで台無しだ。
「暗くならないうちに帰ったほうが良いんじゃない?」
司書さんも声をかけてきた。
わたしはそれに従い、いつもより早い時間に図書室をあとにする。
暗くならないうちにと言われたけど、5月の17時前はまだまだ明るい。
『帰るからしばらく返信できないよ』とメッセージを送り、駅前の道を早足で歩く。続きは帰ってから。どうせスマホの充電も瀕死状態だ。
駅前に差しかかると、コンビニに私服の女子の姿を見つけた。
そこそこキメた格好。メイクもしてる。でも間違えようがない。咲綾だ。
わたしは少し迷ったけど、彼女が手の甲で顔を軽くぬぐったのを見つけて駆け寄った。
「咲綾、どうしたの?」
「げ、あおい。学校サボって遊んでるのがバレてしまったか」
笑顔で返される。泣いていたような気がしたのは気のせいだったか。
「自主休校じゃなかったの? サボるにしてもなんでここで?」
駅前には大したものはない。少し離れたところにモールはあるけど、このタイミングで学校の近所はナシでしょ。
「じつは、あおいに愚痴りたくって」
「愚痴?」
「そう、ちょっとどっかお店、いい? 私がおごるから」
「聞くよ。おごりはともかく、行こう」
泣いていたのは気のせいじゃなかったかもしれない。
少し前なら声もかけないし、仮にこの流れになっても適当に言いわけをつけて逃げただろう。
急速にわたしは変わりつつある。あるいは、元に戻ろうとしているのだろうか。
「このお店、シャッター半開きだけど」
駅の線路沿いには飲食店やコンビニがちらほらある。
咲綾に連れて行かれたのは、その裏手の筋の小さな焼き鳥屋だった。
「17時からだからね。前に覗いたら行けたから大丈夫だよ」
ちょっとドキドキしながらシャッターをくぐる。「いらっしゃい」の声。
まだ準備中で、釣られて客が増え過ぎると面倒だからと奥のカウンター席へと案内された。
「いつものやつね」
「ほいよ」
オールバックの若いお兄さんが返事をして焼き鳥の串をいじり始めた。
いつも来てるのかとツッコミを入れたくなったけど、今日はマジメに話を聞いてあげたい。
炭火の良いにおいがし始める。
咲綾は今日のできごとを少しづつ話し始めた。
彼女の家から学校は遠い。一時間半以上かかる。
わたしが言うのもなんだけど、往復三時間の価値がある私立高校なんかじゃない。
咲綾がわざわざ河船学園高校を選んだのは、そばに彼女の親戚が住んでいたからだそうだ。
ニ十歳も上のおじさん。好きなんだって。わたしは否定も肯定もしない。
たまに「学校で遅くなるから」と言いわけをつけて、泊まったりもしていたらしい。
どこまで進んでる関係だったかは話されなかったけど、咲綾はかなりマジっぽかった。
今日も休校だってウソをついて押しかけたらしいんだけど、おじさんにウソを見抜かれて叱られたうえに、「近々結婚をするから、もう来ないでほしい」とまで言われてしまったらしい。
「もう一杯! おかわり!」
黒い液体がビール用のジョッキに注がれる。ヤケコーラだ。
「炭酸ばっかりよくそんなに飲めるね。太るよ」
「ゼロカロリーだから平気。ぼんじりもお願い!」
「焼き鳥はさすがにゼロカロリーとはいかないよ」
お兄さんも苦笑する。
「茂木先輩、“アレ”入れてよ!」
どうやらお店のお兄さんと咲綾は知り合いらしい。
「はいはい」
茂木先輩は何かのスティックの封を切ると、白い粉をコーラに注いで混ぜた。
「これを飲めばゼロキロカロリー!」
コーラをあおる咲綾。
「何を入れたんですか?」
白い粉。さすがにちょっと怪しく思える。
「難消化性デキストリン。知らない? トクホのコーラとかに入ってるやつ」
なるほど、聞いたことがあるかも。
「あおいにも一本つけたげて!」
「熱燗じゃないんだから。ほんとに酔っ払ってないよね?」
「酔っ払ってないよ。でも、ちょっとトイレ……」
「はい、あおいちゃんにも。サービスだよ」
わたしの前にコーラが置かれる。ジョッキじゃなくってグラスだ。
「え、申し訳ないです」
「もう注いじゃったよ。ぼんじりは脂が多いよ」
遠回しに「太る」と言われている気がした。今のところ、体型に危機を感じていない。自慢じゃないが、ダイエットも未経験だ。
昨日もお風呂でチェックしたし平気。これも、先週まではしてなかったことだけど。
なんだか悪いことをしている気分になりながらコーラを口にする。
ふと時間が気になり、スマホを取り出す。バッテリー切れ。
店の時計を見ると17時半だ。
「あの、お店開けなくていいんですか?」
「咲綾の話のキリが良くなるのを待ってたんだよ」
ちょこっと不機嫌そうに言うオールバックのお兄さん。迷惑をかけたらしい。
「お店仕切り直すから、コーラ飲んじゃって」
急かされてグラスの中身を一気に飲み干す。普通のゼロカロリーコーラと変わらない微妙な味。
茂木先輩はからになったグラスと食器を回収するとカウンターを出て、急ぎ足で入り口へと向かった。
それから彼は、半開きのシャッターの残りを、下ろした。
「あの、どうして閉めたんですか?」
間違ったのかもしれないなんて考える余地も無し。
続いて引き戸の鍵も閉められる。
「今日は、定休日だからね」
茂木先輩はそう言うと、カウンターに身を乗り出し、厨房から包丁を引っ張り出した。
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