表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/27

問1 喧騒と静寂

「もう、お母さん、どうして起こしてくれなかったの!?」

「ちゃんと起こしたわよ!」


 うるさい。わたしはアラーム代わりのやりとりに腹を立て、枕を叩いて身体を起こす。

“さくら”は高校に上がってからのひと月、ずっとこんな調子だ。

 これから先、あの子はちゃんとやっていけるのだろうか。

 駅まで歩いて十五分、満員電車に一時間押し込められ、降りてからも十五分。準備に時間がかかるから六時起きでギリギリだ。

 わたしのほうの高校は地元にあって、一駅ぶんだけ乗ってすぐのところだから時間の余裕もあるけれど、それでも雨や事故で電車がストップして何度も散々な目にあっている。

 いつもギリギリに起きていると、あの子はそのうちに大遅刻をやらかすだろう。


 電車の遅延といえば、ホームで待ちぼうけをくうひとたちの、どこか苛立った雰囲気はニガテだ。

 まだ来ないのが分かっているのにホームから身を乗り出して向こうを覗き込んだり、舌打ちをしてスマホを弄ったり、駅員を怒鳴りつけたり。

 遅刻の免罪符である遅延証明も、あの列に並ぶくらいなら、ネットであらかじめ天気や電車の状況を調べて、遅れそうなら徒歩通学を検討してもいいくらいだ。

 今年の夏も豪雨には充分気をつけたいと思っているけれど、電車が遅れるレベルの雨の中で一時間近くも歩くかと言われればそれなりに悩む。


 教室で靴下を乾かすとか、わたしには無理だ。

 脱いだものを人目に晒したくないし、人目のあるところで脱ぐという行為も苦手。肌だって晒したくない。

 スカート丈はもちろん、ソックスも長め、防寒具はいちおうは校則違反だけど、マフラーやタイツを使い始めるのは誰よりも早く、使わなくなるのも最後。

 もちろん、夏服と冬服の入れ替えもなるべく冬服が長くなるようにする。

 制服はさいわい肌に合うけれど、去年気に入ってずっと使ってたマフラーが急に肌に合わなくなって次の冬はどうしようかと悩んでいる。


 別にスキンケアを心がけて紫外線を避けているとか、特別に自分の肌や容姿に不都合があるというわけじゃない。

 ただなんとなく、肌が空気に触れているのがイヤなだけ。誰かの視線はもっとイヤ。

 うちでも、あまり制服姿以外は見せたくない。私服も決まったものばかりを着ている。

 夜中のお手洗い以外ではパジャマのままで部屋から出ることはなるべく控えてるし、夏はエアコンを強めに効かせて、布団を着込んで寝る。

 何かに覆われていたいというか、シャットアウトしたい。そんな感じ。


「おねえちゃん、おはよう」

「おはよう」

「あおい、おはよう」

「……おはよう」


 朝のパンの焼けるにおいは嫌いじゃないけど、「音」は駄目だ。

 トースターの立てる音、お皿とスプーンが当たる音、お母さんから投げかけられる挨拶ですらもゾワゾワと神経に触る。

 寝起きはいつもそうだし、「おはよう」の四文字を返すのにも、ものすごくエネルギーを使う。

 疲れているときはもっと酷い。肩にわずかにかかる自分の髪の毛すらも不愉快になる。


 病気だ。お医者さんに診てもらってはいないけど、異常。


 ……これは中学のときにお母さんの“秘密”を知ってから始まったと思う。


「まだ食べ終わってないの? おねえちゃんはもう着替えてご飯も済ませてるじゃないの」

「だって、足りなかったから」

 さくらは二枚目の食パンを焼いている。ショートの髪は寝ぐせがついたままだ。


 もう一度部屋に引っ込んで、あの子が出て行くまでSNSやニュースに目を通す。


 連絡用のチャットは、学年が変わったり行事があるごとにグループが増えて面倒だ。

 グループの数が多すぎるうえに、どれも勝手に抜けたり見てないひとがいるせいで連絡漏れもたびたびだし、かえって混乱することもある。本末転倒。

 今年もGW中にクラスの連絡用のグループが増えていた。

 前はスマホ無しの2名を除いて37人のグループ。今回はまだ32人。

 これが37になることはないだろう。


 個人のSNSは見る専用に偽名のアカウントだけを持っている。本当は偽名は規約違反。

 本名や高校名を晒して、目線もぼかしも無しに写真をアップするひとの神経が分からない。

 同じように、「いいね」をしたり「あしあと」を残すのもわたしには合わない。

 ただ、身の回りに何が起こってるかは知りたくて見ている。

 知りたい……といっても、誰がどこでアイスを食べたとか、バイトや部活がだるかったなんて、どうでもいい話ばかりなんだけど。

 みんな同じような写真を毎日更新してご苦労なことだ。


 ニュースのチェック。

 病気、事故、事件、国会での追及。毎日同じようなこと。

 責任を取るって、具体的にどういうことなのだろうか。選挙は誰に投票したらいいの? 悪いひとに入れるくらいなら、行っても逆効果かもしれない。

 誰かの不倫と離婚と熱愛報道。毎日同じようなこと。

 ひとと繋がりたいなんて、わたしには分からない。流行病や災害の自粛ムードで出かけられず苦しむひとが……分からない。


 スポーツや音楽にも興味が無くなってしまった。

 中学のころはソフテニをやっていたけど、うちの高校には硬式しかないうえに部員数も少なくて、諸事情も重なってすぐにやめてしまった。

 音楽も「音」がうるさく思えることが増えてから聞かなくなった。今はもうアイドルグループの区別もつかない。


 結局は今日も動物のニュースぐらいしか面白くないのだろう。


「……これって近所?」


 流し見をしていると、とある地名に目が引かれた。

 わたしの住んでいる町の名前だ。


『7日午前5時半ごろ、河船北町の住宅街で飲食店員の室井和美さん(20)が顔から血を流して倒れていると近隣住民から119番通報があった。室井さんは搬送先の病院で死亡が確認された。室井さんの首には絞められたような跡があり、顔が酷く損傷した状態で、傷は死亡後につけられた可能性が高いとみている。警察は殺人事件と断定し、捜査本部を設置し……』


 近所だけど知らない名前。見出しには男性が死亡と書いてあるから男のひとだろう。

 添えられている写真にはどこかの家と道路が写されていたけれど、ぱっと見じゃどこか分からない。住宅街だから用が無ければ通らない。


 ひとが死ぬ、殺す、殺されるってどういうことなんだろう。

 死亡後に顔を酷く損傷って、意味が分からない。それほど怨んでいたってことなのかな。


 身震いひとつすると、さくらの「行ってきます」が聞こえた。

 さくらが出てから五分後にわたしも家を出る。いつごろからかわたしは「行ってきます」を言わなくなった。


 歩きながらもスマホを何度か見て、秒単位で駅に着く時間を調整する。

 駅では一秒でも待ちたくない。ひと駅区間だけのうえに、乗るドアと降りるドアが同じだから、最後に乗れば楽だ。

 さくらはひとつ前の快速電車に乗っている。一時間もすし詰め。ご愁傷様。


 わたしは電車に吸い込まれ、頭の中で殺人事件をもてあそぶ。

 もしかしたら、同じ電車に犯人が乗っている可能性があるかもしれない。それか被害者に近しい関係のひとが居るかも。

 ニュースなんてほとんどが他人事なのに、身近な場所で起こるだけでこうも違って見えるのか。

 不謹慎だけど、怖い反面、少しだけ面白い気もする。

 さくらはサスペンスドラマや某御長寿探偵アニメの大ファンで「事件オタク」を自称しているので、夜にはこの話題を振られるに違いない。

 わたしも学校に着いたら、誰かがこの事件に関してコメントをしていないか調べてみよう。


 電車から吐き出され、駅を出てからすぐに見えるわたしの母校へ。

 河船学園高等学校。普通科のみの普通の私立高校。偏差値も微妙に低い程度。だから地元からの通学者も多い。

 将来の夢とかやりたいこととかはいまだに見つからないから、とりあえずここにした。

 もうひとつ、名前に学園の付かないほうの似た名前の高校があるのだけれど、そっちは有名な進学校なのでわたしには無理だった。

 短絡的に通学距離で決めたけれど、今となっては家の近くの高校を選んだのは失敗だったと思う。

 休日や放課後に出歩くとクラスメイトと遭遇するのは気まずい。


 朝練で学校の外周を走る坊主頭がわたしを見る。名前は知らないけど、顔はおぼえた。いつも同じ時間だから高い確率ですれ違う。

 お互いに時計代わりにしてそうだ。

 遠くから他の部活のかけ声が聞こえる。登校のピーク時間に比べれば静かなものだけど、わたしにとってはこれでもうるさい。


 校舎に入り、自分の教室とは違う棟へと足を向ける。

 始業時間までは、まだ一時間以上ある。

 人の居ない廊下を足音も立てずに早足で歩き、階段で二階へ。

 引き戸を開ければ幽かにホコリっぽいにおい。カウンターは無人、奥の司書室からはほんのりとコーヒーの香り。見渡す限りの棚と背表紙たち。


 当校の不人気スポット、図書室だ。

 わたしは毎朝、授業が始まる前までここで時間を潰している。それから放課後も最終下校時間ギリギリまで粘っている。


 真新しい図書室だよりがカウンターに山積みになっていて、カウンターから一番近い棚には、新刊やお勧めの本が背表紙でなく、おもてを向けて色とりどりに並べられている。

 本屋の平積みコーナーでも見たことのあるラインナップ。ためになりそうな本ばかりでなく、紐解けば高校生には不釣り合いな内容のものや、ライトノベルやドラマ原作の小説も多く並んでいる。

 ちなみにマンガはない。司書さんと他の生徒が話しているのを盗み聞いたぶんでは、ネットの違法マンガサイトの摘発があったときは「マンガを置いて欲しい」という要望が増えたそうだ。

 スマホが普及する以前は常にマンガの要望が多かったらしい。今はちょっとの月額で読み放題のサイトが多いから、わざわざ図書室で借りることもないというワケだ。

 マンガは本じゃないっていうのは大人たちの定説だけど、わたしもそう思う。


 とはいえわたしも、ここにマンガがあればそればかり読んだだろう。図書室に入り浸っているからといって、文学少女ではない。

 単純にここが静かだから来ているだけ。

 うちに居ると家族に話しかけられるかもしれないし、教室に居ても誰かが話しかけてくる。そのたびに聞きたくない音を聞かなければいけない。


 だから、図書室。わたしの滞在時間は司書さんの次に長いだろう。


 家族はキライ、というほどじゃない。なかった。今はもう、「音」や「仕草」が気に障って仕方がない。


「音」は一度気になりだしたら、耳がどんどんと聞き取ろうとする。すると背中がくすぐられるような感じになってイライラしてくる。

 特にニガテなのは、お母さんがさくらに何か言うときの甲高い声、女子グループのバカ笑い、授業中のヒソヒソ声は意識するとサイアクだ。

 イヤホンで耳を塞ごうにも気分によっては音楽もうるさいし、それとは別に「何を聞いてるの?」も鬱陶しい。


「仕草」。目に映るものも、気になりだしたら神経を逆なで始める。

 最近もっとも被害が大きいのは、斜め前の席に座る“藤田”の貧乏ゆすりだ。

 気が付くと授業中はずっと藤田のことをチラチラと見なければならなくなる。恋する乙女かっつーの。

 藤田はナシよりのナシ。そもそも藤田がというか、クラスメイト相手に恋愛はありえない。

 この手の仕草で一番苦手なのは、帰りの電車で仕事で疲れたオジサンが舟を漕いでいる姿だ。目障り。


 そういった不快感を避けるのにここがぴったりだと気付いてから、わたしの図書室通いは始まった。

 もともと本はほとんど読まないほうだった。それでも時間を潰さなければいけないし、スマホの通信量のことも考えれば自然と本に手が伸びる。

 本に集中すれば、多少の音も気にならない。

 ジャンルは適当。気の向くまま。

 この前、読んだ本を思い出して数えてみたら百冊を超えていた。 


 だけど、今日はスマホだ。


 クラスの連絡グループをチェックすると、事件や災害好きの“鈴木”が例の殺人事件の記事へのリンクを貼っていた。

 反応をしているひとは少ない。していても大抵は「怖い(ウルウルした絵文字)」に類するコメントだ。

 あとは藤田が「学校休みになる?」なんて馬鹿なことを聞いている。

 残念だったな藤田。私立だからか、校長や理事長がアホだからか分からないけど、この学校はよそが休みにするときもあまり休みにならないとの評判だ。

 流行病の休校措置のときもよそより一日粘ったし、台風でも暴風警報が無ければ絶対に休みにならない。それを学習しないでことあるごとに聞くのはあんただけだ。


 事件についての続報はナシ。


 普段ならイラつく教室だけど、事件について何か聞こえてこないかと気になって、早めに図書室を出た。

 だが、残念なことにGW中の思い出話以外は普段と同じ内容だった。


「恵梨香はネズミの国に行ったことある?」

「ないわけないじゃん。中学の修学旅行で行ってんのに」

「ウケる。恵梨香休みだったじゃんか」


 恵梨香。“足尾恵梨香(あしおえりか)”。

 この会話に当の恵梨香は不参加だ。下を向いて黙りこくっている。話を振った水俣澪(みなまたみお)のお尻は恵梨香の机の上に乗っかっているけど。

 恵梨香は小学校高学年あたりからずっとこのポジションだ。カースト最下位というやつだ。

 新しいSNSのグループには恵梨香は参加しないだろう。それでも、学校行事の連絡の漏れはないみたいだけど。

 水俣も小学校のころからあの調子だ。


 イジメといえばイジメだけど、わたしは少し違うと思う……かもしれない。

 ふたりのクラスが別々だったときも、水俣はわざわざ休み時間のたびに恵梨香クラスに行って机の上に座っていた。

 執着する理由は知らない。

 ただわたしは、去年の冬に恵梨香と水俣がモールで一緒に服を選んでいる姿を見かけている。

 恵梨香のほうが水俣の手を引いて楽しそうにしていた。


 単純なイジメだと、隣のA組がエグい。

 リーダー格の“久保田小夜子(くぼたさよこ)”は厄介だ。彼女は理事長の姪なんだとか。

 トイレが水浸しだったり、個室からすすり泣きが聞こえるのは久保田の仕業だ。心霊現象ではない。


 水俣たちの話も耳障りだったけど、うしろの席で男子が思春期真っ盛りの会話を始めてそっちが気になってしまった。

「うちの高校は遅れてる」なんて言っている。それは男子が知らないだけだ。

 C組の安達さんはGW中に“おろした”らしいし、A組の弘子は中学から通算五人目の彼氏と別れた。

 まだ教室に来てない田中さんも年上の彼氏を作ったらしく、最近はSNSでやたらと彼氏自慢をしている。

 今日もブレザーの下に彼氏から借りたシャツとおそろいの香水を身につけているのだろう。

 会話をしなくてもスマホをタップすれば、このくらいの情報はすぐに集まる。


「イタイさんはGW中は何してた?」


 机やひとの頭をいくつか隔てた先から、わたしに向かって問いかけが飛んでくる。

 返事はしなくてもいい。オートで話が進むから。


「図書室で本読んでたんじゃないの?」

 誰かが勝手に答える。


「ウケる。学校休みだし!」

 勝手にウケてろ。


 わたしの名前は“板井あおい(いたいあおい)”。

「板井=痛い」のイタイさんというわけだ。ただし、水俣しかそう呼ばない。

 誰かが頭痛や腹痛を訴えると水俣は「お腹イタイさんなの?」などとほざく。

 そのたびにこっちをチラチラ見るのはやめろ。


 念のために断っておくけど、わたしはイジメられてはいない。水俣は全方位タイプのキャラで彼女の定番ネタのひとつというだけ。

 恵梨香を除けば、男子の藤田がいちばんイジられてるし。

 とはいえ、客観視すればわたしもカーストでは下のほうなのだろう。

 久保田と同じクラスにならなかったことは、神に感謝すべきだ。


「はあ、一限目からハゲの数学とかマジだるい。ハゲウンコだわ」

「澪、ウンコとかやめなよ」

「やめられない。毎日してしまう!」

 水俣の頭は小学生で止まっている。


 水俣のイジリやイジメがあまりにも幼稚だからか、このクラスでは他にそういった行為はない。

 A組の久保田に比べたら可愛いものだ。

 あえては言わないけど、水俣のおかげで周りが気を遣って、わたしを苗字ではなく下の名前で呼ぶようにしてくれるから、かえって感謝をしているほどだ。


 板井あおい。大抵のひとは「あおい」と呼んでくれる。


 自分の苗字が好きになれないのだ。これはお母さんの苗字だから。

 もうひとつ念のために。お父さんは一応は居る。お母さんが苗字を変えたがらなかったからそうしたそうだ。

 お父さんはわたしより早くに起きて出勤して、帰ったらすでに家に居るし、土日も大抵はテレビの番をしている。


 この“あおい”は死んだおばあちゃんがつけてくれた名前で気に入っている。

 おばあちゃんは少し離れたところにあるお父さんの実家に住んでいたけど、身体が悪くなって入院するまでは毎日のように来てくれて、優しくて、面白くて好きだった。

 亡くなったのはわたしが小学五年生のときだ。

 さくらの名前はお父さんが決めたけど、きっとわたしの名前に影響されて決まったものだろう。


 あおい。葵の花にはいろいろある。タチアオイ、モミジアオイ、トロロアオイ。わたしのあおいはフユアオイからきている。

 小指の先ほどの小さな白い花で、太陽に向かって咲く花だそうだ。

 遠目で見ればただの緑の茂みで、花は隠れて見えづらい。葉のあいだからこっそりと太陽を覗く。今のわたしにお似合いだ。

 群れるクラスメイトの中に紛れるわたし。自分が花だなんて言わない。葉っぱでもアオイはアオイだ。葉っぱを含めてアオイだ。

 だけど、風で揺れる葉がこすれて花びらを散らしかねないのだ。


「ホームルームするぞー」

 我らが三年B組の担任、金田八助(かねだはちすけ)が来た。誰かが「キンパチ」と囁けば、彼は髪を弄ってくれる。

 荒れることもなく、だらだらとだけど、静かになる教室。


 きっと、今年のクラスもそれほど悪いクラスじゃないのだろう。

 それでもわたしにとっては、うるさければどんな場所でも同じことだ。


 雑音さえなければいいのに。


 今日もなるべく静かに過ごせるようにと、不本意ながら授業に集中し、一日をやり過ごす。

 授業を終えてようやく教室から解放されれば、わたしは自宅ではなく図書室へと逃げ込むのだ。

 誰も追いかけないのに、いつも何かに追い立てられている気がする。


 逃げるなんて言いかたは良くないか。

 わたしのいちばん大切な「おひとりさまの時間」がやってくる。


 図書室では司書さんも声をかけてこない。最初のうちだけだった。今はもう、お互いに本棚や机と同じ。

 借りていた本はGW中に切りよく読み終えたから、今日から新しい本を手に取ろう。

 ちょうど今朝の殺人事件でそっち方面に興味が出たから、犯罪や心理学の関係の本を探してみても面白いかも知れない。



「……忘れてた」



 図書室の引き戸を開けたわたしは、思わず声に出してしまった。


 三月までわたしが座っていた席に誰かが居る。

 新学期に入ってから、「おひとりさまの時間」に異物が混入していたのだった。


“彼”は今日も黙って分厚い文庫本を読んでいた。


***

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ