紺の章(壱)
ジャッジハルト家に伝わる伝説の力【大いなるor偉大なる○○○○】。その○○○○の中にどんな能力名が入るかは、その者が物心ついたころに自分で自覚するものなのでわからないという。また、『大いなる』よりも、『偉大なる』の方が力が強いらしく、また、強ければ何でもいいというわけでもないらしい。本人の人格と、振るう力の均衡がとれていないと暴走してしまうからだという。
「ちなみに、俺っちの能力名は【偉大なる処刑人】って言うんだ。さっき言ったように、【断罪】に特化した無用の長物だな」
「確かに、危険すぎて使いどころが狭いね。法の執行以外に使うならまだしも、本来の目的にはいかせなさそうだ」
「まあ、そんな与太話はともかく、さっき泣いて居たし、治療してみるか?」
「じゃあ、お願いします」
「よし、任された!……んで、術の導入では全身をさすらなくちゃいけないけど、それは堪忍な?」
うーっ、同性に体をさすられるのはちょっと気分的に気持ち良く無いかも……。僕が微妙そうな顔をすると、まあまあ、と宥めるように僕の両肩を軽くたたいてきた。
「違う違う。別に俺っちがやる必要はないのさ。【治癒】は対象者の周囲を、超絶リラックス空間に変えるのが第一段階だから、自然と流れでそうなるよ。ま、お楽しみに」
「そ、それ、どういう意味ですかっ?え、エロくないよねっ?」
面食らった僕の食いつきように参ってしまったらしく、カッテナの目線があちらへこちらへ迷走している。
「うーん、何と言ったらいいのかな……。リラックスのために、愛撫の理論を応用しているんだよな。人類、知らないうちに体から小さな痛みを感じ続けてイライラしていることが多いから、まずはそれを取り除くことから始まるんだよ。だから、第二段階では体感覚を溶かして心と意思だけの状態にするんだけど、そこから色々癒されたり、気持ちよくなったりするんだが――――――――」
「何その天国ッ?!ぜひお願いしますッ!!」
「あー、一応、幼児退行とかを使ったトラウマ除去もあるけど、やってみるか?」
「最っ高だよ!絶対お願い、哥々様っ!もう、兄弟になっちゃいましょうよ!尊敬しちゃいます!」
「お、おー。そりゃもちろんだが、よほど心が荒んでいたんだな」
「それは、本当にもう!」
「分かった分かった。今準備するから待ってろ」
そう言って、哥々様は空間の外に出ていって、何かを用意しに行った。ワクワクが収まらなくて、興奮してしまった。そうこうしているうちに哥々様が、アロマテラピーの機材と食事を持ってきた。
「よし、腹減ったろ?これが『密林芋の煮っ転がし・甘酢仕立て』、あと『焼き魚のサワークリームほぐし和え』、こいつが『馬肉の北狄焼き』、飲み物は『霞甘露』っていう気体のサイダーがあるからそれでいいよな?」
「気体ってことは、吸って味わうの?」
「その通り。吸うと、唾に味がついて飲み物になるんだ。とくに雨季柑味は旨いぞー!」
「じゃあそれで」
「あいよっ。……うん?」
返事をしたと思ったら、僕の下腹をじっと見つめ始めた。
「何だ、弟々よぉ。そんなに嬉しいのか。沙根が立ってるぞ」
沙根?サコンって何だ?コンってことは根っこだから、下腹を見て男に根っこって言ったという事は……。男の根っこ?それって、一言でいうと【男根】じゃ……。嫌な予感がして、ズボンを見下ろす。
「ひゃぁっ!ご、ごごごごめんなさいっ!」
見事に大事なところが元気になっていた。しょ、初対面の恩ある人に無礼を働いてしまった。なんて恥ずかしい……。
「いいって。これは俺の持論だが……。男のアレはエロイ気分になると立つけど、嬉しくても立つんじゃないかなって思っている。そういう事、あるだろう?」
た、確かに。普通にジェットコースターに乗る前とか、ワクワクしておっ立っちゃうもんな。ただし、少しだけだけど。
「どうする?お香だけ焚いて、俺は外に出ていようか?きついだろ」
「け、結構です。食欲と性欲は似ているから、食べれば治ります」
あたふたと慌て果てて断ると、哥々様は困り笑いをした。『……こんな調子で治療できるかなぁ』みたいなことを言いたそうにしている。
「ま、それなら食え食え」
「それじゃ、いただきます!!」
フォークとスプーンが用意されているので早速手に取る。
さて、何から食べようかな。さっぱりした甘酢味の煮っころがしから食べようか。
ころころと一口大に盛られた煮っころがしは、さやえんどうや、乱切りされた人参と寄り添って非常に色鮮やかだ。地味な密林芋の色合いを助け、華を添えている。ほかほかと淡い湯気が立っていた。
「じゃあ、早速……」
フォークで突き刺して、ころんっと口に頬りこむ。噛むと、非常に弾力があった。あごの力を強く使っても噛み切れない。だけど、口の中でころころ転がしていると、じんわりと鮎出汁の香りが広がっていく。数分ほど転がしていると、密林芋が柔らかくなってきた。そこへ奥歯を突き立てる。
ぷりっ、しゃくっ、じゅわわっ~!弾力のある歯ごたえと、その中に潜むしゃくしゃくとした触感に僕は目を丸くした。断面から鮎の出汁と甘酢の香りが口いっぱいに広がる。とてつもなくおいしい。なんてあったかいんだろう。
「旨いだろう?そこにつゆがあるから、かけてみな。食感が変わるぞ」
言われた通り、お膳の端にくびれのついた細長い陶器があった。白地に青く淡いタッチで霊山に住まうレプラコーンたちの生活が描かれている。この世界ではレプラコーンは仙人のような種族だ。なるほど、そう考えるとなかなか絵になるな。テーマは仙境か。趣味がいいな。
僕はそのとっくりのような陶器に触れた。人肌程度の温度だが、中身は相当熱い。早速、とっくりを密林芋に傾ける。すると、つゆの強い熱で煮っころがしがとろけた。その煮っころがし汁をそっと喉の奥に流し込む。
とろっとろのふわふわだ。どっしりとした風味はもちろん、お腹にガツンとくるこのボリュームがたまらない。胃袋がゆっくりと幸せに満たされていく。
「んくっ、んくっ。ぷはっ。……ふぅ。美味しかった」
とろけるような幸せの余韻を、たっぷりと堪能する。思わず長い溜息がお腹の底から出てしまった。
さて、まったりした味付けだったので、次は鮮烈な味を楽しみたい。となると、魚のサワークリーム和えがいいだろう。さらさらしたクリームで白く染まった川魚のほぐし身を、スプーンで多めに掬ってぱくりと頂く。
「むぅっ!旨い!」
さわやかな風味はもちろん、秘し味に少量の柑橘類が入っている。それが味のキレを素晴らしい完成度に高めている。何よりも、この乳酪のまろやかさと食材の温度がより一層食欲を引き立てる。まさしく箸休めにはぴったりの逸品だろう。
「気に入ってくれて何よりだ。それ、味付けが難しいから苦労したんだぜ?」
「本当にどれもこれもおいしいです!素晴らしいお手並みですね」
「いやぁ、そういわれると照れるなぁ」
哥々様が屈託なくケラケラと笑う。やはり、食卓には笑顔が一番だ。
続いて、馬肉の北狄焼きに食指を向けた。切り身の断面は綺麗な桜色で、フォークを刺し込んでみるととても柔らかい。見た目にも表面はこんがりと焼けている。
酸味と甘みが効いたまろやかな香りのするソースと一緒に、あめ色に炒められた玉ねぎがかけられている。持ち上げると、てろんと垂れて『私をお食べ』と科を作った。ガツンと肉汁の香りが鼻を抜けるのかと思いきや、意外にも控えめで押しつけがましくない。
たまらず口に頬りこむと、さっぱりとした肉汁と香り通りの味わいが舌の上で陽気に踊り始めた。
「わっ。……これは最高だ」
夢中でご飯を掻き込んだ。ご飯の盟友といっても差し支えのない優秀な出来だ。これは、いい。週に一度は食べたくなる味だ。お腹の底から力が湧いてくる。
腹いっぱい哥々様の手料理を堪能した後、そろそろ口直しが欲しくなった。ふと手元を見ると、ちょうどいいことに、霞甘露がラムネ瓶に入っていた。格子状に切子細工が施されており、作り手の遊び心が感じられる。出っ張った栓をぽんっと抜いても、気体自体が重いのか中身が空気に流されることはない。目に見えないサイダーをすうっと口に含んだ。
「わ、わっ。すごい、新感覚だ」
「それはレプラコーンの集落でしか作っていない限定品だ。うちの家はレプラコーンの血が濃いから、作り方は俺っちも知っていたんだ。どうだい、旨いだろう?」
「うんっ!唾が柑橘の味になって、炭酸が凄く弾けているよ。美味しい!」
試しに唾を目いっぱい溜めて、霞甘露に混ぜてみる。するとボリュームが一気に増して、味が一層爽やかになった。そのつばをこくこくと飲み干していく。
「ぷはっ。————————凄かったぁ。ご馳走さまでした」
「おうっ、お粗末さん。さて、落ち着いたところで、【治癒】をしたいと思うが……」
「何か、懸念でもあるんですか?」
「うん。……いや、懸念じゃなくて、治癒の必要はないと思う。ただ、弟々って見るからにうちのお頭そっくりだからさ。弟々だったら、一人でこんな組織を作る力はないかもしれないけど、弟々に治癒は逆効果だと思う」
ふむ。それは一体どうしてだろうか。僕だって幸せになりたいし、癒しはそれなりに渇望している。もしや、また自分の自覚していない一面を見破られたのか。だとしたら、それは一体なんだろう。
「いや。弟々って、ほめられるの嫌いだろ?」
「……そうだけど?上から目線で、【ま、頑張ってるんじゃないの?続けないと意味ないけどね】って言われるのって、屈辱じゃないか。必死こいて努力してきたのに、まるで一番自分が努力しているみたいな態度が許せないよ」
「……弟々」
カッテナが頬を強張らせて、きつく眉根を寄せた。
————————ごめんね。今、その気持ちにこたえてあげることができないんだ。きっと、僕の事を嫌いになるかもしれないけど、こんなに良くしてくれた、哥々様に嘘はつきたくないよ。もう、そんなのはアイルの前で十分だ。
「『褒める』事自体、上から下に与えるようにできているし、だったらダメ人間で居た方がよほど楽だよ。褒め言葉自体、ノーコストで作れる形のないものだ。それに何の意味がある?そんなごみを何故よこすんだ。
そんなくだらないことしている暇があったら、けなしてくる奴を徹底的に逆切れしてひどい目に合わせてやればいい。そうすれば、皆が僕を見下してくれる。嫌われの度が過ぎたら、居場所をつぶして次のところへ行けばいいじゃん。野垂れ死ねば最後は責任取ったことになるし、当然の報いだろう?」
「弟々。いいよ、分かった。弟々が色々大変なのは、すごくよく伝わったから、落ち着いてよ」
無理だよ。もう、あとからあとから唇から零れ出して止まらないんだ。おねがい、本当に今すぐ助けて。僕を嫌いになっていいから、この口を塞いでよ。
「どいつもこいつもどいつもこいつも、猫も杓子もッ!僕様の事をわかったような面してすり寄りやがってェッ!!キショいんだよォッ!!」
用意してくれたお膳をひっくり返して、怒り狂う。嗚呼、また、裏切ってしまった。この世界に来ても、これだけは変わらないな。こうやって、普通級のクラスメイトを傷つけて、お父さんやお母さんに暴力をふるったんだ。もう、自分が何をしたのかは都合のいい事しか覚えていないけど。
「【僕の全てはッ、僕のモノだァァァァ!!】
【勝手に僕の感情を共有すんじゃねェッ!!僕の感情は僕のモノだァッ!!それはお前のモノじゃない、僕様のモノだ!!】
【お前ら、一体何考えているんだッ?!何をどう思考したら、僕様を憎むと結論するんだ?!空気を読めだと?!ふざけるなァァァァ!!障碍者の僕にそれを求めるんじゃねェェェェッ!!】
【僕に悪気はないッ!!お前らに善意でしたこともたくさんあるんだッ!!お前らがどう考えたのかは、正直分からん!!そのことは事前に謝っただろう!!揚げ足を取るなだと?違う、僕は単に約束を一緒に守りたいだけなんだッ!!重箱の隅を楊枝でほじくってでも、僕にとっては大切な事なんだよォ!!】
【幸せになんてなりなくないんだァッ!!繋がって、一緒くたになって、僕のモノが、僕と誰かのモノになるだと?!冗談じゃない、僕は得体のしれない人間どもに復讐していたいンだよォッ!!邪魔するんじゃねェェェェッ!!】
【どいつもこいつもどいつもこいつも、テキトーぬかしやがってェェ!!そう見えるから、僕も同じことをしただけなのに、何でお前らがやったことが無かったことになっているんだ?!事実、捉え方のせいでそうなっているし、どういう事だよ!?じゃあ、僕にどうしろって言うんだ?!ブッ殺されたいのかオ前ラァッ!?】
【殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すゥッ!!この世の生きとし生ける者どもをッ!!全員ぶっ殺してやるゥッ!!】」
パァッン!!
「————————は?」
なんで、顔が痛いんだ?顔を上げて、その原因を見た。
「気は済んだかい?」
まるで、僕に見せつけるように、カッテナが腕を振りぬいた姿のまま立っていた。掌にふっと息を吹きかけて、汚れをはたいた。————————僕は、殴られたのか?
「————————さて、俺から何か言っても、弟々にとっては苦しいだけだろうから、少々荒療治に切り替えようか」
じり、じりり、と哥々様が僕ににじり寄る。瞳は悲しそうに揺れて、本当に困り果てたのか、薄く微笑んでいる。その表情がが、異様に鬼気迫るものだと、気が付いた時にはもう遅かった。哥々様が、はっきりと小さな声で、呪いの言葉を口にする。
「【痛みよ、苦しみよ、絶望よ、恥辱よ。《悪に強きは善にも強し》という理に従い、我に力を貸したまえ。翻る旗のごとく、磔刑の丘のごとく、この者を戒めよ】」
哥々様の手から、一条の黒くまがまがしい光が迸った。その光が僕の胸を貫き、あたりを黒く染め上げた。僕はそのまま意識を失った。