紫の章(弐)
《1》
エントランスホールから階段を上って二階へ上がると、古びた扉の向こうに南に長い廊下が続いていた。進むべきか、人員を増やすために戻るか。いずれにしても、この狭さで大勢で押し入るのは無理がある。相談を兼ねて、扉の前で休息する。
「オレガノ、やっぱり僕はこのまま進むべきだと思う。光魔法を使える人がいるのなら、矢の形を作って通信すればいい。エントランスが破られたことは、物音でもう相手にはばれているはずだ」
僕の意見に賛同した救急衛生士の男が、光魔法を詠唱して外へ光の矢を放った。この光に様々な情報を込めることができるのだ。
「……そうか。なら連合員が押し寄せてくる可能性は高いな。オイ、お前ら。火力はまだ保てそうか?」
「はい。『双機盾流』殿の援護しかしておりませんので、残弾は威力の高いものが残っております」
オレガノの面目躍如のおかげで、残弾は豊富なようだ。温存できて幸いだったと言えよう。
「徹甲榴弾・散弾・腐食弾、ともに七十発弱はありますよ」
「そうか、ならいい。————レヴィア。通信の状況はどうだ?」
レヴィアと呼ばれた救急衛生士の男は、魔子の軌跡をたどって到着地点を観測した。
「ちゃんと届いたみたいですね。今頃はメッセージを受けて連合員討伐へ動いているでしょう」
「ふむ、じゃあ俺らは先遣隊として道を作っておくか」
「どうせだから、情報も逐一送った方がいいですよ」
サエリの進言にオレガノが大きくうなずく。仲間を見回して状況を確認し、ようやく判断を固めたようだ。
「よし、それじゃ、このまま先へ進もう。異論は……、無い様だな。では行こうか」
オレガノの号令を受けて、薄暗い廊下の先へ踏み入る。古びた扉が、再びその大きな口を開いた。
《2》
軍靴を高く鳴り響かせ、先へ先へと進む。目指すは六族連合の頂点に君臨する氷室正義の執務室だ。奴らの事だ。強力な権能が干渉し合わないように、一人ずつ出てくるのは目に見えている。機動性の高い幹部が多いと推測される。ぼーっと考え事をしていると、後ろから連合員が首を狩りに来た。当然ながら、この程度の手練れなど僕の相手ではない。気配だけでどこを襲われたかを見切り、サイで弾き飛ばす。
「な、ぁ?!」
くるくると宙を舞うクナイを再び弾き飛ばすと、暗器は女のこめかみに激突した。すると何という事だろう。クナイの先に爆薬が仕掛けられていたらしく、女の顔が爆発した。硫黄の据えたにおいが漂う。
「皆、口を塞げ。多分これは硫化系化合物の一種だ。推測が正しければ強い毒性を持っている。爆発したから、多分リンが混じっていたんだろう」
「風上に向かって逃げるか?」
「そうですね。……。あれっ、この人鍵持っていますよ」
サエリが女の懐をまさぐると、鍵が大量に見つかった。だが、ダミーが多すぎて使い物にならない。出来れば、脅迫じみた真似はしたくないのだが、贅沢など言っていられない。……気は進まないけど。
倒した女を見やると、どうやら口も含めてつぶれてしまっているようだ。とてもではないが、喋りそうにない。判断がつかないとはいえ、一本しかない種類のカギも一種類だけあった。読めば、『大処刑室』と書いてある。
「……処刑室。【虚礼】のカッテナか。おい、オレガノ。処刑室までの道のりはどうなっている?」
「寄り道している余裕はないと思うぞ?体力にも限りがある。一晩で攻略することを前提にしている以上、長居はできない」
「分かっている。だけど、本隊から全く【蛮勇】の尋問についての報告が無い。あの野郎、相当口が堅いんだ。それに引き替えたら、カッテナを問い詰めるのは簡単だ。一度アイツに牽制されたことがあったが、見た目よりも精神が幼いことは確認済み」
「で、尋問が容易っていう、その根拠は?二つ名と何か関係があるのかよ」
「そのまさかだ。あいつは通り名のとおり、非礼な態度に耐えられない種類の人間だ。アイルが暴走する前に、僕はアイツに不用意に近づいた。あの程度の刺激を無礼とみるあたり、何らかのトラウマを抱えている可能性が高い。礼儀を重んじる代償は、他人行儀を常に自分に強いることでもある」
「だけど、見たところ、好きで礼儀を重視している様子はない、と。なるほど、それなら、人に親しくされることにトラウマを持っているのかも知れないね。流石、治し方を知っている者は壊し方も知っているという事か。やっぱりレイヤくんはレイヤくんだね」
「どういう意味だよ。それを言うなら、人の痛みを知っているからこそ痛めつけ方を知っていると言ってくれ」
「一言多いし、もっと最低だぞ!?どっちもどっちだろ!!」
「はいはい、そういうツッコミはいいから。襲ってきた人が地図持っていたから、これの通り進もう」
ギャースカ毒を飛ばし合いながら、一回の回廊を歩んだ。ちなみに、他の隊員がひそひそ話をしながら苦笑していたのは無視した。構っていてはきりがない。
《2》
扉の前では、何度息をのんできたことだろう。いちいち感慨にふけるのも、いい加減面倒くさくなってきた。これが歴史的に価値のある巨大な建造物ならまだしも、とてもではないが、この地とホコリの据えた臭いしかしない鉄の扉に感慨を抱くのは難しい。幸い、防衛本能はフル稼働しているし、いちいちびくびくしていては身動きが取れない。威力偵察もかねて、僕とサエリ、オレガノがその扉の前に立った。
僕たちは獲物を引き抜き、サエリだけは撃ちかけのマガジンを新品に装填しなおした。錠前を開けて幾ばくもしないうちに処刑室へ突入した。
そこは薄暗い物置の様な部屋だった。実用性ゼロと名高い棺桶型アンティーク処刑具『鉄の処女』を改良したといわれる、感電殺を目的とした処刑具『稲妻の乙女』や、苦悩の梨、爪剥がしといった器械が整然と並べられてあり、それに交じって得体のしれない薬品類が所狭しと棚に並べられている。
オレガノに促されて右前方を見やると、そこにぼぅっと小柄な人影が立っていた。
「手を挙げろッ!」
サエリの恫喝が空気を淀んだ空気を引き裂いた。その手には特別製のコルトガバメントが握られている。威力と携帯性は折り紙付きで、これに撃ち抜かれたら生半可な防弾チョッキ程度など紙くず同然だろう。だが、そんな強力な拳銃を前にしても、人影は動く様子が無い。ただ、そいつはキヒヒヒヒッと笑っているだけだ。
「何がおかしい?何故俺たちを嗤う?」
「弟々よぉ。お前、あの時のクソガキじゃないか。どうだい?愛しい愛しいアイルたんの弔い合戦をしに、こんな辺境くんだりまで襲撃に来る気分はよォ?」
カッテナの影がぐねぐねと愉悦に揺らぐ。その様は下手なスプラッタ映画よりもよほど悪趣味だ。
「黙れッ!!憎まれ口もほどほどにしないと、その首この場で叩っ斬るぞッ、この差別主義者が!!」
八極万勝双刀を突き付けて、怒鳴り散らす。正直言ってこいつだけは許せない。事前の下調べで分かり切っている。こいつが奴隷商人ギルドと女衒の元締めたちのテーブルに黄金色のレンガを積み上げて、誘拐して来た白エルフをウッたのだ。そんなこちらの心情を判り切っても、尚、影は鼻で嗤う。
「人間を人間と認める条件が甘すぎやしねぇかなぁ?まあ、どうだっていいよ、そんな事。それより自分の価値観押し付けてんじゃねえよ。ア゛ァーッ、キショいキショい」
「お前ェッ!!よくも、よくもレイヤくんをそんな風に足蹴にしてッ!!」
「さっきからギャーギャー威嚇してお前ら何がやりたいの?俺っち、外の騒ぎにキョーミねぇーんだわ。用事がすんだら出ていってくれる?」
言い終わる間もなくサエリが、アスカロンストライクを乱射した。カッテナの影がカラスに食い散らかされた生ごみのように吹き飛ぶ。荒い息遣いと硝煙の臭いが今はただ虚しい、と、その目が語っていた。
「きゃっ」
ん?暗いのと音が反響しにくいせいでよくわからなかったが、今サエリが何か叫ばなかったか?
「おい、サエリ?」
近づいてみても、彼女の姿が見えない。これは一体……?
———―――――バキンッ!!
敷き詰められたタイルが崩れ落ち、床が抜けて、僕は奈落へ真っ逆さまに落ちていった。
「う、わァァァァ!!」
石造りの壁を尻目に迫りくる死への恐怖にただ絶叫する。スカイダイビングの経験を思い出し、四肢を目いっぱい広げて速度を落とそうとするが、それでも一向に減速しない。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だァァァァ!!死ぬのは嫌だぁッ!!ぎゃあぁぁぁぁ!!」
半狂乱になりつつも流れる壁に必死で爪を立てて、運命にあらがう。それしか生き残れる可能性が無い。壁は滑らかに舗装されており、わずかな出っ張りには指をかけることもできない。下を見るとようやく破損して脆くなった壁が見つかった。
「アァァァァイィィルゥゥゥゥゥゥ!!」
その取っ掛かりに狙いを定め————————、刀を突き立てた。グンッ!と一気にGがかかり、腕と肩の関節が絶哭する。
「アぎゃぉダぁァァァァッ!!」
あまりの激痛に脳が焼き切れる。全身が熱暴走を起こし、過剰な刺激に神経が破損した。それでも何とかなけなしの筋力で刀の柄にしがみつく。心中は大狂乱状態で、パニック症状真っただ中だ。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬゥゥゥゥゥゥ!!」
口ではギャーギャーわめいているが、いい加減感情と思考が解離してきた。精神病によくある半狂乱になっている自分を俯瞰してみているような状態だ。体がおとなしく言う事を聴てくれない代わりに、頭が思考部分だけ冷めていく。たまたま視界の端に写ったのだが、下に黒い箱を吊り下げた鎖が見える。
「ぶ、ぶぶぶぶぅぅぶぶ、ぶぶぶったぎって、ぎってぶたぎってや、る、るるるうるるるうるる」
多分着地の衝撃をジャンプ斬りの威力に転換すれば、いくらか対象物が緩衝材になってくれるかもしれない。それを思い立つより早く、僕は心謳術を発動して身体強化した。そのまま八極万勝双刀を巨大化させ、壁から引き抜きざまに黒い箱へ斬りかかった。落下の速度は再度増して行き、慣性の法則に従って刃の物理的エネルギーは際限なく高まっていく。
「ぶぉぁァァァァ!!」
自分のすべてが箱に叩きつけられる瞬間を機に、意識がブラックアウトした。