8話
「お前のような腰抜けを将来君主と崇めなければならないなんて、インドリアの民が気の毒だ!!」
「……っ、こ、腰抜けで悪かったな! イヴみたいに強い人に、僕の気持ちなんて分かるもんかっ!!」
「ああ、分かるものか! 祖国の次代を担う栄誉を与えられ、帝王様にハルヴァリ皇国で学ぶことを許していただいたというのに、本当は王位なんて継ぎたくない? 王太子になんて選ばれたくなかった? ――ふざけるな!」
「だって……だって、僕は優秀だから選ばれたんじゃない! 父の子で、男が僕だけだったから――だから、父は仕方なく僕を選んだんだっ!!」
学園の玄関扉の前に立ち尽くしたまま、美花はただただ驚いていた。
イヴの剣幕にもだが、それに負けじと言い返すミシェルの姿に、だ。
何より、いつも伏し目がちなのが残念だと思っていた彼のエメラルドグリーンの瞳が、今は強い光を宿して真っ直ぐにイヴを睨み返している。
ミシェルはイヴに胸倉を掴まれたまま、ハルヴァリ皇国に来て初めてと言っていいほどの大きな声で続けた。
「インドリアの誰も、僕が国王になるにふさわしい人間だなんて思っちゃいない! お飾りみたいに玉座に座らせて、実権は優秀な姉達が握るつもりなんだ! 誰もっ……父だって、僕に期待なんてしてないんだっ!!」
「周りに期待されてないからって、それがどうした! 私だって、祖国に帰れば敵ばっかりだ! 何故自分が王太子に選ばれたのかも分からない! それでも、如何なる場合も粉骨砕身して国家に尽くす――それが王族に生まれた者の責務じゃないかっ!!」
ミシェルのネガティブな発言をどうあっても受け入れられないらしいイヴは、容赦のない論難を加える。
彼女の言葉は王族のそれとしては正論なのかもしれない。だが、真理であるかと問われれば、美花は簡単に頷くことはできなかった。
「おじいちゃん、ヤコイラとインドリアって相性良くないの?」
「うむ、まあ……割と正反対の国民性をしているからなぁ」
もともとこの世界の人間ではない美花は十六の王国についてほとんど知らなかったため、寮母を引き継いで新入生を迎え入れるに当たり、彼らと彼らの国に関するの情報をある程度与えられた。
イヴの祖国であるヤコイラ王国は移民を祖に持ち占術を重んじる。
最初の国王となった人物は、並外れた身体能力を買われて帝王の護衛として重宝された。移民の自分を信頼し、一族丸ごと受け入れてくれた帝王に心酔していた彼は、帝国に対して絶対的忠誠を誓ったのだという。
その精神は今もヤコイラ王国の王家に受け継がれていて、代々の国王は即位と同時に帝王の子孫であるハルヴァリ皇帝に対して忠誠宣誓を行う。
一方、ミシェルの祖国であるインドリア王国は、領土こそ大陸一小さいが、豊かな土壌と清らかな水に恵まれた農業大国である。
最初の国王となったのは、農作物の品種改良や土壌改革に取り組んで帝国の風土に合った農業の基礎を築いた功労者だ。適切な農作業の時期を知る目安として、暦を整えたのもこの人物であると言われている。
現在、大陸で主食とされている穀物は小麦であるが、実はインドリア王国の極一部の地域において、米の栽培が行われているという。白米が恋しい美花としては、是非ともお近づきになりたい国であった。
「ヤコイラがもともと狩猟民族の国であるのに対し、インドリアは農耕民族の性格が際立っている。いずれも一長一短あって甲乙付け難いな」
「うーん、生活スタイルだけ見て国民性を測るのはちょっと乱暴かもしれなけど……少なくともイヴとミシェルに関しては、性格的に正反対っていうのは確かだよね」
イヴが直情的で短気なのに対し、ミシェルは内向的で大人しい。
二人と接した十日の間にそんな認識が出来上がっていたからこそ、ミシェルがなおもイヴを睨んで喚く姿が、美花には意外だった。
「イヴが何を覚悟して王太子になったかなんて、僕の知ったことじゃない! 自分の価値観を押し付けないでよ!」
「ぬるま湯に浸かって自分の境遇を嘆くばかりお前を見ていると苛々するんだ! 私は命がけで王太子の地位を守っているのにっ……!」
学園の授業でも寮生同士の関わりでも、ミシェルは極めて消極的だった。ハルヴァリ皇国への留学自体彼の望むところではなかったのだから、ある意味仕方のないことだろう。
けれども、王太子になんてなりたくなかった――なんて言葉は、ハルヴァリ皇国に来てまで吐いてはいけなかったのだ。
「王太子となった自身を否定することは、お前を跡継ぎに選んだ父王様も、それを認めてハリヴァリ皇国の門を開いた帝王様をも否定すること――万が一私がそんなことをすれば、国賊とされ二度と祖国の土を踏めなくなるどころか、ハルヴァリ皇国を出た瞬間には命がないだろう」
イヴはミシェルの胸倉を掴んだまま、震える声でそう言った。
ミシェルはそれに苦しそうに顔を歪めながら、頭一つ分背が高いイヴを果敢にも睨み上げ――
「イヴの事情なんか……ヤコイラみたいな野蛮な国のことなんて、知るもんか!」
ついに、言ってはならない言葉を――他国を貶めるような言葉を吐き捨ててしまった。
帝王存命の時代、彼の腹心の中には移民が重宝されることによく思わない者もおり、帝王の目がない場所でヤコイラの祖が差別的な扱いを受ける場合もあった。そのような連中は、帝王を守るために常に武器を携えていたヤコイラの祖を見ては野蛮だと眉を顰めたという。
野蛮な国――そう称されることは、ヤコイラ王国の人々にとって、まさしく地雷だった。
当然、イヴは激昂する。
「――黙れ! 矮小の民!」
売り言葉に買い言葉。インドリア王国が大陸一小さな国であることにコンプレックスを抱いているミシェルに、この暴言は覿面だった。
「う、うるさい! うるさいうるさい……っ!!」
自棄を起こしたように喚くと、イヴの胸倉を掴み返したのだ。
さすがに黙って見ていられなくなった美花は、今度こそ仲裁のために二人のもとに駆け出そうとする。ところが……
「――待ちなさい」
「――わっ……陛下!?」
美花の肩を後ろからぐっと抱くようにして止めたのは、いつの間にかやってきていた皇帝リヴィオだった。
リヴィオの執務室があるハルヴァリ皇城の宮殿は、城門から見て学園と寮を背に隠すように聳えているのだが、渡り廊下でもって図書館と繋がっている。そのため、リヴィオが図書館長を訪ねたついでに学園の方に顔を出すことも珍しくはなかった。
「陛下、あれ止めないと! このままじゃ、殴り合いの喧嘩になっちゃいますよ? イヴがうっかりミシェルを再起不能にしちゃいそうで、怖いです!!」
「まあ、落ち着きなさい。ひとまず、上級生に任せてみよう」
「えっ……上級生って……」
「いるだろう? ちょうど二人」
リヴィオの言葉にはっとした美花が騒動の方に向き直ると、すでにイヴとミシェルは引き離されていた。リヴィオの言う上級生――二年生のカミルとアイリーンが仲裁に入ったのだ。
イヴの手を外させたカミルが、代わりにミシェルの胸倉を掴み上げる。
当然ながら困惑するミシェルに、カミルは毅然と言い放った。
「ヤコイラは、帝王様が最も信頼した勇敢な戦士の国だぞ。かの国を卑しめることは、帝王様を愚弄するも同然だ」
「あ……」
とたんに、ミシェルの顔が真っ青になった。
一方、カミルからイヴの手を受け取ったアイリーンが、肩を怒らせていた彼女ににっこりと笑って言う。
「インドリアは小さいけれどいい国よ? あの国で育てられた小麦で焼くパンは最高だし、何たってライスが採れるのよ。私、あれ好き。イヴは食べたことある?」
「ライス……?」
ライスとはそのまんま米を表す単語だ。イヴは米を食べたことはないらしく、毒気を抜かれたような顔をして、きょとんと首を傾げた。
カミルとアイリーンの介入のおかげで、イヴとミシェルは冷静になった。
そうして、お互いに言ってはいけないことを言ってしまったと気付いたようだ。
「ご、ごめ……ごめん……」
「私も……ごめんなさい」
動揺のあまりふらついたミシェルは、胸倉から手を離したカミルに支えられるようにして謝罪を口にする。イヴも落ち着かなく視線を彷徨わせたが、隣でにこにこしているアイリーンに背中を押されるようにして謝った。
カミルとアイリーンが、やれやれといった風に視線を交わして苦笑する。
彼らから離れた場所でそれを見ていた美花は、ほうと感心したようなため息を吐いた。
「何でもかんでも寮母が口を出さない方がいいんですね……」
「時には子供達を信じて見守ることも大切だ。もしも、彼らだけではどうしようもなくなったなら、ミカのその相棒でもって教育的指導をくれてやればいい」
そう答えたリヴィオだが、カミルとアイリーンが事態を収拾するだろうと確信していたように見えた。
美花がよほど物問いたげな顔をしていたのだろう。リヴィオが実は、と続ける。
「ミカがハルヴァリに来る前、寮に入ったばかりのカミルとアイリーンも、派手にやり合ったことがあってな」
「えっ、あの二人も? 何が原因で喧嘩したんですか?」
「カミルはああ見えて、カミル風に言うと〝くっそ真面目〟だからな。楽天的なアイリーンとはそもそも反りが合わなかったのだろう」
その時は屈強な上級生がいて、問答無用で喧嘩両成敗。生まれて初めて頭に拳骨を落とされて、目の前に星が飛ぶ体験をしたカミルとアイリーンは、もう二度とその上級生の前では喧嘩をしないと秘かに同盟を結んだらしい。
カミルは現フランセン国王の長男。生まれ落ちたその瞬間から、大陸一の大国を誇るかの国を将来統べることが定められていた人間だ。王太子としての自覚も自負も強く、それを否定しようとするミシェルにイヴ同様の怒りを覚えたに違いない。
「それでも今回、同じように感情的になってミシェルに噛み付かなかったのは、カミルの中で上級生としての自覚が芽生えつつある証拠だろう。とはいえ、今朝はイヴと一触即発になったのだから、まだ完璧にとは言い難いがな」
対して、アイリーンの祖国ハルランド王国は、最初の君主が帝王に仕えた女公爵だったため、彼女にちなんで代々女王を立てている。現ハルランド女王の長女であるアイリーンは、カミル同様生まれ落ちたその瞬間から次の女王となることが決まっていたが、楽天的な性格のおかげでさほど気負っている様子はない。
ただし、ハルランドの女王は今では半ば象徴的な存在となっていて、内政を動かしているのも別の者達だ。立場的には、親にも周囲にも国王として期待されていないと嘆くミシェルに近いかもしれない。
アイリーン自身が傀儡女王となることを殊更嘆いたことはないが、それを良しとしているかどうかは定かではない。
「王太子という同じ立場で、下級生達の悩みや葛藤が理解できるのだろう。当たらず障らず、基本事なかれ主義だったアイリーンが今回わざわざ喧嘩の仲裁に入ったのも、すでに一年ハルヴァリで過ごした彼女の成長の証だ」
騒動が治まったのを見届けた帝王は、ふよふよと宙を漂って子供達がいるテーブルの方へと飛んで行った。彼を迎えたイヴとミシェルの表情にはすでにさきほどの殺伐とした雰囲気はなく、カミルとアイリーンも笑顔を浮かべている。
将来祖国の頂点に立つ、あるいは立たされることが決まっている子供達は、それぞれに不安や葛藤を抱えてハルヴァリ皇国にやってくる。
彼らはここで、自分とは違う価値観や文化に触れ、それを柔軟に受け入れることによって視野を広げる。そうして得られるのは、国と国とを超えた友情や信頼――ひいてはそれが、国家間の友好、大陸の平和維持へと繋がっていくのだ。
逆を言えば、ハルヴァリ皇国留学期間中に子供達が険悪な関係になってしまえば、将来その子達の国同士の関係も悪化してしまう可能性があるわけだ。
そうならないように子供達を導くのが、父母役のハルヴァリ皇帝と寮母の使命である。
「責任重大なんですね……私で、いいのかな……」
美花はこの時、改めて自分の任された立場の重大さに戦いた。らしくなく、ついつい弱気なことを呟いてしまう。
けれども、そんな彼女の肩を抱いて、同じく責任重大な立場の皇帝リヴィオは笑みさえ浮かべて言った。
「気負う必要は何もない。ミカはミカらしく、そのままの寮母であればよい」
正午の鐘が鳴ったのは、この直後であった。
間もなく、寮の方からワゴンを押して現れたシェフの気紛れランチは――なんとなんとパエリア、つまりは米だった。噂をすれば、というやつだ。
米はもちろん、ミシェルの祖国インドリア王国からの献上物。
アイリーンはイヴに対してここぞとばかりに米の魅力を語り、美花はただひたすら半年ぶりに米を口にした感動に打ち震えた。