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7話



 一日は二十四時間、一時間は六十分、一分は六十秒。

 時間の感覚は、美花の元の世界でもこちらの世界でも変わりはない。

 太陽は東から昇って西に沈み、月が大体三十日周期で満ち欠けを繰り返すところまで同じ。

 つまり、この世界がある惑星は自転し、月はその周りを公転しているわけだ。

 これもまた、二つの世界が並行世界であると美花が推測する理由の一つであった。


 学園の始業時間は午前九時である。

 一時限目は九時十分から十時まで。十分ずつの休憩を挟んで、二時限目、三時限目とそれぞれ五十分間授業が行われ、午前の授業が終わるのが十二時ちょうど。そこから十三時までが昼休憩になる。

 学園と寮は目と鼻の先なのだから、寮のダイニングルームで昼食をとってもいいのだが、天気が良い日は学園側の庭園に設置されたテーブルを囲うのが伝統になっている。

 テーブルまで料理を運ぶのはシェフの役目、給仕をしつつ一緒に食べるが寮母の役目だ。

 そのため美花も、十二時までに午前の仕事を片付けて庭園に向かうのだが、この日は少し早めに寮を出た。しかも、その足は庭園に置かれたテーブルの方ではなく、学園に向かう。

 重い玄関扉を開けば、すぐ目の前に階段が現れた。学園の建物は三階建てで、現在三時限目の授業が行われている教室は二階にある。しかし、美花は階段には向かわずに、一階の廊下を右の突き当たりまで歩いて古びた扉を開いた。

 とたんに漂ってきたのは、どこかノスタルジックな香り。

 それもそのはず、ここは帝王が生きていた時代から続く図書館で、中には一千万冊を超える蔵書が収められているのだ。

「図書館というのは、なぜにこう独特の匂いがするのだろうな?」

「おじいちゃん、匂い分かるんだ?」

 幽体になっても嗅覚は健在らしい。

 帝王の言葉に、美花もスンと鼻を鳴らして意識的に匂いを嗅ぐ。たちまち鼻腔を満たした香りは、元の世界の図書館のそれと変わらない。

 一番に思い出すのは、足繁く通った高校の図書室だ。図書館と呼んでもいいほど大きく静かなあの場所で、窓の外が真っ暗になるまで一人勉強をした。

 気付くといつも隣の席に座っていて、痛ましいものを見るような目をしてそろそろ帰りなさいと言ったのは、司書ではない。

 懐かしさと同時にえも言われぬ切なさを覚え、美花は匂いと共に甦ってこようとする思い出を押さえ込んだ。

「図書館の匂いっていうのは、つまり古書の匂いだよ。紙やインクに含まれてたり、装丁の際に使用された化学物質なんかが、光や熱、湿気に触れることで分解されて揮発性有機化合物が発生するの。匂いの正体はそれ」

「つまりは加齢臭ってことか。本だけ古くなっていい匂いになるなんて、ずるいな」

「おじいちゃん……肉体がある時代になんかあった?」

「俺もアーモンドみたいな香りがするじじいになりたかった」

 アーモンドのような香りがすれば、ベンズアルデビドという化学物質が放出されている証拠。他にもフローラルな香りやバニラ風味の香りであったりと、製本時に含まれる化学物質によって香りの種類も様々だ。

 時代によっても使用される化学物質は違うため、揮発性有機化合物を調べることによって古書が作られた年代を割り出すことも可能だという。

 図書館には数人の司書が常駐しており、美花に気付いて目礼したり軽く手を上げたりと歓迎の意を示してくれる。美花もそれに会釈を返しつつ、入ってすぐの場所にある階段を三階まで上った。

 図書館の一階と二階は学園側の廊下と扉で繋がっているが、三階だけは図書館内の階段を使わなければ入れないようになっている。

 三階に保管されているのが、持ち出し禁止の重要文献や個人情報が記載されたものばかりだというのが主な理由だ。カミルが持ち出した論文も、もともとこの三階で保管されていた。

「――おお、ようこそいらっしゃいました、帝王様。ミカもいらっしゃい」

 三階に常駐しているのが、図書館の責任者である館長だ。この時は、作業台の上に古びた書物を広げてルーペで文字を拾っていた。

 御年八十になる彼は、帝王と同年代に見える。二人とも真っ白い髪になって肌に皺が刻まれても、顔つきには精悍さが窺えた。

 ふよふよと浮遊する生首と一緒にやってきた美花に、館長は覗き込んでいたルーペから顔を上げて目を細める。

「ここを訪ねてきたということは、大方フランセンの坊のことだろう。父親の論文を持ち出したのが、ミカに見つかったか?」

「あらやだ、館長様ったらビンゴです。お気付きだったんですか?」

「あれの父親も、その父親の論文を同じように持ち出しおったからな。いやはや血は争えんわ。どれ、申請書をお出し。フランセンの坊に関しては、来月予定している曝書作業を手伝わせるのを条件に不問にしよう」

「……もしかして、その交換条件取り付けるためにカミルが論文持ち出すの見逃しました?」

 曝書というのは書物を虫干しする行為のことだ。毎年司書総出で行うのだが、なにしろ蔵書の数が半端ないものだからたいそう骨が折れる。

 違反行為のペナルティという大義名分を得た館長は、若いカミルをさぞかしこき使うことだろう。

 くっそ! くっそ! と涙目で悪態をつく彼の姿が目に浮かぶようだ。

「ご愁傷様……」

 思わずそう呟いた美花の側で、ふよふよと浮いていた帝王がそういえばと口を開いた。

「もう二十年近く前になるか。カミルの父親の時は、確か虫干しばかりか棚卸しまで手伝わされていたな。あれは、何をやらかしたのだったか……?」

「自分の父親の論文を勝手に持ち出したばかりか、破って捨ててしまったんですよ、帝王様。困ったことに、フランセンの国王と王太子は代々親子関係がこじれてるんです」

 ハルヴァリ皇国でも長寿に数えられる館長は、帝王以外では最も長く学園や寮生に関わってきた人物である。その口から飛び出したフランセン王家の問題は、美花にとっては初耳だ。

 十日前に寮母を引き継いだばかりの美花に対し、ハルヴァリ皇国にやってきたばかりの一年生はもちろんのこと、半年間マリィを介して関わってきただけの二年生もまだ心を開いてはいない。

 彼らは美花に、自分の身の上話などしたことはなかった。

「関係がこじれてるって……つまり、カミルはお父様と上手くいってないってことですか? それなのにお父様の書いた論文なんて読みたくなるものでしょうか?」

「大陸一の大国を背負う精神的重圧ゆえか、フランセンの国王は必要以上に世継ぎを厳しく育てる傾向があるようなんだ。父親に甘えたい時期に甘えさせてもらえないままハルヴァリにやってきた子は、同じ年頃をここで過ごした父親の面影を追う。カミルが父親の論文に興味を持ったのも、そういう理由からだろうな」

 だから、父親がやったみたいに破り捨てたりしないと約束できるなら、カミルにはゆっくり論文を読ませてやればいい、と館長が続ける。寛大な言葉に、美花はカミルに代わって感謝を伝えた。

「それにしても……王太子だからって蝶よ花よと育てられるわけじゃないんですね。カミルのあのくそ坊ちゃんっぷりも、どうやら反抗期のせいだけじゃなさそう……」

 美花に同情されるのは、カミルにとって本意ではないだろう。ただ、親からの愛情に焦がれる気持ちは美花もよく分かる。

 なぜなら彼女も、ずっと親の――母の愛情を欲していて、けれど結局叶えられないまま今に至っているからだ。

「一国を担うというのは大変なことだからな。王太子に選ばれたからといって、周りにいるのは味方ばかりではない。将来に対して不安もあるだろうし、焦りもあるだろう。それは何も、カミルに限ったことではない」

 千年もの長きに渡って人々を見守ってきた帝王が、しみじみとそう呟く。

 人は皆、大なり小なり悩みやコンプレックスを抱えている。それはハルヴァリ皇国にやってくる各国の王太子達も例外ではなく、将来大きな責任と権力を持たされると決まっている分、余計に息が詰まる感じがするだろう。

 思春期の彼らは心の中に様々な葛藤を抱えていて、中には自分一人ではどうしようもないものもある。

 それが弾ける瞬間を、美花はこの後、思い掛けず目の当たりにすることになる。


 館長に申請書を提出して、正式にカミルの父親の論文を借りる手続きを済ませた美花は、帝王とともに一階まで戻った。

 時刻は間もなく正午を迎える。昼食の給仕をせねばと急いで学園の玄関扉を潜ったとたん、美花は庭園の一角が異様な雰囲気を醸し出していることに気付いた。

「うわっ……何ごと?」

 学園の側に置かれたテーブルの周りには、すでに授業を終えていたらしい四人の子供達が揃っていた。

 けれども、何やら様子がおかしい。

 彼らから――というより二人の一年生の間に殺伐とした気配が漂っているのだ。

「おお、喧嘩か? 存分にやれやれ」

「ちょっと、おじいちゃんやめてよ! イヴ? ミシェル? 二人とも、どうしたの!?」

 面白そうな顔をして煽る帝王を窘めた美花は、慌てて二人のもとへと駆け寄って、仲裁のため間に割り込もうとする。

 しかし、一足遅かった。いきなりミシェルの胸倉を掴み上げたイヴが叫んだのだ。

「――王族としての責務を果たす覚悟がないのなら、名を捨てて国を出ろ! 王太子なんてやめてしまえっ!!」

 怒りに燃え滾る彼女の瞳を目の当たりにし、美花はその場で足が竦んで動けなくなった。 


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