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5話



 重厚感のある両開きの玄関扉を開けば、目の前にはたちまち見事な庭園が広がった。

 庭園の真ん中には池があり、朝の光を反射して水面がキラキラと輝いている。

 池を囲うように広く石畳が敷かれ、その脇では色とりどりの花々が咲き乱れて一帯を飾っていた。

 世界を渡ってやってきた直後、美花がもがいていたのはこの池の中だった。

「ランチは正午の鐘が鳴る頃に運んでもらうから、午前の授業が終わったら皆庭に出てきてね」

 美花は玄関扉の脇に立ち、登校する四人の子供達を見送る。

 彼女に寄り添うようにして立つ、帝王の生首を抱えて笑顔を浮かべる皇帝リヴィオの姿は一見狂気の沙汰だが、ここではありふれた朝の風景に過ぎない。

「行って参ります」

 まず玄関扉を潜ったのはイヴだった。

 女子生徒の制服は一応スカートが用意されるが、イヴは男子生徒と同じズボンを着用している。男装ではなく、単に動きやすさを重視してのことらしい。

「行ってきまーす」

 続いて足取りも軽やかに寮を飛び出したのは、約束通り美花にご自慢の金髪を結ってもらって上機嫌のアイリーンだ。こちらは、プリーツの利いた膝丈スカートを翻す。

「あ、あの……帝王様、陛下、行って参ります……ミカ、行ってきます」

 ぎこちなくではあったが、見送りに立った三名全員に挨拶をしたのはミシェル。ただし、その美しいエメラルドグリーンの瞳をやはりじっくりとは覗かせてくれなかった。

「――帝王様、陛下、行ってきます」

 そうして、最後に寮を出たのはカミルである。

 美花の名前だけ呼ばなかったのは、彼なりの反発心の表れだろう。美花を寮母として認めないと公言しているのは、寮生の中では彼だけだ。

 とはいえ、そんなカミルの態度をいちいち気に病むほど美花のメンタルは柔ではなかった。

 自分に見向きもせぬまま目の前を通り過ぎようとした彼の後頭部に、彼女は唐突に手を伸ばす。

 そうして、いまだにぴょこんと跳ねていた赤い髪の一房をぐっと掴んだ。

「……っ、なっ……!?」

 いきなり髪を引っ張られたカミルはその場で足踏みをしたが、すぐさま美花の仕業だと気付き、何をするんだと口を開こうとする。

 けれどもそれよりも先に、彼の襟元に伸びてきた美花の手が、縦結びになっていたリボンタイを素早く結び直してしまった。

 とっさのこと過ぎて、カミルはその手を振り払えなかったらしい。文句なしに整った自分の襟元を睨み、ぐっと口を噤む。

 もとより彼からの感謝の言葉など期待していない美花は、先に庭園に降りた三人の寮生の方へ向かって、その背中をポンと押した。

「――いってらっしゃい、カミル。今日もしっかり学んでおいで」

 カミルが認めようが認めまいが、美花はこの寮の寮母であり、そこに集められた王太子達の母親役である。帝王がそれを認め、首長国の皇帝たるリヴィオが彼女をそう扱う以上、美花の足許は決して揺らがない。

 美花は美花で、役目を与えられたからにはそれを果たすつもりだ。異世界からやってきた彼女にとって、寮母という立場はこの世界で生きていくための確固たる手段なのだから。

「……」

 美花に背中を押され、カミルは二歩三歩と進んだ。そのまま先に出発した三人に並ぶかと思われたが、ふと立ち止まり振り返る。そうして、あら? と首を傾げかけた美花に向かい、彼はいかにも不承不承といった態ながら、小さな声でぽつりと言った。

「……行ってくる」

 そのまま駆け出したカミルの背中を、美花はぽかんとした顔で見送る。ツンツン少年のいきなりのデレに、思わず隣に立つリヴィオと顔を見合わせた。その手の中で、帝王は高らかに笑う。

「わっはっはっ、愛いなあ。あれは一際甘えるのがヘタクソと見える」

 帝王の飴色の瞳が向けられた先では、二番手で寮を飛び出したにも拘わらずのんびりと歩いていたアイリーンにカミルが追いついた。同じ十五歳のこの二人、すでに一年間ハルヴァリ皇国で共同生活をしており、一月前には三人の先輩王太子の卒業を一緒に見送った仲だ。

 そんな彼らを気遣わし気に振り返っているミシェルは、さっさと先に行ってしまったイヴとともに、この十日前にハルヴァリ皇国にやってきたばかり。

 学園での学年は、カミルとアイリーンが二年生、ミシェルとイヴが一年生、ということになる。

「今年は三年生がいないからな。カミルが子供達のまとめ役になってくれればいいんだが」

「アイリーンは、リーダータイプじゃなくて参謀タイプですもんね」

 子供達の後ろ姿を優しい目で見守りながら呟くリヴィオに、美花は相槌を打つ。

 大陸にあるのは十六の国々。その王太子で十四歳になる者というのは、当然ながら毎年決まった人数現れるわけではない。

 一昨年のように新入生が一人もいない年もあれば、十六の国々全てから王太子がやってきて、寮の二階フロア全室が埋まった年も過去にはあったらしい。

 彼らが通う学園は、寮から見て庭園の池を挟んだちょうど向こう側に立っている。

 レンガ作りでどちらかというとアットホームな雰囲気を覚える寮とは対照的に、帝王の時代から続く大きな図書館を有する学園は荘厳な印象を受ける石造り。

 かつての帝王の腹心達も机を並べて学んだ、歴史ある建造物だという。

 一番にその玄関に辿り着いたイヴが開いた扉はアイアン飾りが付いていて重く、ギイと軋んだ音を立てる。間もなく追いついた残りの三名も、その扉の向こうへ消えた。

 ここでひとまず、父親役母親役揃っての朝のお務めは終了である。

 帝王の生首を美花の手に委ねつつ、腰を折って長身を屈めたリヴィオが彼女の耳元に囁いた。

「さて、そろそろ私も執務室に出勤しようと思うのだが……」

「はいはい、行ってらっしゃいませ。お気を付けて」

「見送りのキスをおくれ」

「……」

 髪を搔き上げる仕草が嫌味なほど様になる美貌。

 顔のすぐ横に来たそれを、美花は無言のまままじまじと眺める。

 やがて、何故かにやにやしている帝王の生首を小脇に抱えると、もう片方の手を腰に当ててリヴィオに向き直った。

「あのですね、陛下。そういうのってセクハラな上に、陛下のような立場の人が言ったら完全にパワハラですから」

 すると、お馴染みのアルカイックスマイルをにやりとした笑みに変えたリヴィオが、美花の顎を掴んで瞳を覗き込んでくる。

 こういう笑い方をするととたんに悪人っぽい顔になるのだが、美花と帝王以外からは死角になるのを計算の上でのこの変わり身。彼に抜かりはない。

「せくはらもぱわはらもこの世界には存在しない言葉だな、意味がわからん。要するに何だ?」

「陛下がろくでもない上司で誠に遺憾です」

「ふむ、なるほど……私をそんな風に評するのはミカだけだな」

「えっ……やだ、どうしてちょっと嬉しそうなんですか? けなしてるんですよ?」

 リヴィオの理解不能の思考回路にどん引きした美花が、顎にかかっていた彼の手を首を振って払ったが、今後は頬を掴まれてしまう。

 美花は仕方がないとばかりに大きなため息を一つ吐くと、腰に当てていた方の手を掌を上にした状態でリヴィオの目の前に差し出した。

 彼女の言わんとする所を察したらしいリヴィオは肩を竦め、自身の上着の内ポケットに片手を突っ込む。

「私が守銭奴だというのを否定するつもりはないが、ミカも大概だと思うぞ」

「まったくもって心外です。お札に埋もれてウハウハするだけの、陛下の非生産的な変態趣味と一緒にしないでください。私は、ちゃんと使い道を決めて計画的にお金を貯めているだけですから」

「ふふ……随分とまたひどい言われようだな」

「……やっぱりちょっと嬉しそうな顔するんですね。ドMなんですか」

 そんなやり取りの末に、美花の掌には硬貨が一つ載せられた。日本の五百円硬貨と同じくらいの大きさで、帝王らしき人物の澄ました顔が彫られている。

 これが二枚で紙幣一枚と同じ価値になるのだから、決して安くはないお駄賃だ。

 先ほどまでの塩対応が嘘のように、たちまち満面の笑みを浮かべた美花は、目の前の男の白い頬に躊躇なくぷちゅっと唇を押し付けた。

「毎度ありがとうございます。いってらっしゃいませ、陛下」

「……うむ」

 現金上等。

 せっかくお望み通りにキスを贈ったのに、塩っぱい顔をするリヴィオの心の内など、美花は知ったことではない。

 彼にもらった硬貨を、先にもぎ取っていた紙幣と一緒にエプロンのポケットへと仕舞えば、もうこの場に用はない。

 さて仕事だとばかりに意気揚々と寮の中に戻っていく彼女は、背中を向けたリヴィオが白金色の髪をがしがしと掻き乱していたことも、彼がいやに熱っぽいため息をついたことも――そしてそれを、美花の小脇に抱えられた帝王が面白そうに眺めていたことも、知る由もなかった。


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