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4話




 大陸にはかつて、たった一人の偉大な支配者が君臨していた。

 帝王ハルヴァリ――後に、首長国ハルヴァリ皇国の名の由縁となったその人は、自らの死期を悟った時、十六人の忠臣にそれぞれ領地を分け与えた。

 彼らがその地の王となって民を守りつつ、自分が生きていた時同様に協力し合って大陸全体の繁栄を支えてくれるよう、帝王ハルヴァリは望んだのだ。

 十六人の腹心はそれぞれ幼い頃に帝王に見出され、彼を実の父のように慕い愛していたから、その望みを無下にしようとする者は一人としていなかった。

 帝王ハルヴァリの遺骨は、頸椎、頸椎以外の脊椎骨、胸骨、右肋骨、左肋骨、肩甲骨、鎖骨、右腕、左腕、右手、左手、骨盤、右大腿骨、左大腿骨、右膝下、左膝下、以上十六の部位が形見として、十六人の忠臣が与えられた領地へと持ち帰り、現在もそれぞれの国の国宝として大切にされている。

 そして、残る頭蓋骨は、ハルヴァリ皇国の玉座の下に埋められているという。

 ハルヴァリ皇国の皇城はかつての帝王の居城であり、これを治めるのは彼の血縁――つまり、現在の皇帝リヴィオは帝王ハルヴァリの子孫なのだ。

 その直轄地は皇城とその周りを囲う城下町までで、他の十六の国々に比べればあまりにも狭小だが、偉大な帝王の霊廟も兼ねるハルヴァリ皇国を首長国とすることに対して異議が上がったことはない。

 死後千年が経っても大陸の支配者は帝王ハルヴァリその人で、十六の国々は彼の子孫であるハルヴァリ皇帝の配下に過ぎない、という意識が各国の国王達の根底にあるからだ。

 それに、国王達にとって帝王ハルヴァリは歴史上の英雄ではなく――少なくとも人生の内で三年間は身近に関わる機会のある、頼もしい先導者だった。


 寮の一階、ダイニングルームに作り付けられた大きな窓からは、明るい太陽の光が部屋の中ほどまで差し込んでいた。

 白いクロスが載った円卓を、現在は六脚の椅子が囲っている。

 円卓の上にはすでに朝食が並べられていて、カミルとイヴを含めた四人の子供達もそれぞれ席に着いていた。

 リヴィオとともに三階から下りてきた美花は、シェフに伝えた通り厨房に寄ってお茶のポットを受け取った。ただし、実際にそれをダイニングまで持ってきたのはリヴィオである。

 というのも、美花はすでに別のものを抱えていたからだ。

「――おはよう、子供達」

 彼女の腕の中から、白い髪と白い髭の老紳士――その生首の口が明朗な声を発した。

 とたんに、ぱっと顔を輝かせた寮生達が、口を揃えてこう返す。

「おはようございます――帝王様」

 老人の生首に対して心底慕わしげな表情を向ける少年少女達……という異様な光景にも、美花はこの半年間ですっかり慣れた。

 千年も前に亡くなり荼毘に付され、なおかつ遺骨を十六人の忠臣によって仲良くシェアされた帝王ハルヴァリ。

 大陸の行く末を案じたのか、はたまた愛着が過ぎたが故か、彼の魂は結局輪廻転生することなく今もまだこの地に留まり続けている。有り体に言えば地縛霊。生首の姿なのは、ハルヴァリ皇国に埋葬されているのが、彼の頭蓋骨だけだからだろう。

 しかもこの帝王の生首、実は万人の目に映るものではない。彼を彼として認識できるのは極一部の選ばれた人間――リヴィオのような帝王の血縁と、それから十六人の忠臣の子孫の内で、特に王となるにふさわしい者だけに留まった。

 美花はそのどちらにも当て嵌まらないが、元より異世界の人間なので規格外という扱いだ。

 彼女の後見人は、表向きは前任の寮母でありリヴィオの大叔母に当たるマリィだが、実際は大陸中の王達にとってもはや神にも等しい存在となった帝王である。

 何故なら彼こそが、美花が異世界トリップするに至った一因なのだから――。

「待たせてすまなかったな、お前達。さて、朝食をいただこうか」

 完全無欠の皇帝陛下の仮面を被り直したリヴィオがそう告げて、定位置である上座の席に腰を下ろすと、すかさず美花がその前にお茶を注いだカップを置いた。帝王の首は、円卓の真ん中に飾られた花瓶の隣にデンッと据え、寮生達にもカップを配る。

 その際、リヴィオの右隣を陣取ったカミルは美花からツンと顔を背けていたが、寝癖で跳ねていた後ろの髪を唐突に撫で付けてやると、驚いた猫のように飛び上がり、そのままフーッ! と威嚇してきた。

「ねえねえ、ミカぁ。髪を結ってくださらない?」

「いいわよ、アイリーン。ただし、ちゃんと朝ご飯を食べたらね」

 リヴィオの左隣から甘えるような声を上げたのは、代々女王が治めるハルランド王国の王太子アイリーン。波打つ金髪とぱっちりとした青い瞳の絵に描いたような生粋のお姫様は、カミルと同じ十五歳だ。

 朝は食欲が湧かないと言ってすぐに朝食を抜きたがる彼女だが、美花の言葉にしぶしぶながらも頷いた。

 カミルの隣にはイヴが座っている。おずおずと見上げてきたイヴの黒髪を安心させるように撫でてやった美花は、そのまま彼女の右隣――円卓の位置としてはリヴィオの向かいに腰を下ろす。

 ついでに自分の右隣にあったアッシュブロンドの髪を撫でれば、カミル同様猫のように飛び上がる華奢な身体。寝癖を指摘されたとでも思ったのか、あたふたしながら両手で髪を撫で付ける姿にさすがの美花も苦笑する。

「びっくりさせてごめん、ミシェル。あなたは寝癖ついてないわよ」

「あ、は、はい……どうも」

 勘違いに気付いてとたんに顔を真っ赤にしたのは、十四歳になるインドリア王国の王太子ミシェル。こちらはカミルの祖国フランセン王国とは対極にある、大陸一小さな国だ。

 それの引け目を感じているのか、ミシェルはいつも伏し目がちでおどおどとしている。彼の瞳が本当は南国の海みたいな美しいエメラルドグリーン色だと知っている美花はどうにも勿体ないように思え、今度は宥めるように優しく髪を撫でてやった。

 この大陸に広がる十六の国々の王太子は、十四歳から十六歳までの三年間をハルヴァリ皇国で過ごす習わしがあった。彼らは寮で共同生活をしながら学園で共に学ぶ。

 親兄弟も家臣も側にいない状況の中で、彼らが頼りにするのは父親役のハルヴァリ皇帝、甘える相手は母親役の寮母、そして助け合うのが同じ立場の他国の王太子達となる。

 自国に引きこもっていては決して出会えない経験と友情を、王太子達はこの三年間で得るのである。

 さらに、生首状態の帝王ハルヴァリの姿を認識できるか否かが、ハルヴァリ皇国への入国試験――つまるところ、将来国王となるに相応しいかどうかを判断する指標となる。

 帝王に王太子として認められれば、如何なる者もそれを脅かしてはならない。それを反故にするということは首長国ハルヴァリ皇国の面子を潰すも同然。たちまち他の十五の国々を敵に回すことになるのだから。

「たんと食べ、よく学び、目一杯生きよ、俺の可愛い子供達よ」

 カップを配り終えた美花が席に着くと、帝王が待ってましたとばかりに音頭をとる。

 彼の生首に見守られながら、その子孫たる皇帝と、四つの国の王太子達が同じ食卓を囲む。冷静に考えればグロテスクでオカルトチックな食事風景だが、慣れというのは恐ろしいもので、今では美花にとってもこれが当たり前の光景となっていた。

 小麦が主食であるこの世界の朝食の定番はスコーンだ。外はさっくり中はしっとりのスコーンに、バターと生クリームの中間みたいな濃厚さのクリームと、甘酸っぱいジャムを添える。

 スコーンはプレーンが主流だが、レーズンなどのドライフルーツやナッツを混ぜ込んで焼いたのもいい。

 寮専属のシェフが作るスコーンは、毎朝食べても飽きがこない絶品だ。

 とはいえ、美花としてはやはり白米が恋しい。塩を利かせて握ったおむすびが無性に食べたくなる時がある。ほんのり世知辛い思いに苛まれつつ、スコーンではなく付け合わせのサラダをフォークで突ついていた彼女は、ふとあることを思い出してポケットに手をやった。

 リヴィオから論理的に奪取してきた紙幣が入ったのとは逆の方。

 そこに、くるりと筒状に巻いて差し込んでいた紙を、美花は唐突にカミルに向かって差し出した。

「ほら、カミル。これにサインして」

「あ? いきなり何だよ――って、これ……!?」

「お父さんの論文、五日もあれば読めるでしょ? 陛下のサインがあったら大体許可が下りるらしいから、後で館長様に申請しといてあげる」

「お、おう……」

 美花が差し出したのは、図書館の重要資料を貸し出してもらうための申請書だった。

 カミルが館長の目を盗んで持ち出していた、彼の父親がハルヴァリ皇国滞在中に書き残していった論文に関するものだ。

 申請書には既にリヴィオのサインも済んでいて、後はカミル本人がサインをすれば完成である。

 勝手なことをした自覚があるカミルは、論文は問答無用で取り上げられると思っていたらしく、驚きが隠せない様子である。

 目を丸くして美花とリヴィオを見比べている姿は、年齢よりも少しあどけなく見えた。

「陛下、あの……ありがとうございます。それと、勝手なことをして申し訳ありませんでした」

「ああ、これからはルールをきちんと守るように。何事も独断せずに、私やミカに相談しなさい」

「はい……」

「ミカに感謝するんだぞ。申請書を持っていくのが彼女でなければ、館長に大目玉を食らうだろうからな」

「うっ、はい……」

 図書館の館長は規律に厳しく偏屈な老人だが、ハルヴァリ皇族の一人であるために帝王の姿が見え、その後見を得ている美花に対しては特別寛大だった。

 カミルはリヴィオの諭すような言葉にぐっと口を噤み、一瞬ばつが悪そうな顔をする。けれど、やがておずおずと美花に向き直って口を開いた。 

「……なあ、メイド」

「はいはい、メイドさんじゃないけどね。なあに?」

「あのさ、これ……俺の気持ちだ。取っといてくれ」

「……へえ……」

 そうして、カミルの皿から美花の皿に移されてきたのは、緑色の花弁を持つ花……ではなく、暇を持て余した早起きシェフが飾り切りにしたキュウリ。

 とたんに半眼になった美花は、スゥと大きく息を吸い込み――吠えた。

「何がっ〝俺の気持ち〟よっ! ただ単にあなたが嫌いなやつじゃない! ここぞとばかりに自分の苦手なもの押し付けてんじゃないわよ!」

「べっ、別にそんなつもりじゃないし! 女なんて、花をやっときゃ機嫌がいいから……」

「くそ坊ちゃんの分際で女を語るな! 十年早いわっ!! そもそもコレ、花じゃなくてキュウリだし!! ちゃんと自分で食べなさいっ!!」

「うるせー、くそメイド! キュウリなんて、青臭くて虫みたいな味がするもの誰が食うか! バーカっ!!」

 とたんに始まった美花対カミルの第二ラウンド。

 席順のせいで間に挟まれたイヴにとってはとんだ災難である。

「わっはっはっ、賑やかでよいよい! これぞ団欒だな!」

 円卓の真ん中で花瓶の花を背負った帝王は、上機嫌で囃し立てる。

 帝王が止めないならばリヴィオも止めない。完璧な美貌にアルカイックスマイルを貼付けて、彼は寛容な父親役を演じている。

 アイリーンはスコーンを齧りながら面白そうな顔で眺めているが、その隣のミシェルは完全に食事の手が止まってしまっていた。

「――やっぱり、お前が寮母だなんて、認めないっ!」

 結局はこの喧騒、飾り切りキュウリを投げたカミルに美花の堪忍袋の緒が切れて、彼女の相棒たるハエ叩きが炸裂したことによってようやく収拾したのであった。


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