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35話



 大学受験に失敗し、初めての挫折を味わったあの日。

 慰めるどころかきつい言葉をかけてきた母を見て、彼女にとって娘は自尊心を満たすための道具でしかなかったのだと感じ、美花は絶望した。

 けれども、そもそもは美花の母に対するそんな認識が間違っていたのではないか、と思い始めたこの夜。

 ただ、母のこれまでの行動に対して美花が改めた認識が正しいのかどうか、元の世界に戻る方法も分からない今現在、確かめる術はない。

 それに、もしももう一度母と会えたとして、結局はこれまでの認識――母にとって美花は見栄をはるための道具に過ぎないという認識が正しいなんて言われてしまえば、二度と立ち直れる気がしない。

 母との関係が進む事も戻る事も難しい状況。リヴィオが気晴らしにと差し出してきたグラスを美花が手に取ったのは自然なことだった。

 中身はワインではなく度数の低い果実酒だ。醸造用アルコールにカリンに似た果実をじっくり漬け込んでエキスを抽出した一品で、甘さは控えめながら口当たりがよくて呑みやすい。

 美花が成人を迎えてから何度かこうして一緒に晩酌をする機会があったが、惰性で酒を呑んでいると本人が言っていたとおり、どの種類の酒を飲んでもリヴィオは美味しいとは言わなかった。

 今も、無感動な顔をしてグラスを傾けながら、そういえばと口を開く。

「帝王様が最後に側に置いた女性だがな、どうやらこの世界の人間ではなかったらしい」

「えっ……それってもしかして、私みたいにトリップしてきちゃった人ってことですか?」

「その可能性はあるな。それから、帝王様と彼女はそもそも恋仲などではなく、彼女は帝王様のことを〝おじいちゃん〟と呼んでいたらしい。ミカと一緒だな」

「そうなんですね……」

 美花はグラスの中で揺れる琥珀色の果実酒に視線を落としつつ、もしかしたら帝王は自分にその女性を重ねているのかもしれないと思った。

 最期は、こちらの世界の事情に巻き込まれる形で命を奪われてしまった彼女に対して自責の念を持ち続けていて、その罪滅ぼしで美花にずっとよくしてくれているのかもしれない。

「おじいちゃんが本当に側に置きたかったのは……私じゃなくてその人だったんだろうね」

 美花は、一抹の寂しさを笑顔で取繕ってそう呟いたが……

「ーーそれは違うぞ」

 突如響いた第三者の声が、それをぴしゃりと否定した。

 いつの間に現れたのか、美花の隣に帝王の首が鎮座していたのだ。

「ミカちゃんは、ミカちゃんさ。他の誰と比べることも重ねることもしまい。俺はミカちゃんがこちらの世界に来てくれて、心からよかったと思っているんだ」

 そう言って、帝王がぴょんと美花の膝の上に飛び乗ってくる。

 美花は持っていたグラスを放り投げる勢いでテーブルに置くと、感激もひとしおにぎゅうと彼を抱き締めた。

「うわーん! おじーちゃん、大好きぃ!!」

「うわーん! おじーちゃんもミカちゃんが大好きだぞぅ!!」

 美花が世界を渡ってしまったのは完全にイレギュラーなことだ。だが、今はこうして寮母という仕事を与えられ、給金をもらってそれなりに自立した生活を送れている。

 今日はカミルやアイリーンが美花を必要としてくれていると知れたし、イヴなんて先日ヤコイラ国王のいる前で美花を大好きだとか守ってあげたいとまで言ってくれたのだ。ミシェルとも稲作を通じて随分打ち解け、彼の美しいエメラルドグリーンの瞳にまっすぐ見てもらえる機会も増えた。

 先代寮母のマリィに比べればまだまだ未熟だろうが、それでも美花を認めてくれる人がこの世界にはたくさんいる。

 おかげで、今となっては美花も、こちらの世界に来て本当によかったと思えた。

 彼女がそう告げると、腕の中の帝王がにやりと笑い、ベッドに座ったリヴィオの方に顎をしゃくる。

「だったら、リヴィオにも感謝しておあげ。初めて世界の狭間でミカちゃんと対面した時――見初めたのは俺よりもリヴィオが先だぞ」

「え……」

 リヴィオと帝王が視界を共有しているのは事実らしい。だとしたら、祖父母の自宅の台所で美花が帝王と初めて相見えた瞬間、同時にリヴィオも彼女を目にしていたということになる。

 見初めたとの言葉に首を傾げる美花に、帝王はくつくつと笑いながら言った。

「あの時、世界の狭間に放り出された俺は、引き戻そうとするこちらの世界と、ミカちゃんを行かせまいとするあちらの世界の両方に引っ張られていた。だがそこでリヴィオがミカちゃんに興味を持ったために引っ張り合う力の均衡が崩れ、結果的に君をこちらに連れてくることができたんだからな」

 ということは、つまり……

「私がこっちに来ちゃったのって、結局は陛下のせいってことですか?」

「……私の〝おかげ〟ではなく〝せい〟なのか。こちらの世界に来てよかったのではないのか?」

「それはそれ、これはこれですよ。……守銭奴、セクハラ常習者に、誘拐犯のタグも追加しなくちゃならないじゃないですか。陛下、キャラ設定が盛り過ぎですよ」

「盛っているのはミカだけなんだがな」

 ハルヴァリ皇帝と十六の王国の君主達に受け継がれている呪いは、帝王が意識して掛けたものではないらしい。つまり、本人にも解き方が分らないということだ。

 帝王は、殺された女性に関しては哀れだと思うし、自分達の事情に巻き込んで申し訳ないと感じている。思い込みで暴走した息子や忠臣達に怒りも覚えないわけではなかった。ただし……

「なにしろ、もううんと前のことだからなぁ。結局は俺だって息子や部下達が可愛いし、もちろんその子孫達も愛おしい。彼らに寄り添って存在し続けてきた千年の間に、面白いこともいっぱいあったしな」

 そう言って明るく笑う帝王には、やはり呪いなんて言葉は似合わないと美花は思った。

 もしも呪いが、帝王の魂がこの世に残っているせいで続いているのだとしたら、それを解く鍵は彼が成仏することなのかもしれない。そう考えて、美花ははたと気付く。

「そういえば、おじいちゃん。前に、私があの世に行く時が来たら一緒に連れていってあげる、みたいな約束したよね?」

「ああ、ああ! したな! そんなことを言ってくれる子は、千年の間でミカちゃんだけだったからなぁ。どれほど嬉しかったことか!」

「えーと、私も寮母にやりがいを感じてきたところだし、子供達が立派に国王になるのを見届けたいし、それに……」

 そこでちらりとリヴィオとそのベッドの上を眺めた美花は、ふうとひとつため息を吐く。そして、視線を帝王に戻して続けた。

「こんな状態の陛下を一人で置いていくのは忍びないから、もうちょっと生きていようと思うんだけど……おじいちゃん、まだしばらく私の人生に付き合ってくれる?」

「もちろんだとも! ミカちゃんが天寿を全うするまで、じーちゃんがちゃーんと守ってやるからなっ!!」

 帝王の心強い言葉に美花は顔を綻ばせる。

 日本では大昔の偉人が怨霊を経て今では神として祀られていたりするのだから、千年もの間大陸中の君主達から崇拝されてきた帝王がそろそろ神格化してもおかしくないかもしれない。

「俺としては、ミカちゃんがリヴィオに嫁入りしてくれれば万々歳なんだがなぁ」

「いやいや、何言ってるの、おじいちゃん。首長国の皇帝様が、何処の馬の骨とも知れない……というか、異世界から来たような女を嫁にしちゃまずいでしょ」

「いやいや、むしろその逆だぞ。ミカちゃんがこの世界の人間でないということは、すなわち十六の国々のどれを身贔屓する可能性がない。君ほど、中立な立場の者は他にはおらん」

「ううーん……って、このやりとり、前にもしたよね?」

 しかも、今回はリヴィオ本人を前にして。美花がおそるおそるベッドを振り返れば、いつの間にか横になっていた彼が自分の隣をポンポンと叩きながら、満面の笑みを浮かべて言った。

「私としても、ミカが嫁入りしてくれれば万々歳なんだがな――何なら一晩お試しでどうだ?」

「結構です。そもそも陛下がお相手の場合は、もう〝お試し〟じゃなくて〝お手付き〟になっちゃいますから」

 美花がツンとそっぽを向いてそう答えれば、やれ、つれないな、とリヴィオが笑みを深める気配がした。

 結局はこうやってすぐに茶化してしまうので、彼もどこまで本気で口説いているのか、アイリーン曰く恋愛経験値底辺の美花には分からない。

「だが、結婚相手として、リヴィオ自身が気に入らないわけではないとも言っていたよなぁ?」

 彼女の腕の中の帝王は、そんなことを言いながらニヤニヤしている。やはり彼は相当本気で美花をリヴィオに宛てがいたがっているらしい。

 美花の意思を無視してまで縁談を進めようとしないだけましだが、あまりにリヴィオを推されると、そんなつもりはなくても意識してしまいそうで困る。

 帝王は日頃からリヴィオのことを「俺の子孫達の中でも一際いい男だ」と豪語していて、彼を勧めてくるのは美花の幸せを思ってのことでもあるのだろう。

 そんなことを考えている内に、母が本当は美花自身のためを思って彼女に厳しく接していたとする場合、母が突然持ってきたあの結婚話は何だったのだろう、とふと思った。

 美花はあの時、母の独善的な行動にカッとなって、結婚相手について何一つ聞かないまま拒絶してしまった。だがもしかしたらあれは、母が数ヶ月かけて選びに選び抜いた末に、美花を一番幸せにしてくれそうだと太鼓判を押した相手だったとは考えられないだろうか。

 時代錯誤も甚だしいが、名のある家に生まれた女性にとっては政略結婚はよくある話だ。父の手駒にされる前に、と美花自身も幸せになれる嫁ぎ先を母が見つけてきてくれたという可能性はあるまいか。

 このように考えるのは美花に都合が良過ぎるだろうか。あまりにもポジティブ過ぎるだろうか。

 とはいえ、それを母に直接確かめる術がない現状では、いくら悩んでも詮無いことだ。

「ひとまずは、ミカがこの世界に居てくれるだけでもよしとしようか」

「そうですね、帝王様。なにしろ、ミカの代わりができる者など誰もおりませんから」

 帝王とリヴィオが同じ飴色の瞳を見合わせてそんな風に言い交わす。

 彼らもまた、美花が必要なのだと声を大にしてくれる。

 それが嬉しく、そして誇らしく、美花は昂然と胸を張って告げた。

「どこにも行きません、ここに居ます。せっかくいただいたお役目、そう簡単に誰かに譲ったりしませんよ。だって――私は、ここの寮母なんですから」


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