表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/37

34話



 美花が頬にキスを贈っておやすみを告げ、リヴィオはそれを了承する返事をした――はずだった。

 それなのに、結局その後も美花はリヴィオの私室に留まったままで、リヴィオもまだベッドに入っていない。

 確かに午後十時は大人が眠るには少々早い時刻だし、二階の子供達もまだ誰もベッドに入っていない、とベッドの上に広げていた札束をかき集めながらリヴィオが言う。

 子供達はそれぞれ窓際の椅子に座っていて、カミルとイヴは机に向かって勉強をし、ミシェルは静かに本を読み、アイリーンは鼻歌混じりに爪を磨いている、らしい。

「まるで見てきたみたいに言うんですね。どうして分かるんですか? 皇帝の勘ですか?」

「実際に見てきたからな――カミルが見ているこれは……ミカの世界の文字であったか。確か〝ニホンゴ〟とか言ったな。カミルに教えるのか?」

 飴色の瞳を細めて告げたリヴィオの言葉に、美花はぎょっとする。

 カミルに日本語を教えるよう請われた美花は、平仮名と片仮名と漢数字に音を同じくするこちらの世界の文字を添えた簡単な翻訳表を作って、さっそく進呈したのだ。それをリヴィオに告げてはいなかったし、カミルもわざわざ報告していないだろう。

 しかも、三階にいながら二階にいるカミルの様子を現在進行形で口にするリヴィオが、美花は一瞬得体の知れないもののように見えた。

 まさか、子供達の私室に監視カメラでも仕掛けていて、逐一モニタリングでもしているのかと考えたが、こちらの世界にはまだそこまでの技術はない。

 あるいはリヴィオが千里眼のような特別な力でも持っているというのだろうか。

 美花はごくりと唾を飲み込み、心の中でそう問い掛ける。すると彼は、飴色の瞳を二度三度瞬いてから、苦笑を浮かべて言った。

「別に、私が超感覚的知覚を持っているというわけではないぞ。ミカの心の中も覗けたりはしない」

「ほ、本当ですか? 陛下の前では誰しも丸裸ってわけじゃないです?」

「ない。私に見えるのは、自分の目の前にある光景と、帝王様がご覧になっている光景だけだ」

「そうなんですね――って、え……?」

 ひとまず自分の心の中がリヴィオに筒抜けではないと聞いて安堵しかけた美花だったが、彼の言葉に引っ掛かりを覚える。自分の目の前にある光景が見えるのはいい。だが、帝王見ている光景もリヴィオに見えるというのは、どういうことなのだろうか。

 訳が分からないという顔をしてベッドの端に腰掛けている美花に、ベッドの真ん中で胡座をかいていたリヴィオが改めて向き直る。

「前に言ったことがあったと思うが、ハルヴァリ皇帝の瞳は帝王様の瞳そのものなんだ」

「確か陛下も、陛下の執務室に肖像画で並ぶ歴代の皇帝様方も、全員おじいちゃんと同じ瞳の色が遺伝してるんでしたよね?」

「遺伝では……ただ瞳の色を受け継いだわけではない。帝王様はハルヴァリ皇帝とーー今は私と視界を共有しているんだ」

「……えっ?」

 あまりに突拍子もない話に、美花は一瞬言葉を失う。

 ただ冷静に考えれば、美花自身も実際異世界トリップなんて非現実的な出来事に遭遇して今ここにいるわけだし、何より生首状態でふわふわ宙に浮いている帝王の存在がすでに奇天烈極まりないのだ。

「それが事実だとすると……えーと、つまりはおじいちゃんが見ている情景が、離れた場所に居ても陛下には見えているってことですか? もしかして、今さっきのカミルの様子も?」

「そういうことだ。帝王様はミカが消灯を告げてから子供達の部屋を順々に周り、今現在は階段に一番近いカミルの部屋にいる」

 本当に、リヴィオは帝王と視界を共有しているらしい。となると、美花にはその事実に思い当たる節が多々あった。

 城門の近くでケイトに絡まれた時のこと。後で会ったリヴィオは門番がケイトを追い払ってくれたことまで知っていて、その時は帝王が教えてくれたと言っていたが、実際は美花と一緒にいた帝王の目を通して彼自身も見ていたのではあるまいか。

 また、アイリーンが盛った薬で感情的になったルークに迫られた時、絶妙のタイミングで声をかけてくれたのも、状況を見守っていた帝王の目からの情報を得ていたのかもしれない。

 それから、城下町の広場で美花がケイトに頬をぶたれた時のことも、今から考えるとあのタイミングでのリヴィオの登場は偶然にしては出来過ぎている。これも、帝王とリヴィオの視界がリンクしているおかげだったのではなかろうか。

 そして、イヴが刺客に狙われた時も、ずっと彼女にくっ付いていた帝王の目でもって全ての状況を把握していたからこそ、あの瞬間あの場所にピンポイントで現れることができたのかもしれない。

 果たして美花のその推測は、リヴィオによって全てあっさりと肯定されてしまった。

「すごいですね。陛下チートじゃないですか!」

 チートとは? と問うリヴィオに、いかさましたのではと思うくらいにすごい、みたい意味だと美花が説明すると、彼は静かに首を横に振った。

「残念ながら、ハルヴァリ皇帝が受け継ぐこの能力は、喜ばしいばかりではない。二人分の視界に慣れるまでの苦労は相当だからな。時には見たくないものだって見えてしまう」

「た、確かに……」

 基本幽体である帝王は神出鬼没。彼を認識できない一般の人間は、飴色の瞳が側にあるのも気付かぬまま、あられもない姿や行動を見せることもあるだろう。

「そもそも帝王様を認識できるということ自体、本当は恩寵でも何でもないーーこれは、帝王様の子孫たる我らハルヴァリ皇族と、十六人の忠臣の末裔である各王家に課せられた、帝王様の呪いなんだ」

「――のっ、呪いっ!?」

 美花は今度こそ目が点になった。

 美花の知っている帝王は、基本おちゃめで時々ダンディな親しみやすいおじいちゃん。呪いなんておどろおどろしい言葉とは、縁もゆかりもなさそうな陽の気に溢れる存在だった。

「今から千年も前のことだ。帝王様のお身体がいよいよ覚束無くなってきた頃、突然彼の側に若い女性が侍るようになった。帝王様の息子達も、十六人の忠臣達も彼女が何者なのか知らず、それでも老いらくの恋だと最初は微笑ましく見守っていたんだそうだ」

 ところが、ある時状況は一変する。帝王が、この正体不明の女性に遺産を譲ると言い出したのだ。

 実はこの時すでに、帝王は帝国を十六人の忠臣達に分配する旨をしたためた遺書を用意していて、女性に残すつもりなのは自分の死後彼女が不自由しない程度の微々たる土地と金銭だけであった。

 それなのに、正体不明の女性に対して次第に不信感を募らせていた帝王の息子達と十六人の忠臣は、耄碌した帝王が帝国全てを若い愛人に渡すつもりなのだと思い込んで激昂し、彼を誑かしたと悪女だとして女性を殺してしまったのだという。

「いい大人の男が十何人も雁首を揃えておきながら、実に短絡的な対処の仕方ですね」

 美花の辛辣な感想に、リヴィオは薄く笑みを浮かべて、確かにと頷く。

「ミカや子供達と一緒に裏の丘へ星を見に行った夜、帝王様は流れ星に見蕩れて階段から落ちて亡くなったとおっしゃったが……流れたのは、星ではなく女性の命そのものだった。帝王様は階段の下で倒れ伏した彼女を見つけて身を乗り出し、そのまま落ちて亡くなった――これが、帝王様の死の真相だ」

 帝王の最後の記憶は、ハルヴァリ皇帝と、十六の王国の君主が代々共有している。玉座を譲り受けた瞬間、彼らは祖先が犯した罪を知り、呪いを受け継ぐのだという。

 ハルヴァリ皇帝も、十六の王国の君主達も、今もまだこの世に留まり続ける帝王を慕い崇拝している。その事実には変わりない。

 だが、同時に彼らは帝王を畏怖し、偉大な彼にあっけない最期を迎えさせてしまった先祖の罪悪感を、これからもずっと引き摺っていくのだ。

「自分自身が犯した罪ではないから償いようもない。帝王様が我ら子孫を恨んで悪霊にでもなっていれば、生け贄を捧げて鎮めるなり祓うなりできただろうが……あの通り、ご本人は飄々として幽霊生活を楽しんでいらっしゃるからな」

 そう言って、リヴィオはまた苦笑する。

 償いようのない罪を背負っていくのは、並大抵の苦労ではない。理不尽を感じることもあるだろう。

 それを身をもって知っているからこそ、自分の後を継がねばならな子供が圧し潰されぬよう、精神的に強く厳しく育てようとする国王も多いのだという。

 ヤコイラ国王が過剰なまでの苦境を強いてイヴに強さを求めたのも、フランセン国王が長男のカミルにだけ甘えを許さず厳しく接してきたのも、彼らなりに我が子を守ろうとした結果なのかもしれない。

 この時美花はふと、王太子達の境遇に自分を重ねた。

「母も……もしかしたら何かから、私を守ろうとしていたのかな?」

 そうぽつりと疑問を口にした美花に、リヴィオが問うような視線を寄越す。

 美花の母も厳しかった。いつだって目標を高く設定し、美花が全力で走り続けることを求めていた。

 美花はただただ母を喜ばせたくて全ての要求に応えようとしていたが、果たして母は本当に自身の見栄のためだけにそれを課していたのだろうか。

 名門一家に当主の後妻として入った美花の母。父には前妻との間にすでに成人した優秀な息子が三人もおり、母はその前妻に対して異様とも思えるほどの対抗心を抱いている――そう、美花はずっと思っていた。

 母は、優秀な息子を産んだ前妻と比べて劣っていると言われるのが嫌だから、美花に兄達相当あるいはそれ以上に優秀であることを求めたのだと思っていた。

 けれど、果たして本当にそうだったのだろうか。母が比べられるのを恐れたのは、本当に彼女自身と前妻なのだろうか。

「まさか……私自身が、兄達と比べられて肩身が狭い思いをしないように……?」

 父は、ただ一人女の子供で、年をとってからできた美花を可愛がってくれた。けれどそれは、我が子というよりはペットみたいに、自分の都合のいい時にだけ構うようなものだった。

 父は三人の兄達に対するような期待を、美花には一切かけようとしなかった。おそらくは、美花が母のお腹の中にいると分かった時から、父にとっての彼女の価値はその程度のものだったのだろう。そして、母は父の態度からそれを感じ取り……

「私が、父にちゃんと一人の子供として見てもらえるようにするために……兄達みたいに期待をかけるに値する人間だと父に思わせるために、母はあんなに私を押し上げようとしていたの……?」

 それでは、大学受験を失敗した時にかけられた、美花なんか生まなきゃよかった、という言葉の真意は――?

「子は親を選べない。もしかしたら、ミカ自身を見ようとしない父親を伴侶に選んだ自分を責め、自分のもとに生まれたミカを哀れんだのかもしれないな」

 リヴィオのその言葉に、美花は愕然とした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ