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30話




「ーー父上」

 イヴの凛とした声が父を呼ぶ。

 かと思ったら、彼女は断りもなく美花のスカートの裾をひょいと捲り上げた。

 ちなみに美花の恰好はお馴染み、白い襟が付いたレトロな雰囲気のえんじ色のワンピースと白いエプロン。足元は、いつもカミルに磨いてもらってピカピカの黒いパンプスだった。

「えええっ……イヴ、ちょっとちょっと!?」

「その傷は……?」

 あわあわ慌てる美花に対し、すぐに彼女の膝に残る傷に気付いたヤコイラ国王が目を細める。

 イヴは美花の手を引っ張ってソファに戻すと、代わりに自分が立ち上がって父親と向かい合った。

「刺客に狙われた時、私を逃してくれた際に負った傷です。ミカは身を挺して私を守ろうとしてくれました」

 事件当日、その場に居合わせた者がいたのは聞いていても、イヴが庇われたことまでは知らなかったらしく、ヤコイラ国王は目をまん丸にして美花を見た。イヴも、美花に視線を落として続ける。

「剣を握ったこともないし、足だって早くない。腕なんか筋肉が無くてふわふわだし、腹筋も無くてぷにぷになのに……ミカは私を助けにきてくれたんです」

「……陛下、イヴちゃんが私のことディスります」

「よしよし」

 涙目で縋った美花を、隣に座るリヴィオがアルカイックスマイルでいなす。

 ヤコイラ国王に向き直ったイヴは、二人のやり取りを気にする様子もなかった。

「ミカが刺客の前に飛び出してきた時、自分の身も守れないのに無茶してって腹も立ちました。でも、それよりも……なり振り構わず飛び出してきてくれるくらい、私のことを大事に思ってくれてるんだと分って……嬉しかった」

 今後も刺客が向けられるようなことがあったら、美花はきっとまた自分を庇おうとしてしまう。自分が怪我をするよりも、彼女が怪我をする方がずっと辛かった。

 だから、二度と美花の身を危険に晒さないためにも敵を一掃したい。

 そう、イヴはヤコイラ国王に向けてきっぱりと告げた。

 敵が、血を分けた実の兄達であっても揺るがない覚悟の炎が、緑の瞳の中でちりちりと燃えていた。

 その瞳をしばらくじっと見つめていたヤコイラ国王は、やがてふっと力を抜いた表情をして口を開く。

「イヴは、この寮母殿のことをとても慕っているのだな」

「はい、好き。大好きです。私のことを守ってくれるし、私も彼女を守ってあげたい」

 即答したイヴの言葉に、美花はほんのりと頬を染めてリヴィオを見上げる。

「陛下! 陛下! イヴちゃんがデレました! かわいい……」

「よしよし」

 再びアルカイックスマイルで美花をいなしたリヴィオは、そこで改めてヤコイラ国王に向き直る。

 ヤコイラ国王も、再び表情を引き締めた。

「イヴが言う通り、この度の刺客は自国の王太子のみならず、ハルヴァリ皇国の寮母をも危険に晒した。本来なら皇国で処罰すべき身柄を、わざわざ生きたままヤコイラに引き渡すのだ。ーーこの意味は分かっているな?」

「はい、陛下。ーー幸い、我らヤコイラは尋問が得意でございます」

「それは心強い。刺客の男を餌にして、しっかりと腹黒い連中を釣り上げることだな」

「御意にございます」

 リヴィオと、その前のローテーブルで傍観する帝王に向かってヤコイラ国王は深々と頭を下げる。

 これで彼は、帝王とハルヴァリ皇帝の前で国内の不穏分子に対応する約束をしたことになる。イヴ同様、我が子であろうと不条理な真似を続ける者には厳しい対応をする覚悟を、この時固めたのであろう。

 そうして次に顔を上げた時には、ヤコイラ国王は父親らしい慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。

 彼はそれをイヴに、それから美花にも向ける。

「新しい寮母殿が随分お若い方で驚きましたが……いやはや、イヴがこんなに誰かに心を許しているのを見たのは初めてでございます。良い方に巡り会えて良かったなあ、イヴ」

「はい……」

 優しい声でそう語りかけてくれた父親に、イヴはほんのりと頬を赤らめて頷く。

 そのいじらしい姿に、思わずといった様子でヤコイラ国王の手が伸びてきた。

 そしてそのまま、娘の黒髪を優しく撫でーーるかと思われたが、ここで一つ思い出してもらいたい。ムキムキマッチョなヤコイラ国王の手は、大きくて堅いグローブみたいだったことを。

 それに比べればイヴの頭は小さくて、どう触れていいものか分からなかったのだろう。

 結局、イヴの頭を撫でないままおずおずと戻っていきそうになった彼の手を、しかし横から伸びて来た手がガッと掴んだ。

 もちろん、美花である。

「ーーは?」

「えっ……」

 本日二度目の美花のは? に、ヤコイラ国王は面白いほど狼狽える。

 美花は巨大な手をギリギリと握り締めながら、ギロリと彼を睨んだ。

「何、引っ込めようとしてるんですか。国王ともあろうお方が、一度しかけたことを途中で投げ出すんじゃないですよ。ちゃんと、しっかり、イヴの頭を撫でてください」

「い、いや……でも、その……力加減が分からなくてですね……」

「だったら、ほら。おじいちゃん……帝王様で練習すればいいんですよ。すでに亡くなっていらっしゃるんだから、ちょっとくらい乱暴に撫でたって壊れやしません」

「ひえっ……」

 美花はあろうことか、ヤコイラ国王の手をローテーブルに乗っかっていた帝王の頭に押し付けた。

 小麦色のグローブに掻き回されて、ロマンスグレーの髪がぐちゃぐちゃになる。

「あああっ……て、帝王様! と、とんだご無礼を!!」

「わっはっはっ、よいぞよいぞ。苦しゅうない」

「へ、陛下……どうか、お助けを……」

「うむ、諦めろ。その寮母には誰も敵わない」

 ひたすら楽しそうな帝王と、完全に傍観者のかまえになったリヴィオに、ヤコイラ国王は「そんなぁ」とべそをかく。ただし、ムッキムキのマッチョである。

「もっとちゃんと心を込めて。中途半端にするくらいなら、最初から手なんか出さないで下さいよ」

「は、はい……」

「撫でつつ、さりげなく髪を整えるのが上級者のやり方です。不器用ぶって許されるのは、せいぜい十代までですからね」

「ぎょ、御意……」

 美花の厳しい指導のもと、ヤコイラ国王は帝王のロマンスグレーをちまちまと撫でる。

 イヴはそんな光景に目を丸くしていたが、やがて帝王の髪型が七三分けに整えられたの見て……

「ふふっ……」

 花が綻ぶように、可憐に笑った。

 それも見たヤコイラ国王は今度こそ、健気な娘の小さな頭をそっと撫でたのだった。


 ヤコイラ王国で大きな動きがあったのは、それから半月後のことだ。

 イヴに刺客を差し向けたのはやはり彼女の長兄だったが、彼を唆した本当の黒幕はイヴを王太子に選んだ先代の占術師の妻であることが判明した。

 先代の占術師は自分の息子には占術の才能が無いと見限っていて、甥を跡継ぎに指名していたのだが、それを不服とする妻との間に長年蟠りがあったらしい。

 いよいよ先代の占術師が亡くなった時、妻は遺言書を改ざんしてまんまと息子を後継者に仕立て上げた。

 占術師の言葉は、それが重用されているヤコイラのような国では呪いに近い。だからこそ、彼らは常に清廉潔白であらねばならないのだ。

 それと真逆の行いをした息子の占術がうまくいくわけがない。焦った先代占術師の妻は、息子が周囲に認められるためには何か一つ大きな手柄を立てる必要があると考えた。

 ヤコイラの占術師にとって最も需要な仕事は、王太子を選出することだ。

 もともと先代を嫌っていた妻は、彼に選ばれたイヴの存在自体も疎ましく感じていた。

 そんなイヴを失脚させ、なおかつ自分の息子の名を世に知らしめる方法として、王太子の挿げ替えを思いついたのは、兄王子達が普段から声高にイヴをやっかみまくっていたせいでもあるだろう。

「兄は脳筋だから……」

 まんまと陰謀に加担させられた兄の話を知ったイヴは、遠い目をしてそう呟いた。

 二人の兄は揃って父親似のムキムキマッチョで、イヴは兄弟でただ一人母親似らしい。

 刺客としてハルヴァリ皇国に送り込まれた男は、過去に罪を犯して失脚した一族の末裔だった。お家復興を餌に唆され、この度見事自身も国賊の仲間入りだ。彼の一族が再び政治の表舞台に立つことはないだろう。

 今回の事件を機に、ヤコイラ国王は王宮内の大規模な粛清を行った。

 占術師の母子と刺客の男は極刑。

 イヴの長兄も一時はこれに相当するとの判断がなされたが、先代のヤコイラ国王――つまり、イヴ達の祖父が身柄を預かり根性を叩き直すと申し出たため、王位継承権の完全放棄を条件に命ばかりは救われた。

 今回は無関係だった次兄も、これまでのイヴに対する仕打ちを咎められ、同じく祖父預かりとなった。

 ちなみに、先代ヤコイラ国王もムキムキマッチョらしい。

 一連の悪事の隠蔽に手を貸していた取り巻きの大臣達は全員失脚。

 国内は一時は騒然となったが、結果的には風通しが良くなって国民の顔も明るくなったという。

「よかったね、イヴ。イヴが帰る頃には、前より居心地がいい国になってそうだね」

「うん……」

 事件の真相と大粛清の詳細は、ヤコイラ国王からリヴィオに宛てた書簡という形で報告がなされた。

 リヴィオは美花とイヴを執務室に呼び、書簡をそのまま見せてくれたのだ。

 神妙な顔をして読み終えたイヴは、それを封筒に戻してリヴィオに返す。

 そんな彼女に声をかけたのは、執務机の上に乗っていた帝王だった。

「なあ、イヴや。結局、ろくでもない二人の兄は生かされたわけだが……それに対して不満はないのか?」

 帝王の問いは、美花が思うところでもあった。

 唆されたにしろ、イヴの兄達がこれまで何度も彼女を危険に晒してきたのは事実なのに、処分が甘過ぎると感じてどうにももやもやが残る。

 そのことについて、イヴ本人はどう考えているのだろう、と彼女の答えに耳を澄ませた。

「兄達のことは愚かだとは思いますが……やはり血が繋がった家族だからでしょうか、殺したいほど憎いとは思えないんです」

「向こうは、お前を殺す気だったのにか?」

 帝王の非情とも聞こえる問いに、しかしイヴは笑顔で答えた。

「兄達は殺す以外に口を塞ぐ方法を知らないんですよ――馬鹿だから。でも、大丈夫です。ヤコイラに戻ったら、祖父の協力のもと私が彼らを躾けます。私が国王となった時、足手まといにならないように」

 そう言ってぐっと拳を握りしめたとたん、イヴに細腕に浮き出た隆々たる力こぶに、美花は顔を引き攣らせる。帰国する頃は十六歳になっているであろうイヴは、今よりもっと大人びていそうだが、スレンダー美少女

な彼女がムキムキマッチョな兄二人を躾けている光景はなかなかに倒錯的だろう。

 けれど、イヴが可愛らしくはにかんで続けた言葉を聞いたとたん、美花は彼女を抱き締めずにはいられなかった。


「私が国王になったら、ヤコイラをきっともっと良い国にする。だって、ミカに遊びに来てもらいたいもの」


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