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3話



「朝から賑やかなことだな、お前達。そんなに元気が有り余っているなら、朝食の前に皇城の外周でも走ってくるか?」

 その美貌に相応しい魅惑的な声が、拳を振り上げていた少年少女を静かに窘める。

 さっきまでの威勢はどこへやら。カミルもイヴも、まるで借りて来た猫のように大人しくなってしまった。

 美花はほっと胸を撫で下ろしつつ、一瞬にして騒動を収拾した人物を見上げる。

 すると、相手も美花を見下ろしていた。

 大小十六の国々を有する大陸にてその頂点に君臨する首長国、ハルヴァリ皇国。

 その現在の君主が彼――リヴィオ・ハルヴァリである。

 弱冠二十五歳の皇帝は、この大陸で唯一〝陛下〟と呼ばれる人。カミルの祖国である大陸最大の国フランセンの国王でも、その敬称は〝殿下〟に留まる。

 白金色の髪と飴色の瞳。完璧なシンメトリーに配置された顔のパーツはどれをとっても一級品だ。

 すらりとした長身にして均整のとれた体躯。シャツとズボンといういささかラフな恰好だが、それで彼の存在感がわずかにも霞むことはない。

 彼のビジュアルに対する美花の所見は〝ザ・美形〟。

 まさしくイケメンの代名詞のような皇帝陛下は、その肩書に相応しく堂々とした態度でもって、瞬く間にこの場の空気を支配してしまった。

「カミルはすぐに身嗜みを整えなさい。イヴと――そこで見ている二人も、全員一緒にダイニングに下りるように。シェフに、労いと感謝の言葉をかけるのを忘れてはいけないよ」

 皇帝リヴィオの言葉に、四人の子供達は一斉に了承の返事をした。それに満足げに頷いた彼は、最後に美花へと向き直る。

「ミカには少し話がある。私の部屋に来なさい」

「……はーい」

 とたんに、イヴが気遣わしげな表情をして美花を見た。

 あわや寮生同士殴り合いの喧嘩に発展しそうになったのだ。その場に居合わせながら止められなかった美花は、寮母として監督不行き届きを咎められても致し方ないだろう。

 自分が出しゃばったせいで美花が叱責を受けるのでは、と青い顔をしているイヴに、彼女は安心させるように微笑んで見せる。

 一方、小さな声で「ざまあ」と呟いたカミルの足の甲は、踏ん付けた上にグリッと捻っておいた。踵の尖った靴を履いていなかったことが心底悔やまれる。

 そうして、今朝だけで何回目かも知れないカミルの「くっそ!」を背中で聞きつつ、美花は先に部屋を出た皇帝リヴィオの後を追った。

 

 リヴィオの私室は、この建物の三階にあった。

 ハルヴァリ皇国の皇帝は代々、カミルやイヴ達のような特別な子供達が学ぶ学園の長を兼任するとともに、寮に住まい毎朝毎晩彼らと一緒に食卓を囲うことで、家族のような関係を築く。寮母が母親役だとすれば、皇帝は父親役だ。

 誰よりも博識で美しく威厳に満ちた皇帝リヴィオに、子供達はいつだって憧れと尊敬の眼差しを向けるのだった。

 美花は颯爽と歩いて行く彼を追い掛けて、さっき下りてきたはずの階段を再び上る。

 朝日が差し込む踊り場には、日溜まりができていた。

 階段を三階まで上り切り、廊下に向かって右の奥、その突き当たりにあるのが皇帝の私室だ。

 それと対極の位置――つまりは、廊下に向かって左の突き当たりにあるのが寮母の部屋。少し前まで前任寮母のマリィが使っていたその場所で、今は美花が寝泊まりしている。

「――そこに座りなさい」

 自室に美花を招き入れたリヴィオは、部屋の中ほどに置かれたソファに腰を下ろし、向かいの席を彼女に勧める。美花が大人しくそれに従えば、彼は長い脚を組みながら続けた。

「どうして呼ばれたのか、分かっているのか?」

「分かっていると思いますか?」

 質問に質問で返すという卑怯な手段に出た美花に、リヴィオは小さくため息を吐きつつせっかく組んだ足を解いてしまう。かと思ったら、掌を上にしてすっと片手を差し出してきた。

 指先まで造形美を感じさせる手とその主の美貌を見比べた美花は、僅かな逡巡の後、自分の片手をポンとその上に載せた。

「皇帝陛下ともあろうお方が、この哀れな世界的迷子の雇われ寮母に向かって、ペットに対するがごとくお手をご所望とは驚きです」

「違うぞ」

「っていうか、はっきり言ってどん引きです」

「私に対する心証の話ではない」

 違うと言いつつ、リヴィオは自分の手に載せられた美花のそれを握って引っ張り、額がくっ付くほどまで顔を寄せる。そうして、飴色の美しい瞳で美花の茶色の瞳をぐっと覗き込んで告げた。

「――札束を返しなさい」

 リヴィオが美花を私室に呼びつけたのは、カミルとイヴの悶着に関し監督不行き届きを叱責するためではなく、もっとずっと――思いっきり個人的な用件のためだった。

「先ほど私を起こしに来た時、ベッドから一束くすねて行っただろう」 

「くすねただなんて人聞きの悪い。ベッドの脇に所有者不明の札束が落ちていたのを、エプロンのポケットに保護しただけですよ」

「言い得て妙だな……いや、褒めているんじゃないぞ。得意げな顔をするんじゃない」

 美花は毎朝身嗜みを整えた後、寮生達の部屋を回って起床を確認するが、実はそれよりも先に自室と同じ三階にあるリヴィオの私室の扉を叩く。

 というのも、完全無欠の絶対的君主だと思われている彼――実はカミルに負けず朝に弱いのだ。

 さらに、彼には他人に容易に目覚まし役を頼めない理由があった。

「私にちょろまかされたくないのなら、ちゃんと片付けてから寝ればいいじゃないですか」

「無理だ、それだけは譲れない。札束に埋もれて眠るのが、私の唯一の生き甲斐なんだぞ」

「陛下のお気持ちはこれっぽっちも理解できませんが、個人の性癖をとやかく言うつもりもないです。ただ、毎朝札束を掻き分けてあなたを起こさねばならない私の身にもなってください」

「では、掻き分けずとも私に辿り着けるよう、最初から一緒にベッドに入っておくか?」

 リヴィオのセクハラとも捉えられる提案に、断固お断りですと答えた美花は、元の世界でも見たこともないほどの美貌を前に、盛大なため息を吐いた。

 皇帝リヴィオは守銭奴である。

 三度の飯よりお金が好きなのだ。

 そんな彼の生き甲斐は、本人が述べた通り札束に埋もれて眠ること。ベッドの上に私財の一部を並べて数え、そのまま就寝するのがお気に入りだった。

 そんな趣味だか性癖だかを、リヴィオは周囲に隠している。

 何故なら彼は、大陸中の国々から仰がれる皇帝陛下であり、寮に住まう子供達が敬い憧れる父親役であらねばならないからだ。

 美花がこちらの世界にやってきた当初、リヴィオは彼女の前でも畏怖を覚えるほどの完璧な人間を演じていた。その上っ面が剥がれたのは、彼女を寮母見習いとして重宝し始めていたマリィが、ふいに頼んだお遣いがきっかけだった。その時、美花が迂闊に開いた扉の向こうで、リヴィオは札束が散らばったベッドの上で胡座をかき、ワイングラスを傾けつつ紙幣を数えていた。

 それまで彼に抱いていた、神秘的なまでの高潔なイメージにはほど遠い、俗物的なその姿にショックを受けなかったといえば嘘になる。

 ただ、本性がばれたとたん、美花の前では猫を被るのをやめたリヴィオは、完全無欠の皇帝陛下な彼よりもずっと人間味に溢れていた。アルカイックスマイルが基本の作り物のような美貌も、喜怒哀楽様々に表情を変え、そうするとやっと血が通ったように見えて、美花は自然と親近感を覚えた。

 だからといって、やっぱり札束に埋め尽くされたベッドで添い寝しようとは思わないが……。

 百歩譲って新札なら我慢できないことはないが、誰が触れてどこを巡ってきたかも知れない使用済み紙幣の束に囲まれて眠るなど、正気の沙汰ではない。絶対に悪夢を見る自信がある。

「陛下って、ほんと残念なイケメンですよね。そんなにお金に執着しなくても、ちょっと微笑むだけで世のセレブリティな奥様方がいくらでも貢いでくれそうなのに」

「私が名も無きただの男ならばそれでもよかろう。だが、ハルヴァリ皇国の皇帝を名乗る限りは沽券に関わる。それを理由に依怙贔屓を求められても困るしな」

 リヴィオの本来の人柄は、随分と気さくだった。美花が歯に衣着せぬ物言いをしても、不敬を問われるようなことはない。

 そんなことよりも札束を返すよう責付かれた美花は、しぶしぶエプロンのポケットの中身を取り出して、一枚だけ抜き取った状態で彼の手に載せた。

「――いや、待て待て、待ってくれ。何を堂々とくすねてくれたんだ?」

「私の祖国では、落とし物を拾ってくれた人には落とし物の価値の五分から二割相当の謝礼を支払うべきとの法律がありますが、相場は一割らしいんです。ですので、今日のところは紙幣一枚で勘弁してあげます」

「……理詰めで来るからミカは恐ろしい。そもそも、ハルヴァリにそんな法律はないんだが」

「私はここでは治外法権ですので。私に関することは、私が法律です」

 美花が異なる世界から来たことについては、彼女を保護したマリィはもちろん、リヴィオも――さらには、カミルやイヴといった他国の王太子達、果ては寮のシェフに至るまで知れ渡っている。

 異世界トリップなんて、美花自身にとってもいまだに信じ難いが、それを理由に彼女が迫害されるようなことは一切なかった。

 というのも、こちらの世界の人々にとっては、美花が美花として今現在ここにこうして存在することが重要なのであって、彼女がどこで生まれてどう育ったかなんてのは大したことではないらしい。

 そんな大らかな精神風土の他に、もう一つ――美花にはこの世界で堂々と暮らすことが許される、絶対的な後見があった。

「……っ」

 ふと、背後に何かが忍び寄る気配。

 美花はとっさにエプロンのリボンの結び目に挿していた得物を抜くと、振り向き様にそれを大きく振り上げる。とたんに、焦ったような声が聞こえてきた。

「――ミカちゃん、待って! 俺だ、俺っ!!」

 美花の背後に在ったのは、真っ白い髪と髭が美しい老紳士の顔だった。端整な面立ちには年を重ねた分だけ円熟味が滲み、何とも形容し難い感慨を見る者に与える。

 そんな老紳士はリヴィオと同じ飴色の瞳をぎょっと見開き、美花の顔とその手にある物を見比べている。

 一方、馴染みの相手と気付いた美花は、振り上げていた片手をすっと下ろした。

「なんだ、おじいちゃんだったの。でっかいハエかと思った」

 そう言う美花の得物はハエ叩きである。ちょうど半年前、ホームセンターで買ったばかりだったそれは、たまたま美花の手に握られていたばかりに彼女と一緒にこちらの世界に渡ってくることになった代物だ。

 いまだハエを叩いたことはない代わりに、聞き分けのない寮生の尻をぶっ叩いたことは数知れず。さっきのカミルとの騒動の際も、イヴの乱入さえなければ美花はこれを抜いていただろう。

 百三十五円とお手軽価格ながら、絶妙のしなり具合と軽量なボディで扱いやすい、美花の心強い相棒である。

「俺をハエと間違えるのはミカちゃんくらいだぞ……」

「普通ならば恐れ多いと叱責するところだが……ミカだからな」

 悪怯れた様子もない彼女に、〝おじいちゃん〟と呼ばれた白髪の老紳士は白い眉を八の字にする。

 その場に居合わせたリヴィオも、同じような表情をしてため息を吐いた。

 前者はそれこそ孫娘に対するような優しい目をし、後者もまた美花に対して寛容だった。

 彼らは美花を間に挟んだ状態で顔を見合わせて肩を竦め――られたのは、実際はリヴィオだけで、老紳士の方は気分だけ。

 というのも、この老紳士。

 肩どころか、首から下のない――つまりは、生首であった。

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