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29話




「まったくお恥ずかしい限りです。内輪揉めで帝王様や陛下、新しい寮母様の御手まで煩わせてしまうなんて……先祖に顔向けできませぬ」

 滅多に使われない寮の応接室に通されたヤコイラ国王は、大きな身体をソファの上で縮こめて項垂れる。

 応接室に入ったのはリヴィオと帝王、美花、それからイヴ本人も呼ばれた。

 リヴィオとヤコイラ国王がローテーブルを挟んで向かい合い、美花はリヴィオの隣に座った。

 自分の父親相手に緊張して落ち着かない様子のイヴも、美花は自分の隣に座らせる。

 帝王はというと、真ん中のローテーブルにドンと乗っかっていた。

 この日、ヤコイラ国王がハルヴァリ皇国までやってきたのは、イヴを狙った刺客の男の身柄を引き取るためだった。

 男は審議の結果、生きたままヤコイラ王国に引き渡されることになった。

 彼にイヴを暗殺するよう命じたのは誰なのか、この計画に加担した人間がどれだけいるのか、後はヤコイラ国王が存分に聞き出すだろう。

 さらに、刺客に加担してハルヴァリ皇国を追放されることが決まったケイト一家と夜警の身柄も、ヤコイラ王国に委ねられることになった。

 留学中の王太子を巡る事件というのは、実は過去にもいくつか例があったため、その場合関わったハルヴァリ皇国民に関する処遇もおおよそ決められていた。

 直接王太子に手を下そうとした者は一律死罪。例外は無い。

 今回のケイト達のように手引きしただけの場合は対象国にて勾留され、被害者の王太子が即位してから本人によって正式な沙汰が下されるという。

「それでは陛下、一家と夜警の身柄はお預かりしますが、扱いは如何様に?」

「そちらに一任する。イヴが王位を継ぐまでに、罪人達が心を入れ替えているようならば恩赦もあり得るだろうが……あれらが死んでもハルヴァリ皇国には戻せないことだけ、覚えておいてもらえればそれでいい」

 リヴィオの言葉に、ヤコイラ国王は神妙な顔をして頷いた。

 ケイト達に対する処分が厳しいのか否かは美花には判断がつかない。ただ、生まれ育って国に二度と戻れないのは心細く悲しいことだろうと思った。

 将来彼らの処遇を委ねられることになると聞いたイヴは、膝の上で両の拳を握り締めている。そうさせているのはケイト達への怒りか、あるいはいつか国王となることのプレッシャーか。

 美花はそっと震える拳を撫でてやった。その時である。

「ーーそれでは恐縮ですが、私はこの辺で」

 そう言って、ヤコイラ国王が席を立とうとした。

 美花は思わず、は? と口に出してしまいそうになった。いや、実際口に出ていたのだろう。

 ソファから腰を浮かしかけたヤコイラ国王がきょとんとした表情になり、ローテーブルの上の帝王は面白そうな顔をし、ついでにリヴィオもお馴染みのアルカイックスマイルではなく、口の端を小さく持ち上げて人が悪そうな笑みを浮かべた。

「ミカ……?」

「うん」

 戸惑った顔をして袖を引いてきたイヴに、美花は真顔で頷く。彼女が何を肯定したのか、イヴには分らなかっただろう。

 応接室に入って、まだ三十分ほどである。

 出されたお茶もかき込むように飲んで、ヤコイラ国王の意識は早々に拘束されている刺客の男の処遇に向いてしまっているようだ。さっさと罪人達を国に連れて帰って、尋問だの黒幕のあぶり出しだのと、やらねばならないことが山のようにあるのだろう。

 一国の君主ともなれば、多忙を極める。一分一秒たりとも無駄にできないのかもしれない。

 美花の「うん」は、それは理解できるという意味の「うん」だった。

 ただ、ヤコイラ国王が今にもこの場から去って行きそうなのに気付いた時、美花が撫でていたイヴの拳が大きく震えたのだ。次いで、彼女がぐっと唇を噛み締め何かに耐えるような気配がしたとたんーー美花はもう、居ても立ってもいられなかった。

 腰を浮かしかけたヤコイラ国王よりも先に立ち上がり、じっと相手の目を見て言い放つ。

「まさか、ここに居るイヴの姿が見えていないわけじゃありませんよね?」

「え……あの、寮母殿……?」

「このまま、イヴに何も言わずにお帰りになるなんてことはーーありませんよね?」

「……」

 ヤコイラ国王は黙ってソファに座り直した。

 それを見てにっこりと微笑んだ美花は、しかし責める手を緩めない。

「この度の事件、私も無関係ではありませんでしたので、恐縮ですが口を挟ませていただきます。そもそも、これまで何度もイヴは立場をやっかまれて危ない目にあってきたと聞きました。今回も事前に不穏な動きを察知していたにも拘わらず、結局後手に回ってしまったのは何故なのでしょうか?」

「……お恥ずかしい限りですが、イヴをやっかんでいるのはこれの兄達でして、仕打ちを咎めようにもなかなか狡猾で証拠を掴ませません」

 ヤコイラ国王の言葉に、美花はじとりと目を細める。国王自身も言い訳じみていると感じたのか、慌てて居住いを正して畳み掛けた。 

「我らヤコイラの民は強くなければ生きてはいけません。それは、肉体的にも精神的にもです。そんな一族の中にあって、イヴは選ばれた者でございます。他の兄弟よりも身体能力に優れ、強靭な心を持ち、いずれ国家を……」

「でも、今はまだ十四歳の女の子です。どれほど力が強くたって、心が強くったって、傷がつかないわけじゃない。痛くないわけじゃないんですよ?」

 ヤコイラ国王が「それは……」と口籠る。イヴは俯き、美花のスカートの裾を握り締めて震えていた。

 ヤコイラ国王は、きっとイヴに大きく期待しているのだろう。周囲のやっかみにも負けず強い国王になってほしいと心から願っているのだと思う。そこには確かに愛情はあるのかもしれないが、一方的に期待を背負わされるのは、それに応えようと走り続けるのはとてもとても疲れるのだ。

 母を喜ばせるためだけに毎日を生きていた美花には、イヴの気持ちがよく分かった。

「それでもなお、ヤコイラを背負って立つには痛みに耐える必要があるとおっしゃるのでしたら、せめて誰かがイヴの努力を認め、支えてあげるべきではありませんか。そしてそれができるのはーー国王様、あなたしかいないんじゃないですか?」

「私が……?」

「だって、あなたはイヴと同じ痛みに耐えて国王となられたのでしょう? イヴと同じ痛みを知っているのでしょう? だったら、どれだけ彼女が頑張っているかも、理解していらっしゃるはずです」

「……」

 ヤコイラ国王はついに口を噤んだ。

 美花は心を落ち着けるように一つ大きく深呼吸をすると、トーンを落として続けた。

「せっかくハルヴァリ皇国までいらしたんです。イヴと会うのも半年ぶりでしょう? ちゃんと声をかけてあげてください。王太子としての責務を果たそうと毎日頑張っているイヴをちゃんと見てあげてください。命を狙われても見事生き残った彼女をーーちゃんと褒めてあげてください」

 そんなことを言われると思っていなかったのか、ヤコイラ国王が目を丸くする。

 生意気なことを言っているという自覚は美花にはあった。

 それぞれの国にはそれぞれの事情がある。美花の思う正義が他の人の正義とは限らないし、ぽっと出の小娘に意見されるのは気分のいいことではないだろう。

 帝王や皇帝リヴィオが同席している限りそうそう無いだろうが、分かった口を利くなと恫喝されても仕方がないとさえ思っていた。

 それでも美花は言わねばならなかった。

 美花は、自分はずっと母の言いなりで生きてきた、母は自分を手駒か人形のようにしか見ていなかったのだと思っているが、そんな風に親子の関係を客観的に見れたのは、大学受験に失敗して母の期待を裏切ってからなのだ。母の期待に必死に応えようとしている最中は、そんな毎日に疑問も感じなかったし、辛いとも思わなかった。

 そんな過去を、今はとても後悔している。

 母の言いなりになるのではなく、もっと自分で考えて行動すべきだった。自分のやりたいことを見つけ、母に反対されれば理解してもらえるまで話し合えばよかったのに、美花は何もしなかった。

 どうすればいいのか、分からなかったのだ。

 美花の子供時代はもうやり直しがきかないし、元の世界に戻る方法も分からないので母とは二度と会えないかもしれない。けれども、イヴは違う。

 彼女と父親の関係は、きっとまだまだやり直しがきく。

 やがて美花の隣で、イヴが意を決したように顔を上げる気配がした。


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