26話
ピンクのバラ、赤紫色のスターチス、黄色いミモザ、真っ赤なケイトウ、白くて小さなカスミソウ、香りのいいラベンダー。それらをきゅっと赤いリボンで結んだ花束を、美花は思い掛けず子供達からプレゼントされた。
二十歳の誕生日の翌日、その昼食の席でのことである。
子供達はマリィの離宮で朝食をご馳走になったのだが、その席で帝王が美花の誕生日が昨日だったと告げたのらしい。子供達にとっては、まさに寝耳に水だっただろう。
朝食もそこそこに、彼らは額を突き合わせて相談し始めた。その結果、全員でお金を出し合って大きな大きな花束を贈ろうということになり、四人揃って城下町の花屋を訪れたのだという。
留学中の王太子達はホスト役のハルヴァリ皇家によって衣食住を保証されているが、自由にできる金銭は自身が課外活動の労働で得た賃金だけ。学園の授業が終わった後、長くても実働四時間程度なので、彼らの懐はさほど温かくはない。
そんな貴重なお小遣いの中から自分への贈り物の代金を捻出してくれたのかと思うと申し訳ない反面、美花はもうたまらなく嬉しかった。
「こんな綺麗な花束をもらったの、生まれて初めて――ありがとう」
そう言って思わず涙ぐんでしまい、強かな美花を見慣れている子供達はぎょっとしたが、その後彼女が一人一人に飛びついてそれぞれの頬に熱烈なキスを贈ったためにさらに驚いていた。
硬派なカミルなど首筋まで真っ赤にして「はしたない!」と怒っていたが、ミシェルとイヴは可愛らしくはにかみ、アイリーンに至ってはさらに熱いキスを返してくれたのだった。
そんな嬉しい出来事があった日から五日後のことだった。
この日美花はまた、子供達が課外活動に出掛けた後に城下町に下りていた。
今回は図書館長のお遣いではなく、個人的な用事である。
美花が訪れていたのは、町の中心にある広場から少し行った所にある老舗の花屋だ。
花屋の主人はマリィと同じ年頃の上品な老婦人。以前美花が文房具屋でひどい扱いをされた際、偶然店内に居合わせた常連客で、あまりの店主の横暴を見兼ねて窘めてくれた人だった。
同じ日に起こった広場の噴水前での騒動以来、美花はふらりと入った店で邪険にされることもないし、あからさまな陰口を叩かれることもなくなったように思う。もちろん、リヴィオが公衆の面前で接触禁止を宣言したために、ケイトが絡んでくることもなくなった。
だからといって、美花も用もないのに城下町に下りてはこない。今日花屋を訪れたのだって、ちゃんと目的があってのことだった。
「あらあら、立派な花束ねえ。素敵な殿方からのプレゼントかしら?」
「ふふ、素敵な男の子と、可愛い女の子達からもらった、宝物なんです」
誕生日の翌日に子供達から贈られた花束を、美花は大事に大事に自室に飾っていたのだが、生花である限りそう長くは保たない。けれども、少しで長く側に置いておきたいと考えた美花は、花束をそのままドライフラワーにすることを思いついたのだ。
ドライフラワーの歴史は古く、古代エジプト王のミイラにもドライフラワーでできた花冠が置かれていたというし、ギリシア神話には王の娘が恋人からもらった花束が枯れるのを惜しんでドライフラワーにするエピソードがあるらしい。
花自体の美しさとともに、それをもらった時の喜びをいつもまでも瑞々しく保ちたいという気持ちは、古代に生きた人々も美花も同じだろう。
失敗してただ枯らすようなことになってしまわないように、美花は花を扱うプロである花屋に教えを請うことにしたのだ。
最近お菓子作りに凝っているシェフが作ってくれたチーズケーキを手土産にして訪ねると、花屋の主人は快く迎え入れてくれた。
ドライフラワーを作るのはさほど難しいことではなかった。花や葉、枝などの形を綺麗に整えてから、逆さまに向けて吊るす。ドライヤーや電子レンジなんてものはないので、ただただ自然乾燥あるのみだ。
五日ほど乾燥させたら出来上がるというので、そのまま花屋の作業室に吊るしておいてもらって、後日受け取りにくるということになった。
時間が経つのは早いもので、気が付けばそろそろ午後七時前――子供達の仕事が終わる時刻になっていた。
「ねえ、おじいちゃん。子供達を拾って帰ろうかな?」
そう傍らに語り掛けてから、美花は帝王が一緒にいなかったことを思い出す。
ここしばらくの間、帝王はイヴにべったりだった。
その理由は、マリィが旅行先から持ち帰ったヤコイラ王国に関するきな臭い噂にある。
イヴはヤコイラ王国で古くから重用されている占術によって王太子に選ばれたが、二人の兄やその取り巻きがそれをやっかみ、たびたび暗殺紛いの行動を起こしていたらしいことは、美花もイヴ本人の口から聞いていた。
そのヤコイラ王国で一月ほど前にイヴを選んだ占術師が急逝し、その後を継いだ息子が先代の占術は間違っていたと騒ぎ立てたというのだ。もちろん、この息子にはイヴを妬む兄達の息がかかっていて、占術が間違っていたなんていうのもイヴを王太子の地位から引き摺り下ろすための嘘だった。
すぐさまヤコイラ国王は事態を鎮圧しようと、首謀者である自分の息子達や、彼らに金を握らされて先代の顔に泥を塗るような嘘の証言をした占術師の息子を拘束したが、一度盛り上がってしまった気運は止められない。すでに、ハルヴァリ皇国に留学中のイヴに向けて刺客が放たれたという情報もあり、心配した帝王は彼女が皇城を出る際は必ず同行するようになっていた。
花屋を後にした美花はまず、イヴと帝王に合流できるかと思って、一番近くにあった大衆食堂を訪ねた。
しかし残念ながら、イヴは美花とほぼ入れ違いで帰途に就いたのだという。余談だが、ケイトの従妹がクビになった後、この大衆食堂にはしっとりとしたお姉さん系のホール係が入って新たな看板娘となっている。
大衆食堂を後にした美花は、急げば追いつくかと夕日で赤く染まる大通りを早足で進んだ。
しばらく行くと、行き交う人々の間にイヴの背中とそれに寄り添う帝王を見つけ、さらにはその向こうには、商売道具が入った木箱と椅子を抱えたカミルの姿もあった。
カミルはおそらく歩いてくるイヴと帝王に気付いたのだろう。とたんに表情を緩めた彼からは後輩を労う上級生の余裕が感じられ、随分成長したものだと美花は頼もしく思う。
子供達と合流して一緒に帰るのもいいが、こっそり後ろを歩きながら、彼らの普段の様子を観察するのも面白そうだ。
それぞれの祖国では、次代を担う者としてプレッシャーをかけられ、大人のエゴイズムに晒される子供達だが、このハルヴァリ皇国の城下町では年相応にのびのびと過ごしている。
彼らにとって自由な時間は限られているが、それでもこうして過ごした何気ない日々の思い出が、これから歩む人生の光明となればいいと美花は思った。
ところが、大通りを行くイヴと少し離れて立つカミルを微笑ましく眺めていられたのは、ここまでだった。
突如、美花の視界にギラリとした不自然な光が映り込んだのだ。
とっさにそれに目を向ければ、大通り沿いに立つ建物の二階――そのベランダに並んだ鉢に隠れるようにして、鋭い何かの切っ先が斜め下に向けられているのに気付いた。
この時、美花は瞬時に理解した。切っ先の狙いが、イヴであると。
「ーーイヴ、危ないっ!!」
美花はそう叫ぶとともに、弩にでも弾かれたようにイヴに向かって走り出した。
叫び声に驚いて振り返った彼女に突進し、地面に押し倒すみたいにして切っ先の軌道から逃す。
カッ、と美花の首筋スレスレの地面に矢尻の先が突き刺さったのは、その直後だった。
大通りを行き交う人々は、折り重なるようにして地面に倒れ込んだ美花とイヴに面食らっている。何が起こっているのか、いまいち理解できていないのだろう。
彼らの助けは期待できなさそうだと本能的に悟った美花は、腰の後ろに差していた得物を引き抜き闇雲に振り回した。絶妙のしなり具合と軽量なボディで、これまで美花と苦楽を共にしてきた心強い相棒だ。
とはいえ、所詮はプラスチック製のハエ叩き。再び飛んできた矢が平たいヘッドに突き刺さって割れてしまった。
「あわわ……」
「……っ、ミカ! 下がって!」
すぐさま状況を把握したらしいイヴが身を翻して立ち上がり、隠し持っていたらしい短剣を構えて真っ青な顔をした美花を背中に庇う。
「ミカ、どうして飛び出してきたんだ!? 私なら大丈夫なのに!」
「そ、そんなこと言ったって! イヴが狙われてるって知ったら、じっとなんてしてられるわけないじゃない!!」
その時、とっ、と軽い音とともに、二階から何者かが下りてきた。
随分と背の高い男だ。闇に紛れるためか全身黒尽くめ。顔の下半分を黒い布で隠し、イヴを映す瞳には殺気が漲っている。僅かな布の隙間から見える肌は、小麦色をしていた。
「ーーヤコイラからの刺客か」
確認するようなイヴの問いに応えぬまま、男はすらりと剣を抜いた。
イヴの持つ短剣とは比べものにならないほど長大な、おそらくは彼女が背中に庇った美花ごと切り捨てられそうな代物だ。
それを目にしてようやく、周囲の人々もただならぬ事態であると気付いたらしい。悲鳴が上がり、衛卒を呼べと誰かが叫んだ。
殺傷能力の高そうな武器を前にして、美花の足はブルブルと震え出す。
それでも少しでもイヴをその凶器から離したくて、短剣片手に男を威嚇する彼女の腕を引っ張り無理矢理自分の後ろへと押しやった。
「ミカ、何をする! あなたは逃げてっ!!」
「むりぃ! イヴこそ逃げてええっ!!」
叫んで自分を奮い立たせなければ、恐怖でどうにかなってしまいそうだった。
男の鋭い目がちらりと美花を捉える。彼の掲げる長剣の刃が、まずは邪魔な美花を排除しようと動きかけた、その時だった。
わああっ! と喊声のような声を上げて、カミルが猛然と駆け寄ってきた。
彼は仕事道具が入った木箱を振りかぶって男に投げつけると、美花とイヴに向かって叫んだ。
「お前達! 早く逃げろっ!!」
男は長剣を持っていない方の腕で木箱を叩き落とそうとしたが、その拍子に蓋が開いて中身が飛び出す。
靴磨きや修理に使う道具がバラバラと降り注ぎ、男の視界が一瞬、ほんの一瞬だけ塞がれた。
次の瞬間――
「ーーっ!?」
飴色の瞳に射竦められ、男の身体は指一本動かなくなった。




