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23話



 夕闇迫る城下町の広場は、しんと静まり返っていた。

「これはいったい何ごとだ」

 突然現れたハルヴァリ皇帝は、騒動の中心である噴水の側までつかつかと歩いてくると、そう問うた。

 とはいえ、その視線は最初から、ほんのりと赤くなった美花の左の頬を注視している。

 この場で何が起こったのかは聞くまでもなくリヴィオは知っていて、口に出して問うたのはただの確認だろう。

「へ、陛下……」

 リヴィオに背中を向けられているケイトが、震える声で彼を呼ぶ。

 さすがに自分が置かれた状況を理解して青ざめているだろうかーーそう思って、ひょいとリヴィオの脇から彼女の顔を覗き見た美花は、自身の認識の甘さを思い知ることとなった。

「陛下、やっと……やっとお会いできた……」

 ケイトは青ざめるどころか、頬を薔薇色に染めてうっとりとリヴィオを見つめていたのだ。

 まさに恋する乙女の様相。これまでの経緯がなければ、美花でさえ思わず彼女の恋を応援したくなるような、純粋な慕わしさに溢れた表情をしていた。

 とはいえ現状、ケイトの恋が叶う確立は限りなくゼロに近い。それは、ちらりと彼女を一瞥したリヴィオの眼差しが物語っている。彼の飴色の瞳は帝王のそれに勝るとも劣らぬ剣呑さであった。

「そこの女が仕事終わりの私を捕まえて、酒場に行こうとしつこく誘ってきたんです。私は未成年だから無理だと断ったんですが、一向に聞き入れてくれなくて……」

「ほう」

「偶然居合わせたミカが間に入って庇ってくれたのですが、今度は彼女に絡み始めたんです。陛下を誑し込んだとか、他の男も弄ぶつもりだろうとかひどい言葉で罵った上、ミカの頬をいきなりぶったんです!」

「なるほど」

 イヴは相当頭にきているらしく、いつになく饒舌だった。

 リヴィオはそれに短く相槌を打ちつつ、興奮して息を荒らげる彼女の肩を宥めるようにぽんぽんと叩く。そして、いまだに周りを取り囲む野次馬を見回した。

「ーー間違いないか?」

 リヴィオの登場で静まり返っていた広場に、彼の凛とした声が響く。

 野次馬達は皇帝からの端的な問いに、慌ててうんうんと頷いた。

 すると、今度はカミルがビシッとケイトを指差して声を上げる。

「それだけじゃないです、陛下。その女、ミカを侮辱するような噂を振りまいていたんです」

 とたんに野次馬から、「私も耳にしました」「自分も」と次々に声が上がり始めた。

 さらには誰かの声が暴露する。

「さっきなんて、二階から鉢を引っくり返して、水を降らしていました」

 リヴィオの形良い眉がピクリと跳ね上がる。

 鉢の水の件を知らなかったイヴ、それからアイリーンとミシェルは、信じられないものを見るような目をケイトに向けた。

「ち、違うわ……あれは、わざとなんかじゃ……」

 やっとーーやっとである。

 やっと、ケイトは自分の立場が非常にまずい状況であることに気付いた。

 彼女の横に立っていた連れの女性なんて、気の毒なことにもう長らくバイブレーション機能が作動しっぱなしだ。

 自業自得で孤立無援に陥ったケイトは、縋るような目でリヴィオを見上げる。

 果たして彼女は、今のリヴィオと野次馬のやり取りが公開裁判であったことに気付いているのだろうか。

 判決は満場一致で有罪だった。後は、処分が言い渡されるだけだ。

 残念ながら、被告人に申し開きの機会は与えられない。なぜなら、裁判長役のリヴィオの耳元に、この大陸の最高権力者である帝王が、有無を言わさず断罪せよ、と宣ったからだ。

 リヴィオは冷ややかな目でケイトを一瞥し、温度のない声で告げた。

「ーー今後一切の登城、及び王太子と寮母への接触を禁ずる」

「そ、そんな……っ、陛下……」

 王太子達や寮母に接触できなくなっても、ケイトは別段困らないだろう。けれど一切の登城を禁じられるということは、彼女が夢見ていた皇妃への道が完全に断たれることを意味している。

 真っ青な顔をして追い縋ろうとするケイトを、隣でブルブル震えていた連れの女が慌てて止めた。

 いかなる弁明も聞き入れられないであろうことを、リヴィオの一瞥から読み取ったのだろう。その判断は賢明だった。

 ケイトがその場に崩れ落ちる。だがもう、その場の誰もが彼女への興味などを失ってしまっていた。

 野次馬達の視線の先ではリヴィオが美花に近づき、ほんのりと赤味の残った左頬にそっと手を添えている。

 まるで壊れ物に触れるかのようなその仕草を目にした人々は、皇帝は今代の寮母をとても大事にしているのだと理解しただろう。

「ミカ、大丈夫? 打ち身に効く薬をおばあちゃんにもらって来ようか?」

「わわ、赤くなってる……」

 リヴィオに連れてこられたアイリーンとミシェルも、心配そうに美花に詰め寄った。

 カミルとイヴも、彼女の側から離れない。

 ハルヴァリ皇国にとって寮母が重要なのは今更だが、皇帝に目を掛けられている上に、王太子達に慕われている様子知れ渡ったことによって、余計にそれは犯し難い存在として人々の心に刻まれたに違いない。

 広場は再び静まり返る。この頃には、太陽はほぼ山際に隠れ、あたりは夜の支配が濃くなっていた。

 そんな中、ふっと一つ強い光が灯る。

 はっとした人々の視線が集中した先では、白髪交じりで髭を生やし、油で汚れたエプロンを着けた壮年の男性が、店先に明かりを灯したところだった。

 彼は、イヴが勤めている大衆食堂の店主である。店主は野次馬達には目もくれず、皇帝リヴィオをじろりと睨んで口を開いた。

「店の前で騒ぎを起こされちゃあ、迷惑なんだがな」

 その態度は皇帝相手に不敬どころの話ではないが、リヴィオが気を悪くする様子はない。

 リヴィオは店主に苦笑で答えると、自分が伴ってきたアイリーンとミシェルの肩を叩いて言った。

「それは、すまない店主。すまないついでに六名分、席を用意してくれないか。今日は仕事が速く片付いてな。たまには子供達一緒に外食にしようと出てきたんだ」

 美花が城下町に下りていると聞いたリヴィオは、まずは薬局と紅茶店でアイリーンとミシェルを拾い、イヴやカミルを迎えに行きがてら彼女も回収するつもりだったらしい。

 携帯端末もないのに、行き違いもなくちゃんと出会えるなんてすごいことだ。美花はこっそり感心する。

「……仕方ねぇな。いいぜ、入んな。ーーおい、見習い」

 店主は顎をしゃくってそう言うと、イヴを呼んだ。はいと答えた彼女を一瞥し、にこりともせずに告げる。

「エプロン着けて厨房に戻れ。せっかくの機会だ、一品お前が作って味見してもらえ」

「は、はいっ……!」

 とたんにイヴがぱっと顔を輝かせ、言われた通りに店内へと駆け戻った。

 その後を追うようにして、リヴィオに促された美花達も店の扉を潜る。

 開いた扉を手で押えて一行が中に入るのを待っていた店主と、美花は一瞬目が合った。相変わらず無愛想なその視線を美花の腕の中に落とすと、彼は小さな声で「六名じゃなくて七名じゃねえか」と呟く。それだけで、店主の目にも帝王が見えているのだと確信するには充分だった。

 美花の腕の中には、いまだちょっと不機嫌な顔をした帝王の生首が抱かれていたからである。

 美花達が店内に入ると、店主はようやく店の扉から手を離そうとした。

 ところが、思い出したかのように再び店の外に顔を出すと、いまだ広場の真ん中に崩れ落ちたままのケイトーーではなく、彼女に寄り添う連れの女性に向けて言った。

「お前、明日から来なくていいから」

 女性がひゅっと息を呑む音がする。

 彼女はケイトの従妹で、大衆食堂でホール係として働いていた看板娘だ。

 イヴに美花の悪口を吹き込んだり、ケイトが彼女を待ち伏せする手引きをしたり、と立場を利用していろいろやっていたことが店主には全て見通されていたらしい。

 茫然とする彼女を残し、店の扉は無情にもバタンと閉まった。



 その日の夜のことだ。

 消灯後に私室に呼びつけられた美花は、珍しく札束に塗れていないベッドに腰掛けたリヴィオに迎えられた。

 彼は美花の顔を見るなり、深々とため息をつく。

「まったく、無茶をする……自分のせいでミカを傷付けてしまったと、イヴが気に病んでいたぞ」

「それはちょっと、反省してます」

 ケイトのビンタは大したことはなかったし、頬の赤みだって大衆食堂で夕食をとって皇城に戻る頃にはすっかり引いていた。

 ただ、うっかり歯が当たって頬の内側に傷が出来ていたらしく、それに気付いたのがイヴが初めて作ってくれた白身魚のポワレに搾ったレモンが沁みた時だった。

 表面のカリッとした食感や、噛んだ瞬間に口の中いっぱいに広がる上質の油、ふんわりソフトに仕上がった身から溢れ出す旨味……などなど、伝えるべき感動の言葉はいっぱいあったはずなのに、一口料理を含んでとっさに出た言葉が「いたっ」だったことを、美花は思いっきり後悔している。

 そわそわして反応を窺っていたイヴには可哀想なことをしてしまった。もしや骨でも刺さったのかと涙目になって飛んで来た彼女に、美花が土下座をする勢いで謝ったのは言うまでもない。

 今夜帝王が美花の側にいないのは、傷心のイヴの抱き枕を買って出たためだ。

「陛下、これ、労災下りますかね? 明日あたり、絶対口内炎になると思うんです」

「……〝ろうさい〟が何かは知らんが、金銭のことを言っているのは何となく分るぞ。金を貯めること自体をとやかく言う気はないが、今日のような無茶をするようなら、今後は一人で城下町には行かせられないな」

 いつになく厳しい表情をしてそう言うリヴィオに、美花は肩を竦めて無茶なんかしていないと反論する。

「私個人に対してはともかく、ケイトさんは〝ハルヴァリ皇国の寮母〟という肩書を持つ人間に正当な理由もなく暴力を振るったんです。陛下が彼女を排除する大義名分が立ったでしょう?」

「そのために、わざと自分の頬を差し出したというのか?」

「成り行き上ですよ。ただ今後、私も子供達も陛下もあの人に煩わせられないんだと思えば、一発頬を張らせてやるくらい安いものでした」

「頼むから、自分を大事にしてくれ……」

 苦虫を噛み潰したような顔をして唸るリヴィオに、美花は何をそれほど気に病む必要があるのかと首を傾げる。

 何度も言うが、ケイトのビンタに大した威力は無かったし、美花にとってトラウマになるほどの衝撃ではなかった。

 なにしろ、幼稚園から高校までのエスカレーター式エリート校にて、ヒエラルキー上位に君臨してきた身としては、それなりの修羅場を経験してきたのだ。大人が考えるよりもずっと殺伐としたスクールカーストの中で、母を喜ばせるためというただ一つの目的のために、美花は最終的には生徒会役員の地位まで伸し上がった。

 当時の生徒会長と副会長が乙女ゲームの攻略相手のようなきらきらしいキャラで、親衛隊なんてものまで結成されてしまう人気者であったため、やっかまれて校舎の裏で囲まれたことだってある。

 本当に漫画みたいな展開だなと思いながら、理不尽なばかりの彼女達の言い分を話半分に聞いていれば、自分達の吐いた台詞で勝手に興奮した誰かがいきなり引っ叩いてくるまでがワンセット。

 漫画ともゲームとも違うのは、美花が呼び出される原因となったきらきらしい男子達が颯爽と助けに来てくれるわけではないということだ。その代わり、誰かからの密告によって駆け付けた教師に現場を押えられ、美花を引っ叩いた生徒は職員室へ。最終的には、スクールカーストどころか学校自体からも追い出され、その後彼女達がどのような人生を送ろうが、知ったことではなかった。

 そんなことをつらつらと話してみせた美花を、リヴィオがいきなり抱き締める。

「……陛下、これはセクハラですか?」

「違うぞ。これは性的な接触を目的とした抱擁ではない」

「セクハラは、受けた方がセクハラだって思ったらもうセクハラなんですよ? イケメンだからって何をしても許されると思ったら大間違いですからね?」

「私が違うと言ったら違うんだ。異論は認めん」

 いつにないリヴィオの暴論に目を丸くしつつ、美花は彼の腕の中で大人しくしていた。

 セクハラだなんだと言いつつも、彼女自身、この抱擁にわずかにも嫌悪を覚えなかったからだ。

 夜も深まった時間に、男の部屋で二人っきり。しかもベッドに腰掛けた彼に抱き締められているというのに、色っぽい雰囲気が欠片もないなんて。

 それがなんだか可笑しくて口元を緩めた美花だったが、この時ふと、あることに気付いて「あれ?」と声を上げた。

「……もしかして今日のって、陛下が現場に駆け付けてくれたことになるんですかね?」

「うん?」

 学生時代、美花が女子達に絡まれる原因となった男子達は、誰一人彼女を助けてくれることはなかった。駆け付けたのは当事者ではない大人で、彼らは美花のためではなく体裁を保つためだけに加害者を断罪していたのだ。

 けれども今日、騒動の現場に颯爽と現れ事態を収拾させたのも、美花の頬をぶったケイトを断罪したのもリヴィオだった。

「なるほど……ヒロインってこういう気分なんですね。悪くないです」

「いつだって駆け付けてやる。だから、今後は是非とも相手に引っ叩かれずに私を待っていてほしい」

「善処します……っていうか、そもそも陛下が私が引っ叩かれる前に駆け付けて下さればいいんじゃないですか?」

「……善処する」

 ふふと笑った美花が、今後もまた無茶をする可能性がありそうだと思ったのか、リヴィオは彼女を抱き締めたままやれやれとため息をついた。


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