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22話



「ミカ……」

 イヴがおずおずと服の裾を握ってくる。美花が振り返れば、彼女の小麦色の頬はほんのりと色付いていた。

 一方、ようやく我に返ったらしいケイトの顔は、一気に夕焼け空と同じ色に染まった。

 美花の言葉も存在も、何もかも気に入らないらしい彼女の瞳が憎悪に燃え、呪い殺さんばかりに睨みつけてくる。

「何よ、あなた! こんな時間にここで何をしているのよ! 寮母なら、寮で子供達の帰りを待っている時間でしょう!」

「その子供を誑かそうとしている人がいるから、大人しく待ってなんていられないんですよ」

「ーー分った! あなた、寮母の仕事を放り出してここに男を漁りに来たんだわ! 陛下を誑し込むだけでは飽き足らず、何人のハルヴァリの男達を弄ぶつもりなのっ!? ああ、なんて浅ましいのかしら!!」

「そもそも、その寮母の仕事をするために、私は無事子供達を連れて帰りたいんです」

 キャンキャンと喚くケイトに対し、美花は冷静沈着に言葉を返す。

 いつぞや城門の前で対峙した時と同じく、美花は彼女とキャットファイトをするつもりは毛頭ない。

 ただ前回側に居たのは門番だけだったが、今回は大勢の観客がいる上に、背中にはイヴを庇っているのだ。

 課外活動で城下町に出る際、王太子達は学園の制服からシンプルな衣服に着替えて町に溶け込もうとする。イヴもこの時、カミル同様に質素なシャツとズボンという恰好だった。

 ただしイヴの場合に限り見た目だけでヤコイラ人だと分かってしまうため、彼女がハルヴァリ皇城に留学中の王太子で、それを背に庇う美花が寮母だというのは観客達にも知られているだろう。

 美花はケイトと同じ土俵になど上がってやるつもりはない。

 ただ、彼女を一方的に潰すつもりで勝負に出た。

「語彙力も発想力も貧相過ぎて話になりませんね」

「なっ、なんですって……!」

「私を言い負かしたいならば、もう少し頭を使ってはいかがですか? その頭は飾りですか? そもそもあなた、口を開けば男性の話ばかりなさるんですね?」

「……っ、あんた! 言わせておけばっ!!」

 美花が観客――もとい野次馬達の耳には届かぬほどの声で煽れば、とたんにケイトは頭の天辺から湯気が噴き出しそうなほどに激昂した。

 ケイトが衝動のままに右手を振り上げる。

 ただならぬ気配を察したイヴが前へ出ようとするが、美花はさっと片手を上げてそれを制した。

 代わりに美花は丹田に力を込めて、予想し得る衝撃に備える。

 その瞬間に至るまでも、彼女はただひたすら冷静だった。


 ーーパンッ


「ーーミカッ!」

 ケイトの右手が美花の頬を引っ叩いた。音の割に痛みはさほどでもない。

 悲鳴を上げたのは、美花ではなくイヴだった。

 それと同時に、人垣の向こうからも逼迫した声も聞こえてくる。

「ーーミカっ……おい! くそ、どけっ! 通してくれっ!!」

 仕事を終えたカミルが約束通りに美花を拾いにきてくれたようだ。だが、どうやら野次馬に遮られてこちらまで辿り着けないらしい。

 広場が騒然となっていたのは言うまでもない。

 ヤコイラ王国の王太子を背に庇った美花を、ケイトが一方的に罵った末に暴力を振るったのだ。

 この光景を見てもまだケイトに味方できる者は、よほど盲目的な信奉者か親兄弟くらいだろう。

 それを証拠に、彼女に向けられる野次馬の視線は一気に冷ややかになった。ここに来て、ようやく自分達が犯した過ちに気付いたケイトの連れは、真っ青な顔でおろおろし始めたが時既に遅し。

 いまだ自分の置かれた状況を理解できないケイトの方が、ある意味幸せなのかもしれない。

「あんたのせいよっ! あんたが現れたせいで、私の人生はめちゃくちゃだわ! マリィ様は私を皇城に戻してくださらないままハルヴァリを出て行ってしまわれたし、陛下は会っても下さらないーー全部、あんたのせいよっ!!」

「いやそれ、全然私のせいじゃないですよね? 単にあなたが皇城で嫌われているだけですよね?」

「ふざけないでよっ! 私を嫌う人なんているはずがないじゃないっ!」

「いや、私は思いっきり嫌いですけど」

 ずばり言い切った美花に背中から抱き付き、私も嫌いだ、とイヴが重ねる。

 美花のぶたれた方の頬を後ろから覗き見て、赤くなってると呟いたかと思ったら、射殺さんばかりにケイトを睨み据えた。

「俺も嫌いだな」

 唸るように呟いたのは帝王だ。

 すぐ側にあった彼の顔がちょっとびっくりするくらい物騒になっていたので、美花は静かに視線を逸らした。

 千年ものの幽霊様は迫力がすごい。怒りの矛先を向けられているケイト本人に、この顔が見えないのは幸せなのか不幸なのかーーあいにく美花には判断がつかなかった。

「ーー俺も、あんたのことは大嫌いだ」

 次いで、ケイトの前に立ち塞がってそう告げたのはカミルだ。

 必死に人垣を掻き分け、息急き切らして駆け付けてくれた彼の背中は、美花には随分と頼もしく見えた。

 以前は美花と同じ背の高さだった彼の頭が、いつの間にか少し見上げるくらいの位置にあることにふと気付き、子供の成長の早さを思い知らされる。

「あら、カミル様……まあまあ、困った方だわ。いまだに反抗期が続いていらっしゃるのかしら」

 一方、カミルと対面したケイトは唇の端を歪に引き上げてそう言った。

 確かに、ケイトが寮の仕事を手伝い始めた年の初めにハルヴァリ皇国に留学してきたカミルは、生活環境の変化によるストレスと反抗期を拗らせて、当時は周囲にとって随分扱い辛い子供だった。

 皇帝リヴィオに取り入るにが目的で寮に入り込んでいた、ケイトのような下心がみえみえな相手には特にあたりがきつく、ろくに口をきいたこともなかったのだ。

 それなのに、まるで聞分けのない子供を諭すように馴れ馴れしく話しかけられて、カミルは嫌悪を露にする。

「あんたがミカに関してデタラメを吹聴しているのを、俺たちが知らないとでも思っているのか。今後一切、俺たちにもミカにも関わらないでくれ」

「そう言えと、その女に言われたんです? 何か弱味でも握られて脅されているんでしょう!?」

「そんなわけあるか! 何でもかんでもミカのせいにするなっ!!」

「ああ、いやだ! 王太子殿下にこんなことを言わせるなんてっ! やっぱりあんたみたいな女に寮母を任せてはおけないわっ!!」

 毅然としたカミルの言葉も自分の都合のいいように歪曲し、ケイトはますます美花に憎悪を滾らせる。唯我独尊ここに極まれり。 

 どうあっても揺るがない彼女の自尊心に、美花はいっそ感心すら覚える。

 一方、カミルはこめかみに青筋を立てていた。

 少年らしい潔癖さと幼さ故の癇癖は、まさに瞬間湯沸かし器のごとく、彼の沸点が一気に振り切れてしまう。

「黙れ! これ以上の愚弄は許さないぞっ!!」

 ケイトに負けず劣らず激昂し、彼女に掴み掛かろうとするカミルを、美花は咄嗟に背中に抱き着いて止める。

 そんな美花の背中にはいまだにイヴを引っ付けていたものだから、串に刺さった三食団子のようになってしまった。

「放せよ、ミカ! あんな好き勝手言われて……お前に手を上げられて、大人しく引き下がれるかよっ!!」

「うんうん、分ってるよ。私の分まで怒ってくれてるんだよね。ありがとう。でもーー感情的になってしまったら、相手と同じだよ?」

 野次馬はまだ減らない。

 美花が彼らの前で披露したいのは、あくまでキャットファイトではなく、ケイトの一人芝居からの自爆劇だ。

 そして、クライマックスは突然やってきた。


「ーー何の騒ぎだ」

 

 突如涼やかな声が響いたかと思うと、野次馬で構成された人垣が左右にぱっくりと割れた。

 とたんに、山際に隠れる寸前の太陽の光が美花達がいる広場の中心へと差し込んでくる。

 そんな後光を背負って現れたのは、神々しいまでの美貌を携えた、完全無欠の皇帝陛下。

 アイリーンとミシェルを引き連れたリヴィオは、野次馬がこしらえた花道を堂々と歩いてやってきた。


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