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20話



 バタンと大きな音を立てて、すぐ目の前で扉が閉まる。

 さすがの美花も眉を顰めて呟いた。

「……陛下に言いつけちゃうんだから」


 この日、美花は図書館長にお使いを頼まれて城下町に降りていた。館長馴染みの古物商に、探している古書の目録を届けてほしいと頼まれたのだ。

 子供達を課外活動に送り出した後で手が空いていた美花は二つ返事で引き受けて、いつものワンピースの上に鍵編みレースのボレロを羽織って城門を飛び出した。

 顔馴染みの門番には一人で町に降りて大丈夫かといやに心配されたが、さすがは首長国だけあってハルヴァリ皇国はすこぶる治安がいいと聞く。そもそも、各国の王太子達でさえ護衛もなく闊歩できるのだから、美花が表向き一人で出歩こうとも何の問題もないーーと、思っていた。少し前までは。

 美花は今し方、半ば追い出されるようにして出てきた木の扉を睨む。

 扉の向こうは比較的高級な部類の貴金属店だ。ショーケースには煌びやかな宝飾品が並んでいた。

 店主は恰幅のいい中年の男性で、美花よりいくらか年上の姉妹が主に接客を担当している。

 美花がこの貴金属店を訪れたのは、寮母に就任してからは初めてだったが、マリィが現役の頃には彼女に連れられて何度か足を運んでいた上、商品だって購入したことがあったのだ。

 それなのにこの日、美花が店の扉を開くなり、接客係の姉妹はあからさまに顔を強張らせると、申し訳ありませんが本日はもう閉店でございます、と告げ――冒頭の通り、彼女の目の前で扉を閉めたのだった。

 時刻はちょうど午後六時。

 ハルヴァリ皇国ではまだ太陽は沈まない時間だが、一般的な終業時刻は過ぎているため帰途に就く者も少なくはない。ただ、目の前の貴金属店の閉店時間はまだ二時間も先であることから、美花が入店拒否をされたのは明白だった。

「確かに、今日はちょっと素見してやろうくらいのノリで寄ったけどさ、一見さんでもないのにあんまりだよね。凹む……」

「ミカちゃんや、気にするな。宝飾品がほしいならば、あの店では扱えないような上等なのをリヴィオに用意させよう」

 一緒についてきていた帝王が慰めようとしてくれるが、さしもの美花も項垂れる。というのも、不愉快な思いをさせられたのが今の貴金属店で四軒目だったからだ。

 最初に訪れたのは、お遣いに行った古物商の向かいに立つ靴屋だった。今も履いているお気に入りのパンプスとは別にもう一足欲しいな、とショーウインドーを覗いたとたんにカーテンを閉められたのは絶対に偶然ではない。直前に店主らしき中年の女性とガラス越しに確かに目が合ったのだから。

 その次は、若者で賑わうパーラーだった。店先で販売していた搾り立てフルーツジュースを注文しよう列に並んだのだが、美花の順番が来たとたんに材料が無くなったと言って断られてしまったのだ。売り切れなら仕方がないと割り切れなかったのは、店の奥から山盛りのフルーツが覗いていたからだ。にやにやしながらこちらを眺めていた、店主らしき中年男性の顔は忘れない。

 さらにその次に訪れた文房具店はひどいものだった。

 軸が陶器や宝飾品で飾られた派手なものに紛れ、シンプルな木軸の万年筆を見つけた美花が手に取って感触を確かめようとしたところ、触るな! と一喝されて飛び上がりそうになった。

「おたくさんに売るもんはない。出て行ってくれ」

 店の奥から出てきた初老の男性は怖い顔をしてそう言うと、美花に向かってしっしっと犬を追い払うような仕草をした。

 そうして、最後が今扉を閉められたばかりの貴金属店だ。

「もしかして私、お金持ってないように見られてる? ちょこちょこ陛下から巻き上げてるから、そこそこ懐は温かいんだけどなぁ」

「皇帝から金銭を巻き上げているとだけ聞けば、ミカちゃんはなかなかの悪女だな」

 時折不躾な視線が自分に向けられたり、遠巻きにしてひそひそ話をされているのにも気付き、美花は大きくため息をついた。誰かがよからぬ噂でも流したのだろうか。

 それでもすぐに皇城に逃げ帰らなかったのは、町の人間すべてが美花を邪険にしているわけではないからだ。

 最初の靴屋の二軒隣にあった別の靴屋はゆっくり試着させてくれた上、若い店主がカミルの師匠である靴職人の又甥であることが判明して話が弾んだ。

 パーラーでジュースを飲み損ねた時は、一部始終を目撃していたらしい向かいの雑貨屋の主人が、美花を呼び寄せてわざわざ紅茶をご馳走してくれた。

 三軒目の文房具店に至っては、偶然店内に居合わせた老婦人が見兼ねて店主を窘めてくれたのだ。彼女は常連の上客だったらしく、店主は冷や汗をかきかき弁明に追われていた。

 まさに、捨てる神あれば拾う神あり。

 ただし美花はこの後、早々に皇城に戻らなかったことを少しばかり後悔することになる。

 美花は様々な店舗が建ち並ぶ通りを歩いていた。二階より上は大体住居になっていて、どこのベランダも緑が溢れている。

「おおっと、危ない」

「わわっ……!?」

 突然、美花は帝王に肩を押されよろめいた。すると、彼女が足を踏み出そうとしていたその位置に、上からビシャッと水が落ちてきたではないか。帝王が対処してくれなければ、おそらく美花は頭からそれを被っていたであろう。

 ぽかんとして上を仰ぎ見れば、二階の窓辺に陶器の鉢を引っくり返して持つ若い女性の姿があった。

 彼女の側には緑が植わった同じような鉢が幾つも置かれている。その内の一つに貯まっていた水を彼女がうっかり引っくり返した時、たまたま美花が下を通りかかった……という可能性もゼロではないだろう。

 けれども美花はこの時、二階の女性がわざと自分を狙って鉢を引っくり返したのだと確信した。なぜなら……

「あらあら、ごめんなさぁい」

 全く心の籠っていない声でそう言って、心底意地の悪い笑みを浮かべて見下ろしていたのが、いつぞや城門の側で美花に絡んできた宝石商の娘ケイトだったからだ。

 美花は知らず、ケイトの一族が代々受け継いできた宝石店の前に差しかかっていたらしい。

「ーーあやつ、引き摺り下ろすか?」

 美花の耳元に、帝王が珍しく地を這うような声で囁いた。

 ケイトに帝王が認識できないのは分かっている。触れ合うことのできない彼女をどうやって引きずり下ろすつもりなんだろうと一瞬美花は思ったが、帝王ならばどうにかして実行してしまいそうだとすぐに思い直した。何といっても千年存在し続ける地縛霊。やってやれないことはなさそうだ。

 けれども、美花は首を横に振った。

「あの無礼な女を許すのか、ミカちゃん。一矢報いてやればよかろう」

「別に許すわけじゃないけどね……おじいちゃんがわざわざ手を下すまでもないかなって」

 美花がそう言って周囲を見回すと、それに倣った帝王もすぐに合点が入った様子で「なるほど」と頷いた。

 人々が家路を急ぐ往来に、突然二階から水が降ってきて驚いたのは、何も美花だけではなかった。

 見て見ぬふりをして通り過ぎていく者もいる。美花を見てヒソヒソと言い交わす連中もやっぱりいる。

 だが、往来を利用する大半の善良な人々が、鉢の水を二階からぶちまけておきながらニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべている非常識な女にどのような印象を持ったのかーー言うまでもないだろう。

「今の出来事で一番損したのは、たぶん彼女自身だよ」

「はははっ、ちがいない!」

 ケイトに向けられていた人々の視線は、次いで彼女のいる建物の一階、老舗の宝石店の看板に移る。

 なるほど、あの非常識なのはこの宝石店の娘か、と人々は思ったに違いない。

 ケイトは自分の行動が、自分自身ばかりでなく家業の評判を下げることになるかもしれないなんて、きっと考えてもいなかったのだろう。

 美花はこれ以上関わるまいと、さっさと宝石店の前から離れた。ケイトが二階から何か言っていたような気もするが、彼女の言葉をわざわざ立ち止まって聞いてやる義理は美花には無い。

 この頃になると徐々に空は赤くなり始めていた。

 そんな中、美花は自分の足もとを見下ろして「あーあ」とため息を吐く。

 帝王のおかげで頭から被るのは免れものの、石畳の道路に叩き付けられて跳ねた水が美花のお気に入りのパンプスを汚していたのだ。どうやら土を含んだ水だったらしい。

 とたんにテンションはだだ下がり。やっぱりお遣いが済んだらさっさと皇城に戻るべきだったと後悔し始める。

 ところがその時、前方にある人物を見つけ、美花はぱっと顔を輝かせた。

「カミルー!!」

「ーーは? ミカ!? 帝王様もっ!?」

 通りの端に椅子を置き、その前に据えた木箱に腰を下ろしていたのはカミルだった。

 美花は喜色を浮かべてカミルに駆け寄り勢い良く椅子に腰を下ろすと、目を丸くしている彼に向かって請うた。

「お代は弾むから、ピッカピカにして下さいな!」

「うわっ、お前これ……雨の後でもないのに、どこで泥水被ってきたんだよ!」

 美花の汚れたパンプスを見たとたん、カミルは盛大に顔を顰めたが、すぐさま柔らかな布を取り出し表面を拭ってくれた。

 その丁寧な所作が、ここに来るまで散々な目に合って少々ささくれ立っていた美花の心まで癒してくれるよう。

 思わず目の前の赤い頭をよしよしと撫でれば、両手が塞がっているカミルはブンブンと首を横に振り、子供扱いするな、と拗ねたような声で言った。

 

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