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13話




 寮の消灯時刻は午後十時である。

 シェフや侍女達といった通いの者達はすでに帰宅している時間なので、消灯作業は基本的に住み込みの寮母である美花の仕事だった。

 子供達がそれぞれの部屋にいること、それから火元や戸締まりを確認してから廊下の電灯を暗くする。夕食後に再び宮殿の執務室に行っていた皇帝リヴィオも、さすがにこの時間になれば三階の私室に戻っている。

 消灯作業を終えた美花は、いつもならば就寝の挨拶だけしにリヴィオの私室の扉をノックするのだが、この夜は少し違っていた。

「陛下、すみません――ちょっと裏の丘まで顔貸してください」

「こんな時間に人気のない場所に呼び出しを食らう理由に心当たりはないんだがな」

 

 ハルヴァリ皇国は常春の国である。一年中穏やかな気候が続き、暑くもなく寒くもなく快適な毎日を過ごすことができる。

 しかしながら、日が落ちれば屋外はいくらかひんやりとして、半袖だと少しばかり肌寒く感じられる。

 そのため、美花はいつものワンピースの上に一枚カーディガンを羽織り、芝生に敷いたキルトの上にゴロンと仰向けに寝転んだ。

 そうすると、視界いっぱいに満天の星空が広がる。

 雲もなく、月もない。この夜、地上に届く星々の瞬きを邪魔するものは何もない。圧巻だった。

「琴座のベガ、鷲座のアルタイル、白鳥座のデネブ……思いっきり夏の大三角形だわ。じゃあ、それが跨いでいる白っぽいのは天の川かぁ……」

 昼間の太陽の動きが、美花の元の世界とこちらの世界で違いがないように、こうして見上げた星空も、田舎の祖父母宅で最後に見上げたもの、そして少しだけ齧った天文学で得た知識と相違なかった。

 空の色は黒というより濃い群青。その上に散りばめられた無数の星屑を見つめていると、何だか空に吸い込まれてしまいそうな気分になる。

 そんな時、頭の天辺同士をくっ付けるような形で、美花の頭上に誰かが寝転ぶ気配がした。次いで、左右の両脇にもそれぞれ誰かが身体を横たえる。

 美花を挟むようにして、彼女が敷いた大判のキルトの上に寝転んだのはアイリーンとイヴだった。

 そして、美花の旋毛に赤い頭をグイグイ押し付けてくるのはカミル。彼は、一人だけ寝転ぶタイミングを逃がしておろおろしていたミシェルを自分の隣に寝転がらせると、すっと腕を伸ばして星空を指差した。

「北に見える、あのいつも動かない星は何だ?」

「あれはポラリス。こぐま座のしっぽの先にある二等星。現在の北極星だね」

「じゃあ、南にある赤い星は?」

「一等星アンタレス。女神の命で傲慢な英雄を自慢の毒針で葬り、星座になってもなお英雄を追い掛けているサソリの心臓だよ」

 夜空に広がる星々の分だけ、無数の逸話や寓話が存在する。

 美花が知っているのは一般教養程度だが、カミルを含めてた四つの頭がもっと聞かせろとにじり寄ってきた。

 消灯時刻の午後十時をとっくに回ったというのに、寮には現在誰もいない。

 始まりは、夕食後にふと覗いた窓の向こうに広がる星空が、あまりにも美しいのに美花が気付いたことだった。

 夕刻にざあっと雨が降り、大気に含まれる塵や埃が洗い流された夜は星が綺麗に見えるのだ。奇しくも今宵は新月。さらに、明日は休日なのでちょっとくらいの夜更かしは許されるだろう。

 思い立ったが吉日とばかりに、美花は子供達の私室を回り、星を見に行かないかと誘った。

 日没間際に雨が降り、課外活動中の子供達を城下町まで迎えに行ったのをきっかけに、少しだけ互いの心の距離が近づいたように感じていたのは美花だけではなかったようだ。全員から「行く」との答えを受け取った美花は、その足で三階にあるリヴィオの私室に向かい扉を叩いたのである。

 というのも、ハルヴァリ皇国に留学中の王太子達は、消灯時刻以降の外出は原則として禁止されている。

 寮内の移動は可能だが、互いの部屋を行き来したり、人の部屋に泊まることは許されない。

 詳しいことまでは美花も聞かされていないが、過去に王太子達の間で間違いが起こったことがあったらしく、以降風紀が徹底されているのだ。

 そんな中で唯一、消灯時刻以降の外出や王太子同士の接触が許されるのが、ハルヴァリ皇帝の監視下にある場合だった。

 そういうわけで、この星座観望会に半ば強制参加させられたリヴィオはというと、キルトの敷物に腰を下ろしてワインをちびちびやっている。

 愛する札束塗れの時間を割かせてしまう償いとして、美花は彼のために簡単なおつまみを用意した。

 と言ってもただの卵焼きである。砂糖と醤油は……ないので塩で味を付けただけのシンプルな卵焼きだが、これをリヴィオがいたく気に入った。

 ワインに卵焼きが合うのか――ぎりぎり未成年で飲酒の経験がない美花には実際のところは分からない。

「――あっ、流れ星!」

 と、カミルに強制的に寝転がらされて、少々居心地が悪そうにしていたミシェルが突然空を指差して叫んだ。

 だが、本人が思った以上に大きな声が出たのだろう。ミシェルが伸ばした腕を恥ずかしそうに下ろす気配を感じつつ、美花は記憶の中から情報を掘り出す。

「これが私の世界における夏の星空だとすると……流れ星はペルセウス座流星群かな」

「流星群ってなあに?」

「えっとね、私達が今いる惑星とは普段異なる軌道で公転している彗星があるんだけど、一年のうちのある時期だけ軌道が交わるのね。で、その時、彗星がまき散らしている塵が〝流星群〟として見えるの」

「流れ星って、塵なの……」

 美花にぴったりと頭をくっ付けて問うたのはアイリーン、流れ星の正体に若干ショックを受けたらしいのがイヴだった。

 その間にも、空には幾つも星が流れていく。光の尾が長いもの、短いもの。一瞬で儚く燃え尽きるものもあれば、ゴオッと音が聞こえてきそうなほどくっきりとした光を引っ張って満天を横切るものもあった。

「昔は、不吉なものとされていたんだぞ。星が流れると人が死ぬって言われてな。実際、俺は流れ星を見た直後に死んだ」

「――えっ!? ちょっと……いきなりヘビーな話ぶっこんでこないでよ、おじいちゃん!」

 世間話をするような軽い調子で不穏な言葉を口にしたのは、帝王だ。

 ちなみに彼の生首は、美花がキルトに寝転んでからずっとその腹の上に乗っかっている。ぎょっとした一同の視線を集めつつ、帝王はわっはっはっと笑って続けた。

「まあ、流れ星に見蕩れて階段を踏み外したせいなんだがな。いやあ、うっかりうっかり」

「それって、別に流れ星のせいじゃないじゃん!」

 偉大なる帝王の死の真相に突っ込みを入れたのは美花だけで、四人の子供達は言葉を失ってしまっている。

 リヴィオまで飴色の瞳をまん丸にしているところを見れば、帝王のうっかりな死因は有名な話ではないようだ。

「死ぬ時は簡単に死ぬんだ。どんな人間でもな。大事なのはどう死ぬかじゃない。どう、生きるかだよ」

 帝王様の有り難い格言に子供達は神妙な顔で頷く。

 その後の切り替えが一番早かったのはアイリーンだ。帝王のうっかりな死因にちなんで、人生で一番の失敗談を語り合おうと言い出した。彼女は時々わざと空気を読めない振りをして、その場の雰囲気を変えてくれる。

「五歳の時に初めて恋をしたの。相手は王宮に仕える庭師の息子で、アメジストみたいな瞳のとっても綺麗な男の子だったわ。彼も私のことを好きだと言ってくれたのが嬉しくて、この人が将来私の夫になるのよって王宮中を触れて回ったの。そうしたら――翌日から庭師は別の者に変わっていて、彼とは二度と会うことはなかったわ」

 そう言って、アンニュイな表情をしてため息をつくアイリーンに、他の三人の王太子が「なるほど、察した」といった様子で大きく頷いた。

 王族の権力争いに巻き込まれた哀れな平民が、理不尽な理由で闇に葬られるなんて日常茶飯事、〝王宮あるある〟らしい。アイリーンの初恋の相手は、生きているのかいないのかも分からないという。

「ある朝、ヤコイラ王家に受け継がれてきた占術用の水晶に、背中から血を流して倒れている長兄の姿が映ったのを見たんだ。けれど占術師は何も言わないし、私もきっと気のせいだと思ってそのまま放置した。そしたら――その日の夜、長兄が女に背中を刺されて重傷を負った。あの時、どさくさに紛れてとどめを刺しておくんだった」

 続いて失敗談――というには鳥肌が立ちそうな話を淡々と語ったのはイヴである。アイリーンが満面の笑みで「せっかくのチャンスだったのにねぇ」と相槌を打つのが空恐ろしい。

 不穏な女子二人のエピソード。それに比べれば、男子二人の失敗談はまだどこか微笑ましいものだった。

「十歳の時、単身こっそり町に降りたんだが、うっかりしていて閉門の時間までに城に帰れなくなってしまった。仕方なく一晩町で過ごし、翌朝開門に合わせて城に戻ったら、俺が行方不明だといって王宮中大騒ぎになっていた」

「僕には姉が三人いて、昔からよく女性の服を着せられたんです。ある日、隣国の王太子殿下と姉達がお見合いすることになって、面白がった彼女達が僕にまでドレスを着せて引っ張り出したんだけど、その……姉達を差し置いて、僕が王太子殿下に求婚されてしまって……」

 フランセン王国とインドリア王国。どちらの王宮もその時は蜂の巣を突ついたような騒ぎであったろうに。カミルもミシェルも、当時を思い出したのか苦笑いを浮かべている。

 空にはまた一筋、星が流れた。

「――リヴィオ、お前の番だぞ」

 傍観者に徹して優雅にグラスを傾けていたリヴィオに、話を振ったのは帝王だった。

 とたん、子供達は「えっ?」と顔を見合わせる。

 皇帝陛下に失敗談なんてあるわけない――そう、彼らの顔にはまざまざと書かれていた。

 美花はふと不思議に思う。

 千年前に大陸を統べた偉人で、今もなお全ての国々の上に君臨する支配者であり、現状幽霊。偶像化される要素なら帝王の方がずっと多いはずなのに、王太子達は皇帝リヴィオの方により夢を見ている。

 リヴィオの類稀なる美貌と、彼自身が完全無欠な皇帝陛下の仮面を被り続けているのが所以だろうか。

 そう思い至ったからこそ、この後リヴィオが子供達の予想を裏切るように口を開いたのが、美花には少し意外だった。

「成人して、初めて酒を口にした時のことだ。どれが自分の口に合うかが分からずに、ありとあらゆる種類の酒を片っ端から飲んでみたのだが……」

 そこで一端言葉を切ったリヴィオが、頭を突き合わせて寝転がった美花達に顔を向ける。

 ちなみにこの大陸の成人は十八歳からで、飲酒が許されるのもこの年齢からだ。

 子供達が固唾を呑んで耳を傾ける中、リヴィオはふっと力の抜けた笑みを浮かべて続けた。

「――今になってもまだ、どの酒もさほど旨いと感じたことがない」

「陛下……それってもしかして、そもそもアルコールが口に合わないんじゃないですか?」

「そうかもしれん。ただ惰性的に飲み続けたがために、就寝前に酒を飲まねば物足りなく感じるようになってしまった。――私の犯した失敗は、もっと早い時点で己の嗜好を受け入れなかったことだ」

「それはそれは……」

 大陸唯一の皇帝として、立場上酒くらい嗜めるようにならなければいけなかったのだろう。

 自身の嗜好に合わないものを義務的に摂取し続けた末にそれが習慣化してしまったなんて、失敗談などと言って笑い飛ばすには、美花は少々気の毒に思えた。

 子供達も同じように感じたようだ。リヴィオの告白に失望するどころか、数年後酒を飲めるようになった自分への戒めとして心に刻んだ模様である。

 流星群はいよいよ極大に達し、目で追うのが間に合わなくなるほどあちらこちらで星が降った。

 そんな中、一際長くくっきりとした光の尾を引いてた輝きが、寝転んだ美花の足もとから頭上へと流れる。

 それ追ったために、彼女は大きく仰け反るような体勢になり――その結果、自分をじっと見下ろす瞳とかち合って面食らった。カミルである。

「……お前は?」

「えっ……」

「人生で一番の失敗談。告白していないのは、もうお前だけだぞ」

「ああ、そっか……そうね……」

 図らずも取りを務める羽目になってしまったことに、別段美花はプレッシャーを感じたわけではない。

 場を和ませられるような笑える失敗談だって話せたし、最悪それが作り話であってもばれはしまい。

 上手にお茶を濁すことはできたはずだ。

 馬鹿正直に打ち明ける必要だってきっとなかった。

 けれどもこの時、美花は真実、自身の人生で一番の失敗談を晒した。


「私――大学受験に失敗して、母に見捨てられたんだ」 


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