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10話



 学園の終業時間は午後二時五十分である。

 学園から寮に戻った子供達は制服から私服に着替えると、お茶を一杯飲むだけの短い休憩をとってから全員揃って町に降りる。

 といっても遊びに繰り出すわけではなく、課外活動を行うためだ。

 ハルヴァリ皇国唯一の直轄地である城下町には様々な職業に従事している者がいて、子供達は自分の興味のある職場で実際に働き給金を得る。留学中の衣食住は保証されているものの、祖国を出る際に自由にできるお金を持たされない王太子達にとって、こうして自ら稼いだ金が小遣いとなるのだ。

 職場では、王太子だからいって特別待遇は受けないので、職業体験というよりはアルバイトといったほうがしっくりくるだろう。

 祖国では絶対にできないであろう得難い体験を、彼らは帝王のお膝元で味わうのだ。

「――気を付けて、いってらっしゃい」

 この日も、慌ただしく外へ飛び出していく子供達を、美花は城門の前で見送った。

 皇城は緩やかな丘の上にあり、豊かな森に囲まれているが、城門から真っ直ぐに町まで伸びる道には石畳が敷かれている。

 その石畳を何となくまとまって下りて行く四人の背中を見守りながら、美花は彼らの行き先へと視線を向けた。

「ほんと、小さな町……」

 いつ見ても、美花が城下町に対して真っ先に抱く印象はこれだ。

 ハルヴァリ皇国の城下町――つまるところは皇国そのものが、国と呼ぶには烏滸がましいほど小さいのは周知の事実。日本も大概小さな国だが、ハルヴァリ皇国と比べれば各都道府県さえ広さでは勝るだろう。

 何たって、城門に立った美花からでも、目を凝らせばうっすら見えるほどの距離には石でできた壁がある。丘の上の皇城を中心として、城下町をぐるりと囲ったこれがすなわち国境だった。

「でも、綺麗……ヨーロッパに旅行に来たみたいな気分になる」

 古き良きヨーロッパを思わせる街並に、まるで絵葉書を見ているかのように錯覚させられる。

 風景の中で一際特徴的なのは、空に向かって一本突き出た巨大な時計塔だ。

 その天辺に吊るされたビッグベンを彷彿とさせる鐘の音はハルヴァリ皇国中に鳴り響き、人々に正確な時間を知らせてくれる。

 その他の建物はというと、様式に一貫性がある。オレンジ色の切妻屋根が、碁盤割りするように通された道に沿って整然と立ち並んでいるのだ。所々に緑が茂り、開けた場所には畑らしきものも見える。

 町の中での移動手段は、徒歩か馬車だ。

 馬車と聞くと、美花はなんともノスタルジックな印象を覚えるが、壁の外――つまりはハルヴァリ皇国以外の国では、車も鉄道も走っているというではないか。動力は、蒸気と化石燃料が半々らしいが。

 ちなみにこの世界では電気も発明されていて、ハルヴァリ皇国で利用されているのは、十六の国々で発電し上納された電気だという。

「街並だけ見ていると中世っぽいけど、実際は近代レベルの文明があるみたい。皇国内で車や鉄道を使わせないのは、古い街並や石畳を保護するためかな」

 整然とした城下町の情景は美しく、ハルヴァリ皇国は豊かな国に見える。

 けれども、立ち並んだ屋根の数に対して少な過ぎる農地の面積、国内への立入りを厳しく制限する城壁、そして護衛もなしに市井に紛れて行く他国の王太子達など、美花はこの国の有様がどこか歪であるように感じていた。

「食糧自給率はおそらく日本以上に低いし、狭小な国内だけで経済を回すのはあまりにも無理がある。それなのに積極的な産業活動でもって外貨を獲得しようとする気配もなく……そもそも国家収益のほとんどが各国からの上納金だなんて、あまりにも受身すぎない?」

 難しい顔をして腕を組み、城下町を見下ろしている美花に、傍らに立つ門番が声を掛けようか掛けまいかとおろおろしている。課外活動に向かった子供達の背中は、すでに石畳の街道にはなかった。

 やがて、カーンと一つ高い鐘の音が鳴り響いた。

 これは、時計の長い針が真下を指したのを知らせている。

 午後三時の鐘が鳴った直後に子供達が門を潜っていったことから考えると、今は午後三時三十分。

 美花は三十分近く門の前に立っていたらしい。そりゃあ、門番もおろおろするはずだ。

 気まずくなった美花は門番に愛想笑いを送ってから、ようやく寮に戻ろうとした――その時だった。

「――あら、異端の寮母様じゃありませんか。こんな所で油を売ってていいんですの?」

 背後から上がった聞き覚えのある女性の声に、美花はたちまち愛想笑いを引っ込めた。

 ゆっくりと振り返れば、そこに立っていたのは予想通りの相手。

 美花が異世界から来たという事実は別段隠されることもなく、だからといって大々的に吹聴されているわけでもない。知っている者は知っているし、知らない者は知らない。それくらいの扱いだ。

 事実を知る者も、異世界で生まれ育った人間だからと美花を迫害することも忌避することもなく、同じ時を生きる一人の人間として美花を尊重してくれる。死してなおこの世界の支配者と崇められる帝王が彼女の後見している――そう、ハルヴァリ皇帝リヴィオが公言したことも、美花にとっては大きな加護だ。

 それでも、万人と分かり合うなんていうのは土台無理な話。どうあっても、美花のことが気に入らない人間だっていて当然なのだ。

 今まさに、美花に声をかけてきた女性もそんな一人。〝異邦〟でも〝異世界〟でもなく、わざわざ〝異端〟という言葉を選んで美花を形容したところに、分かりやすく悪意が表れていた。

「あら、ケイトさん、ごきげんよう」

 だから美花は、相手の目を真っ直ぐに見つめてそう告げる。にっこりと、門番に向けた愛想笑いとは違う、満面の笑みを浮かべて。

 とたんに、美花がケイトと呼んだ女性がギリリと歯を食いしばる気配がした。自分の皮肉に、美花がちっとも堪える様子がなくて口惜しいのだろう。

「……忌々しい泥棒猫め。あんたみたいな得体の知れない女が、皇城でのさばっていていいはずがないわ」

 ケイトの悪意は真っ直ぐで非常に分かりやすい。彼女は美花の全てが気に入らず、憎たらしく、排除したくて仕方がないのだ。

 それもそのはず。美花がこの世界にやってきた当時、前任寮母マリィの仕事を手伝っていたのはこのケイトだったのだ。そして、マリィが美花を寮母見習いとして使い始めたことで、ケイトはお役ご免となった。

 ケイトからすれば、美花に仕事を盗られたと思うのも致し方ないことだろう。

「いったいどんな手を使ってマリィ様に取り入ったのか知らないけれど、あんたに王太子達のお世話なんて務まるはずがないんだから。きっと今いる王太子達が国に帰ったら、不相応な寮母を宛てがわれたと父王に言いつけるはずよ。そうなったら、ハルヴァリ皇国の評判もがた落ちだわ。あんた、どう責任とるつもり?」

 ケイトはなかなか見目の美しい娘である。歳は二十歳で美花ともそう変わらない。

 そもそも彼女は城下町で宝石商を営む家の一人娘で、リヴィオの生母の遠縁に当たる。その縁もあって寮の仕事を手伝うことになったらしいのだが、マリィはあくまで侍女の一人としてケイトを使っていたのに、本人は花嫁修業のつもりだったという見事な勘違いっぷり。しかも、彼女がロックオンしていた相手というのが皇帝リヴィオその人だったというから、まったく恐れ入る。

 寮母を足がかりに皇妃にまで上り詰めてやろうと目論んでいたのが、思いがけない美花の登場によって野望が潰えたのだ。そりゃあ、美花が憎らしくってたまらないのも頷ける。

 せっかく立てた将来設計台無しにしてごめんね。でもそれ、結構ガバガバだと思うよ? ――なんて言ったら絶対火に油を注ぐことになるんだろうからぐっと堪えつつ、美花は笑顔を崩さぬまま告げた。

「ご心配には及びませんよ。マリィ様には到底及びませんけれど、今のところ順調に務めさせていただいております。王太子殿下方には満足して祖国にお帰りいただけるよう、今後も日々精進して参ります」

「順調だなんて何を根拠に! この世界の文字もろくに読み書きできないくせに、思い上がるんじゃないわよっ!」

「ご安心ください。寮母に就任するまで半年ございましたので、読み書きは一通り習得しました。業務には支障はないと陛下のお墨付きもいただいています」

「……っ、何てこと!? 陛下まで誑し込むなんてっ!!」

 言葉を交わす度に、ケイトの声は大きく乱暴になっていく。

 一方、美花は努めて、穏やかで丁寧な言葉遣いを心掛けた。何故なら、すぐ側に第三者の目があることを知っていたからだ。

「ちょっと、君。いい加減にしなさい。無礼が過ぎるよ」

 そう言って、意を決したような顔をして美花とケイトの間に割り込んできたのは、さっきからずっとおろおろしていた門番だった。

 もちろん、彼が注意したのはケイトの方。二人の声が耳に届いていた彼は、ケイトが一方的に難癖を付けて美花に絡んでいたように感じたのだ。

 実際そうなのだが、もしも美花が売り言葉に買い言葉で同じ調子で言い返してしまっていれば、第三者の目にはただのキャットファイトに映ってしまうだろう。

 それでは困る。ちゃんと、ケイト一人に悪者になってもらわなければ。

 門番に窘められて、ケイトは怒りと羞恥で顔を真っ赤に染め上げた。門番の広い背中に庇われた美花は、ざまあと口にしたくなるのを下唇を噛んで必死に堪える。

 そんな表情をどういう風に捉えたのかは知らないが、ケイトは燃えるような目で美花を睨みつけると……

「このままで済むと思わないでちょうだい!」

 そう悪役さながらの捨て台詞を残し、肩を怒らせて城下町へと降りて行った。

「うひゃあ……怖いね、あの子! ミカさん大丈夫かい? 災難だったね」

「私は平気ですよ、門番さん。庇っていただきありがとうございました」

 いちいち反応の可愛い門番だが、番人を任されるだけあって筋骨隆々としている。ケイトの背中をビクビクしながら見送っている彼に猫を被ったまま丁寧に礼を言うと、美花は今度こそ城下町に背を向けた。

 寮に戻る道を辿りつつ、ふと呟く。

「……そもそもケイトさん、お城に何しに来てたのかな?」

「宝石商の父親にくっついてリヴィオを訪ねてきたんだ。事前約束もなしに来たものだから、会えなかったようだがな。父親は早々に諦めて帰ったが、娘は往生際悪く城内をうろうろしていたのだろう」

「えっ、なんでアポなしで来ちゃうかな、大人なのに。もしかして、陛下が暇してると思われてるんじゃない?」

「皇帝の母親の遠縁である自分達は優遇されてしかるべき――とでも思っているのだろうな。まったく、思い上がっているのはどっちだ」

 美花の呟きに答えをくれたのは帝王だった。いつも飄々としている彼には珍しく、言葉には苛立ちが混じっている。

 ケイトにも門番にも見えてはいなかっただろうが、帝王は城下町に向かう子供達を見送っている時から、ずっと美花の側に居たのである。

 そうとも知らず、ケイトはひたすら毒を吐き付けてきた。

 城下町へと戻っていくその背中を、帝王がどれほど冷たく鋭い瞳で見つめていたことか……。

「……知らないって、幸せなことね」

「んー、何だい? ミカちゃん、何か言ったかい?」

「何でもなーい。っていうか、うわーん、おじいちゃーん。意地悪されちゃったよー」

「おお、よしよし可哀想になぁ。ミカちゃんを苛める輩には、そのうち灸を据えてやらんといかんな」

 この大陸の支配者は今もなお帝王だ。その帝王に睨まれた人間が幸せになれる場所が、果たしてこの大陸の上にあるのだろうか。

「ないわ」

 美花は小さく首を横に振った。

 

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