8 恋の矢印
「さあて、何がどうしてそんな面倒くさいことになってんのかねえ」
モチオ――というセンスの欠片もない名前を付けられたネズミが尊のベッドを陣取っている。
尊は一階に降りると、空き箱を探してきて、その中にタオルを詰める。そして「今日はとりあえずここで寝てくれ」と差し出した。
モチオは気に入らなかったのか顔をしかめる。
「やっぱ咲耶のとこ戻ろうかな。で、一緒の布団で寝かせてもらう。羨ましい?」
「羨ましくない」
「おまえどーてーだろ? 無理すんなって」
「それ以上言うと、握りつぶすぞ」
「じょーだん通じないのかよ!」
モチオはゲラゲラ笑う。
このゲスさと性格の悪さは何なんだろうと思う。
先程神の使いみたいな話を聞いたけれど、とてもじゃないが信じられない。万が一尊が神様だとして、こんな使い、さっさと破門にしている。
しゃべるネズミという奇跡に近い現象を考えると、信じなければならないのだろうけれど、神ではなく、悪魔とかそういったたぐいの者に仕えていると言われたほうがまだ納得できる気がした。
「こんなわかりやすい案件なのに……けどあっちが見えないとどうにもならないし……関係ないやつのなら簡単に縁結びできんのにさあ」
「さっきからブツブツ何を」
「んー? 咲耶の彼氏を誰にしようかなって話」
ニタリと笑われて尊はムッとする。
「それ、マジな話?」
「オレサマ、オオクニヌシ様の神使だから~。矢印が見えんだよ」
「矢印?」
「誰が誰を好きかっていう矢印」
「なんだそれ」
「紙と鉛筆」と催促するモチオを、尊は面倒なので机にそのまま載せる。
鉛筆を抱えたモチオはコピー用紙に矢印の記号を描いた。人形もたくさん描き、その間に矢印を次々に書いていく。人形には名前が振られ、尊は目を瞠る。
咲耶と名前が付けられた人形に向けて矢印が延びている。
尊に向かって延びる矢印もあり、その出発点に書かれた名前を見て眉を寄せた。
「想いが強くなってくると、この矢印が濃く見える」
尊から延びた矢印をモチオはなぞった。
「…………」
黙り込む尊にモチオは歯を見せ、にたりと笑う。そして言った。
「おれを大切に扱うか? そしたらこじれまくった関係を戻すのに協力してやってもいい」
もしやこれは取引だろうかと尊は思う。だが、この態度の大きなネズミを大切に扱うのはなかなかに骨な気がした。尊はそんなに心が広くないし、まずこのネズミの言い分が完全には信じられない。
少し考えて譲歩することにする。指でとある人形と人形の間をなぞる。
「ここの矢印を教えてくれたら、条件を呑んでもいい」
するとモチオはドヤ顔を一転してひきつらせる。
「…………さっき言ったろ。見えてても言えない。けど、そこ以外は見えるし言える!」
「つまり半人前ってことか」
尊はため息を吐く。これでは信じようにも信じられない。というより、肝心なところが見えないのに、どう協力してくれるというのだ。
「半人前!? ちがう! どいつもこいつもオレサマの扱い間違ってんな!」
「だって、おまえのことよく知らないし。しゃべる以外は、ただの――っていうか、むしろ態度の悪いネズミだし。簡単に尊敬はできないだろ。その、ええとなんだっけ? おまえの主」
「オオクニヌシ様だ!」
「んー、その、オオクニヌシ様は偉いかもしれないけど、それはおまえと関係ない。親がすごいからって子がすごいとは限らない。それと同じ」
そう言うとモチオはトースターで焼いた餅のように膨れた。
「あーあー、みんなして同じことを何度もうるさいな! おまえの言い分は分かった、分かったよ! だけどあとで後悔しても知らないからな!」
「後悔?」
後悔などすでにもう、嫌というほどしている。これ以上悪くはならないだろうというところまで。
モチオはふてくされて、さらに頬をふくらませる。
そうしていると本当に餅のようで、センスはおいておいてもなかなかな名付けだと思う。
(……ま、感謝はしてるけど)
この気まずい状況をとりあえず打破できたことは大きい。モチオがいなければ、あんな風に話すきっかけさえも得られなかっただろうから。
縺れた糸の端をようやく掴んだような気分だった。
尊は小さく笑うと、今日だけだぞ、と枕の隅を指差す。モチオは膨れたままだが枕の上に飛び乗ると丸くなって目をとじた。