4 白いストーカー
そんな風に友人と過ごす内に、咲耶の中で日常が徐々に戻ってきていた。
朝のことは夢だったのではないかと思えるくらいだった。
だが、昼休みが終わりに近づいたとき、それは起こった。
「すまん、釜谷! 現国の教科書貸してくれ!」
隣のクラスの男子が教室に飛び込んできた。田所とか言っただろうか。忘れ物の異常に多い男子だが、よく希にものを借りに来るのだ。
中学が同じだったらしいが、希はいつも迷惑そうに文句を言っている。だというのに田所にはいっこうに反省が見られないので、咲耶はひっそりと呆れている。
野球部所属らしく坊主頭が眩しい。だが、それが似合うくらいには顔立ちがすっきりしている。好青年、という表現が似合うだけに、この忘れ物の多さはいただけない。
「いやだよ。あんたこの間、日本史の信長に落書きしたでしょ! しかもボールペンで! 弁償しろ!」
「なかなかうまく描けてただろ?」
「小学生かっつうの! あっこら、勝手に持ってくな!」
「こんど飴あげるから」
「だから飴一個が礼になると思うなって! ドーナツくらいおごりなよ!」
「じゃあ今度ミスドおごってやるよ」
田所は文句をサラリと流して去っていく。希が「あいつ、うざい」とため息をつき、隣にいた裕子が「仲がいいねえ」とからかう。
「腐れ縁だよ、まじで迷惑。っていうか取りに行かないと返さないとか最悪だよ」
希は豪快に文句を言っている。
何気なく会話を聞いていると、
「希はあの男に気があるな」
とどこからか声がした。
「はあ?」
とたん、二人が咲耶の方を振り向いて、咲耶はびっくりした。
「今の、私じゃないよ!」
「でも、咲耶の声だったよね?」
裕子が訝しげに咲耶を見る。
「いやいや、違うって――大体、私があんなこと言うわけないし」
一体どういうことだろう? 咲耶も自分の声だったような気がしたのだ。だが、希はあれだけ迷惑そうにしているし、思いもしなかったことだった。思っていないことを言えるわけがない。
ふ、と朝の出来事が頭をよぎる。だが、まさかね、と否定する。そうしながらも、恐る恐る周囲を見回すが、それらしい物体は見当たらない。ついでに、咲耶の後ろには人はだれも居なかった。いや、居たとしても、今の現象が説明できるわけでもないけれど。
「まあねえ、咲耶、昔から恋バナ、興味ないもんね……」
裕子がじろじろと咲耶を見て失礼なことを言う。
「だけど、じゃあ今のなんだろ? 空耳?」
裕子が窓の方を調べに行った。ここ、三階だし外にいるわけないよねえ、と思いながらちらりと隣を見て咲耶は目を見開いた。
希が、真っ赤になってうつむいていたのだ。
*
裕子は希の様子には気が付かなかった。なんだか触れてはいけない感じだったので、咲耶は見て見ぬふりをしてやり過ごした。
そんなこんなで放課後になる。咲耶は剣道場に赴くと、剣道着に着替える。道着を袋から出そうとしてはたと手を止めた。
袋の中で何かが動いたような気がしたのだ。
じっと観察すると、拳くらいのサイズの丸いものがもぞもぞと動いている。その形に心当たりがありすぎて、心臓がばくばくと音を立てる。
そっと開くと予想通り白くて丸いものがいた。
「うわああああっ――なん、なんで!」
咲耶が叫ぶと、その白い餅は顔を上げて喋った。
「置いていくとかひどくねえ? 匂い辿って来たけど、めっちゃ疲れた」
「うわああ、ストーカー! 匂いって、超キモい!」
「なんだと!」
「お帰りくださいって言ったでしょ! 恋愛とか興味ないし。手伝いとか要らないから!」
「んなわけないだろーが。性欲は人間の本能なんだからさあ」
「そんな生々しい話しなくていいから! 人間って一括りにしないで!」
このゲスな餅を外に投げ捨てたい。神使とか絶対嘘だ。
「なーなー、咲耶、意地はらずに彼氏作ろーぜー」
「話を聞け!」
「そっちこそ聞け!」
にらみ合いになる。と、その時更衣室の外から鬼の先輩、香が怒鳴った。
「咲耶ー! 何一人で騒いでんの、さっさとしろ! 練習始めるよ!」
「っ!」
咲耶は思わず舌打ちしながら立ち上がると、道着、袴を手早く身につけて防具と竹刀を抱える。
そして「ほんと、間に合ってるから、帰って」と言い捨てて道場へ向かった。