聖夜の密室―理真と由宇の、ゆく年くる年― ~安堂理真ファイル14~
大晦日の夜、私、江嶋由宇は、友人である安堂理真の実家にお邪魔していた。私が大晦日から新年にかけて、こうして安堂家を訪れるのは、ここ数年の恒例行事と化している。私は年末年始に実家に帰省するという習慣がない。というもの、私の実家は新潟県の中でも内陸部に位置する十日町市にあり、この時期は雪のせいで行き来するのが難儀なためだ。両親に顔を見せるのは、もっぱら雪のない季節にやることにしている。もう、お年玉を貰うような年齢でもないしね。
というわけで、私は今、理真と、その弟、宗と一緒になってこたつを囲みテレビを観ている。視聴している番組は、年末恒例の歌合戦ではなく、宗のリクエストで、芸人たちが散々尻をしばき倒される、こちらも年末恒例のテレビ番組だった。
「あー、面白かった」
番組が終わると、宗がリモコンを手にとって、チャンネルを公共放送に合わせる。テレビ画面には、雪の舞う中、神社を訪れる参拝客たちの姿が映し出された。荘厳に響く除夜の鐘の音も聞こえる。あいにくと理真の実家周辺には除夜の鐘を突くような大きな神社はないため、生でその音を聞くことは出来ない。
理真は、コーヒーをひと口飲んで厳かな表情になる。普段は恋愛作家としてパソコンと格闘し、資料を調べたり取材のために足繁く図書館や取材先に通い、また、いざ有事の際には、素人探偵として不可能犯罪の謎に立ち向かっている理真も、年末年始に実家でのんびりとするのは、ひとときの休息になるのだろう。
その理真は、自分のマグカップを覗き込むと、
「宗、コーヒーのお代わり、飲みたくない?」
「俺はまだ残ってるけど」
姉の問いかけに弟が答えた。
「お姉ちゃんのカップは空なの、淹れてきて」
「自分でやれよ」
弟に一喝された理真は、視線を私に向け、そっと空のカップを差し出す。仕方がないな。しばしの別れ、私は名残惜しくもこたつから両脚を引き抜いて立ち上がった。
毎年冬になると思うがこの「こたつ」というのは、何と完成された暖房器具なのだろうかと驚嘆する。「頭寒足熱」という言葉がある。こたつこそは、その「頭寒足熱」を見事に体現した発明と言えよう。
通常の遠隔式暖房器具のストーブやエアコン、ファンヒーターでは、暖められた空気はまず上に溜まり、それが徐々に下まで降りてきて冷えた空気を駆逐するのを待たねばならない。そのためかなりの長時間、「頭熱足寒」とも言うべき逆転現象が起こってしまう。そこへ来て、こたつだ。こたつは見事に足先から下半身全体だけを暖める暖房器具だ。上半身は冷えた室内の空気に晒していても、下半身を伝わって体全体が暖まってくる。おまけに、遠隔式の暖房器具は必然、人のいない、いかないところ――部屋の天井や隅っこなど――の温度までも不要に上昇させてしまうのに対し、こたつは見事、人間そのものだけをピンポイントで暖めることが出来る。こたつに足を入れて暖かい上着を着ていれば、大抵の寒さはやり過ごせてしまうのだ。もし、ノーベル暖房賞というものが存在したなら、こたつの発明者には間違いなくそれが授与されていることだろう。
しかしながら、一見無敵の万能機械に見えるこたつにも弱点はある。それは、今の理真と宗のやりとりでも分かるとおり、人を駄目にしてしまうという副作用だ。寒い冬、冷たい屋外から部屋に入り、こたつに足を突っ込んだ瞬間、その人の運命は決まる。こたつに捕らわれてしまうのだ。一度入ったこたつから足を抜いて行動を起こすというものに、人は大変な努力と精神力を要する。たとえ、こたつの他にストーブなどを焚いていて部屋全体が暖められていたとしても、それは変わらない。こたつには、人を捕らえて離さない謎の磁場があるのだ。
その強大な魔力に抗って私がこたつを離れたのには、二つの理由がある。ひとつはコーヒーのお代わりを淹れること。私のカップも空になっていたため、ついでに理真の分も淹れてやろうということだ。彼女が素人探偵として犯罪捜査に立ち向かう際には、私もワトソンとして同行することがほとんどだ。加えて、私の職業はアパートの管理人で、理真はそこの店子という関係もある。おまけに私と理真は高校時代からの友人だ。ワトソンが探偵の補佐をし、大家が店子の面倒を見て、友人同士が助け合うのは当然のことではないか。
居間から続きのダイニングキッチンでコーヒーメーカーをセットした私は、隅に置いてある鞄から目的のものを取り出す。これが私がこたつを離れた第二の理由。
「宗くん、遅くなっちゃったけど、はい、クリスマスプレゼント」
「あ! ありがとうございます!」
宗は目を輝かせて、クリスマス用に包装され、リボンを巻かれた箱を私から受け取った。私は毎年、親友の弟である宗にクリスマスプレゼントをあげることにしている。私はひとりっ子のため、弟に何かをあげるという行為をすることが嬉しいのだ。といっても、そんなに高価なものではなく、宗の趣味のひとつであるプラモデルをひとつ買ってやるだけだ。単価にして二千円前後。これくらいなら、あげるほうも気楽で、貰うほうもそこまで畏まることもない。本来であればクリスマスに渡すはずが、何かと忙しくしてしまい、こうして年末までずれ込んでしまったというわけだ。
「ごめんね、由宇、毎年、毎年」
言いながら理真は、隙を突いて弟から奪ったプレゼントの包装を、べりべりと剥がし始めた。
「何してんだ!」
宗が姉に食ってかかり、プレゼントを奪い返そうとする。が、姉の手により、赤い色の包装紙は、もう半分以上がむしり取られてしまっていた。包装紙の中から出てきたプラモデルの箱を見た理真は、
「あー、宗、これ持ってるじゃない。お姉ちゃん、これと同じのを部屋で見たことあるよ。宗、あんた、また同じ物を買って!」
「違うんだよ姉ちゃん! 似てるけど、これは別のものなんだよ!」
宗が抗弁する。彼によると、似たような外見をしているロボットでも、ひとつひとつ微妙に違うのだそうだ。かく言う私も、宗から今年のプレゼントのリクエストを聞き、商品名を書いたメモを手に模型店に走ったのだが、これも毎年のように自分でそれを見つける、いや、見分けることが出来ず、結局店員さんに教えてもらって購入することになってしまった。
「それにさ」と、プラモデルを弟の手に引き渡した理真は、「二階の私の部屋でプラモデル作るのやめてよ。床に塗料こぼしたでしょ」
安堂家二階にある、かつての理真の部屋は、今では宗の物置兼、模型製作工房と化している。
「どうせ使ってないんだから、いいだろ」
宗が、ぶつぶつと文句を言ったとき、廊下を歩く足音がして、居間に理真のお母さんが姿を見せた。彼女は芸人が尻をしばかれる番組になど興味はなく、自室でこちらも年末恒例の歌合戦を観ていたのだ。
「理真、宗、由宇ちゃん、年越しそば食べるでしょ」
「食べるー」
真っ先に理真が返事をした。歳またぎのタイミングで理真のお母さんが作ってくれた年越しそばをいただく。これも安堂家の年末行事の一環なのだ。理真のお母さんが来たことで、こたつの中に潜り込んでいた三毛猫も顔を出してきた。安堂家の飼い猫クイーンだ。居間から続きの仏間を見ると、仏壇の上に置かれた遺影が目に入った。理真の父親、新潟県警捜査一課刑事職を務めていた、安堂哲郎のものだ。これで、安堂家の全員が集合したことになる。
「理真か宗、手伝ってくれる?」
お母さんの要請に、姉弟は顔を向け合った。一拍の呼吸を置いたあと、「じゃんけんぽん!」と二人の勝負が始まった。熱い闘志を握りしめたような宗のグーは、咲き誇った白い花を思わせる理真のパーに敗れ、渋々と宗はこたつからの脱却を余儀なくされた。
ほくほく顔の理真は、こたつの上に置かれたプラモデルの箱を見て、
「そういえばさ、由宇、私、話したことあったっけ? クリスマスプレゼントの謎のこと」
「何それ?」
何だ? 初耳だぞ。私が首を横に振ると、理真は、
「あのね、私がまだ小学生低学年、一年か二年の頃のときなんだけど、クリスマスの朝に目を覚ましたら、枕元にプレゼントが置いてあったの」
「サンタクロースからの?」
「そんなわけないでしょ。くれたのはお父さん。でもね、変なの。そのプレゼントはね、完全な密室状態にあった部屋の私の枕元に、忽然と出現したのよ」
「どういうこと?」
「窓は施錠したし、ドアにも、ノブと、その近くの壁に刺した画鋲に糸を括り付けて、ピンと張って、誰かがドアを開けたら必ず分かるようにしてから寝たのね。少しでもドアを開けたら糸が解けるか切れてしまう。つまり、この仕掛けがある限り、外部から侵入者があった場合、絶対に糸を元には戻せなくなるの」
「ははあ、まさに密室状態だね。でも、何でまたそんなことを……」
「サンタクロースが確かに来るということを知りたかったから」
「何だそれ」
「まだ当時は純真な少女で、サンタさんの存在を信じてたから」
「それとどんな関係がある」
「サンタクロースって、煙突から侵入してくるって聞いてるのに、日本の家屋には煙突なんてないじゃない。だから私、その前の年までは、わざと窓に施錠しないで寝てたのね。煙突のない日本家屋でサンタが侵入経路として使えるのは窓だけだろうって。じゃあ、窓を施錠したら、サンタはもうドアから入ってくるしかないじゃない。私、サンタが確実に来たという証拠を見たくて。窓からだと、入って出て閉めても、侵入した痕跡は残らないじゃない。その窓を塞げば、必然、侵入経路はドアに限定される、そこにトラップを仕掛けて、翌朝、それが破られていれば、確実にサンタが侵入してきたという証拠になる」
微笑ましいのか、呆れていいのか。どうでもいいが、子供たちの夢の存在であるサンタクロースに対して「侵入」という不穏な表現を連呼するのはいかがなものか。
「で、糸のトラップがそのままだったにも関わらず、理真の部屋には、見事、プレゼントが置かれていたと」
「そういうこと」
「窓には確かに鍵は掛けたの?」
「間違いない。その日は雪が降っていたから、施錠に加えて窓が凍り付いていて、解錠しても当時の私の力じゃ開けられないくらいだった」
「ドアに仕掛けたっていう糸におかしな点は?」
「真っ先に調べたわ。寝る前に私が仕掛けたのと寸分違わぬ状態のままだった。糸の何カ所かにペンで色を付けてたんだけど、その配置まで同じだったからね。外から何かしらの細工をして糸を元に戻せたのだとしても、廊下側からじゃ最初の糸の配置は絶対に見えないはずだから、全く同じように元通りにするのは不可能よ」
「前もって窓から覗いて、糸の状態を見ていたんじゃ」
「カーテン閉めてたからね」
「そうか……当時の理真の部屋の状況は?」
「憶えてる。待って、今、絵に描くから」
理真は鞄から小型ノートとペンを取り出し、図を描き始めた。
「……こんな感じ」
「どれどれ」
「当時の状況を、もっと詳しく説明するとね……」
図に枕の場所も描いてある通り、理真は図の下側を頭にして寝ていた。というのも、最初は上側、つまり本棚に向いた側を枕にして寝ていたのだが、就寝中に地震でも起きたら、崩れてきた本や棚そのものが頭に当たって危ないから、とお母さんに注意されて、枕の位置を逆転させたのだという。理真が最初、本棚側を枕にしていたのは、まさに寝転がったまま本棚に手を伸ばすことが出来るためだ。寝たまま本をとっかえひっかえ乱読するのが好きだったという。昔から横着だったのだ。寝る向きを変えても、理真は就寝までの間は今まで通り本棚側を頭にして読書をしていたという。枕の代わりにクッションを持ち込んで。その方が楽だから。で、いざ就寝する段になってから、体を反転させて寝ていたのだ。理真のベッドはヘッドボードなどのないフラットなもののため、寝る向きを変えるからといっても、わざわざベッドを動かす必要はなかったのは幸いしたという。
さて、そんな状況を頭に入れたところで事件の概要に移る。
今から二十年近く前、クリスマスイブの夜、理真はベッドに寝転がって本を読んでいた。本を読んでいるからということは、当然理真は本棚側を頭にしていたのだ。理真は読書の途中で、うとうとして寝てしまった。目を覚まして時間を見ると、まだ夜の九時頃だった。理真はベッドから起きて部屋の明りを付け、歯を磨いて寝る準備を整えると、予てから計画中だったという、侵入者サンタクロースに対するトラップを仕掛けた。すなわち、ドアノブと壁を糸で繋いでしまうという細工だ。窓は当然、その時点で施錠がされていた。
「ちょっと待って」私は待ったをかけて、「その時点で、確かにプレゼントはなかったのね」
「うん。それは間違いない。というのも、私、うとうとして寝ちゃってたときに、毛布と布団を蹴飛ばしてベッドの下に落としちゃってたのね。だから、余計にベッドの上がよく確認できたの。真っ白なシーツが広がってるだけで、何もなかった、で、私は毛布と布団を拾って、きちんと枕側を頭にして寝たってわけ」
「そして、朝、目が覚めると、枕元にプレゼントが置かれていた。仕掛けには全く異常がないまま」
「そうなの」
「ちなみに、そのときのプレゼントは、何だったの?」
「図書カード一万円分」
「渋い小学校低学年だな!」
「別にいいでしょ! そのときの包装も憶えてるよ。クリスマス仕様の、ちょうど……」と理真は自分が破った宗のプレゼントの包装紙を指さして、「あんな感じの紙で包まれてて、綺麗なラメの入ったリボンも結んであったな」
「サンタクロースに挑戦、っていうけど、そのプレゼントを買ってくれたのは理真のお父さんでしょ」
「当たり前じゃん。だから、当時は本気でサンタを信じてたんだって。月日が経って、全てがお父さんの仕業だったと知って、どういうトリックを使ったのか訊いてみようとも思ったけど、私にも意地があるからね」
さすがに当時は素人探偵としての活動など、していなかったはずだが、その萌芽はすでにあったということなのか。
「でさ、さらに時間が過ぎて、私もそれを思い出すこともあまりなくなって……結局、トリックを聞くことが出来ないまま、お父さんは……死んじゃった」
理真は少しだけ頭を傾けて、視線を仏間に向けた。
「そっか……」
「まあさ、お父さんも忙しい身だったからね。もう私が、サンタなどいない。って看破した年齢の頃のクリスマスには、私にプレゼント渡すためだけに一旦仕事を抜けてきたこともあったよ。ケーキひと切れだけを食べて、すぐに仕事に戻っちゃった」
沈んだ空気を払拭するように、理真は笑顔を見せた。
「ねえ、理真、図書カード一万円分なら、プレゼント自体は小さくて、しかも薄かったはずだよね」
「確かに、そうだね」
「そのくらいのものなら、ドアと床の隙間から入れられない?」
「……いや、無理」
「どうして?」
「プレゼントは包装されていて、しかもリボンも付いていたんだよ」
「そうか」
「うん。図書カード自体なら余裕でドアの隙間を通るだろうけど、リボンがかけられてるとなると、絶対に無理。それに、入れられたとして、どうやって枕元まで移動させるの?」
「それじゃあ……プレゼントを見つけたときの状況に、他に何か変わったところはなかった?」
「そうね……プレゼントの置かれていた位置が、変といえば変だったかな」
「どういうこと?」
「言った通り、プレゼントの図書カードの包みは私の枕元に置かれていたんだけど、それが部屋の中心側じゃなくて、窓側にだったの」
「窓側の枕元?」
「そう。だから、お父さんがそれを置いたなら、わざわざ寝ている私の頭を越して、窓側の枕元に置いたということになるわ」
「それも変な話だね。窓側……プレゼントは窓から入れられたんじゃ?」
「施錠してたんだよ」
「そこは、何らかの物理的トリックを用いて、鍵の解錠と施錠を行った」
「定番の針と糸? まあ、それをやったことにしてもいいよ。でも」
「でも?」
「どうして、わざわざそんなことするの?」
うーん、と私は唸った。結局そうなる。密室の必然性。しかも今回のケースは、父親が娘にプレゼントを渡そうというのだ。わざわざ窓の鍵をトリックで開け閉めしてまでやる理由に説明がつかない。加えて、理真の部屋は二階だ。
「これは……難問かも」
「でしょ……あ、来た来た」
思案するものから、満面の笑みに表情を変えた理真は、お母さんと宗を、正確には、二人が運んできた年越しそばを見て言った。推理は一時中断だ。
四人でこたつを囲み、いただきますをして、私たちはそばをすすり始めた。クイーンもこたつから出て、お母さんから貰った年越しかにかまを、わしゃわしゃと食んでいる。
「そう言えば、理真、あの毛布、まだ使ってるの?」
そばをすする合間に、理真のお母さんが訊いてきた。私たちの会話がキッチンにいて耳に入っていたのだろう。娘は、うん、と頷いた。
「理真、あの毛布大好きだもんね」
お母さんは笑みを浮かべる。私が管理するアパートの、理真の部屋にある毛布のことか。あれはそんな昔から使っているものだったのか。見るからに暖かい赤い毛布で、一辺に起毛の返しが付いており、理真はその起毛部分に顔を埋めて寝るのが好きなのだ。理真は、暑い夏以外の全ての季節を、その愛用の毛布を寝具として使っている。私も何度か使わせて貰ったが、確かにあの起毛部分は、ふわふわすべすべで気持ちがいい。
そばを食べ終えると、お母さんは床につき、宗は大晦日深夜(正確には元日早々)からやっているお笑い番組を観ながら、げらげらと笑い転げ、クイーンはこたつに戻った。私と理真は、少し宗の観ている番組に付き合ってから、
「さて、由宇、お参りだ」
「よし、行こう」
近所の小さな神社に詣でるべく、こたつを離れた。これは私と理真が毎年やっている恒例行事だ。私たちは外出するための身支度を調える。
「宗、そこのマフラー取って」
「はいよ……あ」
姉の要請で、床から宗が持ち上げた理真のマフラーには、ラメ入りのリボンが引っかかっていた。宗へのプレゼントの包装に使われていたものだ。硬めの素材で出来ているリボンが、マフラーの生地に引っかかってしまっていた。宗はリボンを取り除いてから姉にマフラーを手渡した。
「ありがと……」
礼を言って受け取った理真の目は、マフラーではなく、取り除かれたリボンに向いていた。
神社へと続く道を、私と理真は歩いている。理真のブーツと私の冬物スニーカーが雪を踏む、きゅっ、きゅっという小気味のよい音が、閑静な夜の住宅地に響く。神社が近づくにつれ、そういった音はそこかしこからも聞かれるようになった。同じように深夜の参拝に訪れる人たちのものだ。
「由宇」
「なに?」
横を見ると、理真はいつの間にか、唇に指を当てながら歩いていた。これは理真が考え事をするときの癖だ。ということは?
「私、分かったかもしれない」
「分かったって、密室にプレゼントが置かれたトリックが?」
「うん」
私たちは、自然と歩調を緩めた。白い息を吐きながら、理真は話し出す。
「私、自分で言ってて、事の矛盾に気付かなかった」
「矛盾って?」
「私、本を読んでいて寝ちゃって、目が覚めてから明りを付けたって言ったじゃない」
「うん」
「おかしい。読書したまま寝てしまっていたなら、明りは点いていたはず」
「そうか。あ、でも理真、起きてすぐに時間を確認したって言ってたよ?」
「当時の私の部屋の掛け時計は、針に夜光塗料が塗ってあって、暗い中でも時間が分かるタイプのものだったの」
「なるほど」
「にもかかわらず、目覚めたときに部屋の明りが消えていたってことは」
「理真以外の誰かが消した」
「そう、それは多分、お父さんだよ。お父さん、私の部屋を覗いて、私が明りを付けたまま寝ちゃってたから消灯してくれたんだよ。で、その前に、枕元にプレゼントを置いてくれた」
「え? その段階でプレゼントがあったなら、起きたときに理真自身が気付いていたはずじゃ?」
「普通ならそうなんだけどね。私、一度起きたときに、毛布と布団を蹴飛ばしてベッド下に落としてたって言ったじゃない」
「そのときに、プレゼントも?」
「うん、一緒に落ちた。だから、その時点ですでにプレゼントが室内にあったということに気が付かなかった」
「でも、それだとしても、やっぱりおかしいよ。一度ベッドの下に落ちたプレゼントが、再び理真の枕元に戻ってきたってことになるよ」
「そう、まさに戻ったのよ。由宇、プレゼントは包装されていて、リボンもかかっていた。由宇が宗にあげてくれたプラモデルみたいにね。その包装のリボンが毛布の起毛部分に引っかかっていたのよ。私へのプレゼントは図書カード一万円分だから、小さくて薄くて軽くて、毛布に引っかかったままのそれに、私も気が付くことはなかった。おまけに、包装紙も毛布も同じ赤色だから、保護色みたいになってしまっていた。で、私はドアに仕掛けをしてベッドに戻る。ベッド自体はどちらを頭にしても問題ない構造だけど、毛布は違う。私は必ず起毛の折り返しのある辺を頭側にしていた」
「それで、引っかかったプレゼントも理真の枕元に移動したんだ!」
「そういうこと。そうして、私が寝返りを打ったりしているうちに、リボンは毛布から外れて、枕元に落ちた。それなら、翌朝目が覚めたときに、どうしてプレゼントが部屋の中心側じゃなく、窓側の枕元にあったのかの説明も付くよね」
「……そうか。お父さんは、本棚側を頭にして寝ている理真の、部屋の中心側の枕元にプレゼントを置いた。理真から見て右側ってことだね。で、本来の就寝する向きに戻るとき、毛布ごと理真は体を百八十度回転させる。すると、必然、プレゼントは理真の右側、すなわち窓側に来てしまうってことね」
私の言葉に理真は頷いて、
「あー、長年の謎が解けたわ。由宇、ありがとう」
理真は、清々しい表情で微笑むと、大きく伸びをして天を仰いだ。雲のない、よく晴れた星空だった。真黒を背景にして瞬く星々に、理真の吐き出す白い息が重なった。
「お父さん、さ」
「うん?」
理真が夜空を見上げたまま口にし出した、
「私が本棚に向いたまま寝てたのに、そのままプレゼントを置いたってことはさ、私がいつもは反対向きに寝てるってことを知らなかったのかな、って思って。いつも忙しくて、あまり家にいなかったから……」
「……理真が気持ちよさそうに寝てたから、起こさないようにしようと思っただけだって」
「そうかな……」
「そうだよ」
私は、そのときの様子を心に思い描く。忙しい仕事の合間を抜け、娘にプレゼントを渡すため家に帰ってきた父。部屋を覗けば、愛する娘は読書の途中で寝てしまっている。抱き上げて、本来の就寝する向きに直そうかと思ったが、気持ちよさそうに寝ている娘の寝顔を見ると、起こしてしまいそうでそれは出来ない。父は娘に毛布をかけ直してやり、枕元にプレゼントを置くと、頭をやさしく撫でてから照明を落として部屋を出る。理真が小学校低学年なら、まだ宗は生まれていないはずだ。妻にも挨拶をして――もしかしたら、彼女にもプレゼントを渡したのかもしれない――父は仕事に、捜査一課刑事という多忙な仕事に戻る。
「……」理真は私を向いて、「そう、だよね」と微笑んだ。
私は、こんど実家に行くときには、両親に何かおみやげでも持っていこうかな、と思った。
そうこう話しているうちに神社に着いた。気持ちばかりの賽銭を入れ、私と理真は新年の誓いを立てた。
神社を訪れる参拝客は、私たちの他にも十数人ほどいた。庭の一角では焚き上げが行われ、炭の弾ける音が聞こえる。境内で甘酒を一杯ずついただいた私と理真は、これも毎年恒例、おみくじを引くことにした。
「せーの……」
私たちは同時におみくじを開く。二人して「末吉」だった。
「何だ、この尻すぼみの結果」
「確かに、微妙……」
理真と私は顔を見合わせて笑った。
去年一年間、おつかれさまでした。今年もいい年になりますように。
お楽しみいただけたでしょうか。
安堂理真シリーズ最短にして、初めての「日常の謎」ものとなりました。
普段「いかにして人を殺すか(そして、どう、それを暴くか)」に関することばかりを考えており、それが癖になってしまっているため、こういった犯罪が絡まない謎を捻出するのに大変苦労しました。
ミステリに起きる事件の強度には、ある程度の段階があります。それは大まかに以下の五段階に分けられるのではないでしょうか。私の好きな有栖川有栖作品から、それぞれのレベルに対応する代表作も例に挙げてみます。
レベル5:劇場型不可能殺人
絶海の孤島、奇妙な館、怪しい風習が支配する寒村など、ミステリならではの非日常的な空間を舞台として、謎と怪奇に彩られた凄惨な殺人事件が起きる。(『双頭の悪魔』など)
レベル4:都市型不可能殺人
人々が日常生活を送る都市を舞台に、不可能殺人事件が起きる。(『朱色の研究』など)
レベル3:非殺人型不可能犯罪
窃盗や誘拐、傷害など、殺人が起きない不可能犯罪がテーマとなる。(『ペルシャ猫の謎』など)
レベル2:準犯罪型日常の謎
刑事事件にまでは至らないが、嫌がらせや軽微な事故、不穏な行動を取る人物がいるといった、犯罪の萌芽や軽犯罪の謎を解く。(『探偵、青の時代』など)
レベル1:非犯罪型日常の謎
犯罪性も悪意も全くない、日常で起きる不思議な出来事の謎を解く。(『潮騒理髪店』など)
上記分類は、厳密に細かく分けられるものではなく、例えば、舞台は絶海の孤島でも、起きる事件は、見立てや過度な残虐性のないオーソドックスな殺人という、レベル4.5とも言えるミステリもあります(『乱鴉の島』など)。
今まで私が書いてきた作品は、ほとんどがレベル4に該当するものでした。そういったものが好きということもあるのですが。対して本作は、一気にレベル1まで強度を下げることに成功しました。これを機会に、もっと幅広いレベルのミステリを書けるようになりたいと思います。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。