子対えて曰く 顔回なる者あり、学を好む
不味いことをした。そう思った。
どうやら聞いてはいけないタブーを自分は聞いてしまったらしい。
「あははごめん、女性にいきなり名前を聞くなんて失礼だよね……」
八王子秀はコミュ障であった、それも女性限定の。
もっとも彼は男に対するコミュ力なら並程度には自信があった。
中一で今通ってる中高一貫校に入ってから、その中二病的なキャラから周りから弄られたり、時には誰かと本気でぶつかる時もあった。
だが、その都度仲直りしていき、現状敵対してる人間もいなくこちらも憎んでる人間はいない、誰とも比較的に仲が良く、また見知らぬ奴とも自分から話しかけて割と短時間で仲良くなれる、そんな最低限度のコミュ力はあった。
しかし女性相手となると話は別だった。
彼は女性と接する方法が分からないのだ。いや正確にいうならあったが使えなくなった。
彼は少なくとも小学校に通っていた時は女性と当たり前ように接していたはずだ。彼は小学生の時クラスではガリ勉キャラだった。
テスト前になると質問しにくる女子と男女の差など気にせず当たり前のように話し、また女子からは八王子君は男女を気にせず話せる珍しい人だよと言われ過ごしてきた。
しかし悲しいことにそんなコミュ強時代は突如終わりを告げる。中学受験で男子校に進んだのだ、それも中高一貫校の。
「秀、男子校に進むと女の子に対して奥手になるらしいけどあなたは大丈夫?」
学校に入学する前に母親に聞かれた。しかしその時は何も問題ないと思っていた。だってそうだろう、男と女で何が違うんだ同じ人間だろうと。
しかし男子校で女子に会えぬ間に女子は皆成長していた。塾に入ってみて周りの女子と接し方を失っていることに初めて気付いたのだ。
考えてみれば分かる話だ。中高の間に女子は二次性徴が始まり大きく成長する。
小学生の時に小六の女子までしか見ずに頭の中の女子像がそのままで成長、そして急に大人びた彼女らを見せられた時、自分としては昔のように男女変わりなく接するということができず、もはや男女の区別なく接するという従来通りのコミュニケーション術は音もなく崩壊したわけである。
つい先日もだ。塾の授業中に消しゴムを前の席の女の子の机の下に落としてしまった。
しかし授業が終わる一時間の間ついぞ前の席の子に話かけることはできなかった。泣く泣くシャーペンの消しゴムを使った。
一方質問された彼女だが謎の発言に驚いてしまった。
「いえ、そんなことはないかと。名前を聞くとが失礼に当たるなんていう社会常識は存在しないはずです。多分……」
「えっあっそそそ、そうなんですか、いやーお恥ずかしいアハハハハ」
上手く誤魔化せただろうか?
「私の名前ですが無いんです」
この子は何を言ってるのか。名前がないはずなんてない。自分には話したくないということなのか。
「えっと驚かせてしまったようですが本当の話なんです。 私はナビゲーションコンポーネントとしてエグゼクティブ様に作られました。 エグゼクティブ様は私のことを略してナビ子と呼んでましたけど……」
「エグゼクティブ様?」
「あなたをこの世界に呼んだ人です、この世界の神として数えられてる人で私を生み出した親なのです」
なるほど三重県観光大使(仮)は実はエグゼクティブプロデューサーだったのか。何がなんだか分からないと思うが俺にも分からん。
「あの一つお願いが」
彼女は申し訳なさそうにこちらを見つめる。そんな目で見つめられたら断るわけにはいかない。
「助けてくれたお礼に僕に出来ることなら何でもしますよ」
そう言うと彼女の顔は明るく輝いた。
「私の名前付けて欲しいんです」
なんと!! 今なんと言った。名前を付けて欲しいと!? 名前、それはほとんどの両親が長い時間をかけて悩んで迷って考え疲れてやっと答えを見出すものだ。
そう言って断ろうとした、しかしそれを伝えると彼女は悲しむだろう。彼女は『今』名前を付けて貰いたがってるんだ。それに出来ることなら何でもすると言った。
レクイエムやらナイトメアやらパニッシュメントやら中二的カナ文字が次々頭を走る。
「顔回」
言葉にする気はなかったのだが知らない間に声に出てしまったようだ。女の子に顔回って何だよ、可愛いとか可愛くないとかを通り越してもはや虐待の域だよ。子供が思春期になったら自殺するレベルだ。
「可愛いらしい響きですね、何がもとになった名前なんですか?」
存外気に入ったみたいだ。これでいいのか? まあ本人が気に入ってるみたいだし今更変えることはできないか。
「その名前はね、僕の最も尊敬してる人物その人の弟子の名前なんだ」
そうして俺は顔回について語り出した。1を聞いて10を知る天才であったこと、辛い生活の中にも学を好む勉強熱心であったこと、顔回の死とそれによる孔子の慟哭など。全て彼女は耳を傾けてくれた。
こうして異世界に来て初めての夜は更けていった。