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六/鏡よ鏡よ鏡さん


「いつも思うんだけどさ、なんでテレビがないわけ? 暇なんだけど」

「うっせぇ、お金がないんだよ」

 Mは暇そうに部屋の真ん中で寝転がっていた。

 ある秋の昼下がりのことだ。今日も行くところがないのか、Mは私の部屋に転がり込んで、こうやってテレビがないことに対する不満を口にする。

 私の部屋にはテレビがない。あるのはパソコンのみで、あとは本棚と卓袱台ぐらいで本当に殺風景である。生活感がないとよく言われる。特に趣味もなく、結果生活に必要なものだけがこの部屋に残っている。

 いや、正確に言えば、パソコンを置いている壁側に掛けられているクリップボードは違う。ここには、大量の写真が貼られている。

 逆に台所はごちゃごちゃとしている。一応整理整頓掃除はしているのだが、自然と物が多くなっている。そりゃぁ、台所は生活必需品の宝庫であるからだ。

「まあ、流石にテレビは買ってやれんが、せめて他にも何か置けよ。姿見とか」

「姿見かぁ、必要と思ったことはなかったからなぁ」

「だからモテないんだよ。この非モテ万年一人身が」

 くっ、こいつに言われるとムカつく、ムカつくのだが……。

「まあ、どうしてもと言うのなら、このモテキ絶賛到来中の俺様に聞けば、教えてやらんこともないぞよ?」

 この通りだ。

 どうやらモテキとやらが来たのは本当らしく、飲み会で女の子に囲まれている写メをしつこく見せてくる。正直ウザいが、この話題に限っては一人身には発言権がない。というか、発言の大体を嫉み扱いされてしまうのだからタチが悪い。いくら私が「詐欺にだけは気をつけろ」と忠告しても、聞く耳を持たないのだ。いつか破滅しろ。いっそ破滅する前に爆発しろ。

「いや、実際部屋に姿見を置くだけで大分捗るぞ。お前の場合、身なりを整えたらまずまずいい感じになるんだから」

「なんかなぁ、邪魔なんだよなぁ」

 あと、何というか鏡というのは生理的に受け付けない。不気味というか何というか。普段何となく使っている人も多いだろうが、私にとってはアレが気持ち悪くてしょうがないのだ。

「おっと、俺はこれからデートなのだ。それじゃあ、この辺で」

 そう言って、Mはこの部屋から出て行った。因みにデートの発音がむしろ『ドゥェト』といった感じで非常にムカついたが、それは本筋とは関係ないどうでもいい話である。



 ――夜中、ふと目が覚める。明日も一時限目からあるというのに、こんな時間に目が覚めるのは不味い。

 私はこういう時に二つの選択肢から一つを選ぶ。無理矢理眠るか、眠るのを諦めてパソコンの前に座るかだ。

 私は無理矢理眠る方を選んだ。でも中々眠れないのは承知している。だから、私はこの前やったように、牛乳を温めて飲むことにした。こうすると眠気が強くなる気がするので、眠れなくなった夜はこうして牛乳を温めて飲むことが多い。

 台所に立って、鍋を掴む。すると、ふと、私は洗面所が気になった。正確に言うならば、洗面所の鏡が気になったのだ。

 私が見ていない間、鏡が何を映しているのか。それを考えると、堪らなく怖くなる。

 ただ誰もいない洗面所を映しているのか、見知らぬ誰かを映しているのか、それとも本当に何も映していないのか。無闇に想像力が掻き立てられ、暴走する。

 その中で最も恐ろしかったのは、自分自身が映っていることだった。私の知らない自分自身が鏡に映って、じぃっと私の知らない表情で私自身を見つめている。そんな妄想をしてしまい、私は飛び込むように布団の中に潜り込んだ。

 しかし、暴走した妄想はきっと、真実を確かめるまで消えることはないだろう。

 その妄想を振り払うには、やはり真実を目にすることだけだ。私は心を決めて、布団の中から這い出る。

 洗面所と台所を仕切る戸の前に立つ。この戸を開ければ、そこには洗面台と鏡がある。私は嫌な気持ちを抱えながら、ドアノブを握る。

 ――鏡を目にする。そこには、自分がいた。怯えた目で鏡を見つめる自分だった。

 少し安心した。知らない誰かも見当たらないし、鏡の中の怯える自分を見て笑えてきたのだろう。鏡の中の自分がニコりと笑う。

 …………いや、違う。自分は、笑ってない。だって自分の頬は、こんなに引き攣っているじゃないかっ!

 ニコりから、にやりと、鏡の中の自分は笑い方を変える。途端に、猛烈な吐き気に襲われる。鏡が間近にある洗面台には近付けず、私はその場にへたり込んでしまう。

 しばらくすると、その吐き気も収まる。私はドアノブに捕まるように立ち上がる――立ち上がろうとした。

 そこにはドアノブがなかった。いや、それどころか、ドアすらない。私の部屋は消え去っており、ただ霧と靄に包まれた塩原が広がっている。塩原には薄く水が張っていて、くるぶしまでは水と塩の中に埋まってしまう。

 目の前には、鏡が一枚浮いている。鏡の中の私は、にやにやと笑い続けている。

「な、なんなんだよ……」

 喉の奥から搾り出した一言だった。

「なんなんだよ、というのはなんなんだよ。せっかく招いてあげたんだから」

 そう、鏡の中の私は言った。

 わけが分からなかった。一体ここはなんなんだ? 私の部屋はどこにいった? なんで私はこんなところにいるのだ? 

 わけが分からなさすぎて、遂に頭が理解するのを止めた。考えるのがめんどくさくなった私の脳みそは、それを「そういったモノ」だと片付けてしまう。

 あと、鏡の中の私が口を聞いたのが何より私を落ち着けさせるに至った。口を聞ける相手がいるということは、何より人を安心させるのだろう。それでも不気味なことには変わりないが。

「あんた、なんなの?」

 とりあえず、そう鏡に対して問い掛ける。

「そんなの、あんたが一番良く知っているよ」

 メンドクサイ返し方をしやがって。

「あんた自身だよ。鏡ってのはそういうもんだろ?」

「あんたを鏡とは、思えないもんでね。鏡は喋ったりしないだろ?」

 普通鏡は口を聞かない。ということは、こいつは鏡以外の何かということだ。

「確かにその通りだよね。だけど、ここではそれが許されるんだ」

「鏡が喋って許されるのは、おとぎ話ぐらいだろ」

「そうだね。ホラーでは喋らない方が断然いい。化け物と意思疎通できてしまっては、恐怖心は薄らいでしまうからね」

 ぬらりくらりと。まるで私みたいな口調をしやがって。

 いや、本当に私なのだろう。性格も、中身も、瓜二つの私だ。

 鏡はニヤニヤ笑いを続ける。なんかアレが何か別のものに見えてくる。なんだっけ? あのニヤニヤ笑い、どっかで見たような聞いたような覚えがある。

「それはきっとチェシャ猫なんじゃないかな?」

 ナチュラルに心の中身を読まないでいただきたい。

 それにしても私はこんなに愛嬌のない笑い方ができるのか。見ていて気持ちが悪い。

「ところで君、なんで君はこんな目に遭っていると思う?」

 そう、鏡の中の私が問い掛けてくる。

 そんなの、分かる訳がない。こんな理不尽な状況に答えを出すなんて、常人には無理だ。

「そう、その通り。本来、化け物類とは理不尽でなければならないっ! 理不尽に生贄を求め、理不尽に女子供を仄暗い水の底に引き摺り込むっ! なりふり構わず、人々に恐怖を与える、そんな存在だっ!」

 だから心の中を読まないでいただきたい。

 いや、コレはコレで便利なのか。どうせこいつは人間ではない。だから、心を読まれようが、こいつには人間の尺度は必要ないのだから、何を考えようとこいつに対しては意味がない。

 ……というか、この心の中を読む、というのが何よりこいつが私自身だという証明だ。

「そう、賢い。そーいう風に考えられるのが君だからね」

 そして、それはこいつにも言えることだ。物理的に心を読む、というのは少し信じがたい。しかし、こいつが本当に私の虚像であるならば、私がこういった時にどういうことを考えるか、想像に難くはないはだろう。

 しかし、そうならば、尚更分からなくなる。だって、私が仕掛け人だったら『この状況に陥るまでの間のどこかに複線を置いている筈』だからだ。いきなり唐突に、前フリも複線もなくこんなトンデモ状況に陥れるのは私の主義ではない。

「何、複線ならあるよ。問題は、君の恐れたモノが鏡だってことだよ」

 それの何が問題なのだろうか。

 鏡というのは、魔的な力が宿るといわれるモノだ。古くから多くの怪談奇談を残しており、三種の神器の一つにもヤタノカガミが存在する。そういった曰くの多い物を恐れることになんの問題があるというのだろうか?

「それは建前だね。いいかい、鏡というのは光を反射することにより虚像を鏡面に映し出す。鏡が恐れられた理由ってのは、その原理を知らない古代人が物を寸分違わず映し出す、という不思議な作用に魅了されたが故だって、君は思っているのだろう?」

 ……こいつ、本当に私の虚像なのだろう。私にとって非常に痛いところを突いて来る。こいつの言うことは本当だ。私は鏡を恐れている理由を本当は知らない。

「君が鏡を恐れる理由は、本当は別のところにある。気持ち悪いとも言ったね。そこにその理由が隠されている筈だよ?」

 虚像は言う。虚像のクセに、本当のことしか言わない。

「本当は分かっているんだろう? 君が鏡というものを嫌いな理由が」

 そして、また一つ、核心を映し出す。

 ……そうだ。私は気持ち悪いのだ。鏡が映し出すのは実像ではなく虚像だ。そのクセに、虚像は時に実像よりも正確にモノを映し出す。その言葉の上の矛盾が気持ち悪いのだ。

 そしてそれは、私の根源的な恐怖に繋がる。

「君は、君自身という真実が何より怖いのさ。真実を知る恐怖、そして自分という真実を直視しなければならない恐怖。人間としては少々歪で、そして何よりも人間らしい恐怖だね」

 そう、私の虚像は言う。人間は普段、自分の姿を見慣れている。真実の姿を見慣れていると言ってもいい。しかし、その姿に恐怖するというのは、人としては間違いなく歪だ。

 だが、同時に、自分自身の直視することに対する恐怖は、人にしか意味の分からないものだ。汚い自分を見たくない。自分はもっとこうあるべきだ。こんな筈じゃなかった。そんな自己嫌悪に近いもの――自己恐怖とでも呼ぶべきか、それを私は持っていた。

 だが、今、そのことを思い知らさせる。そして鏡は、笑う。

「そんなちっぽけなもんを怖がるほどに、君は小さな人間なのかな?」

 途端に、塩原を覆う霧と霞が晴れていく。空は綺麗な青空が広がっており、その青空を反射して、塩原は大きな『鏡』となる。

 目の前には私自身を映す鏡、そして、足元には私の中身を映し出す鏡が、それぞれ私を映し出していた。

 趣味もない、恋焦がれる人間もいない自分だ。心の中身というのはこんなに寂しくて、だだっ広くて、からっぽな風景こそ相応しい。

 そしてこの塩原は憧憬でもあった。私自身が憧れるその光景は空を映す『鏡』となっている。

「これが、君をここに呼んだ理由さ。自分を映し出す役割を持つ『鏡』が嫌いなくせに、君が憧憬するモノはこんな『鏡そのもののような光景』だ。矛盾はこの世には存在しないが、人の心の中にはその限りにあらず。面白いよね、人の心の中って」

 神秘と科学を両面を併せ持つ鏡。そして、その鏡が映し出す奇跡。私は奇跡に魅せられ、いつしか畏怖していた。そしてそれは、鏡の中に映る自分、そして鏡が映し出すよく分からないモノに対する恐怖というカタチで姿を現していた。

「君がこれまで自分自身と向き合う、なんてことをしたことはなかったのだろう? だったら、今からでも遅くないさ。鏡を見ながら、自分自身に問い掛けてみなよ。『これでいいのか』って――」

 その言葉は、間違いなく私の心臓を射抜いた。

「さあ、もうじき朝だ。そろそろ化け物との逢瀬も終わる。この悪夢から抜け出せる」

 そう言って、鏡は私の背後を指差す。そこには、あのボロアパートにある狭い洗面所の古びた戸が、ただぽつんと突っ立っていた。

「おはよう、そしてさよならだ」

 そう、私を気取った台詞で送り出し、鏡は砕けて消えた。



 身体が冷たくなっている。そりゃぁ、洗面所の前でぶっ倒れていたのだから、床の冷たさが身体を冷やしてしまっている。

 しかしまあ、夢オチってどうなんだ? 爆発オチじゃないだけマシだが、私としてはもっと捻って欲しいと思う。やい、鏡よ鏡。もう少しはマシなカタチで私に説教しにこいよ。

 問い掛けても鏡は答えない。そりゃそうだ。所詮鏡だ。鏡が口を聞いていいのは、おとぎ話くらいだ。

 私はパソコン前の椅子に掛けられている服を取りにいく。そして、パソコンの横の壁に掛けられているクリップボードに目をやる。そのクリップボードに貼られている写真のうち一枚を見つめる。

 ウユニ塩原。ボリビアにある大きな塩原だ。この写真は雨季の物で、一面に雨水が張っている。その上に人間が一人立っていて、まるで広い大空に二人の人間が両足を付けて立っているような、そんな不思議で神秘的な光景が写し出されている。

 全く、自分は本当にロマンチストらしい。

「――そうだな。このままじゃぁ、流石にアレだよな」

 そして、当面の目標が頭に浮かぶ。やっぱこれしかないだろう。

 ――いつか、この塩原に行ってみよう。そして、目一杯写真を撮るんだ。

 その為にも、私は今日もこうして日々をやり過ごしていく。目指すのはあの塩原。目的は、空を映す鏡を見ることだ。

 とりあえずは、それでいいだろう? 鏡よ鏡よ鏡さん。


六/鏡よ鏡よ鏡さん――了

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