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五/抱き枕の匂い


 夜中にふと目を覚ます。

 ここ最近は珍しいことではなかった。ぞくりとした寒気で目を覚ましてしまうのだ。

 寒いわけだ、しとしとと雨が降っている。窓を閉めると、多少はマシになった。こういう夜は大抵、窓を閉めたらそのまま寝てしまうわけだが、その夜は何故か目が冴えてしまっていた。

 私は冷蔵庫を開けると、牛乳を取り出す。むぅ、残り少ない。この一杯で終わりか。私は差し出された手鍋を受け取り、牛乳を注いで加熱する。しばらく暖めて、それをマグカップに注ぐ。膜が張っており、甘みが増しているように感じられた。暖かい牛乳を飲んでいると、眠気が増してきた。私はそのまま布団に戻ると、一息吐いて……。

「――って誰だお前っ!」

 布団に一緒に潜り込もうとした小娘を一喝した。



「いやはや、私妖怪の類でして」

 そう自称妖怪の類はうそぶく。

「というか、最近の妖怪はハイカラだな。なんでブレザーなんだよ」

 ブレザー姿の妖怪って聞いた覚えがないぞ。

「最近の妖怪は洋服だって着ますっ! というか着物なんて高くて手が出ない……」

 そんな所帯じみた妖怪、嫌だ。

「妖怪だからって他人の部屋に不法侵入するのはどうかと思うな」

 貞操の危機を感じた。割と冗談でなく。

「いえいえ、私は始めからこの部屋にいましたよ?」

「つまるところ、知りもしない他人と一緒に暮らしてた、と」

 ゾッとした。そんなの、トンデモ事件系のバラエティ番組で紹介される程度でいい。

「違いますよー、だから、私妖怪なんですよ。抱き枕の」

「抱き枕の妖怪って、またなんというか、情緒も恐怖もないような……」

 というか、抱き枕? 抱き枕なんて、使ってないぞ……。

 いや、まて。そーいえばゲーセンで勢いでとっちゃって処理に困っている抱き枕があったような。

 ……あの押入れに突っ込んでいたような。押入れを開くと、そこには抱き枕が……なかった。

「……ね?」

 いや、あのですね。こんなモテない独身オタクの妄想みたいな状況、実際に起こってもらっても困るんですが。そんな花の咲くようなドヤ顔を見せられても困るわけで、す、が!

 というか、良く見たらそのブレザー、その抱き枕のカバーに描かれていた女の子の着ていた服とそっくりだ。というか、その抱き枕に描かれていた女の子とそっくりだ。

 まあ、起こってしまったことは仕方ない。ヤクの売人に声を掛けられるは幾分もマシだ。いや、この状況をマシと言うのは非常に不味いのかも知れないが、相手に悪意はなさそうなのできっとまだマシだ。

「で、なんでそんな抱き枕が化けて出たの? そんなに粗末に扱ったつもりはないけど」

 サンドバッグの代わりに使ったわけでもないし。というか、女の子が描かれた抱き枕にそんな真似はちょっと無理だ。そーいうのはやたら契約を迫ってくる量産型ナマモノの抱き枕に任せる。

「むしろほとんど触ってすらないのが問題なんです」

 そう、抱き枕妖怪は言う。

「道具は使われてこそ意味があるのです。というわけで、使ってください」

 そう言って、まるで「抱いてっ!」とでも言わんばかりに手を広げる抱き枕妖怪。

「いきなりそんなこと言われても困るんだけど。余計抱き辛いし」

「む、むぅ。そ、それじゃあ、不束者ですが、よろしくお願いします」

「三つ指を突くなぁっ! 言い直してもダメだわっ!」

「こう見えて、尽くすタイプです。大丈夫、満足させる自信はあります。男でも女でも」

「余計使いづらくなったわぁっ! というか、やっぱりお前もそんなこと言うのかよぉっ!」

 よく他人から、「お前男なの? 女なの?」って訊かれる。ちょっと自信なくす。

「誰とも一緒に寝たことがないのに? 初物ですよ?」

「言い方気をつけろよっ! それとも何? 処女厨にこびてんの? 気持ち悪いよっ!」

 間違ってはない。間違ってないんだけれど、その言い方はちょっと。

「もぅ、わがままな人ですね。そんなところ、好きですよ?」

「黙りやがれっ! それに人の形になったら余計使い辛いってのっ!」

「私は構いませんよ? なんなら、このままあなたの嫁になっても……」

「言わないよ? 抱き枕は俺の嫁とか言わないよ?」

「それじゃあ物凄く寂しい人ですもんね」

「分かっててそんなこと言ったのっ? それって物凄くタチ悪いんじゃないかなぁっ!」

 なんか疲れた。これ以上こいつのペースに乗せられるのはごめんだ。

 沈黙が流れる。ニコニコとした可憐な笑顔でこちらを見つめる抱き枕と、仏頂面の私。

「いや、まあ、ツクモガミであるとして、そのことを証明する手段ってあるわけ?」

 こいつは自分で自分のことをツクモガミと言っているがその証拠はどこにもない。ただ単に抱き枕を隠して自分が現われただけなのかも知れない。

「確かに私がツクモガミであるという証明はできませんね」

 そう言って、その子は口を噤む。

「まあ仮にツクモガミだとしても、ここに出る理由が分からないんだけど?」

「理由ならありますよ?」

 何故だ? ツクモガミが出るような理由はほとんどない筈だ。

「……長年使われた物には魂が宿ると言います。しかし、今の時代、物が魂を持つに至る頃にはその役目を終えてしまいます。壊れたり、捨てられたり」

 抱き枕はそう囁くように語り出す。

「九十九年。そんなに長い時間、使われ続けた道具は、この時代には存在しないでしょう。私たちは生まれることすらできず、ただ朽ち果てていきます」

 大量生産、大量消費。物は安さと引き換えに大切に使われることなくすぐに買い換えられてしまう。

 しかし、それを悪とはどうしても私には思えなかった。それも一つの物のあり方であるし、資本主義とは生産と消費のサイクルによって成り立つ。物のありがたみは失せ、豊かさを得る。

 まさに等価交換だ。豊かさは肉体的に重要なものであり、また、物のありがたみは精神的に重要なものだ。それらはきっと等価だったのだろう。

 まあ、コレばかりは答えが出ない。貯蓄している者の方が偉いとする者もいて、同時に資本主義は生産と消費を行い続けなければ回らない。

 いや、まあ、結局は「金持ちが使えばいい」という話に落ち着いてしまうわけだが。

 しかし、このことと今回は話が違う。

 物が魂を持つには、長い時間が必要と言われる。それはつまり、この資本主義社会において、物が魂を得るのはほとんどの場合不可能であるということを指す。

 無論例外はあるだろう。例えば、この抱き枕のように。

「何で化けて出れたの?」

 私はそう問い掛ける。

「生き物の形を模した物って、それ以外に比べて魂が宿りやすいんです。ほら、人形だってできてそんなに時間が立ってないのに髪の毛が伸びるでしょ?」

 それは嫌な例えだなぁ。『髪の伸びるホラー人形』と『イラストのプリントされた抱き枕』を一緒にはしたくなかった。

「で、お前さんの目的は?」

 大体分かっている。しかし、改めて訊いてみる。私の見解とこの抱き枕の思わくが同じであるか、今一度確かめる。

「それは、この一言が言いたくて。『大事に使ってやってくださいね』と」

 その一言と共に、急に襲ってきた眠気。ヤバ……眠い。フワフワとした眠気が頭を包んでいく。

 どっぷりと、また闇夜の眠りの中に意識が沈んでいく。その中で、ふと、素っ気ない作り物の匂いと温かみを感じた。



 ……朝だ。これはもう、疑いようのない、完璧な朝だ。南向きの窓、向かって左方からは太陽が昇りつつあった。西の空はまだ藍色が強く、オレンジ色の東の空にはポツリと太陽が昇りつつあった。

 ボーっとする頭をもたげる。さっきまで見ていた夢すら忘れて、私は冷蔵庫まで這って行く。

 朝は弱いのだ。そのくせ今朝に限って、眠気はないのに身体のだるけや疲れは抜けていない気がする。

 冷蔵庫の中には牛乳がある。朝はコレを飲まないと起きた気がしないのだ。

 冷蔵庫まで辿り着くと、もたれかかる様に取っ手を握り、冷蔵庫を開ける。中には牛乳が――なかった。

 はて? 昨夜の食事時には有った筈だが……よく考えると、夜中にホットミルクを飲みたくなって、一つ空けてしまったのだった。そしてそのあと、私は布団の中にもぐりこんだ。ここまでは覚えている。しかし、そこから先は何も覚えていない。そりゃ、眠ってしまったのだから仕方がない。

 授業が始まるまで時間はある。いっそ近くのコンビニまで買いに行ってもいいが、体の方はあまり動きたがらない。

 このまま冷蔵庫の前にへたり込んでいても仕方がない。私はシンクに手を付けて、勢いづけて立ち上がる。

 着替えるために部屋に戻ると、押入れの戸が少し開いていた。この部屋の押入れの戸は少し立て付けが悪くなっており、ちょっとしたことで開いてしまうのだ。

 普段なら閉めてしまうところだが、今日は何故か開けてしまう。

 ――中には雑多に置かれた漫画の入ったダンボールや冬着、そしてまだ封のされている抱き枕が転がっていた。

 ふと、何の気まぐれか、抱き枕の封を開ける。自分でもこの抱き枕の封を開ける理由は思いつかなかった。

 抱き付いてみると、新品の素っ気ない匂いがした。

 駄目人間へとドンドン近付いている気がするが、何となく、それが正しい事だとうそぶく自分がいた。

 何か思い出しそうで、決定的に足りない匂い。それを嗅ぎながら、泡沫に消えたその何かを想う。

 結局それは思い出せないまま、同じボロアパートに住んでいる友人が起こしに来るまで、私は抱き枕の匂いを嗅ぎ続けたのであった。


 ――追記するなら、私はその様子を私を起こしに来た友人に見られてしばらく恥ずかしい思いをしたのだが、それはまた別の話だ。


五/抱き枕の匂い――了


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