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四/ドラッグ・オブ・ラビット


 夏も既に終わりを告げ、時折涼しい風が街を吹き抜けていく頃合になっていた。

 今年もあと僅かで、今年は色々なことが起こったと思う。まあ、振り返るには少し早すぎると思うし、何より秋も真っ盛りだというのに暑さだけは一向に日本列島から旅立とうとしない。

「あちぃ」

 朝夕の風は涼しいくせに、昼間の空気は真夏のそれと全然変わりゃぁしない。だから体調も崩しがちで、夏の疲れが尾を引いているどころか、溜まり続けている今日この頃。

 麦茶は既に品切れ。仕方がないので水道水を一晩ほど冷蔵庫で冷やして飲んでいるのだが、一晩置いた水はカルキが抜けきっており、日本の水道水はなんだかんだで美味いということを再認識させられる。

「隙間風なんて嘘だ……」

 このボロアパートは冬は涼しく、夏は暖かいという心憎い親切設計だ。夏は湿気で木材が膨張して隙間風が少なくなり、冬は乾燥によって収縮して隙間風が多くなる。木造ボロアパートの宿命とも言える。木材が湿気を吸ってくれるので冬ほどに酷くはないが、それでもこの暑い時期をクーラーなしで過ごすのは現代人には酷な話だ。

「……いいなぁ」

 庭ではアパートの住人たちがビニールプールを中心に雑談していた。まだ学生だとはいえ、流石にあれほど若くはない。私はその姿をアパートの窓から頭だけ出して覗いている。

 とはいえ、ビニールプールに浸かることまではしないが、タライに水を張って足を浸しながら縁側で談笑するというのも悪くない。そうは思うが、問題が一つあった。

「というか、半分はあんたの所為であの輪に加われないんだけどね」

 そう、私はそこにいた奴に恨みがましい瞳と台詞を向ける。

「はっはぁ、何でもかんでも俺の所為にしておけばいいというスタンスには苦言を呈するよっ!」

 そう、いつものようにウザい態度でMは言う。こいつが丁度いいタイミングで遊びに来て下さりやがったおかげで、こうして暑いボロアパートの部屋の中でダラダラしている訳である。

「いや、結構事実だよ。だってあんたを放ってあの輪には加われないし、かといってあんたをあの輪に加えるのも、あっちに迷惑だし」

 こんな変人が知り合いにいるというのもあまり知られたくはない。

「ご近所さん同士、仲がよろしいことで。というか、『あんたを放ってあの輪には加われない』ってところに愛が感じられます」

「うっせぇ黙れ。アイが欲しけりゃ金払え」

「金で買える愛……大人の香りだね」

「LoveじゃなくてEyeな」

「一気にホラーだな」

 任侠物でも良さそうだな。

「というわけで、お昼ごはんにフライアイなんていかが?」

「そこはふつーにフライエッグでいいじゃないのか?」

 言うまでもないがフライエッグとは目玉焼きのことだ。そろそろ遅い朝飯兼早い昼飯にしようかと思い、窓枠が離れる。

「俺、パズーのお弁当でお願い」

「トーストがないから諦めろ」

 目玉焼きをトーストの上に載せるだけの簡単なお料理です。

「まあ、君の料理を食べるのも、コレが最後かもしれないから文句は言わないよ」

「どういうこと?」

 なんか不吉な台詞をMは吐く。

「春が、来たのさ」

「おーけぃ、爆発しろ」

 私より早い春なんて……。いっそもげろ。

「というか、春も何もまだお月見の季節なんだけど。出会いの季節には早すぎるって」

 いや、むしろ遅すぎるのか?

「出会いはいつも、突然に」

「どっかで聞いたフレーズだな」

 余計ムカついてきた。蹴り倒していいかな……。

 私に足蹴にされながらも、Mは会話を続ける。

「イヤですね、出会いは廃墟系サークルでのOFF会だったわけですよ」

「廃墟系サークル? いわゆる、廃墟好きが集まって酒飲みながらお話しよーぜ的な集まり?」

「を、建前にした合コンですた」

 合コン、だと?

「あの、リア充のみに許されたアウトローな暗黒儀式に、お前が参加しただとっ!」

 なんとうらやまけしからん。

「因みに、乱交サークルの旅行OFFにも誘われたゼ」

「いっそ埋めたろか」

 乱交旅行に参加したいわけではないが、このリア充オーラがひっじょーにムカつく。なんというか、「お前とは違うんだよ」と言わんばかりの上から目線?

「まあまあ、君とは一生縁のない話かも知れんがもし」

「黙れ童貞。OFF会に行って恥ずかしい目に遭えばいいんだ」

「どどど童貞ちゃうわっ! こー見えて、ソープとか言ったことあるもんねっ!」

 それも童貞だ。素人童貞だ。余計恥ずかしい気がしないでもないぞ。

「まあまあ、君とは違うのだよ、ほほほほほ」

「……」

 まあ、いいか。私はMの足蹴を止め、小さな台所に立つ。フライパンに油を引き、卵を二個落とす。

 一緒に、昨夜残した豚汁に火を入れる。後は炊飯ジャーの中身だけれど、コレも昨日の残りがある。

「秋といえばお月様だけれど、君はお月見はやるのかい?」

「まあ、酒ぐらい飲むだろうけどね」

 今回の話題はやっぱりお月見なのか。――古来から月はその存在感から様々な伝説に登場する。挙げればキリはないが、月ではウサギが餅、もしくは薬を搗いていたり、新月・満月になると月の魔力が最大になるとか、あとは神様ならツクヨミとかアルテミス。そりゃ、夜空に一つだけでっかく浮いていたらお話しの種になるというものだ。

「……ウサギと魔力とツクヨミ。うーむ、コレ全部混ぜてみたら中々の萌えキャラができあがるんじゃ?」

「止めとけ。何番煎じか分からん。ウサミミ生やした魔女ッ娘ツクヨミとか絶対に止めろよ、絶対に止めろよ」

 ちらっ、ちらっ。

 ちらちらとこちらを見る姿が凄くウザい。というか、そんな属性のてんこ盛り、需要はあるのか?

「……というか、ツクヨミは男神だし」

「え、あ、そうなの?」

「太陽の神さまであるアマテラスが女神で、対比である月の神さまであるツクヨミ男神だと言われてたんだ。それがいつの間にか混同されるようになったわけ」

 そんなウンチクを口にしながら、私は目玉焼きに火が通ったのを確認すると、それを皿に移す。白菜の漬物と豚汁二杯、目玉焼きの乗っている皿、そしてご飯二膳をトレイに乗せると、六畳間の中央に鎮座している卓袱台まで運び、並べる。

「いただきます」

「いただきまーす」

 手を合わせていただきます。大事な習慣だ。

「あ、そうだ。月のウサギで思い出した。最近流行ってるドラッグなんだけどさ」

「やめてよ。食事時にそんな話題」

「気をつけて欲しいから話題に上げたの。そのOFF会で聞いた話でね、えーっと、百々目鬼ってクスリなんだけどね」

 百々目鬼。盗人の腕に大量の目が現われる怪異だ。

「効能は高揚感、興奮作用。そして視線恐怖症の発症。本来は視線恐怖症の治療薬として開発されたものなんだけど、失敗作でね。逆に健常者に視線恐怖症を発症させてしまうクスリになったのさ」

 それが麻薬の類として流通し始めた訳なのか。

「中毒性、依存性が強く、他者に対する攻撃性を誘発するって言う最低なクスリでね。しまいにゃあ幻覚を見るって話。コレが原因で田舎の民宿を営んでいた女将が夫を殺して、息子の友人を巻き込んで自殺するっていう事件があったんだけど、こっちじゃああんまり報道されてないね」

「その息子は?」

「どっかに移り住んだって話。民宿も解体するって話だけど、目途は今のところ立ってないそうだ」

「で、その話が月のウサギとどう関係があるの?」

「イヤそれがね、月でウサギが搗いているのは餅って話だけど、他のも薬を搗いてるって話もあってな。後もう一つ、そのクスリが開発されたって噂されているのが、玉兎研って話」

 確か地元の大学の研究機関という話だ。テロメアの研究を中心に行っており、後ろ暗い話もそこそこ聞こえてくる研究室だ。あの研究室ならさもありなんとは思うが、噂は噂だろう。玉兎とは、そのままお月様の兎を現しており、テロメアは寿命に関係したタンパク質構造体である。お月様の兎が搗いているのは不老不死の薬、ざっと要約すると不老不死を研究する研究機関というわけだ。

「都市伝説だろ、あんなの」

 この存在は都市伝説の類だ。どこの大学の研究室かも分からない謎の研究室。実際のところ、玉兎研が表立って問題を起こしたという話も聞かない。

「まあ、不老不死を研究している玉兎研がなんで視線恐怖症の特効薬を作らなきゃいけないのか分からないしな」

 その日は以後、その話題が上がることはなかった。



 いつまで経っても日差しは弱まらなかった。暑さのあまりに身体中の水分が汗と一緒に蒸発してしまったようで、喉が非常に渇いている。このままでは干からびてしまうので、水でも買おうかと思い、自販機を探す。

 自販機で水を買うと、私はバス停留所の古ぼけた待合室の影に逃げ込む。

 既に先客がいた。背広を着た男だ。この暑さというのに男は上着を脱いではおらず、ネクタイもしっかりと締められていた。それで汗一つ掻いていないので、少し不気味だった。

 こういう時、大体の物語ではこういった謎の人物は登場人物を奈落の底に突き落とす。

 その期待は、男のこの言葉で叶えられた。

「君、スタッフに興味ない?」

 予想通りだ。予想通りでそれはそれでちょっと、と思わないでもない。

「クスリ?」

 スタッフとドラッグは大体同じ意味だ。男は私に笑いかける。

「そうそう。トロから七味まで、各種取り揃えているよ」

 トロは正確には純トロ、シンナーのことだ。七味は多分、大麻とかケシ系のアルカノイド合成薬辺りだろう。七味には麻の実とケシの実が入っているから、そういう隠語が生まれたのだろう。トロまでは聞いたことはあったが、七味は初めて聞いたぞ。コレだけ聞くと寿司の話に聞こえるからたちの悪い話だ。

 しかしまあ、シンナーをそのまま売りつけるというのは売人としてはどうかと思う。あれはドラッグとしては下の下だろうに。

「デザートにアイスなんていかが?」

「そんな命知らずなチャンポンはごめんこうむる」

 それだけイッキに乱用したらショック死しかねない。

「それと、最近流行ってるのが妖怪のお薬」

 妖怪のお薬?

「ある医療薬の研究の過程で出来上がった不完全品でね。そのままスタッフとして扱えそうだから、今流通してんの。カッパのキズ薬なんてのはいいぞ。水の中をフワフワ漂っている感じで、今の時期にぴったりだ。あとは、百々目鬼なんかオススメだ」

 しかも聞いてもないことをペラペラと。

「百々目鬼?」

「それに興味があるのかい? 百々目鬼は視線恐怖症の治療薬として開発されたもんだけどね、肝心の治療には上手く作用しなかったんだが、代わりに興奮作用と高揚感を得られるから、セックスとかオナニーする時に飲むといい感じにハマれる。セックスに限って言えば、アイスに比肩するよ」

 一回試してみればいいよ。そう言って、男は私の連絡先と一緒に小さなピルケースを握らせ、たった今来たバスに乗り込んだ。

 ……さて、どうしたものか。

 私はふと、猛烈に喉が乾いていることを思い出した。水分補給の為に買った水だが、どうしてか、今はその水に口を付けたくなかった。


 しばらく日付を置いて、私はその男と再会した。

 いや、正確に言えば見かけた、というべきか。食事に入ったファーストフード店で、男は客と思しき青年と一緒に座っていた。

 静かに聞き耳を立てる。

「――最近、誰かに見られている気がするんです」

 青年は怯えるように言う。

 百々目鬼の副作用の一つ。いもしない誰かの視線を感じるという妄想。更に視線恐怖症まで併発しているように思える。

「大変ですね。お薬の方は続けられていて?」

「はい。中々改善されませんね。俺、この前夢を見るって言ったじゃないですか。最近では母や父、美也子まで現われるようになりました」

 どうやら医者のフリをして男に百々目鬼を売っているようだ。本当に薬剤師の類なのかも知れないが、ヤツのやっていることは売人の類で、もし薬剤師だとしても、失格だろう。

「大丈夫です。すぐ治りますよ。お薬の方、処方しておいたのでどうぞお使いください」

 そう言って、男が客に薬を渡した時だった。二人を数名の男たちが囲い込む。

「すまないけど、ちょっとご同行願えますかね?」

 そう言って、男の一人が懐から何かを見せる。こちらからはそれが何かは分からない。

 男たちは、二人を連れてファーストフード店から出て行った。

 さて、結論から言おう。私はあのクスリと連絡先を警察に投げ込んだのだ。連絡先は足の付かないを使っているのだろうし、最初はアレだけじゃあ逮捕まで難しいだろうと思ったが、どうやら日本の警察は私が思ったより優秀だったらしい。

 今回私がこの場に居合わせたのは偶然だ。偶々夕食にファーストフードを選んだら、そこにヤツらがいて、そして偶々今の任意同行を目にしたわけだ。人生は面白いものだと思いながら、ふやけて不味くなりつつあるポテトを口にする。

 しかしまあ、今まで色んなことに巻き込まれつつも結局は部外者であったが、今回ばかりは当事者だった。まあ、いずれにせよ結局は私の人生は何の変革も起こらずに回り続ける。

 少しだけ変わったことと言えば、しばらく飲むのを避けていた水道水を、久しぶりに美味しく飲めそうだということだろうか。


四/ドラッグ・オブ・ラビット――了



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