九/神隠しの日
朝起きると、異様な冷え込みを自覚した。いや、正確に言うならば異様な冷え込みを自覚して起きてしまった、なのだろう。朝起きたら張り詰めるような空気の冷たさに、身体が悴んでいた。
私は抱き枕(仮)ちゃんを突っ込んでいる押入れから冬物の服を取り出すと、そのまま着替える。ちょっと防虫剤の臭いが強いが、そのうちこの臭いも抜けてしまうだろう。
去年の十一月はこんなものだったかな、とか思いながら、東の空から顔を出しているお日様を拝む。思いの他早く起きてしまったようで、時計を見るといつも自分が起き出す時間よりも驚くほど早い時間に眼が覚めたようだった。
朝日を見ていると、こつん、と窓を何かが叩く音が聞こえた。
「虫、かな?」
もう一度、こつんと窓を叩く音。しかし、虫の姿はない。十一月にもなると虫が部屋の中に飛び込んでくる時期ではないのだが……。
そう思いながら窓へと近付くと、アパートの庭に見知った顔があった。
いつぞやの星の下で酒を飲み交わした男の子がそこにいた。
「いやぁ、久しぶりだね」
そう言って、男の子は部屋の中に上がってきた。一体どうやって私の部屋を突き止めたのだろうか。
「この前、この部屋に入っていくのを見てさ」
……ちょっと寒気がした。
男の子は背広を着ており、紙袋を持参していた。この背広がまた似合ってなくて、違和感が凄く強い。
「で、今日は何なの? 朝っぱらから酒盛りするつもりはないよ」
「いやいや、お酒だけが僕らのお付き合いじゃないでしょ。今日はお土産を持ってきてさ」
そう言って、男の子は紙袋の中を広げ始めた。
「お土産って、どこ行ってたのさ」
「ああ、島根だよ。出張でさ、この前お世話になったからと思って」
お世話って、そんなに大したことはした覚えがないぞ。
「えーっと、これが彩雲堂の若草って和菓子。あっちじゃ結構有名何処らしいよ。で、これが片句わかめ。ちょっと炙って食べると良い感じ。あとは、お守りかな」
そう言って、次々とお土産を並べていく。
いや、ちょっと、ここまでのことをした覚えはないんだけどなぁ。
「君とはこれから懇意にさせてもらおうかな、って思ってさ。ほら、酒を一緒に飲むってことはそーいうことだろ?」
いや、会って二度目なんだけどなぁ。
「というか島根というよりは出雲だろ、そのラインナップは。出雲行ったのだったら縁結びの糸の方が……」
男の子が持ってきたのは大雑把に言って魔よけの類だった。出雲大社のお守りと言えば、縁結びの糸だろう。
縁結びで思い出した。一つ、この小僧に言っておかなくちゃいけないことがあった。
「おい小僧。あそこの社、聞くところによるとどうやら縁結びの神様とか何とか。この前お参りに行ったのに、これといって何もないんだがどーいうことさ」
今のところフラグ一つ立ってない。立ったのは廃墟系サークルの子と出合えたMの方が先だった。しかもあいつ、お参りすらしていないのにだ。
「さあ? なんというか、お供え物が一本二百円以下の発泡酒だったからじゃないの? ほら、神頼みってあれじゃん。当たればラッキー的な」
そう言って、眼を逸らす男の子。他に思い当たる節がありやがるな。しかも私には言えない理由が。しかもこいつ、神頼みを宝くじとかと同列に語りやがったぞ。
「横にあったのはコンビニの団子だったぞ。あっちもそんなに値段は変わらない」
「じゃあ、お目当ての相手がいなかったんじゃないの? 縁結びと出会いは違うよ。あそこは近しい点と点を繋ぐのが仕事。点をどこか別の点を探して繋げるのはお門違いなんじゃないかな」
そう言われると、ぐうの音も出ない。
まあ、こいつを問い詰めても仕方がない。大人しく引き下がる。
私は朝の情報番組を見ながら、朝食の準備を始める。
「あんた、ご飯は?」
早朝に来宅するという非常識な客に対して、そう呼びかける。
「作ってくれるの? だったらお願いしますよ」
まあ、一人分も二人分も変わらない。流石に三人分となると、家計の問題となってくるが。
味噌汁のダシを鰹節から取りながら、昨日の残りの秋刀魚を二つに割って焼く。そうなると一人当たりの量が少なくなるので、おつまみとして買っておいたイワシを朝食に回す。豆腐が丁度二人前ぐらいあるので、冷奴も採用。
味噌汁の具には、ほうれん草とゴボウ、油揚げを採用。後は米だが、これに関しては昨日の残りがまだまだ残っているので問題ない。
食卓に並ぶ頃には、良い按配の時間だった。
「「いただきます」」
そう言って、二人して箸を取る。
「それにしても、手際良いねぇ、見た目によらず」
「見た目とか言うな。結構気にしてんだから」
だからと言って、格好付けるのも何か嫌だ。なんというか、しょうに合わないし、お金もない。
「勿体無いなぁ。しっかりとした格好をすれば良い感じなのに。多分入れ食いだよ」
男の子は心にもないといった表情で言った。
「で、今日は何か用事があんの? お酒は飲まないって言ってたよね?」
男の子は秋刀魚を割りながらそう問い掛けてくる。
「いやさ、寒くなってきたらそろそろ暖房器具の用意をば」
「君、この部屋に住み始めてかなり立ってるだろうに。暖房器具一つないって、どういうこと?」
男の子は少し前までカレンダーが張ってあった壁を見て言った。そこだけ日焼けで色が変わってしまっているのだ。
「去年まで頑張ってらした電気ヒーターさんが、昨夜ご臨終なされました」
そう言って、私は台所の隅に置かれているヒーターを箸で指す。長年使い込まれて電熱線の部分が焦げた埃で真っ黒になっている。
「それって埃被ったまま電源を入れたから、電熱線が燃え切れたんじゃ……」
う、うるせぇっ!
「というわけで、電気ヒーターさんに代わる暖房器具をと考えて、買いに行くのですよ。というか、いい加減電気ヒーターを入れたらブレーカーがいっぱいいっぱいになるのはちょっと……」
「石油ヒーターにしときなよ」
「このアパートな、石油ヒーターは禁止なのよ。ちょっとしたことで火事になりかねないから」
「……確かに、盛大に燃えそうだ」
このアパートに住む住人は、日夜放火犯を警戒している。
「まあ、だからこそ月云万を切るっていう激安価格な訳ですけれど」
おまけにブレーカーの設定電力は低め、エアコン無し、木造築云十年でカセットコンロ以上の火気は厳禁、そして隙間風と、冬場はベリーハードを通り越してルナティックモードに突入するアパートであるから、その値段設定は妥当と言えば妥当。
だからといって、冬場の苦行を受け入れるほどに私は自分に厳しくはない。故に、何か暖房器具を買おうかと思っているのだ。
「それに、ここ数年の電子暖房器具はそれなりに消費電力が抑え目らしいから、今回も電子暖房器具にしようかと思っているんだよ」
「言うほどなのか? 大して変わらない気がするんだけど」
「まあ、気休めってのは否めないね。いっそエアコンとか買えたらいいんだけど、そんなお金はありませんっ!」
今回の予算は二万。最大限でも三万を目指すつもり。因みに一万増資して三万まで出したとしたら、来月の給料日まで極貧生活を送ることになる。
さて、そろそろ出かける時間だ。
そう思って、私は上着代わりのパーカーに袖を通す。
「僕も付き合っていいかな?」
そういって、男の子はチョコチョコと付いてくる。まあ、いいだろう。
「ところで、君、名前は?」
そういえば、さっきから『男の子』と記述しているが、そろそろ限界だ。それに、名前も知らない奴に住所を知られているのは、相手に害意がないとはいえ気持ちが悪い。
「あー、友達からはさわっちって呼ばれているよ」
「……さわっちねぇ」
本名を言いやがれ。
まあ、いい。Mほどではないが、私にだって本名を知らない奴との付き合いは結構多い。ネットが登場する以前の世代が聞いたらたまげるような話だろうが、最近の若者には珍しくない付き合いだ。
そういって、今日の私と『男の子』改め『さわっち』の買い物は始まったわけである。
「そっか、十月中はずっと島根だったんだ」
「そうそう。本社が島根にあってね、正社員は十月中、本社通勤になるんだ」
社会人ってそんなもんなのか。会社によってそれぞれの社風があるわけで、彼の会社はそういう社風なのだろう。
「めんどくさいのよ、お上のご機嫌伺いとか。上司の命令はゼッタイだからね」
社会人って、大変なんだな。
「まあ、普段は地元ではノンビリやれる分、まだマシさ。ところで、なんであっちこっち電気屋を回ってんの?」
こいつは……家電製品の買い方も知らないのか。
「色んな店に行って価格を見ておかないと。同じものでも結構差があるんだよ」
主に一日から一週間分ほどの食費ほどに。
「ふーん、難儀なことして生きるもんだね」
「貧乏金無し暇も無し、だよ」
というよりは、お金を別のことに使いたいのでケチれるところではケチるというのが真実か。
軽い昼食を済ませて、次の店に向かう時だった。ふと、女の子たちの会話が耳に入る。
――夢遊病者の散歩って知ってる?
――いいえ。
そんな季節外れの怪談話だった。
「夢遊病者の散歩、最近増えた都市伝説だな」
「だからその都市伝説に付いての話を聞かせろと何度言えば分かるんだ、ミt――ってうわぁぁっ!」
Mだった。いや、どっから沸いてきたんだ、この男。
「俺としては、アレは都市伝説にはカウントしたくないんだけどね。個人的には子喰らい地蔵なんかがオススメ」
「お前の意見なんて聞いてねぇっ! というかどっから付けて来た!」
というか地蔵なのに子供を食べるってどういうことだよ。
「そんなことよりも、この人ダレ?」
「たまに思うんだけどお前ってこっちの話聞いてないよなっ!」
――まあ、いい。
いずれにせよ、紹介は必要だろう。さわっちもぽかんとした顔をしているし。
「えーっと、酒飲み友達(多分)のさわっち。この安っぽい男は悪友の類」
「へぇ、俺以外に友達っていたんだ」
「喧嘩売ってんのかコラ」
少なくとも私の性格はお前より破綻してないぞ、Mよ。
因みに私には飲み友達は結構な数いる。Mに関しては、下戸で酒嫌いなので酒席を共にすることは少ない。
「ふーん、友達ねぇ。僕にはそういうカンケイには見えなかったけど……」
「さわっち、それどーいう意味で言ってるの?」
なんか、空気がピリピリしてる。何が起こっているんだ?
「まあ、いいや。今日はこんなところまで、何要さね?」
「ん、ああ。部屋のヒーターがご臨終なさったので新しい方を雇おうかと」
「ああ、あの埃だらけの奴ね。遂に焼ききれたか」
こいつもそんなことを言うか。
「で、そーいうお前は何でこんなとこまで来てんのさ」
「色々と使いっぱしり。知り合いから買い物を頼まれてね」
そう言って、Mは愛車の軽を指差す。その後部座席には紙袋が三つほど載せられていた。
「あとは、ちょっと趣味で色々調べ物をね」
ちょっとうんざりした。こいつの趣味といったら、大体悪趣味だ。聞いて後悔するような後味の悪い話を大量に収集しては考察するという趣味の悪い趣味を彼は有している。
今回もその類に漏れなかったようだ。
「下沢の神隠しって知ってる?」
「何、あいつ、遂に雲隠れしたの?」
「そっちの下沢じゃねぇよ」
分かってて言った。
この街の南部は下沢という地名であり、この街の下沢さんはその下沢町の元となった村落にご先祖様を持つ。件の下沢君のご先祖様も、この下沢出身なのだろう。
その下沢町も、開港と共に大きく様変わりした。特に発展したのが明治から大正に掛けて。丁度石炭が主要な燃料として活躍した時期だ。それ以降も少しずつ街は成長して行き、古い建物と新しい建物が混在する奇妙な街へと成長した。
その土地柄の所為かどうかは分からないが、この街は『下沢の神隠し』のような都市伝説が絶えない。
「今更神隠しなんて、くだらないね」
さわっちが毒吐く。
「まあ、色々変な話も聞くし、ここ数ヶ月の兆候も面白いと思う」
さわっちのボヤキを聞こえなかったように振舞うM。こっちとしては、どちらの話題に乗ればいいのか困るところだ。
――しかし、Mの言うとおりここ数ヶ月の都市伝説の増え方も尋常ではない。雨女から始まり、夏の怪物、妖怪の薬屋、夢遊病者の散歩……etc、etc。地域ネタを集めたBBSのアクセス数、レス数も鰻登りだ。
無論、それは学生が多い街であるが故の特性とも言えるかも知れない。しかし、数年この街に住んでいた私にとっては、ここ一年間の怪談・都市伝説の急増には違和感を覚える程だった。
……まあ、ここ数年ナリを潜めていた怪談ブームが局地的に現われた、というのが真実なのだろう。妖怪の薬屋とか夏の怪物とかには心当たりがあるのでさておき、夢遊病者の散歩なんてそれがどういう怪談なのか一見意味がわからない辺り、もうなんでも怖い話にしてしまおうという魂胆が目に見えている。
一度だけ、夢遊病者の散歩という怪談がどのようなものかMに質問したのだが、妙な物知り顔でこちらをじぃっと見つめてきた。私の顔に何か付いていたのだろうか。今でもその真意は測りかねている。
私達は裏路地を通り抜け、駅前への最短ルートを目指す。何故かMも付いて来て、さわっちの無言の圧力をモノともせずにいつものように怪談ウンチクを垂れ流す。毎度のことながら、本当に空気の読めない男だ。
この裏路地は急ピッチで開発が進められた表通りとは違い、昭和頃の建物を多く残している。また、学生などの若者が多く住む町であり、ぼろぼろのコンクリートビルにはそこかしこに落書きがあって、廃墟一歩手前の様相を呈している。物騒なのは当然なので普段なら歩こうと思わないが、今回は同行人がいるで気にせずに進んでいく。
裏通り、表通りを交互に行き来して次の店を目指す。その道中、必死な形相でチラシを配るおばさんがいた。
「最近、この街はなんかきな臭くなったよ。心成しか、血の臭いまでするような気がする」
そうさわっちが呟いたのは、そのおばさんからチラシを受け取った時だった。
チラシにはこう書かれていた。『子供、探しています』と。
「下沢の神隠しか」
Mの一言に、さわっちは顔をしかめた。
「そういえば、今年の夏前にも似たような話聞いたな」
「雨女事件だな」
あの事件も確か子供の失踪に端を発した事件だった。女が雨の日に街を歩き回るという都市伝説。あの事件は苦い結末を終えてしまった為、今でも雨の日は心成しか憂鬱になってしまう。
あの雨の日のことを思い出しながら、次の店に入る。
「今年に入って三件目だ。去年以降も合わせたら十件はくだらない」
「そんなになるの?」
それは知らなかった。結構な数、子供が消えているのか。
「神隠し、ねぇ……」
世が世なら、祭でも開かれていたところだ。
その店のヒーターの値段をチェックして、私たちは店を後にする。
「神隠しって呼び方、なんか嫌いなんだよね。無責任な感じがして」
道中、さわっちはぼやく。
気持ちは分からなくもない。人がいなくなるという現象の責任を神様に押し付けるという人間のエゴを本質に持つその怪談、そして彼の言う無責任さが許せないのだろう。
失踪、誘拐――神隠し。人が忽然と消えるというのは、人の仕業それ以外にありえない。
「それはな、神隠しとか狐憑きのように、人間以外に原因を求めることで集団を維持しようとする人間の弱さの現われだから、仕方のないことなんだよ」
Mは言う。――その昔、人は人の常識を逸脱した外道の行いを、悪魔や妖怪の類の人以外の『何か』の行いとすることで自分らとそれらに大きな線引きをした。そうすることにより、集団の中に起こる不和を別のモノに押し付けて集団を維持したのだ。それは現代でも同じで、だがそれは明確に形を変えている。
違う人間という扱い。神や悪魔、狐憑きという表現の代わりに、人は精神疾患や人間性という言葉で人を排他する。だが、その本質は昔から変わってない。彼らは私達とは明確に違う人間で、自分はあんな風にならない。そう自分に言い聞かせて人は人間として生きてゆく。そうしなければ生きてゆけない脆弱な生き物なのだ、人間とは。
しかし、忘れることなかれ、人は脳の構造一つ違えば簡単に人から逸脱して鬼畜という神へと成り果てる。そのことを理解しているかしていないか、それだけでも、もしもの時に人の中で生きていけるか否かの分かれ目になる。
「そんなの、人間の勝手だろ。責任を押し付けられる神とか妖怪は堪ったもんじゃないだろうね」
まあ、確かに神様とか妖怪とかいるのなら、冤罪を叫びたくなるのも分からないでもない。
「神とか妖怪がいるとして、それらが神隠しを起こさないという理由は?」
Mはいやらしさ三割り増し(当社比)の口調でさわっちに質問する。
「今も昔も、神隠しは人の手によってのみ起こる現象だよ。神の類が人間なんかを攫う必要はないし、人を喰らう神や妖怪なんて、大概は祓われてしまうものだからね。現代において、この世で一番多い生き物は人間だ。それに逆らおうなんて、少しは脳みそのある生き物だったら考えないよ」
それも道理か。そうじゃなきゃ、今頃三種の神器は二種ほどになっているか、猟友会は鹿や熊以外に妖怪を撃っているところだろう。
「……おい」
Mが私にだけ聞こえるように声を掛けてくる。囁き声でかつ耳元なのが気持ち悪い。
「……何さ」
「何このイタい奴。宗教関係者?」
「知らないよ……勤め先の本社は島根らしい」
Mも大概痛々しい類の人種なんじゃないかと思う。
彼は神様とか妖怪とか幽霊とかそーいうのを弄ったりして遊ぶのが好きだが、さわっちの場合はそれらと真剣に向き合っているように感じられる。なるほど、この二人は水と油、というよりは火と油のような関係なのか。先ほどからのこのピリピリとした感覚はこれだったのか。そりゃあ、相性は悪い。
イライラとした顔でこちらを見るさわっちを見て、「これは不味い」と思う。どうにか話題を別に向けられないだろうか。
そうやってヤキモキしている間に次の電気店に到着してしまう。
ヒーターを選んでいる間も、二人の間の空気は悪いままだ。この空気を味わい続けるのは嫌だが、正直これをどうにかできる方法は思いつかないし、何よりめんどくさい。
最安値を割り出して、買う店も決まった。後はその店までとんぼ返りしてヒーターを買うだけだ。
「ところで、何で付いてきてんの、君?」
さわっちはMに話しかける。明らかに邪険な雰囲気を滲ませている。
「街で偶然であった友人に付いていくのが不自然か?」
こっちもこっちで微妙に棘が見え隠れする受け答えだ。
なんなんだよっ! 一体何が原因でこの二人はこんなに剣呑な空気になってんだよっ!
――この空気は、アパートに戻っても続いた。
Mは一旦別れ、その後私たちが帰る頃には既に部屋にいた。暇そうにお茶を啜りながら私のパソコンを勝手に弄っていた。
合鍵を渡したのは自分だが、こうもくつろがれると何というか、腹が立つ。
さわっちの方もどうやら暇らしく、長居するようだ。
……そう、この空気は、アパートに戻っても続いていたのである。
この二人の剣呑な空気は、そもそも二人の性格や性質の問題だろう。こればかりはどうしようもないのか。
この二人を見比べてみると、『オカルト』への接し方が非常に似通っていて、しかし決定的に違う部分が明確で面白い。
Mは、オカルトの存在は否定しながらも、オカルトそのものを肯定している。そして、何よりオカルトを愛している。
さわっちの場合はどうだろうか。多分オカルトというものをMよりも身近に、当然のものとして受け入れている節がある。
どちらもオカルトを自らの性質の一つとして取り入れているが、その姿勢、捉え方がまったく違う。彼らはそれこそ火と油。さわっちはオカルトへの真摯な態度は油のそれで、Mはオカルトをより面白く脚色する火だ。そりゃあ、この二つが合わさったら激しく燃え上がるだろう。
「……」
「……」
いや、これは冷戦の類か。まあ、火種と火薬は揃っているのでいつ爆発してもおかしくない。そういう意味でも冷戦とそう変わらない。
私はこの二人を置いて、部屋を出る。どうせ夜までいるのだろう、食料の買出しと酒の補充をする為に近場のスーパーを目指す。すぐ近くなので、携帯もいらない。
夜のなって急に冷え込んだ。お天気お姉さんによると、今夜は強い風が吹くとのことだ。今のところそんな兆候はないが、そのうち風が吹き始めるだろう。
その道中、子供が一人山道へと歩いていくのを目にする。
――こんな時間に、子供が山に行くなんて。一つ注意しようかと思い、その子供を追いかける。
しかし、追い掛けど追い掛けど、子供に追い付ける気がしない。いつの間にかその子供の姿も見失い、暗い夜の山道に取り残された。
ふと思い出す。子喰らい地蔵の話を。
その昔、この辺には有名なお地蔵様がいたという。というのも、この山は昔子供を拐かして食べてしまうという鬼がいたという。その鬼を払い、その魂を供養したの石碑がどこかにあり、それらを見張っているのが件の子喰らい地蔵だという。地蔵というのは子供の守護神と言われ、子供を喰らう鬼を見張る為に地蔵が置かれたのは納得できる話だ。
しかし、話はこれで終わらない。その地蔵はある日、子供の悪戯によって壊されてしまう。そしてその後日、その子供が遺体となって発見される。地蔵のすぐ目の前、その様相はまるで地蔵が子供を喰らっているように見えたという。それが元となり、子供の守護神であるのに子供を喰らう地蔵という怪談ができあがったという。
子供を見失ったのは、その子喰らい地蔵があったとされる場所だった。
寒気が走る。何を怖がっている、その噂だって、Mの調査によるものじゃないか。信憑性もあったものじゃないだろう。それに、そのMだって言っていた。子喰らい地蔵の怪談は、子供が地蔵に悪戯しないように多少脚色されているものだって。
しかし、膝は笑っている。私の怯え姿が余程おかしいらしい。
「ははっ! ここ、何かあるみた、い……」
山の中にそれる道が目の前にその大口を開いていた。その脇には『何か』モノが置いてあったらしき石の定礎。どうやらここには地蔵とか、そういった何かがあった跡が見受けられる。
その古道へと、足を踏み入れる。石が敷き詰められているものの、道は荒れ放題で誰も足を踏み入れていないことが分かる。しばらく歩くと、祠が目に入る。神社なのかもしれない。一見すると荒れ放題の小屋だが、注連縄など神道の意匠がそこらに見かけられる。
祠の戸は開いていた。戸はきぃきぃと小さな風で揺れている。しかも、この周辺、なんか異様な臭いがする。鉄というか、生き物の臭いというか、そんな不快な臭いが。
中途半端に開いた戸に手を掛ける。なんて自殺行為。大体この後の展開は分かっている。見ては不味いものを見てしまって、私は死ぬ。サスペンスやミステリ、そしてホラーの常道といえばこんな所か。そんなことも分かっていながら、私はその戸を開く。
――赤い。夜闇の中でもそれは、月に照らされ猶赤い。真っ赤な塗料を撒き散らした部屋の祭壇にはお地蔵様が一柱、御口を赤くして鎮座していた。
地獄絵図のようだ。私が見聞きした中でも最低最悪の光景だ。両手指では足りない程の数の子供の躯と、そしてそれに囲まれる子喰らい地蔵。その子喰らい地蔵の前には両手両足の足りない子供が一人、イケニエとして捧げられていた。
「だ、れ?」
息が、ある? こんな状況で? どうして息をしているんだ?
「先を見てごらん、ロープで縛ってあるんだ。失血死してしまわないようにね、ぎゅぅって縛るんだ」
男の声に振り向く。見知らぬ男だ。
「痛みでショック死してしまわないように大量のモルヒネを使うんだ。これが中々金が掛かってしまったねぇ。さっさと解禁してくれれば少しは安くなるのに」
男はこちらへとゆっくり近付いてくる。ヤバイというのに、足が動かない。パニクって何をすればいいのか分からないっ!
「ここに越してきたのは最近でねぇ、いいところを見つけたと思ったんだけどな。こんなに早く見つかるなんて。やっぱり心霊スポットの類はダメか」
男は哂いながら私を祠の中に追い込んで行く。
「まあ、見つかっちゃったのは仕方ないし、ここは運が悪かったと思ってさ」
にたぁっと哂う男。
こりゃやばい。間違えなくバッドエンドだ。複線を一つ一つ丁寧に踏んで行ったのだから、この結果は当然だ。財布しか持たずに家を出て、道中見かけた子供を追っていって、入らなくていい山の中に入っていって、そして開けなくて良い戸を開いてしまった。そりゃぁバッドエンド以外にありえない。何か一つでも違えれば、この結果はなかったのに。
「んー、まあ。諦めるのは君の勝手だけどね」
――ふと、聞き覚えのある声が聞こえる。
「なんていうか、第六感って言うの? そんな感じの何かがヤバイって言うからさ、ちょっと後をつけて見たらこんな状況。全く君は面白いね」
さわっちだった。
「しかしまあ、お前さん。酷いことするな。お地蔵様になんて化粧してんだよ。祟られても知らんぞ」
Mもいた。畜生、何かっこつけるように立ってんだよ、あの男っ! 唐突に腹が立ってきた。
「――っちぃ! 近付くんじゃねぇっ! こっちには武器があるんだよっ! どういうことか分かるよなぁあっ!」
そう言ってナイフを取り出す男。
「唐突に小物になったな、お前。ダメだろ、シリアルキラーとかサイコパスだかが保身考えちゃ」
「人質を使って恫喝するのは大体小物の仕事だからね」
ちょ、ま、何挑発してんのさお前らっ! 確かに私もちょっと小物臭がするな、とか思ったけど、こっちはタマ握られてんだよっ!
「まあ、お前さんが小物かどうかはさておき、仮にもここは神域なんだよね。それをそーいうので汚されるのはちょっと困るんだよねぇ」
そう言って、さわっちは一歩踏み出す。
「神道に置いて死や血という負の要因は穢れとされる。――お前も思うだろ?」
一息吐いて、また一歩。すると、その雰囲気の気圧されたのか、男もまた足を笑わせる。
「心地よい寝床が血生臭くなるのは嫌だって」
山がざわめく。まるで激怒するように。ざわざわ、ざわざわと。
その雰囲気を身に纏い、一歩一歩さわっちは足を踏み出す。
「あまつさえ……、神を冒涜するようなその所業。許しておくべきかっ!」
突風が走り抜ける。山全体を揺らすような猛烈な風が、祠を重く包み込む臭いを吹き飛ばしていく。
「あ、ああっ!」
男はナイフを放り出して逃げ出す。男は藪の中に走り抜け、やがて姿を消した。
「ハッタリだけは上手いな、お前。何で突風が吹くことが分かったんだ?」
「僕は風を読むのが昔から上手くてね、今日は急に冷え込んだし、来るなと思ったんだ」
Mの疑問も当然だ。あれは常人離れしているタイミングだった。まあ、読めるというのだから読めるのだろう。そんな奴がいてもいいだろう。
「さ、急いでその子を病院に運ぶぞ。俺が麓まで運ぶから、誰か救急車を呼んでくれ」
そう言って、Mは子供を抱き上げる。私は携帯を置いてきたので、さわっちが携帯を取り出す。
麓に降りる頃には、救急車と合流できた。更に警察のパトカーも到着しており、私達は救急車に子供を預けると、すぐに警察官を例の祠へと案内した。
全てが終わる頃には、既に日付が変わっていた。
「子供、ねぇ。……見間違えなんじゃない?」
次の日の夜。事情聴取を終えた私たちは、昨夜食べることのできなかった鍋を囲んでいた。
「そんなこと――」
無いとは言えなかった。今思えば、それが何だったのか、説明できない。見間違えと言われればそんな気がしてしまう。
その子供は、祠の中にいた子供とは別人だった。その子は一昨日いなくなった子で、チラシの子供は残念であるが、あの骸の一つであった。
そして私が見た子供は、そのうちの誰でもなかった。というよりは、「子供だっ!」っとなんの根拠もなく思い込んでいたような、そんな気もしてくる。
「あの子、助かったらしいぞ。少しでも遅かったらアウトだったって。ただ、残念だけど手足はあのままだってさ」
喜ばしいと言うべきか、残念と言うべきか。命だけはと言うべきなのか、それとも人生が滅茶苦茶になったと言うべきか。それは人によって意見が分かれるところだ。
死という最悪は免れたが、無手無足という最低な人生だ。だが、それを最低にするか否かを決めるのはあの子次第だ。そして、あの子を取り囲む環境次第でもある。どう接してあげるのが一番なのだろうか。難しいところだ。
「なんにせよ、今度お見舞いに行ってあげなきゃ」
まあ、少しでもあの子の人生に関わったんだ。それぐらいしないといけないだろう。
「そうだな。あーいう歳の子って、何持って行ったら喜ぶんだ?」
食べ物とか花辺りが無難で良さそうだとは思う。
「自分の好きなモノを持って行ったらいいと僕は思うよ」
さわっちが熱燗を仰ぎながら言う。それはいい考えだとは思うが……。
「お前、日本酒なんて持っていくんじゃねぇぞ」
「全く、失礼だな……。いくら僕がヘビードリンカーだとは言え、流石に子供のお見舞いに日本酒を持ってくるほど常識外れじゃないよ。君だって、エログロ小説の類なんて持ってきちゃダメだからな」
「流石にそんな真似できねぇってのっ! 確かにエログロの類は大好きだけどさっ!」
その辺は私も心配していたところだった。あと怪談傑作集とかもアウトだろう。
「あいつは、どうなったんだろ?」
「……その話なんだがな」
――男は死んでいた。どうやら足を滑らせて、山肌を転げ落ちたのだとか。それだけなら男の不注意だが、どうやら足を滑らせた理由が山の中に転がっていた地蔵を踏ん付けてしまったのが理由なのだとか。
元々子喰らい地蔵は二つあった。一つは壊された後にまた作られた地蔵。これが子喰らい地蔵そのものであり、更にはあの祠の中に安置されていたものだ。そしてもう一つ、子供の悪戯によって壊されてしまったモノだ。これは山のどこかに捨てられていたらしく、男はその地蔵の一部を踏んだか躓くかして山肌を転げ落ちて死んだ。
なんとも薄気味悪くなる話だ。偶然と言われれば反論のしようがないが、それらに何らかの必然性を感じてしまうのが人間という生き物だ。
「さわっちは、どう思う? やっぱり偶然?」
「さあ? そりゃ僕の専門外だよ」
そう嘯いて、さわっちはまた一口、酒を呷るのだった。
九/神隠しの日――了




