幼馴染みの死んだ理由
いつもそばにあった笑顔が消えた時、正直どうしていいか分からなくなった。
へらりへらりと掴みどころのない笑顔をしていた幼馴染みの存在は、本当に掴めなくなってしまったのだから笑いものだ。
幼馴染みが学校の屋上から飛び降り自殺したのはほんの数日前のこと。
元々他の学校同様にうちの学校も施錠はされていた。
その施錠及びに鍵の管理はひどく甘かったのだけれど。
全く持って施錠の意味がないそれを幼馴染みは知っていて、合鍵を作っていたのだ。
深夜学校に忍び込んで屋上へ向かった幼馴染みは、遺書と靴と鍵を揃えて置いて、そのまま屋上から飛び降りたらしい。
その現場は見ていないし私がそのことを知ったのは、家を出ようとした時にかかってきた緊急連絡網でだ。
遺書は幼馴染みの両親と何故か私に残されていた。
担任に呼び出されてみると、言いにくそうに申し訳なさそうにして地味な茶封筒を私に見せたのだ。
幼馴染みが死んで一日経った後だった。
「……警察は自殺って言ったんですよね。そう、断言したんですよね?」
茶封筒を膝の上に置いて見下ろした。
触った感触からすると便箋の枚数はそんなに多くない。
私の質問に対して担任は「そう、だな」と言いにくそうに言った。
そりゃあそうだろう。
一応担任なのだから、問題視もされるかもしれない。
学校としても問題過ぎる問題を抱えたことになる。
これがいじめとかだったから、担任の立場はもっと危ういところだっただろう。
「じゃあ、これは家に帰って一人で確認しても問題ありませんよね?封が切られてますし……」
警察の方も確認したんですよね、と言いたいところを伏せて話せば、担任も分かってくれたらしく緩く頷いた。
自殺と断定される内容が書いてあるのか。
また自殺をするに当たった理由が書いてあるのか。
担任に頭を下げてそそくさと家に帰る。
帰宅した私を見て母が心配そうな顔をしたが、直ぐに部屋に駆け込んで切られた封から便箋を取り出す。
よつ折りにされた便箋が二枚入っていた。
文字が書いてあるのは一枚目だけだ。
『ぼんやりとした不安こそ恐れであり、先の見えない暗闇を歩きながら生きるのは苦しい。いつか隣にある存在が消えるよりも早く、消えた方がきっと安心出来るのだろう』
グシャリ、と便箋を握り締めて部屋を飛び出た。
母が驚いてリビングから顔を出したが、私は靴を引っ掛けて隣の家へ駆け込んだ。
そこは幼馴染みの家であり、昔からお互いに出入りしていたために今でもこの時間帯は鍵が開いていた。
「おばさん!あの子の遺書は?!」
入って行くなり失礼だとは思ったが、靴を脱ぎ捨てて声を張り上げた。
すると奥の部屋のふすまが開いておばさんが顔を出す。
驚いたように目を見開くおばさんだが、その目は泣き腫らして真っ赤になっていた。
「桜ちゃん……」
今にも泣き出しそうに歪んだおばさんの顔を見て、私はふすまに手を掛けた。
そこには昔ながらの丸いちゃぶ台が置いてあって、床は真新しい畳。
和室らしく隅には大きな仏壇が置いてある。
ちゃぶ台の上には私が貰ったのと同じ地味な茶封筒。
封が切られていて横には便箋が二枚重ねておいてある。
礼儀として「失礼します」と声を掛けてから足を踏み入れ、便箋を手に取った。
そこにはやはりと言うか何と言うか、私に当てられた遺書と同じ言葉が書いてあったのだ。
便箋にはポツポツと涙の跡があって、私が来る前におばさんが読み返して泣いていたことを教えてくれた。
「椿は、恋人でも、いたの、かしらっ……」
背中に投げられた問い掛けに振り返ると、おばさんがその場に座り込んで泣いていた。
ボロボロと涙を零すおばさんを見ながらも、私は幼馴染みの交友関係を思い返す。
恋愛にはひどく疎い幼馴染みだった。
付き合ってたなんて話も好きな人がいるなんて浮いた話すらなかったはずだ。
「さぁ、どうなんですかね」
握り締めた遺書にもならないそれをポケットに詰め込んだ。
おばさんに当てたそれをちゃぶ台に置いて、頬を伝う水滴を拭う。
ぼんやりとした不安は何を示すのか、隣にある存在とは何なのか。
私は幼馴染みのことをこれっぽちも理解出来ていなかったらしい。
***
それから数日後、学校に来れば当然話題は私の幼馴染みである椿のこと。
クラスメイト達は私に気を使ってか口を閉ざしていたが、雰囲気が重く私をチラチラと意識するような視線が感じられた。
幼馴染みの机の上に置かれた花瓶を眺めながら、取り敢えず割ってやろうかという考えを消し去る。
だってそこに幼馴染みがいるような気がして仕方無いのだ。
いつも通りヘラヘラ笑って「桜ちゃん!」と私を呼ぶような気がするのだ。
ぼんやりとした不安が何なのか分からない。
そんな形のないものを恐れと表現する幼馴染みが分からなくて、分かりたくなくて考えられない。
そんな形のないものに恐れをなして、自ら命を絶つその考えが理解出来ないのだ。
幼馴染みは一体、何に恐怖していたのだろう。
授業中にそっと目を閉じて机の上に伏せた。
カツカツと黒板に当たるチョークの音や、カリカリと板書をする音、コソコソと会話をする生徒の声が聞こえる。
普通だ。
普通に普通の授業中。
でも、と伏せたまま目を開ける。
腕を枕にして顔を下げているから、目を開けても広がるのは暗闇。
でも、幼馴染みはいないんだ。
椿はいないんだ。
「桜ちゃん」
ふわりと花の香りがする。
いつの間にか閉じていた目を開けると、そこにはへらりと締まりのない笑みを浮かべる幼馴染みが立っていた。
「椿?」
「桜ちゃん、あのね」
スカートをなびかせながらそこに立っている幼馴染みには、しっかりとした足が生えていた。
近付いてその腕に触れると、不思議そうな顔をして首を傾ける。
あぁ、きっとこれは夢なんだ。
理解すれば辛くなる。
でも理解しなくても目が覚めたら辛くなる。
どの道同じじゃないか、と自嘲にも似た笑みを零す。
「桜ちゃん、私の話聞いてくれる気ある?」
ぷくーっと子供みたいに頬を膨らませる幼馴染みは、本当に同い年だったのか気になる。
夢なら夢でいい、割り切ろう。
目が覚めたら教室で授業が終わっていたのならば、教室を出て一人になればいいのだから。
「凄く凄く、寂しいんだ」
幼馴染みの伸ばされた髪が揺れる。
加工していなかった黒髪は背中中央まで伸ばされていて、いつも無造作に結えられていた。
だが今は違う。
そのまま下ろしている。
そう言えば見つかった時には髪を下ろした状態で、制服を着ていたって担任かおばさんから聞いていた。
もしかしたら両方かもしれないけれど。
だからなのかもしれない。
目の前の幼馴染みが髪を下ろして制服を着ているのは。
夢というのはどうにも都合のいいものだ。
「『ぼんやりとした不安こそ恐れであり、先の見えない暗闇を歩きながら生きるのは苦しい。いつか隣にある存在が消えるよりも早く、消えた方がきっと安心出来るのだろう』」
遺書と同じことを口にした幼馴染み。
顔を上げて幼馴染みの顔を見れば、へにゃりとこれまた締まりのない表情をしている。
だが形のいい眉毛だけは困ったように下がっていた。
「安心出来なかった。まだ不安で不安で仕方ないの。恐れは消えない、暗闇は続く」
ゆるりと私に手を伸ばす幼馴染みは、泣きそうだった。
笑顔が歪んで見える。
あぁ、おばさんの子供だなぁって思う。
寂しい寂しいと呟く幼馴染みは子供のようだ。
幼馴染みの手が私の首に添えられた。
ひんやりとした感覚に肌が粟立つ。
首に通っている太い血管に指が当てられて嫌な感じだ。
「だからね……」
薄めの唇が開かれて言葉を紡ごうとする。
目に掛かった前髪から覗く黒目が、ぼんやりと赤く染まったような気がした。
言葉か紡がれて私の耳に届くより先に、授業終了のチャイムで私は目を覚ました。
「だから、何よ」
授業終了の挨拶をしている教師から目を逸らして、私は窓の外を見る。
嫌味なほどの青空に舌打ちが出た。
***
それから授業に出る気もなくて早退をしようとすれば、担任が気遣ったような目をするので頭痛がした。
イライラして何かに当たりたくなるのは何でだろう。
いっそ登校拒否でもしてやろうかと思う始末。
荷物を持って玄関へ行った時に、丁度次の授業が始まるチャイムが鳴った。
誰も来ないうちに帰ってしまおうと靴箱から外靴を取り出すと、何か一緒に入れられている。
靴に引っかかって足元に落ちたそれ。
「……鍵?」
私の手の平の上で蛍光灯に当てられて光るそれは鍵。
キーホルダー等は付いておらず、絶対に無くすだろうと思ってしまう小さな鍵だった。
何の鍵かは分からないはずなのに、もしかしてなんて馬鹿みたいな考えが浮かぶ。
私は外靴をもう一度靴箱に戻して駆け出す。
人のいない廊下は静かで走りやすかったけれど、なるべく足音を立てないように授業をしていない教室のある廊下を選ぶ。
階段を駆け上がって見つけた扉は、相変わらずゆるゆるの施錠状態だった。
「ウチの先生達ってやる気あるのかな」
ぽつり、と吐き出した言葉は恨み言なのかは自分でも良く分からない。
ただ少しは管理をちゃんとした方がいいとは思う。
いつの間にか握り締めていた鍵を、その扉の鍵穴に差し込んでみた。
ガチャ、と音を立てて鍵の開く感触が伝わる。
最悪だと思うのと同時に笑いが込み上げてきた。
呼んでる呼んでる、幼馴染みが私を呼んでる。
扉の軋む音と一緒に出来た隙間。
外の空気が頬を撫でていった。
「屋上なんて、初めて来たわ」
扉を閉めようと手をかけた時、そんな必要はないとばかりに一人でに閉まる。
バタン、と乾いた音が響いてまるでゲームの世界か物語の世界みたいだと思った。
「来て、くれたんだね」
「アンタが呼んだんでしょう」
扉に向けていた視線を屋上中央部へ向ける。
そこには幼馴染みが夢の中同様に、制服で髪を下ろした状態で立っていた。
私を見るなり幼馴染みはふわりと花の咲くような笑を見せる。
「嬉しい」
そんな風に言う。
まるで恋する乙女かと突っ込みたくなる。
だが、そんな思いも幼馴染みの足元を見れば口を噤む以外の選択肢を見いだせない。
半透明の足は、この世界に幼馴染みがもういないことを私に教えた。
悪趣味だ。
それなのに幼馴染みは笑っている。
今にも霧散して消えそうな幼馴染み。
幼馴染みは薄い存在感の体をフェンスに預けて「凄く嬉しい」と言う。
何でそんなに嬉しそうに笑うのか。
カツコツとコンクリートの床を踏み鳴らして、幼馴染みに近付けばひんやりとした風が頬を撫でた。
それが普通の風なのか、幼馴染みから漂うものなのかは分からないしどうでもいい。
「桜ちゃんなら絶対に来てくれると思ったんだ」
世間話するみたいに話す幼馴染み。
まるで生きているみたいだ。
触れられそうな気がして手を伸ばせば、すぅ、と指先が空振る。
「何で死んだの」
空振った指先を眺めながら言葉を紡ぐ。
幼馴染みが私を見た。
きょとん、としてからまた笑う。
締まりのない笑顔はいつだって私の心を溶かした。
「『ぼんやりとした不安こそ恐れであり、先の見えない暗闇を歩きながら生きるのは苦しい。いつか隣にある存在が消えるよりも早く、消えた方がきっと安心出来るのだろう』」
また夢と同じことを言う幼馴染み。
その顔には笑み。
「ぼんやりとした不安は私の想い。それを伝えることも自覚することも、その想いが存在することも恐れ」
頬にかかった黒髪を掻き上げる幼馴染み。
その目には憂い。
幼馴染みがこんな風に何かを語ることがあっただろうか。
「そんな想いを持って生きるのは苦しいの。暗闇を歩いているみたいで、怖いの」
長いまつ毛が震えている。
苛立つほどだった青空はいつの間にか灰色の雲で覆われていた。
少しだけ気温が下がったような気がする。
「隣から消えて欲しくなかった。ずっとずっと、一緒にいたい」
ほろり、と幼馴染みの大きな瞳から水滴が落ちた。
幽霊でも涙なんて出るんだ、と他人事のように思う。
じわじわと自分の感覚が狂っていくのを感じた。
次に幼馴染みの口から出る言葉が何故か予想出来る。
それは、それはきっと――。
「好きなの、桜ちゃん」
――ずっと前から気付いていたから。
今よりももっと昔から、幼い頃から知っていたのだ。
幼馴染みが、椿が私にどんな想いを寄せているのか。
椿が気付くよりも先に気が付いていた。
だから知らないふりをした。
それはきっと幻だよ、気のせいだよ、一時の感情論だよ、と適当な言葉で誤魔化し続けた。
そして椿は自分の気持ちに気が付いた。
それと同時に私がそれを誤魔化して、避けていることにも気が付いたのだ。
私がそれに気が付くよりも、意識するよりも早く椿は死ぬことを決意した。
全ては私のせいなのだ。
きっと椿の想いに気が付いたら、私が椿との距離を置くことに、遠ざけられることに気が付いた。
だから離れられるくらいなら、そう考えてしまったのだ。
全ての元凶は、私。
ツキ、と痛む頭。
指先で額に触れれば椿が笑う。
「大丈夫」と囁いて顔を上げた私に微笑むのだ。
三日月の形をした薄い唇を眺めていると、少しだけ開いて私の唇に近付く。
ヒヤリとした感覚がして、椿を見た。
「大丈夫だよ」と横髪を耳にかけて私に触れる。
私からでは触れられなかったのに、椿から私には触れられるらしい。
「だからね……」
夢の続きの言葉が聞けるらしい。
私は静かに目を閉じた。
椿の言葉に全神経を注ぐ。
「死んで」
目を開けた時既に体は空に投げ出されていた。
へにゃ、とやはり締まりのない笑顔をした椿が見える。
どこかで雷が鳴った。
雨が降る。
「これで……ずっと一緒」
悪いのは全部私だ。




