第9話:東へ(To East)
「シロット、」
建物の一階まで戻ってきた矢先、不意にオリヴィエが言った。
「どうしたの?」
「この階段、まだ下に続いてるみたい」
オリヴィエの言うとおり、階段は地下に繋がっているようだった。上からのしかかっている瓦礫のせいで、道は半ば塞がっていたが、人ひとりが通れるだけの隙間はあった。
「何、行くの――」
シロットがそう尋ねようとしたときにはもう、オリヴィエは隙間をかいくぐっているところだった。
「ああ、大好きよ。あたし、オリヴィエちゃんのそーゆーとこ……」
肩をすくめると、シロットもその後に続いた。
◇◇◇
光が届かないから、地下は暗い。――そう考えていたシロットだったが、天井にはところどころ穴が空いていたために、思った以上に明るかった。
怪鳥と対峙していた間に、朝を迎えたのだろう。天井に空いた穴からは陽射しが漏れ、割れたアスファルトの隙間から咲いていた名もない花が、光を受けるためにまっすぐ背を伸ばしている。今日は暑くなりそうだ。
「シロット、あれ見て」
物思いにふけっていたシロットに、オリヴィエが声をかけた。
オリヴィエが指さす方向を見てみれば、緑色のカバーに覆われた何かが、そこにあった。カバーの隙間からは、車輪が飛び出している。
「何? 車?」
「見てみるわ」
一目散に駆け寄ると、オリヴィエは慣れた仕草で緑のカバーを外した。オリヴィエとシロットの目の前で、隠されていたものが顕わになる。
「何これ?」
それを見たシロットは、首をかしげた。内燃機関がついているから、乗り物であることは分かるものの、それ以上のことはシロットには分からなかった。乗り物の形は非対称で、一方にはライトと把手がついており、またがる形状のものだったが、もう一方にはただ、座席が用意されているだけだった。
「オリヴィエちゃん、これって……」
「二輪車よ、側車付きの」
「へぇ……」
詳しいのね、と言おうとしたシロットだったが、結局は言えなかった。というのも、オリヴィエがいつになく真剣な表情で、バイクをあちこちいじりはじめたからだった。
「ベアリングは大丈夫……チェーンも平気……」
「あのさ、オリヴィエちゃん……?」
内燃機関を有したほかの全ての機械と同様、このバイクもまた車と同じように、旧時代の遺物であるということはシロットにも分かる。
そして、どうやらオリヴィエはこの“遺物”を、再使用しようとしているようだった。
「すごい良い状態よ、シロット」
バイクいじりに満足したのか、オリヴィエが目を輝かせながら振り向いてきた。闘っているときですら冷静なオリヴィエが、今はいつになく頬を上気させている上、鼻息が荒い。
「まるで『乗ってください』と言わんばかり。私たちのためにあるようね。――どうしたの、シロット? ヘンな顔して」
「いえ……特にないです……」
さすがに「軽く引いてます」とまでは、シロットは言えなかった。
自分の関心・興味のある事柄になった瞬間、周囲の目などそっちのけでそれに没頭する人間がいることを、シロットは知っている。そして、その手の人間が大抵は男であって、かつ、そのような状況に直面したとき、どういうリアクションを取れば正解なのかについて、シロットはあまり習熟していなかった。
(意外だなぁ、オリヴィエちゃん……)
シロットが唇を噛んでいる間にも、オリヴィエはバイクにまたがっていた。
「――点いた!」
オリヴィエが歓声を上げる。と同時に、バイクが大きな音を立て始めた。内燃機関が稼働したのだ。
「良かったわ、シロット。二人乗りで」
「えぇ……?」
バイクを旋回させると、オリヴィエはサイドカーに乗るよう、シロットに促した。
「まさか……これで行くわけ?」
「ずっと自分のが欲しかったのよね……」
オリヴィエは感慨深げに、バイクの把手を撫でた。シロットの言葉など、オリヴィエの耳には届いていないようだった。
「オリヴィエちゃん、あたしは悲しいよ……」
シロットのため息は、排気ガスと一緒にかき消される。
「さぁ、掴まって――」
シロットがサイドカーの座席に座ったことを確認すると、オリヴィエはバイクを発進させる。バイクは猛然と音を立てて、地上へと繋がっているだろう上りのスロープに突っ込んでいく。
「ちょ、ちょっと?!」
シロットは声を上げた。スロープは、金属棒の組み合わさった格子状のシャッターで塞がれていたからだ。
「オリヴィエちゃん! シャッター!」
「突っ込む!」
「し、死ぬ――」
スロットルが開かれ、内燃機関の大きなうなり声とともに、バイクの前輪がシャッターに食い込んだ。シャッターは間抜けな音を立てて吹き飛び、バイクはスロープに躍り出る。
「あ……?」
「シロット、橋よ!」
オリヴィエに言われて、シロットは目を開ける(シャッターを破壊する瞬間、反射的にシロットは、目を閉じてしまっていた)。昇り始めた太陽の光を浴び、鉄橋がきらめいている。
「気持ちいいわ! 最高ね――」
「もう、最低よ、オリヴィエちゃん……」
「フフフ……」
頬を膨らませるシロットに対し、オリヴィエは笑っていた。そんなオリヴィエの横顔を、シロットはじっと見つめてしまった。オリヴィエが笑うところを、シロットは初めて見たからだ。
◇◇◇
「オリヴィエちゃん、これからどうするつもりなの?」
どのくらい遠くまで来たことだろう。流れていく景色を眺めながら、シロットが尋ねた。
「前に言ったとおりよ。東へ行って、マースに会う。それが私の、旅の目的」
「そう……」
「シロット、あなたはどうするつもり?」
「あたし? あたしは……」
言いかけて、シロットは口をつぐんだ。破門され、国を追われてから、まだ一週間も経っていないだろう。それなのにシロットは、もう百年も昔のことのように思えていた。
「そうだなぁ……」
言いかけていたシロットの脳裏に、ふと、オリヴィエの言葉がよみがえってくる。
――私も、生まれ変わることができると思う?
――もう一度、生きることができるかしら?
あのとき、シロットは分かったような、分からないような返事をした。それは、オリヴィエがなぜこれらの質問をしたのか、それこそシロットは分かったような、分からないような感じだったからだ。
しかし、一度思い出すやいなや、オリヴィエの質問は、シロットの頭の中を回り始めた。そして、オリヴィエの質問が脳裏をめぐる中で、シロットは奇妙な感覚を覚えるようになった。それは、コップからこぼれそうな水が、あと少しでこぼれないでいるような感覚、つまり、ほんの少しの弾みで答えにたどり着きそうだが、その弾みを得ていないような、そんなもどかしい感覚だった。
しかし今、シロットの脳裏で、何かが弾けた。あふれ出したコップの水が、シロットの第六感に染みわたっていく。
「決めたわ。これからどうするか」
「そう?」
「調査をするのよ」
「調査?」
「ある人物の調査よ」
シロットの言葉に対して、オリヴィエはしばらく返事をしなかった。
「……誰のことかしら?」
「最近出会った奴なんだけどね、これがまた、変な奴なのよ」
「へえ、どんなふうに?」
「その子、顔は可愛いし、振舞い方にも気品があるから『あー、もう孕ませたい!』ってカンジの子なのよ。そんでもって、持っている武器が銃で、この銃がイカサマみたいに強いわけ」
「それで?」
「だけどその子、ちょっと変わってるのよね。初めは……何でそう感じるのか、分からなかった。その子、お姫様なんだけどさ、ほら、お姫様って、世間知らずなところあるじゃない? だから、それが原因なのかなァ、なんて思ってたんだけど」
シロットは身を傾けると、わざとらしくオリヴィエの表情をうかがった。
「たぶん、それは原因じゃないのよ。もっと何か、あたしに隠してることがある。それで……何を隠してるのか、何となくだけど、分かってきたわけ」
一本目の指を、シロットは立てる。
「まず……その子が国を追い出された理由。『王を殺した犯人を追っている』らしいけれど、少し違うわ。その子も、王の死に関わっている」
「なるほどね?」
「次に……。さっきから『その子』って言っている子は女の子なんだけど……」
二本目の指を立てると、シロットは一拍空けた。次に言うことが、シロットが一番言いたいことだからだ。
「その子、元は……男の子だったんじゃないかしら? それで、国を追い出されたことと、その子が女の子になっちゃったことには、理由がある。――まぁ、本人は喋るつもりないみたいだけれど」
進行方向を見つめるだけで、オリヴィエは、すぐには返事をしてこなかった。しかしそれは、シロットには予想どおりのことだった。
「どうかしら?」
そう言ってから、オリヴィエはすぐに、
「その子も、シロットが心を込めて話せば、いつかは教えてくれるかもしれないわね」
と付け加えた。
「フフン、大丈夫」
その回答だけで、シロットには十分だった。
「あたしがいないと、生きられないカラダにしてやるつもりだから」
「ええ? 本当に?」
おどけた調子でそう言うと、オリヴィエはスロットルを開き、バイクを更に加速させた。
眩しい陽射しを浴びながら、オリヴィエとシロットの二人は、東へと吸い込まれていった。