第52話:白日の夢(La Libido Divine)
撃たれた刹那、ジェゼカの全身が光に包まれる。ブルガーの街で、少年がオリヴィエに分け入っていく際にも、シロットは同じ光を見た。“笑い声”から放たれたのが死の光ならば、これは生の光だろうと、シロットは思った。
まぶしさに目を閉じ、再び開いたとき、ジェゼカの姿は消えていた。地に伏すシーラの表情は、心なしか安らいで見える。
「傲慢だと思う?」
銃を握りしめたまま、オリヴィエが低く問いかける。
「私を愛してくれる人を、私は生かそうとしている」
「思わないよ」
シロットは首を振る。
「そんなこと考えなくていい」
あなたは愛されていい、と、シロットはそこまで言おうとした。しかし、背後から聞こえてきたうめき声が、その言葉を奪っていった。
振り返ってみれば、キスメアが咳き込みながら、血の塊を吐いている。四肢を喪った彼女の断面からは、肉でもなければ、骨でもないもの――銅線や、歯車や、発条がはみ出している。
流れ出る“血”に触れると、シロットはそれを鼻先へと持っていく。機械油の臭いが、鼻孔をくすぐった。
「どういうこと……?」
「先輩……?」
キスメアの声には、機械特有の雑音が混じっている。ひゅうひゅうという浅い息の音に、送風機とモーターの駆動音が紛れる。
「キッス?」
「ああ、先輩……!」
シロットの呼びかけに、キスメアは何度も首を振った。
「怖ろしい夢を……見ていたんです。私が……先輩を殺そうとしていて」
「あなた……覚えていない?」
シロットの問いにも、キスメアはただ、ガラス玉のように透きとおった青い瞳で、霊廟の割れた天井の隙間から、空をぼんやりと眺めているだけだった。自分の身に何が起きたのか、キスメアはまるで理解していないようだった。
遠くで、競技場を覆っていたガラス屋根の一部が、音を立てて崩れる。破片は陽射しと炎に煽られ、きらめきながら、水たまりへと吸い込まれていく。
「使節として、あなたはレウキリアへ来た」
声の方へ顔を向けると、青髪の少女――シーラが身を起こし、オリヴィエとシロットの輪に入っていた。
「レウキリアは、ラルトンの冊封に入っている。儀礼目的で、年に一度、ラルトンの使節がレウキリアを訪れる。その機会を、あなたがたは利用した」
シロットもオリヴィエも、シーラをじっと見つめていた。目の前にいるのはシーラで、声もシーラのものだ。ただ、口調はジェゼカで、目の伏せ方もジェゼカのものだった。
言葉づかいや、言葉にならない細かな挙措も、すべてがジェゼカのものなのだろう。シーラの肉体に、ジェゼカの精神が宿っている。“融合”と呼ぶほかない現象だった。
「ねえ、教えて。あなたたちの真の目的を。あなたは何を聞かされて……この地までやって来たというの?」
「教皇の……暗殺……」
かすれ声で、キスメアは答え始める。オリヴィエもシロットも、耳をそばだてた。
「暗殺? 誰が?」
「タイケメリア枢機官が……クロエ教皇を……」
クロエ――懐かしい、それでいて、この場で決して耳にしてはならない名前を聞きつけ、心臓を締め付けられるような痛みを、シロットは味わった。
「どういうことよ」
シロットの質問に、キスメアは答えない。
「『あの子を教皇にはしない』って……取決めがあったはずでしょう」
「私は……分かりません。――ああ!」
そう言いながら、キスメアは口の端で、ひゅうひゅうと息をこぼす。
「怖い、怖い! 今でも怖いんです! ――だれか、私を救ってくれたりするのでしょうか? 私を……」
「怖がらなくていい」
錯乱しかけているキスメアに、ジェゼカ――いや、シーラが、優しく語りかける。
「タイケメリア枢機官。ラルトンの三魔女のひとりで、古魔術の練達者。凍結の魔法の使い手で、四体の魔獣と融合を果たし、長命を得るために、みずからの身体を機械に置き換えた者――」
そう言いながら、ジェゼカはキスメアの胸の辺りに手を置いた。
「もう怖がらないで。悪夢は終わったの。彼女の陰謀に呑まれ、知らず知らずのうちに、貴方の内臓は機械に置き換えられた。けれど、もう終わったの。あとは安らぎだけよ。そうでしょう?」
「そう、そうですね」
キスメアが言う。見開かれていた瞳は穏やかになり、やがて濁っていく。ふう、とため息をつくと、キスメアは目を閉じる。それからキスメアが、ふたたび口を開くことはなかった。
「信じない」
キスメアを看取りながらも、シロットは首を振った。
「私は信じない」
「教えて、シロット」
キスメアの亡骸を前に、険しい表情を浮かべるシロットに対し、今度はオリヴィエが、そう声をかける番だった。
「ラルトンで何があったの? 何が起きようとしているの?」




