第5話:ママイ(MAMAH)
――私の声が分かる?
聞き覚えのある声に突き動かされて、シロットは薄目を開けた。声はオリヴィエのものだったが、周囲が暗いせいで、オリヴィエがどこにいるのか、シロットには分からなかった。おまけに、オリヴィエの姿を探そうとしても、シロットの身体には何かが覆いかぶさっており、身動きもままならなかった。
「わ、分かるわよ……」
「あなたは何者なの?」
いや、さっき言ったじゃん、あたしの名前はシロット――。そう言い返そうとして、シロットもやっと状況を思い出す。
ついさっきまで、オリヴィエとシロットは、仮面を被った少年と対峙していたのだ。オリヴィエがいかさまのような強さを発揮したために、形勢は逆転したものの、間髪入れずに怪鳥が飛来してきて――。
(そ、そうだ)
「名前は?」
オリヴィエの声とともに、撃鉄を起こす音が周囲に響いた。その音は小さな音だったが、周囲が静寂に包まれているために、シロットの耳には、とても大きな音のように聞こえた。
そしてその音は、シロットのすぐ隣から聞こえてくる。そちらに頭を向けてみれば、うずくまる少年の後頭部に、オリヴィエが銃口を突き立てていた。
「た、タージェ……」
激しく肩を上下させながら、少年が答える。タージェ、というのが、この少年の名前のようだ。
「オリヴィエちゃんを襲ったのが……運の尽きだったわね……よいしょ!」
覆いかぶさっている瓦礫を脇に跳ねのけると、シロットは立ち上がり、オリヴィエと並んだ。
「ねぇボク、何が原因で国を追われたわけ? やっぱり、手癖が悪かったから?」
「く、国だって?」
「そうよ。ガラスの森で強盗をやるくらいなんだから、前の国にいられなくなって――」
「オレは、ここの住人だ」
「あのさ、ボク、」
タージェの肩に手を添えると、シロットはたしなめるようにして言った。
「そーゆー生き方せざるを得なかったのは同情するけど、おねーちゃんたちを誑かそうって言うのなら……」
「ウソじゃない! オレはここに住んでたんだ」
オリヴィエとシロットは、互いに顔を見合わせた。「ウソをついている」と見なすには、タージェの“ここ”という言い方は、あまりにも自然だった。
“ガラスの森”に、人が住んでいる?
「私の国では、重犯罪人はみな、この“ガラスの森”に追放されることになっていたわ」
オリヴィエは言った。
「死刑の代わりに」
「そうだろうな」
「“そうだろうな”? ボク、それどういう意味?」
「やめろよ、子供扱いすんな」
タージェはふてくされたようになって答える。
「とにかく、オレには、どうでもいいことさ。ただ、親父とおふくろが、そう言ってたんだ。死刑の代わりに、“ガラスの森”に追いやられる。だけど当然、死なない奴だって出てくる――」
「生き延びた罪人は、集まって生活をし始める――」
「そういうことさ。オレの先祖が、そういう奴らだった」
「でも、それだといつか終わりが来ない?」
シロットが尋ねた。
「どういう意味だよ?」
「“ガラスの森”に追放される罪人なんて、そう頻繁にいるものでもないでしょう? 長く生活できる当てなんて、ないんじゃない?」
「オレたちがずっと強盗で喰ってたと思うのか?」
タージェが目を細める。
「悪いが、あんたたちがどういう理由でここに追放されて来たかは知らないし、興味もない。けれど、あんたたち“国”の人間には分からないところで、オレたちはちゃんと生きてたんだ。畑もあったし、水車もあった。内燃機関だって動かせる――」
そう語るタージェの一語一語は、先ほどとは打って変わって、熱を帯びていた。
「だとしたら、どうして強盗なんかに?」
「ママイがいけないんだ」
「――“ママイ”?」
聞きなれない単語を、シロットが繰り返した。
「あんたの(ここに来て初めて、シロットはタージェを「ボク」ではなく「あんた」と呼んだ)お母さんが、何かやらかしたわけ?」
「オレのおふくろじゃない。お母さんって奴がいて、そいつが腐っちまったんだよ」
「ふーん」
シロットは鼻を鳴らした。タージェの言葉の意味が、シロットにはよく分からない。
それは、オリヴィエも同じようだった。
「死んでしまった、ってこと?」
「分からない。ただ、周りの大人はみんな『ママイが腐っちまった』って言ってた。それでオレも、そう言ってる。それからなんだ、オレたちの集落が異形に襲われるようになったのは――」
薄ら寒い思いがして、シロットは頭上を見た。この地下道が偶然口を開けてくれなかったら、オリヴィエもシロットも、今頃は降ってきた瓦礫に圧し潰されていたことだろう。そして、頭上を覆う瓦礫一枚を隔て、怪鳥が三人の上を飛び交っているのだ。
「薬が欲しい、って言っていたわね、タージェ?」
オリヴィエが質問する。
「それはなぜ?」
「弟がいるんだ」
「弟?」
「人が好いんだよ、あいつ。ハハ……」
自分自身を蔑むようにして、タージェが笑った。
「川を渡ろうとしたときに、しんどそうにしてたんだ。『足がかぶれた』って言ってたけど、本当は違った。膿をほったらかしにしてたんだ。膿は全部出したけど、弱ってて、歩けないでいる。だから、薬と食料が欲しかった……」
そう言うと、タージェが床に手をついた。攻撃を予測したシロットだったが、予想反し、タージェはひざまずいたまま、頭を垂れているだけだった。
「だけど、もうダメだ。オレを殺すんだろ? だったら、ひと思いに殺してほしい。それから――」
タージェは、地下道の奥に広がる暗闇を指差した。
「この道をまっすぐ行けば、弟のいる隠れ場所までたどり着く。できれば、弟も楽に殺してやってほしい」
「いやいや、あんた、自分の弟なワケでしょ……」
シロットは肩をすくめた。
「兄貴がちゃんと介錯してやんなさいよ。それが兄貴の思いやりってもんでしょ? あんまり甘ったれてると……」
「『川を渡る』って言ってたけど――」
シロットを遮るようにして、オリヴィエが言った。
「東へ抜けるつもりだったんだ、弟と一緒に」
東へ――、その言葉を聞いたオリヴィエの指先が、わずかに震えたのを、シロットは見て取った。
(あはん?)
そんなオリヴィエの様子に、シロットは目を細める。そういえば、タージェに襲撃される前から、オリヴィエは川を渡るための方法を懸命に探していた。
「東へ向かって――どうするつもり?」
「ママイを元に戻す」
タージェは言った。
「ママイは、東の果てにある“死せる神の塔”にいる。その中で、腐っている。誰かがママイを起してやれば、ママイは復活する。そうすれば、全ての願いが叶う」
「ママイ……東の果て……んん?」
ここに来て、ようやくシロットも勘付いた。
「オリヴィエちゃん、ママイって、もしかして――」
シロットの言葉に対して、オリヴィエは返事をしなかった。しかし、タージェを見据えているようでいて、その実オリヴィエの瞳が別のところ――自分の考えの奥底――に注がれている様子を見て、シロットも納得した。
オリヴィエは、賢者・マースに会うために、東の果てへと向かっている。
そしてタージェは、ママイに会うために、東の果てにある、“死せる神の塔”へと向かっている。
この二つに「関連性がない」と言える人間がいるとすれば、その人はよほどの阿呆か、天才か、ということになるだろう。
「あ……アンタ達も、ママイに会うつもりなのか?」
話の風向きが変わったことに、タージェも気付いたようだった。
「だったら、オレが案内してやるよ。オレ、知ってるんだ。“死せる神の塔”まで、どうやって行けば良いか――」
「口から出まかせも、大概にしなさいよ」
シロットは腕を組む。
「あたしたち、あんたに殺されかけてるんだから。助けてやる義理なんてないのよ。でしょ、オリヴィエちゃん?」
「東の果て、ママイに会えば、全ての願いが叶う……」
タージェの語った内容を、オリヴィエは繰り返した。
「タージェ、あなたはそれで、何を願うつもりだったの?」
「ちょっと……」
「家族を救いたいんだ」
シロットが制するより前に、タージェが言った。
「オレはただ、普通に生きたかっただけなんだ。なあ、だからさ、オレを……」
それ以上の言葉を、タージェが喋ることは許されなかった。銃口を再びタージェの後頭部に押し付けると、あっけに取られているシロットを尻目に、オリヴィエは引金を引いた。
銃声。――その銃声の余韻は、やけに長いように、シロットには感じられた。
「ハァ、ハァ……」
喘ぎ声を聞きつけ、シロットは目を開ける。仰向けになると、自分の心臓に手を当てて、タージェが浅く息を漏らしていた。
銃から吹き上げる紫煙をそのままにして、オリヴィエは立ち尽くしている。オリヴィエは、銃撃の瞬間に照準を逸らし、紙一重でタージェの命を救ったのだ。
「――オリヴィエちゃん?」
「タージェ、あなたは死んだわ」
茫然としたまま座り込んでいるタージェに、オリヴィエは言った。
「私は今、この場所であなたを殺した。だけど、あなたは生まれ変わることができる。もう一度生きることができる――」
銃を帯のホルダーに提げると、オリヴィエはタージェに手を差し伸べた。
「何、オリヴィエちゃん、そいつを信じるわけ?」
「私にも弟がいるわ」
「えぇ? それが理由?」
オリヴィエの答えがあっけらかんとしていたために、シロットは腰を抜かす思いだった。
タージェが黙ったまま立ち上がると、ちょうどオリヴィエと並ぶ。こうして並んでみると、タージェがまだまだ子供であることは明らかだった。
「出来の悪い弟だけれど……それでも、姉にとっては、大事な家族なのよ」
「まったく……。人が好すぎなんじゃないの? そんなんだから――」
そんなんだから、国を追われたのよ。――と、シロットは言いかけて止めた。これは別に「言い過ぎたらオリヴィエがかわいそうだから」というわけではなく、「案外オリヴィエは、本当にお人好し過ぎて国を追われたのではないか」という確信めいた印象を、シロットが持ったためだった。
シロットが言葉を切った直後、タージェは不意に表情を強張らせると、右手の人差し指を、自らの唇の前に持ってきた。それは「静かに」という合図だったが、そのすぐ後に、甲高い叫び声が、三人のいる地下道の真上から聞こえてきた。アスファルトの瓦礫を隔てて、怪鳥はまだ、三人の真上に陣取っているらしい。
「まだいんのね」
さっきよりも声を潜めて、シロットが言った。
「もしバレたら――」
「大丈夫」
すかさずタージェが答えた。
「キュウは、目がほとんど見えない。出くわしても、音を立てなければ、心配いらない――」
「『目が見えない』? そう?」
意外そうに、オリヴィエが答える。
「逃げよう、こっちだ。道なりに行けば、オレたちの隠れ家まで行ける」
タージェに導かれるまま、オリヴィエとシロットは、暗がりの一方向に向かって歩き出した。