表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デウス・エクス・マギカ  作者: 囘囘靑
第3章:猫と毒薬(Las Chats e La Toxica)
47/52

第47話:異常な愛情(Lieve Etrange)(1)

 光に包まれたとき、死を浴びているとシロットは感じた。


 死にかけたことなど、数え出したら際限がない。目の前に差し出された、鏡のようにみがき抜かれた刀身に、ひるむ自分の姿が映り込むのを目撃したことだってある。


 それにもかかわらず、今浴びた光は、魂の根幹を震撼させるようなものだった。


 自分は死に面している。

 死が降りそそいでいる!


 いや、そうではないのだ。さもなければ、鼻孔をくすぐるこの甘い匂いや、口の中に拡がるこの金属の味を、いったいどう説明すれば良いというのだろう?


 それからシロットは、この匂いが、この味が、“笑い声(リュヴ・スメクス)”に由来するものなのだと理解した。


 自分を(ほふ)ろうとしたサイラスは、もはやこの世にいない。

 青磁色の、極太の光線に撫でられ、サイラスは世の外へと蒸散していった。

 そのときの影像(イマゴ)は一枚絵のようになって、シロットの記憶(メモリエ)に焼き付いている。

 それはまるで、存在しないはずの記憶のようだった。


 赤子の笑い声が耳に響く。

 気化光線を照射した装置の、笑い声(リュヴ・スメクス)のような駆動音だった。


 光線が通過したところは、生地から型が抜かれたようになっている。


 神は(あやま)たず、分け隔てをしない。

 シロットの知る教条である。


 神がそうであるなら、光もまたそうなのだろう。競技場のアスファルトを、外に広がる山を、光は平等にくり抜いて、世界から除去したのだ。


 ただ、水だけは違っていた。


 光線は、レウキリアの城下に押し寄せていたおびただしい水を突き、しかし世界から消し去りはしなかった。


 光が通り抜けた跡を伝って、水は競技場まで押し寄せ、オリヴィエの足元を、シロットの膝を濡らしている。サイラスの巻き上げた(ドラコ)の炎は沈下し、競技場全体に白煙が立ち込めていく。


 白煙の(とばり)が、折からの風によって巻き上げられる。


 風は羽ばたきによるものだった。


 “笑い声(リュヴ・スメクス)”の青磁色の機体の上に、魔獣(デウス)が留まっている。


 胸部から生えた(あし)を駆使し、魔獣(デウス)は“笑い声(リュヴ・スメクス)”を抱えている。


 頭部から伸びた触角は、立ち昇る白煙の中で優雅に動き、長い(こう)(ふん)は、地面の砂を(こす)っている。


 胴体よりもはるかに大きな紫の(はね)は、“笑い声(リュヴ・スメクス)”の機体の色と相俟って、宝石のように輝いて見える。


 “笑い声(リュヴ・スメクス)”の操縦席には、ひとりの少女が、魔獣(デウス)を背にして立っている。


 青色の長い髪に、青色の瞳、白い肌に、すらりとした手足。


 レウキリア侯爵・シーラの姿だった。


「私はパプリオス――と、人に呼ばれています」


 シーラの唇が動く。

 ただ、声は脳裏に直接響いた。


 それが魔獣(デウス)の――パプリオスの言葉であると、シロットにも分かる。


「今はシーラと……この娘と融合し、新たな生を得ています。“笑い声”は、それを操縦する者の生命を代償にしますが、泉のように(せん)(せん)と湧く生命を、今の私は得ている。しなやかな器と、それに勝るとも劣らない権能(ちから)。この二つを同時に手に入れるため、私は千年の時を待った」


「シーラを離しなさい」


 オリヴィエは銃を構えている。

 その声は、いつになく低い。


「シーラの自由を奪う権利は、あなたにない」

「自由を感じられるだけの精神は、この娘の中ではとうに死んでしまった」


 紫色の(はね)を拡げると、パプリオスは競技場全体を覆う。


 薄暗がりの中で、パプリオスの単眼が光る。


「ゆえに、反対に考えることもできる。融合によって、私はこの娘を生かしているのだという考えが、それだ。旅の者よ、いや、バンドリカの王家に連なる者よ、それが分からないほど、愚かな貴方(あなた)ではないはず」


 オリヴィエの背中に、シロットは視線を注ぐ。

 ブルガーの街で、シロットが見抜いたのと同じこと――。

 パプリオスは、それを見抜いている。


 問いはもうひとりのオリヴィエに――青年のオリヴィエに向けられている。


 ただ、もしパプリオスの言葉が真実だとするのなら、今目の前にいるオリヴィエは、すでに死んでしまっていることにはならないか?


――『王を殺した犯人を追っている』らしいけれど、少し違うわ。

――その子も、王の死に関わっている。


 過去に()(れき)した自分の推理を、シロットは思い出す。


 王は死んだ。

 目の前のオリヴィエも死んでいるとする。


 ではいったい、誰が生きているというのだろう?


「私が旅をしているのは、人を生かすためよ」


 オリヴィエは答える。


「東の果て、死せる神の塔へ行く。マースに会い、願いを叶えてもらう。それが、私の旅の目的。あなたはどう? マースに会ったとして、シーラの自由を願えるの?」

「私は愛に生きると誓った!」


 パプリオスの長い(こう)(ふん)が、小刻みに震える。


「幾歳月を経ようとも、情熱を止めることはできない。身体は熱く、心は燃えている。願うのは、この娘の自由だけではない。人間に対する私の欲望は、世のすべての森よりもなお深い」


 視界のゆがみを感じ、シロットは目を細める。

 眩暈(めまい)……ではない。実際に空間がゆがんでいるのだ。


 パプリオスから放たれる魔力によって、地面に転がっていたカリハの傭兵たちの亡骸が、ひとり、またひとりと起き上がる。


 動屍人(ゾンビ)となった傭兵たちは、パプリオスを守護するかのようにして、その前に立った。


「私は、私を愛してくれた者たちを生かす。これが私の願いであり、(ママイ)の跡を継ごうとする目的」


 魔獣(デウス)人間(テポス)が相容れない理由。

 それがシロットにも分かりかけてくる。


 魔獣(デウス)は人語を解せるかもしれない。

 知性もあるだろう。

 ただ、その在り方が人間と違うのだ。


 始祖男性(アダマス)始祖女性(ゾーエー)とは、また異なる様式によって智慧の樹の禁断に触れた者たち。

 それが魔獣(デウス)なのだ。


 そうではないか?


 だからこそ、人を愛すと言いながら、その魔力で死体を()ろうとする。

 人倫を越えた異常な愛情のゆえに、パプリオスの単眼は光を帯びている。

 いや、もしかしたら、愛情の定義はおろか、心さえも、人間の在り方とは異なるのかもしれない。

 だからこそ、精神を喪い、抜け殻となった人間に共鳴し、融合を果たすことによって、求愛を実現しようとしている――。


 そこまで考えた矢先、シロットは後ろから、腰の辺りを叩かれる。

 後ろにいる者といえば、キスメアしかいない。


 何やってんのよ……。ため息交じりに振り向こうとして、身動きが取れないことにシロットは気付いた。

 丹田の辺りに、何かが突き出している。

 シロットはそれを撫でる。

 (スピア)の穂先で、それが腹部を貫いていた。


 槍がしずかに引き抜かれる。

 両脚にしびれが走り、シロットはその場で膝立ちになった。

 痛みはじわじわと拡がっていく。ただ、驚きが大きすぎ、痛みの大きさは気にならなかった。


 キッス……? 後輩の名を呼ぼうとして、その代わりに、食道を逆流した血の泡がこぼれる。


 身体を支えられず、シロットはうつ伏せに倒れた。

 泥水は身体を濡らし、鼻へ、口へと、血と水が押し寄せる。


 槍を引き抜いたままの姿勢で、キスメアはシロットを見下ろしている。

 キスメアの、藍色の瞳をのぞき込み、シロットも勘付いた。


「タイケメリア……!」


 ラルトンの三魔女・(ワン)タイケメリア枢機官。

 この瞬間にキスメアへ憑依したのか、または、初めからキスメアのフリをしていたのか。


 タイケメリアはいずれにしても、古魔術(ウパニシャッド)を利用して、キスメアを(さん)(だつ)したのだ。


「あんた……キッスを……!」

「この()はずいぶんと役に立った」


 せせら笑うキスメアの声は、キスメアのものではない。


「――シロット?!」


 パプリオスと、シーラにかかりきりだったオリヴィエも、ここでようやく、背後で生じた異変に気付いたようだった。


「パプリオスよ!」


 シロットの脇を通り過ぎると、パプリオスに向かって、キスメアは――いや、タイケメリアは――両手を拡げてみせる。


「ラルトンは、あなたへの支援を表明しましょう。この者は、死せる神の塔に至る鍵を握りし者。あなたの権能と、われらの魔術の知恵が合わされば、あなたは愛を地上に実現し、われらは(はからい)をもってあなたの愛に応える。われらの神は愛の神。ゆえにあなたは、世の神となるのです」


 そう言いながら、キスメアは地面にひざまずく。


「さあ、裏切り者は仕留めました。残りはバンドリカの王族だけ。今ならば二対一――」

「――二対二よ!」


 そのとき、どこかから声がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ