第44話:思惑(Ennoia)
「私の“目”をかいくぐるとは」
そう言いながら、カメの甲羅の外骨格の隙間から、合成獣はタコの触手をむき出しにする。黒ずんだタコの触手は、体液の光沢を帯びていて、吸盤の隙間に埋もれる無数の複眼は、オリヴィエの握りしめる銃をにらみつけていた。
「あなたがサイラス。カリハ傭兵団の“奇種の奏者”」
「バンドリカの王室の者であるな?」
オリヴィエの背後では、シロットが鉄槌を逆手に構えている。そんなシロットの下へと、サイラスの複眼の視線が移る。
「後ろがラルトンの者だな?」
「私が答えると思うの?」
「いや」
サイラスの巨体の中央には、半透明の円い殻がある。その内側には、サイラスの上半身が――人間だったころの名残が――うずくまっている。
「口を割らせる相手が増えただけのこと――」
「二人をお願い」
サイラスを見据えたまま、オリヴィエはシロットに言う。
「分かると思うけれど――」
「三対二、ってことでしょ」
そう言ってのけたシロットに対し、キスメアが戸惑った様子を見せる。
「壁に擬態してんのよ」
「フーム」
シロットの言葉に、サイラスが反応する。
「今からでも遅くない。この女を裏切って、カリハに――」
サイラスが言い終わらないうちに、オリヴィエが銃を構える。放たれた一撃は、サイラスの半透明の殻に殺到する。金属同士が衝突するような鋭い音が響き、サイラスが後ずさる。
しかし、それだけだった。オリヴィエの魔法銃が威力を発揮するのは、魔獣に対してだけだった。サイラスは人外ではあるものの、魔獣ではない。
「サイラスは私が――」
オリヴィエがすべてを言うより前に、サイラスが怒号を上げて、触手の一本を振り上げる。薙ぎ払いを予期したオリヴィエは、その触手に向かって引き金を引いた。銃声とともに、触手が千切れ飛ぶ。
その瞬間――胴体から離れた触手が、中空で大きく膨らみ、弾ける。中に溜まっていた白い液体が、オリヴィエめがけて殺到する。間一髪で身をよじったオリヴィエの目の前で、グラウンドまで降り注いだサイラスの体液が、土やガラスを猛然と溶かしていく。
湯気を吸わないようにしながら、オリヴィエは立て続けに発砲する。しかし、サイラスの触手は、すでに外骨格の中に収められていた。銃撃は殻に、あるいはカメの甲羅に阻まれ、肉体をえぐることはない。
オリヴィエの視界の中央で、サイラスの形態が変わる。否、サイラスは土砂をかき分け始めていた。強酸の湯気が沈下し、土ぼこりが収まった頃には、サイラスの胴体は見えなくなっている。
地面に潜り込んだのだ――そう理解しつつも、出方を窺っている余裕はない。踵を返すと、シロットとキスメアの下まで、オリヴィエは走り出した。競技場の反対側では、二人が竜と対峙している。
カッ、カッ、カッ――と歯を打ち鳴らしながら、竜は炎の息吹を吐きつけようとする。シロットの前に躍り出たキスメアが、手に握る槍を振り回す。キスメアの身体に彫られた、群青色の魔法陣が光を放つと、槍の穂先から放たれた稲妻が、竜の炎を中和する。
炎を吐くのを中断すると、竜は機敏に身をよじって、尾の一撃をキスメアに食らわせようとする。その先端めがけ、オリヴィエは銃撃を放つ。鱗が飛び散り、尾の先端が破裂した。
光学迷彩のヴェールを帯びると、竜は身を翻す。目標を見失い、たたらを踏んでいるキスメアに対し、ドラコは真横から肉薄しようとする。
しかしその動きを、シロットは読み切っていた。キスメアを食いちぎろうと、大きく顎を開いている竜の間合いには、すでにシロットが踏み込んでいる。
「――はあっ!」
掛け声とともに、身体の前で交差させていた二本の鉄槌を、シロットは真横へ叩きつける。加圧された空気が発光し、鉄槌から放たれた衝撃波が、竜の長い首に殺到して、それを断ち切った。
勢いは収まらず、竜の身体の残骸は、血と肉を周囲にまき散らしながら、競技場を水平に飛んで、観客席にぶち当たる。その刹那、地中に潜り込んでいたサイラスが、土砂をかき分けながら、地表へ姿を現した。
一本の太い触手で、竜の千切れた首を巻き取ると、サイラスはそれを、オリヴィエの銃撃で千切れた、もう一方の触手の付け根に当てがう。
死んだはずの竜の眼に、再び光が宿る。サイラスの動きに応じて、竜が鎌首をもたげた。
「マジ?」
地面に膝をついて、額の汗を拭いながら、シロットが言う。
「合成したんだ……」
シロットの更に隣で、キスメアが言った。キスメアは膝に手をつき、肩で息をしている。
身体に刺青があるのは、オリヴィエも同じだ。ただ、シロットとキスメアのものは、オリヴィエのものほど手が込んでいない。発汗が制約されるせいで、二人とも長期戦には不向きだった。
シロットはまだ耐えられるだろうが、キスメアはこれ以上保たない――。そこまで考えた矢先、サイラスの身体が、オリヴィエの視界から消え去る。
カッ、カッ、カッ――。
頭上から、竜の歯を打ち鳴らす音が聞こえる。
逃げて! ――オリヴィエの声が届くのと、竜が口を開くのと、どちらが早かっただろうか? オリヴィエがその場を飛び退いた矢先、竜の業火が、地面に降り注いだ。




