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デウス・エクス・マギカ  作者: 囘囘靑
第3章:猫と毒薬(Las Chats e La Toxica)
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第41話:正体露見(Identicas Reveale)

「それで?」


 肩をすくめながら、シロットはみずからにそう問いかける。


「何がどうなってる、って?」


 シロットたちは今、宮城の中空に浮かぶ、畑の真ん中に立っている。遠い昔は庭園だったであろう場所を、レウキリアの人びとは耕地に変えたようだった。


 洪水も、この空中庭園には無縁である。靴のかかとをこすり付ければ、乾ききった耕地から、土ぼこりがくすぶった。


 シーラ姫の奪還が、シロットたちの目的である。強襲するリスクをできるだけ低減させる目的から、洪水の混乱に乗じる作戦だった。


 しかし、いざ乗り込んでみれば、宮城はもぬけの殻だった。洪水を目の当たりにし、カリハが退却を決めるだろうことは、シロットも予見していた。しかし、撤退にしては乱雑に過ぎていた。庭園へたどり着くまでの間に、横転した()(ちょう)車や、中途半端に畳まれた天幕(テント)などを、シロットは何度も目撃した。本陣を引き払うことよりも重要な関心事が、カリハの首脳部にあるかのようだった。


「オリヴィエ様――オリヴィエ様」


 キスメアの言葉を聞き過ごしていたシロットだったが、今の自分はオリヴィエなのだと思い出し、取って付けたようにして振り向く。


 キスメアは、シロットの傍まで戻ると、抱きかかえていた人物を地面に降ろした。赤色の巻き毛をし、頬にそばかすのある少女が、目を閉じ、静かに身を横たえている。


「そこの陰にいました」


 キスメアが指さす先には、中くらいの位置でへし折れた、柱のオブジェが見える。


「知ってる子?」


 シロットの問いに、キスメアはかぶりを振る。少女は穏やかな表情をしていて、眠っているのか死んでいるのか、見当がつかなかった。


 しゃがむと、シロットは少女の鼻先に手をかざしてみるが、指先には、鼻息も呼気も当たらなかった。死者も生者もシロットは見慣れているつもりだったが、この少女は、そのどちらにも当てはまらないようだった。


「何? 死んでる?」

――精神は。


 自問したシロットの脳裡に、オリヴィエの声が響く。


――肉体は生きているけれど、間もなくエーテルの(ちり)に変わる。自壊(ジャー)が起きるの。魔獣(デウス)が、みずからの魔力に耐えられなくなるのと同じように。

魔獣(デウス)? この子が?」

――多分だけれど、魔獣(デウス)は一時的に、この子を宿主として選んだにすぎない。ここで別の、もっとふさわしい宿主を見つけて、それに乗り移った。


 もっとふさわしい宿主。――オリヴィエの言葉に、シロットは生唾を呑み込む。道中で出会った、白銀の兜の傭兵などは、あるいは魔獣(デウス)の宿主としてふさわしいだろう。


 レウキリアには魔獣(デウス)がいる。ガラスの森で(かい)(こう)した“キュウ”の存在が、シロットの脳裡をよぎった。


「ちょ、ちょっと……!」


 その矢先、シロットはキスメアに肩を掴まれ、思いきり揺さぶられる。


「何よ」

「独り言! 独り言!」

「えぇ……?」


 生返事をしかけたシロットも、状況を理解する。オリヴィエの声が、あまりにも自然に脳裏に入ってきたせいで、シロットも自然体で、その言葉に反応してしまっていた。


 オリヴィエの声は、シロットにしか聞こえないのである。キスメアにしてみれば、シロットがぶつぶつと、独り言を言っているようにしか見えなかったのだろう。


「いますぐ量を減らさないと、さもないと――」

「薬物キメ()(すけ)だと思ってんでしょ」


 キスメアの腕を、シロットは払いのける。


「失礼な。あたしゃ素面ですよ」

「素面であの独り言」


 キスメアが真顔になった。


「余計ヤバいじゃないですか」

「うるさいな」

――シロット、そろそろ出るわね。

「いや、ちょっと待ってください」


 いま、この間合いで話しかけてくるのはさすがに違うだろうと、シロットは言ってやりたくなる。


 ただ、“出る”とは、まさに“出る”ということなのだろう。シロットの意識の全ては、その言葉に局在化された。全身が光に包まれていくのが、シロットにも分かる。


「まだ自瀆(オナニー)し足りないのに……!」


 それが、オリヴィエの身体に憑依していたシロットの、最期の言葉だった。



   ◇◇◇



 目を開けてすぐ、自分が地面に寝そべっていることに、シロットは気付く。


 隣には、いつものようにオリヴィエがいて、顔にかかる銀色の髪を、手でかき分けていた。そういった乱雑な仕草は男の子のようだと、シロットは思う。


「よっこいしょ」


 シロットは立ち上がる。重心も、視野も、視力も聴力も、いつもの自分に戻っている。オリヴィエの身体に慣れてしまうと、自分の身体が野暮ったく、鈍重に思えてしまうのではないかと危惧していたが、いざ戻るとなると、案外すんなりとしたものだった。


「まったく――」


 ひどいじゃないですか、いきなり戻るだなんて。そう言おうとした矢先、二人の隣で固まっていたキスメアが、突然バク宙に失敗したかのような不審な挙動とともに、みずからの頭をしたたかに地面に打ち付けた。


「何やってんの?」

「しっ、しっ、しっ、しっ、しっ」


 キスメアは地面にへたり込み、矢継ぎ早に呼吸を繰り返しながら、圧力鍋のような音を立てていた。それからやっと


「しっ、しっ、し、シロット先輩」


 と、意味の通じる単語を繰り出す。


「シロット先輩……ど、ど、どっどど、どどうど、どどうど、どうやって……!」


 そう言う合間にも、キスメアの脚の付け根からは、水たまりが広がっていく。


「ワンちゃんじゃん」


 ブルガーの廃墟を抜け出してすぐの頃、失われたはずのバイクを見出し、嬉しさが(こう)じて失禁するオリヴィエの様子を、シロットは回想する。


「ワンちゃんしかいないじゃん、あたしの周囲」

「霊廟――」


 オリヴィエの声を聞き、シロットは振り向く。少女の手に銃の側面を当て、みずからは反対の側面に手を当て、オリヴィエは目をつぶっていた。


「レウキリアの霊廟――皆はそこに向かってる」


 オリヴィエは、銃を媒介(メディア)にして、少女の記憶を引き出しているようだった。そんなこともできるのか、と、シロットは内心舌を巻いていたが、最近ではもう、オリヴィエの振る舞いを見るだけで、何をやろうとしているのかが分かるようになっていた。


「そこに“笑い声(リュヴ・スメクス)”がある」

「なるほど? 最高じゃん」

「行きましょう。ほら」


 茫然自失といった(てい)のキスメアに、オリヴィエは手を差し出す。


「あ……」

「私はオリヴィエ――と、人から呼ばれている。言っておくけれど、これまでの振る舞いは、全部シロットの悪ふざけだからね? この変態とは一緒にしないで」


 オリヴィエとシロットを、キスメアは交互に見やる。


「分かった? 分かってない? どっち?」

「わ、分かりました」


 そう言うと、オリヴィエの手を取って、キスメアは立ち上がる。


「ちょっと、キッス」


 そのままオリヴィエに着いていこうとするキスメアに、シロットは声を掛ける。


「ねえアンタ、背中の刺青、どうするつもり?」

「それは――」

「さっき言ってたわよね?」


 キスメアの手を掴み、強く握りしめると、シロットは畳みかける。


「『シロット先輩なら、刺青を入れることに賛成してくれます』って。ならば言わせてもらうけど、全く賛成しないわ。さっさと取り除きなさい」


 シロットの言葉に、キスメアはうつむく。


「あたしはもう(ホン)(ゴン)を去った身だから、アンタに権限はないけど。――心配なのよ。アンタも、アンタの後輩たちも。言いたいこと、分かるでしょう? 今回ばかりは、あたしの顔を立ててくれない? どう?」


 ためらいがちに顔を上げると、キスメアは小さく頷いてみせる。その仕草は、キスメアが僧兵団に入隊したばかりの頃を(ほう)(ふつ)とさせるものだった。


 懐かしい気持ちが一気に押し寄せ、感傷の波が、シロットの心に拡がっていく。そのことに勘付かれないよう、照れ隠しの意味もこめて、シロットはキスメアの身体を抱きしめる。


「なんですか、先輩……!」

「ありがとう。アンタを愛してる」


 それから二人は、オリヴィエの後を追った。

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