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デウス・エクス・マギカ  作者: 囘囘靑
第1章:東へ(To East)
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第4話:星を撃つ者(La One)

 手つかずのままとなっている旧文明の廃墟に対し、人々はいつか“ガラスの森”という名前を与えた。朽ち果てた摩天楼(まてんろう)を、うっそうと茂る木々に見立てれば、確かにこの廃墟全体が“森”に見えるかもしれない。


「ちょっと、オリヴィエちゃんってば……」

「いつまで着いてくるつもり?」


 追いすがろうとするシロットに対して、オリヴィエの言葉は冷たかった。それに、シロットは何かにつけてオリヴィエに声をかけているのにもかかわらず、オリヴィエは決して立ち止まろうとしなかった。これが、二人の間に縮まりそうで縮まらない距離ができているゆえんである。


「偶然の一致よ、ぐーぜん! たまたまあたしが行きたいと思ってる目の前に、オリヴィエちゃんがいるだけよ――」


 そう言いながらも、シロットは先ほどから、オリヴィエが川に沿って歩いていること、根こそぎになった鉄橋の名残(なごり)を一(べつ)するたびに、オリヴィエの足は一瞬止まりかけ、また何かを思い出したように歩みを進めることに気付いていた。どうやらオリヴィエは、日が完全に暮れてしまう前に、何とかして川を渡ろうとしているようだった。


「それにさ……正直に言っちゃうけどさ……」


 息切れをがまんして、シロットはなおも尋ねた。


――あなた……そんなに強いようには見えないわ


 先ほどのオリヴィエの言葉は、半分間違っているが、半分正しい。刺青(タトゥー)の効能によって、シロットは近接戦闘では無類の強さを誇る。また、短期で決着をつけるために、刺青(タトゥー)は瞬発力と反射神経とが最大限となるよう工夫されている。


 そのために、シロットの背面は刺青(タトゥー)に埋め尽くされることとなった。――この副作用は甚大で、シロットは皮膚呼吸できる体表面が少なく、おまけに発汗が制約されている。よって、少しでも戦闘が長引いてしまえば、シロットはたちどころに息が上がってしまう。さらに、汗がかけないために体温が高止まりして、熱中症に近い症状が出てしまうのだった。


 そんなわけで、シロットにとっては、歩き続けていること自体が一種の勤行(シャレンジェ)に近かった。()を上げずにシロットがオリヴィエに追いすがっているのは、オリヴィエの存在が気になっているからにほかならない。


「オリヴィエちゃん、あたしの心配してくれてるけれど、正直、オリヴィエちゃんの方が心配なんだよね」


 オリヴィエの白く、きめ細かな肌を思い出しながら、シロットは言った。


身体(からだ)には何の刺青(タトゥー)も入れてない、持ってる武器は銃だけ。……んで、マースに会いに行くんでしょ? そんなんじゃ……」


 あたしなんかよりももっとヤバい奴らに、ガチのマジで強姦(レイプ)されちゃいますよ……と、シロットが言い終わらないうちに、オリヴィエが急に立ち止まった。そんなオリヴィエの様子に、シロットはぎくりとなる。


 (きびす)を返すと、オリヴィエはその場で釘付けになっているシロットのところに近づいた。オリヴィエは唇を引き結び、真剣なまなざしでシロットを見つめている。


 オリヴィエは、怒っている――


(やだ、かわいい)


 怒っている……のだろうが、正直シロットは、ムッとしたオリヴィエの様子にときめいてしまっていた。


 と、そのときである。シロットがまばたきをしたほんの少しの間に、オリヴィエがシロット目がけ飛びかかってきた。


「うへっ?!」


 いくら反射神経が優れているからといっても、オリヴィエが飛びかかってきたことは、シロットにとって予想外だった。おまけに、今のシロットは、完全に息が上がってしまっている。


「あっ、ちょっと……」


 オリヴィエに押し倒され、シロットは(あえ)いだ。


「そんなっ、ダメっ、今ヤったばかりで、敏感なんだからぁ……」

「しっ! 静かに」

「……へ?」


 「犯した相手に犯される」シチュエーションを夢想していたシロットの耳に、何かがつんざく音が響いた。爆音は、たった今までシロットがいたはずの空間を()ぎ、周辺の空気を震わせる。――次の瞬間、側にそびえていたコンクリート製の壁に、一気にひびが入った。


「え、何――?」


 思わずつぶやいたものの、自分たちが狙撃されたことくらい、シロットにも分かっていた。亀裂の入った壁の対角線上に、シロットは目を凝らす。川を挟んだ反対側にも、ビルが立ち並んでいる。そのどこかから、何者かが二人を狙い撃ちにしたのだ。


 首根っこを(つか)まれ、シロットの尻が地面を離れる。左手に銃を構えながら、オリヴィエが右手を伸ばし、シロットの身体を引きずっていく。


(にしても、力強いんだな、この()


 狙撃されているという状況も忘れ、シロットはオリヴィエの怪力に感心していた。思えば、シロットの身体をどかそうとするときも、オリヴィエの力は強かった。いったいオリヴィエの細腕のどこに、そんな力が秘められているというのだろう?


「ね、ほら、言ったでしょ?」


 建物の中に転がり込むと、シロットはしゃがみ込んだまま、オリヴィエに小声で言った。


「オリヴィエちゃんの持ち物を盗んだのはあたしじゃない、って」

「今の弾丸、あなたを狙っていたわ」


 がらんどうになった窓枠から顔をのぞかせつつ、オリヴィエが言った。


「やっぱりその服、誰かから盗んだんでしょ?」

「んなワケないじゃない。もう、ちょっとくらい信じてくれたって――」


 今度は、さすがのシロットも危機を察知できた。本能的に身をかがめた刹那(せつな)、空気の割れる音とともに、窓枠の下部が砕けた。


 頭を(かば)っていたシロットの耳に、撃鉄(アンメル)を上げるかすかな音が響く。見上げてみれば、オリヴィエが今まさに引金(トルジェ)を引くところだった――銃声! オリヴィエは目にも止まらぬ速さで、更に数発の弾丸を放った。


(やるじゃん)


 口笛を吹きたい衝動を、シロットはぐっとこらえる。オリヴィエは単に力が強いだけではない。あれほどの銃撃を行ったというのに、オリヴィエは背筋を伸ばしたまま、微動だにしていなかった。おまけに、銃を構える左腕はまっすぐに伸ばしている。あの姿勢ならば狙いは精確だろうが、常人が真似しようものなら、肘と肩をいっぺんに壊してしまうだろう。


「どう?」

「近くにいる」


 紫煙を上げる銃を構えたまま、オリヴィエはシロットに答える。


「気配が消えるまで……油断はできない……」

「ま、お手並み拝見と行きますか」


 立ち上がると、シロットはベルトのホルダーから、二振りの鉄鎚(ドミニ)を取り出し、逆手に構えた。鉄鎚の先端は、シロットの肘にまで届く長さだ。


「それがあなたの武器?」

「そそ。特注のね」


 背中を壁に預けると、シロットはしゃがみ込んだ。


 二人は口を閉ざし、相手の気配を伺う。奇妙な静寂が、二人の間に横たわった。


 そのとき、シロットの目の前で、オリヴィエが左腕をしならせた。オリヴィエの左腕はまるで別の生き物のように動くと、握られていた銃が、すかさず窓の向こう、中空を撃った。銃声にやや遅れ、金属同士が擦れあう甲高い音が、シロットの耳にも届く。


(今のは――)


 銃撃を受けて推進力を失った“何か”が、回転しながら二人の側まで滑り込んでくる。それが何であるのかを察知してすぐ、シロットは口元を覆った。回転が止むとともに、光沢を帯びた“何か”から、白い煙が一気に噴き出してくる。――何者かは、二人目がけて発煙弾を浴びせたのだ。


「うっ……?!」


 シロットの視界の端に、身体を折り曲げているオリヴィエの姿が映った。


(あらあら)


 見事に撃墜したは良いものの、それが発煙弾であることに、オリヴィエは気付かなかったようだ。だからオリヴィエは、煙をまともに吸って()き込んでしまっている。シロットからしてみれば、迂闊(うかつ)もいいところだった。オリヴィエは不器用なのか、器用なのか、油断したのか、本気なのか、シロットにも分からなくなってくる。


「――動くな」


 オリヴィエのいた方角から、男の声が聞こえる。煙が晴れ、シロットにも全容が見えてくる。


 見れば、オリヴィエの背後に、全身黒づくめの、仮面を被った男が立っている。


「やっぱり……」


 シロットは奥歯を噛んだ。オリヴィエと出会う前に、シロットが邂逅(かいこう)した人物。それがこの“仮面の男”である。


 仮面の男は、逆手に構えた短刀を、オリヴィエの喉に突き付けていた。仮面の男がほんの少しでも短刀を突き立てようものなら、オリヴィエの命はない。


(まずったな……)


 構えの姿勢を崩さなかったシロットだが、内心では厄介な状況に舌打ちしていた。シロットは近接戦闘を得意としているが、裏を返せば「近づけなければ手も足も出ない」ことと同義だった。このように人質を取られてしまうと、いかにシロットが瞬発力を活かして仮面の男に肉薄したとしても、仮面の男がオリヴィエを殺す方が早いだろう。


「私の持ち物を盗んだのは、あなたね?」


 喉元に短刀を突きつけられたままの姿勢で、オリヴィエが仮面の男に尋ねる。


「そうだ。お前を殺したと思っていたが……俺の間違いだったようだ」

(ん?)


 仮面の男の全身を、シロットはくまなく見まわしてみる。そこでシロットは、仮面の男は体格こそ大きいものの、年齢は自分たちとさして変わらないということに気付いた。


「それで……もう一度私を殺しに来たのかしら?」

「お前は無防備だった。だから殺しに来た」

「――あたしを殺せないから、の間違いじゃない?」


 仮面の男を挑発しながら、シロットはわずかに二人へとにじり寄った。しかし、そんなシロットを警戒して、仮面の男は、短刀をますます強く握りしめる。


「それ以上近づくのをやめろ。連れがどうなっても知らないぞ」

「この子は連れじゃないし、別にどうなっても良いけど……」


 視線をあちこちに動かしながら、シロットは男の隙をうかがおうと努める。


「その()、あなたと違ってムサくないし、興味があるのよね」

「フン」


 シロットの言葉に対し、仮面の男は鼻で笑っただけだった。


「私を人質に取って、何がしたいの?」


 シロットに代わって、オリヴィエが口を開いた。


「食糧と、薬。それが、俺の望みだ」


 “(メドゥツ)”という言葉が、シロットには引っかかった。今の仮面の男に、薬が必要とは思えない。


「もし断ったら?」

「お前が死ぬだけだ」

「そうかしら?」


 次に仮面の男が口を開く前に、少しの間が開いた。オリヴィエの言葉の真意を、仮面の男は測りかねていたようだった。


「どういう意味だ?」

「私が断っても、あなたは私を殺せないかもしれない。……そう言いたかっただけよ」

「お前、自分の置かれている状況が分かっているのか?」

「こっちの台詞(セリフ)よ。二対一だってこと、分かっているんでしょうね」

(オリヴィエちゃんったら……)


 シロットは焦った。オリヴィエの言葉の真意を測りかねているのは、仮面の男だけではない。


 仮面の男の鼻息が荒くなった。


「今、この場で証明してやっても良いんだぞ……?!」

「とんだうぬぼれね。あなたは私を殺せないわ――」


 オリヴィエは更に何かを言おうとしていたが、それよりも、仮面の男がオリヴィエの喉に短刀を突き立てる方が早かった。仮面の男が身じろぎするやいなや、シロットも二人目がけて肉薄したが、もう遅かった。


(間に合わない!)


 しかしその瞬間、シロットには予想外の出来事が起きた。金属が歯車に巻き込まれるような音がしたかと思えば、目にも止まらぬ速さで、仮面の男がオリヴィエから飛びのいたのである。


「お、お前……?!」


 仮面の隙間から見える男の目は、驚(がく)に見開かれている。仮面の男が取り落とした短刀が、地面に当たって、乾いた音を立てた。


「えぇ……?」


 脳の処理が追い付かず、シロットもまた、気の抜けたような声を出すしかなかった。地面に落ちた短刀の刀身は、根元からへし折れている。短刀はオリヴィエの皮膚を貫くことなく、鉄の塊にぶち当たったかのようになって、ひしゃげてしまったのだ。オリヴィエの皮膚が、それだけ硬かったということになる。


「お前の身体……うっ?!」


 無言のまま仮面の男に歩み寄ると、オリヴィエは仮面の(へり)に銃口を突きつけ、引き金を引いた。オリヴィエの動作は大胆で、しかも迷いがなかった。銃声とともに、男の身体(からだ)が水平に吹き飛ぶ。しかし、血しぶきの代わりに飛んだのは、男の仮面だけだった。


「オリヴィエちゃん……大丈夫?」

「平気よ、このくらい」


 立てないでいる男に銃を突きつけたまま、オリヴィエは自らの喉元をシロットに見せつけた。オリヴィエの白い肌には、傷ひとつついていない。


 シロットの視界を、銃から吹き上がった紫煙が邪魔した。紫煙のために、一瞬だけ光が(さえぎ)られる。


「あっ」


 シロットは声を上げた。煙に(さえぎ)られた瞬間、オリヴィエの白い肌に文様が映り込んでいるのを、シロットは目撃したからだ。それは間違いなく刺青(タトゥー)だったが、シロットの刺青(タトゥー)とは比べ物にならないほど細かく、精緻(せいち)なものだった。


「その刺青(タトゥー)……」


 シロットに答える代わりに、オリヴィエはぺろりと舌を出した。それは、「あら、バレちゃった?」とでも言わんばかりの態度だった。


 ここに来て、シロットもいろいろと納得する。オリヴィエの身体(からだ)がナイフも通さないほど硬いのは、間違いなく身体に彫られた刺青(タトゥー)の影響だろう。その刺青(タトゥー)は非常に高品質で、かつ透明なために、微妙な光の加減がなければ、常人には見破ることさえできない。そして、この透明な刺青(タトゥー)はきっと、オリヴィエの全身を覆っているのだろう。オリヴィエがシロットの身体(からだ)を片腕だけで動かせるのも、オリヴィエの腕力が刺青(タトゥー)で補強されているからだ。


「ああ……クソっ……!」


 顔の辺りを覆いながら、男がうめいた。無理もないだろう。顔から紙一重で発砲を受け、強引に仮面を引きはがされたのだから、痛みはもちろんのこと、受けた衝撃も計り知れない。さっきから男は立ち上がろうとしては、失敗して地面に肘をついていた。脳震盪を起こしているのだろう。


「痛いでしょう? でも、生きているから痛いのよ」


 オリヴィエは容赦なく撃鉄を起こした。


「さぁ――」


 立ちなさい、と、オリヴィエはそう言おうとしたのだろう。しかしその前に、建物全体が大きく揺れた。


「何……?」


 土煙を立て始めたビルの天井を見渡しながら、シロットは言った。外に目を転じてみれば、周辺の建物もぐらついている。


「地震……?」

「き、キュウだ……」


 揺れの音に混じって、男が声を絞り出した。男の顔は青ざめており、唇がわなめいている。そして、シロットの当初の予想通り、男はまだ“少年”と言って良いくらいの顔つきだった。


「“キュウ”?」


 男――少年の言葉を、オリヴィエは繰り返す。


「それって――」


 オリヴィエが更に問いかけようとした矢先、甲高い不気味な叫び声が、周囲に響き渡った。その叫び声の位置を特定する前に、三人のいた地面が一気に盛り上がる。床のタイルを突き破って出てきたそれは、先端の(とが)った、黄色い鳥の(くちばし)だった。


 (くちばし)の大きさだけで、シロットの身体(からだ)くらいはあるだろう。そんな怪鳥が、地中から突然姿を現したのである。


 後ろに飛びのこうとしたシロットだったが、踏み切るための地面は、既に怪鳥に取り除かれていた。足元に広がっているのは、深くて暗い穴である。


「ちょっ――?!」


 なす(すべ)もなく、シロットはその穴に吸い込まれていく。必死に視界を上に向ければ、オリヴィエもまた、衝撃に耐えかねて崩れ去るビルの瓦礫(がれき)とともに、落下しているところだった。


 オリヴィエとシロットは、“ガラスの森”の奈落へと落ちていった。

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