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デウス・エクス・マギカ  作者: 囘囘靑
第3章:猫と毒薬(Las Chats e La Toxica)
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第39話:裏切り(Las Contradicas)

「着いた……!」


 シーラの身体を支えながら、ジェゼカは地下牢を抜け出し、レウキリア宮城の中庭までたどり着いていた。


 中庭といっても、面影を残すのは、中央にある噴水と、四隅にある四阿(ガゼボ)だけである。大昔には、花々や(かん)(ぼく)に満ちていたであろう場所も、今では痩せた耕地になっている。


 文字どおりの「降ってわいた」ような洪水にもかかわらず、中庭は水を被ってはいなかった。レウキリアの宮城は、旧文明の時代に建てられたビル群に寄生するようにして成立しているが、中庭のある位置は、地上から数階高い位置にあるためだ。


「大丈夫ですか、シーラ様?」

「まぶしい……」


 ジェゼカに促され、シーラは一瞬だけ顔を上げるが、すぐに視線を下へと戻してしまう。地下に閉じ込められてから、半年が経過している。薄い陽射しでも、今のシーラには(こた)えるようだった。


「あと少しです」


 シーラを励ましながら、ジェゼカは中庭を突っ切ろうとする。今いる位置から、中央の噴水を挟んだ反対側に、別の通路への入口がある。その通路へ抜けられれば、後は階段を下って、森に隠れることができる。


 ジェゼカは真っ直ぐ、通路まで進もうとする。周囲は開けており、何者かが隠れられる場所はない。空は晴れわたっており、螺旋翼機(ガンシップ)が飛んでくる気配もない。地下牢へと降りるまでの間に、宮城からカリハの傭兵たちがあわただしく撤退していく様子も見届けている。したがって、背後に(そび)える宮城の建屋から、狙撃を受ける心配もなかった。


「あと少しの辛抱です――」


 ジェゼカの言葉に、シーラからの返事はない。気を喪ってしまったのだろうかと、ジェゼカはシーラを見やる。シーラは、地面に視線を落としていた。いや、より正確に言えば、地面のある一点に目を細め、何かを見極めようとしている。


 シーラの視線の先を、ジェゼカも追う。耕地の合間に咲く名もない草花が、それとなく揺らめいている。


 何かがおかしいと、ジェゼカも気付いた。


 それは何か?


「風――」


 ジェゼカは言った。思いがけず口をついて出た言葉だったが、言葉を発したことによって、違和感は鮮明になってくる。


 花は揺らめいている。しかし、ジェゼカたちの周りにそよ風はない。


 花の中心が、二人の凝視する前で、白から黄色へと転じた。自分たちは花を見ている。しかし同時に、花もまた自分たちを見ている。その事実に気付いた瞬間、周囲を取り巻く耕地が大きく盛り上がり、地中から何かが飛び出してきた。


 槍斧(ハルベルト)を構えようとしたときには、全てが遅かった。背後から迫る別の何かに槍斧(ハルベルト)をもぎ取られ、ジェゼカは丸腰になる。


(ドラコ)……!」


 気付いたときにはもう、ジェゼカとシーラは、二体の蛇の幻獣に取り囲まれていた。一体は二人の前に立ちはだかり、進路を塞いでいる。もう一体は二人の背後に回り込み、咥えていた槍斧(ハルベルト)を、楊枝のようにへし折った。


 サイラスの“目”と“耳”は、初めから中庭に潜み、光学迷彩を利用して、風景に溶け込んでいたのだ。ジェゼカとシーラはそれに気付かず、うかつにも(ドラコ)たちの懐に飛び込んでしまった。


 しかし、どうして? ――自問するジェゼカの前で、(ドラコ)は動き、背後に控えている者たちに道を譲る。分厚く、粗野な白い外套に身を包んでいる下級傭兵たちと、鼎頭狗(ツァーベアス)の群れ。それらの者たちの中央に、カメの外骨格に身を包み、タコの触手を足代わりにする合成獣(カイメラ)がいる。“奇種の奏者”・サイラスである。


「この私を出し抜こうとするとは」


 半透明の(キチン)の奥から、サイラスの声が響く。


「私を侮ってくれるなよ。この宮城に着いた時から、私はお前を監視していた。私の目と耳は、外だけに向けられているわけではない。――出るがよい」


 そう言うと、サイラスは身を翻す。背後から人影が現れた。赤色の巻き毛に、黒い瞳。そばかすのある顔。どこの寒村にでもいるような小娘が、サイラスの側に立っている。


「あ……そんな……」


 うめき声をあげると、シーラはよろめき、ジェゼカの肩にすがりつく。


「ナディ……!」

「――この街が占領されたその日に、私はカリハと取引をしました」


 サイラスの触手の一本に寄り添うと、ナディはそれを撫でる。


「安全保障を受ける代わりに、あなたを監視し、あわよくば“笑い声”の居場所を突き止める、と。全ての役目は果たせませんでしたが、監視の役目だけは、十全に果たしたつもりです」


 そのとき、奥から現れた一匹の鼎頭狗(ツァーベアス)が、サイラスの(キチン)の傍まで近づいた。鼎頭狗(ツァーベアス)は、口に咥えていたレシーバーを、サイラスに渡す。


 レシーバーからの声に、サイラスは耳を傾けている。残忍な微笑みが、顔一面にゆっくりと拡がっていく。


「良いニュースだ、侯爵。“笑い声”が、今見つかった」

「何ですって……?!」


 青ざめているシーラの代わりに答えたのは、ジェゼカだった。


「ここからほどなくにある、歴代侯爵の埋葬された廟。廟の周縁を水が囲い込んだ矢先、その地下から反応があった。――皮肉なものですな。我らをこの宮城から追い立てようとする水が、“笑い声”の出土の助けになる、とは」


 中庭のはるか下では、泥水が地面を飲み込み、渦を巻いている。


「“笑い声”が、そこから出土した、と。さあ、大人しく降伏するとよい。もはや命運は尽きているが、今ならば奴隷として生かしてやる」

「シーラ様?!」


 自分の隣で、シーラががくりとうなだれたことに気付き、ジェゼカは声を上げる。自分の脚で立っていられず、シーラはジェゼカにしなだれかかったようだった。シーラは目を閉じ、気を喪っていた。額は脂汗で濡れ、顔面は蒼白だった。自分の民に裏切られたショックと、“笑い声”が敵の掌中に落ちたショックで、シーラの精神は打ちのめされてしまったようだった。


「降伏します……!」


 シーラの身体を抱えたまま、ジェゼカはその場にひれ伏し、額を地面にこすり付ける。ひとりだけであったならば、ジェゼカはサイラスたちと戦うつもりでいた。しかし、シーラを守り切ると誓った以上、自分の身がどうなったとしても、シーラを生かすことがジェゼカの至上命題だった。


「お願いします。シーラ様の命だけは――」


 ジェゼカがシーラの助命を嘆願する間にも、傭兵たちと鼎頭狗(ツァーベアス)たちが、ジェゼカの下まで迫ってくる。

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