第36話:私の目、私の耳(Moi Eil e Moi Oreille)
レウキリア宮城の屋上にあるヘリポートに、一機の螺旋翼機が着陸する。
ハッチが開き、目元までを覆う白銀の兜を被った、ひとりの傭兵が外へ出る。兜の後ろからこぼれている、色素の薄い金髪が、螺旋翼の立てる風にたなびく。
出迎えの傭兵たちの敬礼を受けながら、白銀の兜の傭兵は宮城の中へと入っていく。“奇種の奏者”・サイラスとの面会が、彼女の目的だった。
◇◇◇
「不可解だ」
部下からの報告を聞いたサイラスは、ため息まじりに言った。
報告は、宮城の南にある検問所が、機能を喪失したという内容だった。備えていた生体爆弾――通称“夢見る少女”が爆発したせいで、検問所は跡形もなく消し飛んでしまっている。
サイラスが気にしたのは、“夢見る少女”が爆発した経緯だった。“少女”は、敵基地を丸ごと無力化できるほどの起爆性を秘めているため、取扱いは厳重に管理されている。検問所のリーダーの管理不行届きによる事故の可能性も否定はできないが、その可能性よりも、カリハに恨みを持つ誰かが、意図的に“少女”を起爆させる可能性の方が高かった。
検問所の更に南には、レウキリアの難民たちがキャンプを張っている。かれらが反旗を翻し、検問所を襲撃した――と、考えることもできるかもしれない。しかし、難民たちの貧弱な様子を見る限り、検問所を襲撃できるほどの組織力や、物資や、勇気があるようには、サイラスには思えなかった。
そもそも、検問所のある場所は、地理的にはカリハが掌握している地点である。前線に近い拠点が強襲に遭う可能性は容易に想像できるが、そうでない地点において、事件が発生する確率は低い。
些細ではある、しかし、不可解でもある――そのような現象には、特に注意を払う必要があることを、サイラスはこれまでの経験から、知りすぎるくらい知っていた。些細な現象を軽視したがために、敵の奇襲の兆候を看過し、依頼国を喪失し、代償として粛清された親方級の傭兵たちを、サイラスは無数に見てきている。
「失礼します」
広間の扉が開かれ、別の傭兵が入ってくる。
「お時間をよろしいでしょうか」
「少し待て。別件がある」
「しかし――」
「――いいわ。私から話します」
別の声が聞こえ、サイラスは顔を上げた。大広間の扉の前、まごついている傭兵の背後から、少女がひとり入ってくる。右手に槍斧を携え、左手に白銀の兜を構えたその少女は、帝室の人間には珍しい、色素の薄い金髪を一束に結わえ、背中になびかせている。純白の外套の下に着こんでいる黒い衣装は、炭素繊維で生成された、軽くて強靭な帷子である。
「お久しぶりでございます、サイラス閣下」
そう言いながら、少女はサイラスの下に跪く。ジルファネラス帝国の内親王にして、カリハ大盾白衣傭兵団の親方級傭兵・ジェゼカだった。
「お早い到着ですな」
ほかの傭兵たちを下がらせながら、サイラスは言う。長老級傭兵であるサイラスは、親方級傭兵であるジェゼカよりも、カリハ内での地位は上である。しかしそれは、飽くまでも肩書き上の差異に過ぎず、役職として変わるところは少ない。
ましてや、ジェゼカは皇位継承権者である。政治的な影響力はサイラスよりも上であり、無視できない存在だった。
「アダバダ殿下から連絡を受けましたのは、つい先ほどのことで」
「螺旋翼機の操縦士が優秀だったお蔭です」
そう語る合間にも、ジェゼカは流し目で、ほかの傭兵たちが広間を出ていくのを見計らっていた。
「それよりも、お話ししたいことが。ここまでの道すがら、怪しい者たちと接触しました」
「場所は?」
「南部です。二人連れで、そのうちのひとりと交戦しました。銃の使い手です。それで、これを」
サイラスを包む殻の傍まで近づくと、ジェゼカは一枚の紙を拡げてみせる。【団長通達第――号。ブルガーの戦いにおいて関与の推認される二人組の確保に関する件。両名ともに女性。一名はバンドリカ王家の後胤・銃使い。もう一名はラルトンの聖職者又は聖職にあった者。一つ、前者は生きたまま確保すること。|一つ、この通達に掲げる事項は、廃業傭兵年金機構に対する戦略より優先すること。以上】
「この手配書の人物である――と?」
「そうです」
ジェゼカは言う。
「機構に対する戦略よりも、どうしてこの二人組を優先する必要があるのか。私も初めはそう思いましたが、あの強さを鑑みれば、無視することはできません」
殻ごしに、ジェゼカはサイラスの顔を覗き込む。
「提案です、閣下。二人組は北部、この宮城の方角を目指している。機構や、六芒星の介入が入る前に、勢力を結集して、二人組を確保するのはどうでしょうか」
「われわれの目的は、“笑い声”の回収だ」
「ですが――」
「そう。貴殿の言うことも一理ある。ちょうど南部の検問が何者かによって無力化された。貴殿の交戦した二人連れも北上している。これらの情報をまとめれば、考えられるパターンは多くない」
「では、作戦変更を?」
「違う」
サイラスは言う。
「我々は“笑い声”を回収する。と同時に、二人組の消息も追う」
「二正面作戦……ですか?」
そう尋ねるジェゼカに対し、サイラスはニヤリと笑ってみせる。
「ご不満がおありのようですな?」
「中途半端にならないかが心配です。とりわけ、二人組が強い。下手に兵力を送り込んでも、いたずらに損耗するだけです」
「そのご懸念は無用というものです」
「それはなぜ?」
「お分かりになりませんか?」
サイラスの言い方から、ジェゼカはただならぬ気配を感じ取る。この空間にいるのは、サイラスと自分だけ。――それが思い込みであったと、ジェゼカはようやく気付く。
本能的に殻から後ずさると、ジェゼカは広間全体を眺めてみる。何もなかったはずの空間が、突如として揺らめいた。巨大な翼と、鱗と、黄色い眼と、炎のような舌を持った合成獣が、光学迷彩のヴェールから抜け出し、ジェゼカの前に姿を見せる。サイラスの後ろに一体と、ジェゼカの背後に一体。その荒い鼻息を受け、ジェゼカの背筋を冷たいものが走った。
「これは……?!」
「竜。蛇の幻獣。カリハの合成獣研究の精髄で、私の生涯を賭した作品」
サイラスの背後に控えていた竜が、長い首を大きくうならせ、サイラスの殻の傍まで、みずからの頭部を寄せる。寄せられた竜の頭部に触手を伸ばすと、サイラスはその頭を愛おしげに撫でる。
「かれらは私の目、私の耳。――話は分かったろう? 二人組の小娘だ。行け」
広間の中央で、竜が翼を広げる。生じた突風に撲たれ、蝶番がはじけ飛び、大窓のひとつが開け放たれる。
一度広げた翼を折りたたむと、竜は蛇のように体をすぼめ、その窓から飛び立っていった。飛び立つ間際に、光学迷彩による擬態の機能を、竜は発揮したようだった。地面に映る影と、力強い翼の音がするだけで、中空を飛ぶはずの竜の姿は、ジェゼカには分からなかった。




