表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デウス・エクス・マギカ  作者: 囘囘靑
第3章:猫と毒薬(Las Chats e La Toxica)
35/52

第35話:ナディ(Nadie)

 首の後ろに手が添えられるのを、シーラは感じ取る。


 シーラは目を開ける。自分の間近で、誰かがこちらを覗いている。照明が逆光となるせいで、相手の表情は分からない。相手の手が離れ、丸められた毛布が枕の代わりにわたし込まれる。


 サイラスに(なぶ)られ、鼎頭狗(ツァーベアス)に凌辱されている間に気を喪ったのだと、シーラは思い起こす。その最中、シーラを介抱していた相手が、みずからの唇をシーラの唇に寄せた。


「うっ……?!」


 うろたえたシーラは、相手の肩を手で掴む。しかし、シーラが相手を突き飛ばすよりも、口づたいに甘い液体が流れてくる方が早い。――糖蜜が自分の喉を潤していく事実を認めるに及び、シーラは抵抗をやめる。


 相手が唇を離す。照明の光がその顔を照らした。赤色の巻き毛に、黒い瞳。そばかすのある顔――。


「ナディ……」


 相手の名を呼んだ拍子に、シーラはせき込む。


「しっ! 静かに」


 シーラの耳元に顔を近づけると、相手の少女――ナディはささやく。


 ナディは、レウキリアの城下町に住む、猟師の娘である。弓や、罠や、ときには猟銃を駆って、ウサギやシカ、イノシシを狩っていた。


「お話はなされないで。お身体(からだ)に障ります」

「どうやってここに?」

(そま)(みち)を伝って。父から教わったものです」


 ナディの父は、シーラの父と親しかった。しかし今は、二人ともこの世にいない。


「木の(うろ)を入口として、ちょっとした小道を通る。陽の光は射しますが、地面の中に(うず)まっているので、容易には見つからない。そのまま宮城の地階まで出られる」

「知らなかった」

「レウキリアでも、父と私以外に、その道を知る者はおりません。あなた様を助けに来ました」


 “助けに来た”――散逸しかけていたシーラの意識は、その言葉に局在化される。


「私のことはいい」


 シーラはナディから顔を背ける。


「遠くまで逃げて。できるだけ遠くへ」

「そんな……できません」


 ナディは首を振る。


「宮城の者は皆、橋近くの森にキャンプを張っております」

「橋――南の?」

「はい」

「どうしてそんなことを」


 シーラは再びせき込む。そんなシーラの背中に腕を回すと、ナディはできるだけ、シーラを楽な姿勢にする。


「立入りは祖法で禁止されている。デウスがいるのだから」

「背に腹は代えられません。身体を横にしますよ」


 右腕が天井を向くような姿勢で、ナディはシーラを横にする。金属の容器に入ったタオルを取り出すと、ナディはシーラの背中を丹念に拭いていく。背中に生えたカビをこそげ落とし、発疹には透明な軟膏を塗る。


「南へ逃げるのよ、橋を渡って」


 シーラはナディの方を向く。


「あなたの勇気には感謝するけれど、その勇気を、レウキリアの皆に分けてあげて」

「姫の存在こそが、レウキリアの皆の勇気なのです」


 ナディはシーラの手を取る。


「あなた様が死のうものなら、レウキリアの皆は根なし草になります。あなた様を生かすこと。それが私の使命です」

「ナディ……ありがとう」


 上半身を起こすと、シーラはナディの赤毛をかき分け、その頬に口づけをする。


「あなたを尊敬する。ただ、ここを出ることはできないわ。私が脱走しようものなら、カリハが取決めを守ることに理由がなくなる。皆殺しになる」

「では……どうすれば?」

「可能なかぎり援助をしてほしい。私は耐えてみせる」


 シーラは言葉を続ける。


「“笑い声(リュヴ・スメクス)”の件は、機構(エンマハ)にも、六芒星(ヘキサ)にも伝えている。他の傭兵団が来たら、カリハも戦略を変えざるを得ないはず。そうしたら、脱出する機会はある。レウキリアの皆にも、みじめな思いをさせないで済む」

「分かりました」


 ナディが言い終えた矢先、遠くの方で、鉄格子が開くときの、蝶番の軋んだ音が響いてきた。


「逃げて。鼎頭狗(ツァーベアス)が来る」


 音がした方と、シーラのことを、ナディは交互に見やった。


「早く……!」


 シーラは小声で、しかし語気を強める。名残惜しげにシーラを眺めつつも、ナディは荷物を手早くまとめ、牢を去っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ