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デウス・エクス・マギカ  作者: 囘囘靑
第3章:猫と毒薬(Las Chats e La Toxica)
32/52

第32話:奇種の奏者(La Maister ov Chimera)

 人間と他の生物をかけ合わせた生命体――合成獣(カイメラ)の存在は、デウスとの戦いが終結して間もない頃から、すでに知られるようになっていた。魔法の一分野から分離・発展を遂げた、“錬成術”の産物だった。


 もっとも、黎明期における合成獣(カイメラ)の用途は限定的で、基体となる人間に、補助的な機能や役割を沿えるにすぎなかった。カニの外骨格を加工して網膜の代わりとし、戦士を失明から救った事例や、ブタで培養した歯を人間に移植する事例などを、古い文献から探すことができる。


 やがて合成獣研究は、“人間の補助”から“人間の身体の延長”へと、その軸足を移すようになっていった。


 獣人(フェジマージュ)も、合成獣研究のひとつの成果である。寒村の子女たちは、口減らしを目的として傭兵団に売り飛ばされる。売られた子女は獣人(フェジマージュ)として“加工”されるわけだが、加工の便宜のためにホルモンの調製が行われるせいで、生み出される獣人は全員が雌になる。


 また、身体能力が強化される代わりに、自分では統御できない発情期の(たか)ぶりや、加工に当たっての高額な手術費用といった代償を支払わされることになる。かくして、ありあまるコストを背負う形で獣人たちは傭兵になるが、傭兵として役立たなくなった後は、債務奴隷として売り飛ばされ、人びとの慰み者になるのが末路だった。


 獣人の発明が、合成獣研究の到達点と目されていたのが、今から百年ほど昔の話である。その当時、研究はラルトンで盛んだったものの、当時の聖皇が合成獣研究を禁止して以降、研究者たちは大陸の各地へと散らばっていった。


 研究者たちの大半を庇護したのが、ジルファネラス帝国、すなわち“カリハ大盾白衣傭兵団”だった。この当時、傭兵ギルドで最大の勢力を誇っていたのは、優秀な魔術師を多数抱える“ハウエル・カエヤデル六芒星(ヘキサ)傭兵団”で、次点が遺失技術の復元に長けていた“廃業傭兵年金機構”だった。二大傭兵ギルドの後塵を拝していたカリハは、ラルトンから流出した合成獣研究を手がかりとして、勢力の拡大を図った。


 カリハに渡って以降、合成獣研究は新たな局面を迎えることとなった。従来、合成できる動物は一種類に限定されていたが、カリハの研究により、複数の生物との合成が可能となった。ウニのとがった外皮と、サイの巨躯を備えた怪力の傭兵や、タカの翼を持ち、飛翔しながら、菌糸の劇毒を地面にまき散らす傭兵などが、戦場で活躍するようになった。


 今、カリハの合成獣研究は、ひとりの長老級傭兵(セナ)の指揮下にあった。男の身体はカメの外骨格に包まれ、ところどころに開いた穴からは、タコの触手がたなびいている。吸盤を使えば、壁であろうと、天井であろうと、男は構わず移動することができた。複眼のおかげで、男は全方位を見渡すことができ、全身に隠された(せん)からは、猛毒や油脂(ワクス)を噴き出すことができた。


 男の頭と胸は、肥大した全身の中に埋まるような形で現存している。それだけが、この奇怪で醜い合成獣(カイメラ)が、かつては人間(テポス)だったことを示す唯一の名残だった。人間の名残の部分は、この合成獣の核心であり、弱さでもある。しかしその部分は、半透明の(キチン)に保護されている。砲丸を撃たれたとしても、(キチン)はその衝撃から男を守るだろう。


 傭兵は、名をサイラスといった。“奇種の奏者”というのが、サイラスの二つ名だった。



   ◇◇◇



「失礼します」


 宮城の広間に、上位職人(セナレダ)級の傭兵が入る。


 中央にはサイラスがいた。普段は甲羅の下に隠してあるはずの触手は広げられており、その先端は壁にまで達していた。大きさを無視すれば、瘴気(ミアズマ)に覆われた土地にいる、ヒトデのような格好だった。


 触手の中心部、半球型の(キチン)の前まで近づくと、白衣が油脂(ワクス)で濡れるのも(いと)わず、上位職人(セナレダ)級の傭兵はひざまずいた。


「どうした?」


 サイラスが口を開く。呼気によって、半透明の(キチン)の裏側は白くくもった。


「二点報告がございます。よろしいでしょうか」

「よろしい」

「一点目。レウキリア民の難民キャンプについてですが、送り込んだ二体の鼎頭狗(ツァーベアス)の生体信号が、今朝途絶えました」

「殺されたか?」

「おそらくは」

「フン」


 サイラスは鼻を鳴らす。


 レウキリアの民たちが町から退却する際に、サイラスは、二体の鼎頭狗(ツァーベアス)を秘密裏に送り込んでいた。この作戦にはプロトマギヌスの技術が一役買っている。生命をデウス化し、人間との融合を可能にする技術――それがプロトマギヌスであるが、今回はそれを用いて、二体の鼎頭狗(ツァーベアス)をレウキリア民に融合させていた。


 潜伏期間を終了させ、本日からレウキリアの民たちの暗殺を実行する予定であったが、作戦は出だしからくじかれた形だった。


「不思議だ。こちらの作戦が、レウキリアの民たちに知られていたとは思えない」

「計画の変更を提案します。目的を暗殺から監視に切り替え、追加の鼎頭狗(ツァーベアス)を投入したいと思いますが、いかがでしょうか」

「提案に同意する」


 咳ばらいをしながら、サイラスは答える。


「ただし、先遣の二体が死んだ理由も、同時に調査させろ。他の傭兵団の内通者がいて、こちらの活動が筒抜けということであればまずい」

「承知しました。二点目よろしいでしょうか」

「続けろ」


 上位職人(セナレダ)級の傭兵は、懐から通牒を取り出す。封蝋に()された大盾の印章に、サイラスは目を細めた。


「団長の指令であるな?」


 封書を開いたきり、上位職人(セナレダ)級の傭兵は答えない。


「どうした?」

〈――私だ。分かるか?〉


 立ち上がると、上位職人(セナレダ)級の傭兵は口を開いた。先ほどとは声音が変わっている。


「分かります、陛下」


 投げ出していたタコの触手を、甲羅の内側にすばやく収めると、サイラスは(うやうや)しく返事をする。


 声の主はアダバダである。カリハ大盾白衣傭兵団の団長であり、ジルファネラス帝国の皇位継承権者であった。通牒には、魔術の封印が施されていたのだろう。通牒を開くことによって封印は解除され、通牒を開いた上位職人(セナレダ)級の傭兵に、アダバダが憑依したのだ。


〈この傭兵には悪いことをしたが、お前と直接話したかった〉

「滅相もないことでございます」

〈二つ訊こう。シーラ姫の件はどうだ?〉

「はかばかしくありません」

〈ハ、ハ……ハ!〉


 アダバダはせせら笑う。


〈お前が手を焼くとはな。どうだ? なかなか可愛げがあるだろう?〉

「慎重にことを運ぶ必要があります」


 サイラスの言葉は、アダバダへの弁明であると同時に、自身へのいましめでもあった。“笑い声(リュヴ・スメクス)”――世界を荒廃させた最終兵器が、このレウキリアに眠っている。それを手に入れさえすれば、機構(エンマハ)六芒星(ヘキサ)も、もはやカリハの敵たりえない。


 だからこそこうして、中間世界の零細国家相手に、長老級傭兵(セナ)率いる軍勢がわざわざ押し寄せている。状況によっては、他の傭兵ギルドと衝突する可能性も、サイラスは織り込んでいた。


 しかし、現実にはカリハが一番乗りであるどころか、市街の無血開城により、サイラスは兵力の一切の損耗もなく、レウキリア全土の掌握に至っている。


 ただ、その僥倖が(はかな)いものであるのも、また事実だった。工兵部隊の()を日に継いでの探索にもかかわらず、“笑い声”の行方は依然として掴めていない。


 カギを握るのは、レウキリア侯爵・シーラであった。ただシーラは、拘束され、拷問を繰り返され、幾度となく凌辱されても、“笑い声”に関し、決して口を割ろうとしなかった。


 腹いせにシーラをなぶり殺し、レウキリアに気化爆弾を投下して滅ぼしてやろうかと、サイラスは何度考えたか知れなかった。カリハの兵力をもってすれば、そのようなことさえ造作もない。しかしそれを実行しようものなら、六芒星ヘキサは人道を大義に介入してくるだろう。すでに機構(エンマハ)との全面戦争に突入している中、六芒星ヘキサを交えての二正面作戦は、カリハとしても避けたいことだった。


 そしてもうひとつ――これがシーラを殺せない絶対的な理由であったが――たび重なる(せっ)(かん)の中で、たった一言、シーラはある言葉を放った。“笑い声”の駆動には、生体認証が必要であるということだった。それが口から出まかせなのか、本当のことなのかは、サイラスにも分からない。分からない以上は、サイラスも保守的にことを運ぶしかなかった。


〈お前の言うことはもっともだが、時間を費やしすぎている〉


 アダバダが言う。


機構(エンマハ)六芒星(ヘキサ)が、いつやって来てもおかしくはない。そこでだ。お前に伝えなければならないことが二つある〉

「何でございましょうか」

親方級傭兵(ペルゾナ)を、追加でひとり派遣する。ジェゼカだ〉


 サイラスは、すぐには反応しなかった。


〈どうした?〉

「お言葉ですが……妹殿下を?」


 カリハ傭兵団の中で、ジェゼカを知らない者はいない。アダバダの妹で、ジルファネラス帝国の皇位継承権者のひとりであった。


〈そうだ。ジェゼカはシーラと面識がある。直接話をすれば早いかもしれない〉

機構(エンマハ)六芒星(ヘキサ)がレウキリアを狙っております」


 サイラスは食い下がる。親方級(ペルゾナ)であるジェゼカは、長老級(セナ)であるサイラスよりも階級が低い。ジェゼカが派遣されたとしても、レウキリア戦線の指揮権は、形式的にはサイラスの下に留まるだろう。


 しかし、“笑い声”を見つけあぐねている点は、サイラスとしても認めざるをえない。そのような状況下において、団長であるアダバダの妹が直々に派遣されてくるわけである。指揮下の傭兵たちが「サイラスではうまくいかないから、ジェゼカがやってきたのだ」と考えるのは、想像に難くない。サイラスの求心力は低下し、ジェゼカがレウキリア戦線を実質的に掌握するだろう。


「派遣されてきた以上は、前線にも立ってもらわなければなりますまい。万が一皇位継承権者を喪えば、帝国にも痛手では?」

〈お前の考えなどお見通しだよ、サイラス〉


 失笑気味に、アダバダは答える。


〈ついでに言っておこう。ジェゼカには、プロトマギヌスを投与してある。ジェゼカが会ってみて、それでもレウキリア侯がかたくなならば、ジェゼカは侯爵と融合して、彼女の記憶を強引に引き出す。生体認証も、ジェゼカを通じて、シーラに突破させよう〉

「しかし、融合してしまえば、もはやジェゼカ殿下は、殿下としては生きられますまい」

〈そうだ。ジェゼカとしては生きられない。もっとも、侯爵としても、だが〉


 憑依した傭兵の、淀んだ目の奥底で、アダバダが不敵にほほ笑むのを、サイラスは感じ取った。


〈言いたいことが分かるか? “笑い声”を見つける。その起動はシーラが行うが、ジェゼカは彼女と融合するはずだ。すべてが首尾よく行ったのならば、お前は報告書を用意する。きっとお前は、融合によって拒絶反応が出たために、やむなくシーラを殺した、と報告する〉

「御意」


 アダバダの霊験(アウラ)が消え去っていく。解放された傭兵が倒れた。目、耳、鼻、口から血を流し、彼は死んでいた。


「まったく。陛下もお人が悪い」


 タコの足を伸ばすと、サイラスは傭兵の亡骸をからめ取り、身体の底部にある口吻に押し当てる。無数の牙で骨ごと(ほふ)りながら、サイラスはジルファネラスの帝室に思いをめぐらせる。


 アダバダとジェゼカ、家系図上は兄妹だが、二人の母親は異なる。アダバダの母は由緒ある貴族の血統であるが、ジェゼカの母親は歓楽街の娼婦にすぎない。ジェゼカが母親と同じ道を歩まなくて済んだのは、ジェゼカを生んだことが原因で母親が亡くなったのと、それを憐れんだ皇帝が――一時の気まぐれとはいえ――ジェゼカを庶子として認めたことが背景だった。


 ただ、どのような経緯があるにせよ、ジェゼカが皇位継承権を有することは事実である。アダバダの地位を脅かすことができるのは、ジェゼカだけなのだ。ジェゼカを始末し、かつ“笑い声”を確保すること――それがアダバダの願いなのだ。


「血が騒ぐな」


 おくび混じりに、サイラスはひとりごちる。自分を信頼しているからこそ、アダバダは、実妹の暗殺をサイラスに命じたのだろう。その点は、サイラスにとっても満更でない。


 しかし、不満なことがひとつあった。アダバダが、プロトマギヌスを持ち出したことである。エンマハのイカーナが脱走に失敗し、ブルガーの町は灰燼に帰したが、イカーナの研究成果である“プロトマギヌス”は、カリハも掌握している。カリハの研究部門は、プロトマギヌスの利活用に熱中しており、それが原因で、サイラスが行う合成獣(カイメラ)研究は、来期には予算が削減されるというのがもっぱらの噂だった。


「フン」


 鼻を鳴らすと、油脂(ワクス)の中に埋もれていた無線機(レシーバー)を取り出し、サイラスは部下を呼んだ。


 レウキリア侯爵・シーラに会うためだった。

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