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デウス・エクス・マギカ  作者: 囘囘靑
第3章:猫と毒薬(Las Chats e La Toxica)
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第30話:第六感(Six Sens)

 そう言ってのけた矢先、シロットは、こちらに向かって誰かが近づいてくることに気づいた。


 出払っていたカリハの傭兵たちが、戻ってきたのではないか。シロットは最初、そのように考えた。しかし、聞こえてくる足音は二人分しかない。いつもの癖で、ベルトにぶら下げた鉄槌(ドミニ)の柄に触れようとし、シロットは今の自分が“オリヴィエ”であったのだと思い至る。


 それにしても――と、シロットは考える。オリヴィエの身体に施された(ちゅう)(みつ)刺青(タトゥー)の存在に気づいたのは、ガラスの森にいた頃のことだ。今こうして、オリヴィエの身体を自分のもににするに及んで、シロットはその刺青の効用に、息を呑む思いだった。


 まず、五感の鋭さが桁違いになっている。先ほどから耳に入ってくる足音も、かなり遠いところから響いてきている。これまでのシロットでは、気づくことなどは絶対に不可能だっただろう距離だ。


 くわえて、今のシロットは足音を感知できるのみならず、その足音を聞き分けて、人数までも特定することができた。これまでの冒険で、シロットが勘や経験をたよりに乗り切ってきた出来事も、オリヴィエにとっては、全て知覚の範囲内だったのだろう。


「だれか来る」


 ホルスターに銃をしまいながら、シロットはその銃に――オリヴィエに――話しかける。


 しかし、オリヴィエからの返事はない。


「二人ね。――ねえ、()ねてんの?」

――ごめんなさい。


 オリヴィエの声がする。


――集中してないと、この状態を維持できないみたい。あまり喋れないかも。

「ハハン」


 脱ぎ捨てた服に手をつけながら、シロットは鼻で笑う。


「生殺しっスねえ。身体を弄ばれておきながら、じっと我慢しているしかないなんて――」


 軽口をたたいていた矢先、二人組の足音が、不意に止まった。二人組は目を細め、シロットの裸体を――背中、肩甲骨の辺りを――見つめているようだった。相手の視線が、自分の身体のどこに当たっているのかまで、今のシロットにははっきりと分かる。


 立ち止まっていた二人組が、再び歩き始める。駆け出している、といってもいいくらいの速度だ。しかし、まっすぐこちらへ向かってくるのはひとりだけで、もうひとりは横へと大回りしている。


 この展開の仕方を、シロットは知っていた。二人一組で行動せよ。標的を目視し、なおかつ、相手がこちらに気づいていないようであれば、ひとりはまっすぐ進み、もうひとりは回りこんで、前後からはさみ撃ちにせよ。――遠い昔、修練所で、シロットが習ったことだった。


「ラルトンだ」


 シロットはつぶやく。つぶやいてから、オリヴィエの反応を待っている自分がいることに、シロットは気づく。


 オリヴィエから反応があったとして、自分はいったい、どのような反応を期待しているのだろう?


「――待て!」


 自己嫌悪へと収れんしそうになっていたシロットの思考は、声によって外側に引き戻される。ひとりの少女が、シロットを見すえている。年端からして、つい最近に修練所を卒業し、僧兵になったばかりの子だろう。


 例年の予定どおりなら、卒業式は三か月ほど前である。そのころにはもう、シロットはラルトンを去っているので、直接の面識はない。


 薄紫色の外套は、ラルトン聖皇国に仕える僧兵の証だ。もし、シロットが元の姿のままだったら、ツナギが同じ色であるために、素性を怪しまれていたにちがいない。


「おまえは何者だ」


 詰問に対し、シロットはわざとらしく、自分のうしろを振りかえってみせる。おどけの意味が半分だったが、もう半分は、迂回したもうひとりを索敵するためだった。


 (かん)(ぼく)の裏側に、もうひとりが隠れひそんでいる。シロットは内心でほくそ笑んだ。当人は隠れているつもりなのだろうが、オリヴィエの五感の前には赤子の手をひねるも同然だった。


「おい、おまえに言っているんだ、変態」

「ただの旅の者ですよ」


 うわずった声の少女に対し、シロットは取りすました口調で答える。ニ対一。人数不利ではあるものの、経験の差は簡単には覆らない。負けることは万にひとつもないと、シロットは見こんでいる。まして、今のシロットはシロットであるとともに、シロットではないのだから。


「にしても、山で会ったら『こんにちは』、初対面なら『はじめまして』でしょう? “変態”だなんて、ぶしつけな」

「だ、だったら――」


 僧兵の顔が真っ赤になる。


「そんな、下半身を……せめてパンツくらい……!」

「何ものにも束縛されない生き方を目指して、旅をしているんですな」


 などと言いながらも、シロットはパンツを穿く。


「あなたのところもそうでしょう。下着はくじ引き、ってヤツですよ」

「き、貴様……!」


 シロットの(うそぶ)きに、それまで赤かった僧兵の顔が、真っ青になった。


「神を愚弄するなんて!」

「信じてるの?」


 服を着終えると、シロットは僧兵に向きなおる。――もうひとりの僧兵には、ちょうど背中を向けた格好だった。


「え?」

「神をよ。光の上の光(ルクス・ズパ・ルクス)

「それは……もちろん」

「ハハハ、いいな」


 腕を組んでみせる僧兵に対し、シロットは笑う。


「私も、そんな時があったよ――」


 シロットが最後まで言い終わらないうちに、目の前にいる僧兵が、シロットに向かって一歩踏み出す。あらわになった(スピア)の穂先が、炎を受けて、目の前できらめく。


(槍か)


 槍の軌跡を目で追いながら、シロットは唇を引きむすぶ。


 「血を流してはならない」が、ラルトンの戒律である。このため、形式的ではあるにせよ、刃物を武器にすることは、僧兵団で禁じられていた。シロットが鉄槌(ドミニ)を振るうのも、それが理由である。


 修練所を卒業したばかりの、かけ出しのころ、シロットに最初に渡されたのは鎚鉾(メイス)だった。シロットだけではない。同期で僧兵になった者たちも、皆鎚鉾(メイス)を渡された。


 時代が変わってしまった。いや、そこまで月日が経ったわけではない。変わったのは“時代”ではない――。


「やあっ!」


 振り下ろされた(スピア)を、服の(しわ)が動くくらいのかすかな動作で、シロットはかわす。そのときにはもう、もうひとりが背後に肉薄している。二人の連携は教科書どおりで、非の打ちどころがない。修練所も優秀な成績で卒業したにちがいない。――しかしその程度なら、シロットも成しとげている。


 これまでの経験と、オリヴィエの身体とが、二人の僧兵との差を歴然とさせていた。背後から突き立てられた(スピア)の柄をつかむと、シロットはそのまま、力任せに投げ飛ばす。


 瞬発的な怪力だけは、シロットの方がオリヴィエより上のようだった。ただ、オリヴィエの怪力にも底しれないものがある。並外れた(りょ)(りょく)に、シロットの投げの技術(アルス)が合わさる。おまけに、槍を突き出す際に、重心が上がっていたのだろう。シロットに振り回されたもうひとりは、槍を手放すいとまもなく、そのまま吹き飛んで、地面に転がった。


「あっ――」


 正面から近づいてきた僧兵は、自分の(スピア)を紙一重でかわされ、図らずも、シロットの懐に飛びこんできたような格好になった。相手の亜麻色の三つ編みをつかむと、シロットはそのまま、相手を自分の側にたぐり寄せる。相手が身をよじろうとする前に、その唇を、自分の唇でふさぐ。


「うっ?!」


 突然のシロットの行動(キッス)に、僧兵は(スピア)を取り落とす。うぶだなァ、と思いつつも、シロットは相手を離さない。相手の背中に両腕を回すと、シロットは背骨の(おう)(とつ)を指でなぞり、下まで這わせ、腰骨の辺りを指の腹で愛撫する。官能的な意味もあったが、抵抗しようものなら、背骨をへし折ってしまうぞ、という威嚇の意味合いもあった。


 その意味合いは、相手にも伝わっている。この状況を脱するために、相手は何千何万という思考をめぐらせている。――ぐるぐるしている相手の目の様子から、シロットにはそれが分かる。


 自分の顔を密着させ、シロットは相手の唾液と、吐息を吸い取る。混乱と、官能と、呼吸困難で、相手の目からは、だんだんと光が消えていく。


「初めて、奪っちゃったみたいっスね」


 相手の唇を解放すると、シロットは言った。(かいな)の中で、三つ編みの僧兵は気を喪っていた。


「さあ、どうします?」


 もうひとりの僧兵に、シロットは尋ねる。槍を構えなおしながらも、相手は行き詰っているようだった。


「エミちゃんを離せ……!」

「エミちゃんっていうの?」


 二人の僧兵を、シロットはかわるがわる見やる。


「かわいいじゃん」

「バカにするな!」

「で、どうすんのよ」


 にじり寄ってきた相手に対し、シロットは、同じ分だけ下がる。


 気を喪っている者を人質にするのは、得策とは言いがたい。相手がいつ息を吹き返すか、分かったものではないからだ。それに、気を喪っているフリをしつつ、標的の隙を(うかが)っている可能性もある。


 今回に限って言えば、その危険性はないだろう。ただ本来なら、このような状況を避けるのは定石だった。


――シロット、


 これまで静かだったオリヴィエが、シロットに声をかける。と同時に、頭のてっぺんから背筋を通って、電気のようなものが流れていくのをシロットは感じ取った。“第六感”――とでもいうべきものなのだろうか。もっとも、シロットのものではなく、オリヴィエのものなのだが。


――分かるでしょ?


 分かるよ――唇だけを動かして、シロットは答える。“相手”は大きく跳躍し、シロットめがけて急降下を始める。

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