第26話:レウキリア侯爵(Marquis Leuquilia)
青年に案内され、オリヴィエとシロットは森を進む。茂みを通り抜けるために、オリヴィエはバイクを置いていかなければならなかった。
やがて、二人は開けた場所に出る。そこには無数のテントが張られ、立ち並ぶテントの中央部分には即席の竈が設けられ、湯気が立ち上っている。
「キャンプね」
そう言いながら、オリヴィエは額の汗を拭う。夏は過ぎ去ろうとしていたが、大陸の中央部はまだまだ暑い。
無言のまま、シロットはキャンプの様子を眺める。人は多いが、活気はなかった。何より、オリヴィエとシロット――要するに部外者――の姿を認めるやいなや、大人たちに匿われるようにして、子どもたちはテントの中へと隠れてしまった。身なりは清潔だが、みな一様に疲れた表情をしている。
「ギル!」
キャンプの中央から、初老の男性がこちらへ向かってきた。ギル――というのが、この青年の名のようだった。
「どうしたんだ?」
ギルの姿を見て、男性は息を呑む。オリヴィエたちが駆けつける前、鼎頭狗との交戦で、ギルの着る青い服には返り血がこびりついていた。
「セオと一緒に、橋を渡れるか偵察に行ってきました」
ギルは答える。
「そしたら、セオが突然苦しみはじめて……。気付いたときには、二頭の異形に囲まれていました。この辺りでは見ない生き物です。この二人がいなければ危なかった」
「初めまして。私はオリヴィエと申します。こちらはシロット」
オリヴィエは会釈する。
「東へ抜けるために、このレウキリアを通ろうと考えていました。その際に、二人が鼎頭狗に襲われているのを見て――」
「いや、違うんだ」
オリヴィエの言葉を、ギルが遮る。
「違う?」
思わずシロットも訊き返す。
「どういう意味?」
「それが……自分でもよく分からない。オレが襲われたのは事実だけれど、セオが死んだのは――」
「ここで話すのはよそう」
男性が話を切り上げようとする。周囲のテントからの不安そうな、怯えるような視線に、シロットも気付く。
「私はエルバーと言います」
被っていた毛糸の帽子を脱ぐと、エルバーはオリヴィエたちに会釈する。
「私どもの家系は、レウキリアの宮廷で、代々宮宰を務めておりました」
「へえ!」
自分でも驚くほど、シロットは大きな声を上げてしまう。シロットの目からすれば、エルバーはせいぜい自営農民といった体で、“宮宰”という役職と目の前のエルバーが、シロットの中では結びつかなかった。
「ええ。ギルは私の息子です。命の恩人のようで。……一度、私たちのテントまでお越しください。詳しいことはそこで話しましょう」
「宮宰、だってさ」
エルバー父子には聞こえないようにしながら、隣を歩くオリヴィエに、シロットはそっと耳打ちする。
「見えないよね。どっちかといえば、村長さん、ってカンジ?」
「ここは、どこもそうよ」
オリヴィエの言う“ここ”が、中間世界それ自体を指しているのだと理解するのに、シロットはだいぶ時間がかかった。中間世界は貧しい。その点では、諸侯も村人もすべからく平等だった。村人たちと一緒になって畑を耕したり、山菜を採取したり、狩りをしたり、盗賊を追い払ったりするのが、中間世界の領主たちの日常なのだ。
領主でさえこの有様なのだから、ナンバーツーの境遇などは推して知るべしなのだろう。エルバーに連れられ、オリヴィエとシロットは奥へと分け入る。やがて二人の目の前に、ひときわ大きなテントが現れた。
「どうしてここで生活を?」
中央のテーブルに通され、席に着くと、オリヴィエが早速たずねた。
「見たところ、ここは難民キャンプで、あなたたちはどこかから逃れてきた」
「レウキリアの宮城からです」
オリヴィエ、シロットと向かい合う位置に、エルバーとギルの父子が座る。
「宮城から?」
「半年前のことになります。カリハの軍勢がこの国へ侵攻し、ものの数日で宮城は包囲されてしまいました」
「カリハとエンマハが戦争に入った、って話は、この国にも届いていた」
エルバーの話を踏まえ、ギルが続ける。ちなみにエンマハとは、“廃業傭兵年金機構”の頭文字である。
「ただ、まさかこの国が狙われるとは――」
「待って、戦争?」
シロットは訊きかえす。
「何のために?」
「それは、私どもにも分かりません。風の噂ですが、何かをめぐって両者は争っていて、いまのところ、外交交渉で和解するつもりはない、とは耳にします」
隣にいるオリヴィエを、シロットは肘で小突く。
原因があるとすれば、オリヴィエしか考えられない。カリハのアダバダは、オリヴィエの身体を乗っ取ろうとしているし、オリヴィエたちが目指す“死せる神の塔”、すなわち賢者マースの終焉の地は、エンマハの領域であるエレウンディリア共和国内にある。
カリハは、オリヴィエたちが東へ向かっているのを知りつつ、エンマハとの開戦に踏み切ったのだろう。
「ただ、そうであったにしても、ここは前線にはならないはず」
シロットをいなしながら、オリヴィエは言う。
「何より、カリハがレウキリアに侵攻したとするなら、エンマハも六芒星も黙っていないから――」
「六芒星にそんな根性があるワケないでしょ」
伸びてきた自分の爪を眺めていたシロットは、周囲が静まり返っていることに気付き、はっとなる。注意力が散漫になっていたせいで、自分でも思いがけないことをシロットは口走ってしまっていた。
「ええと……それが、こちらにも心当たりがないわけではないのです」
幸い、シロットの不注意な発言が、エルバーとギルの父子の関心を惹くことはなかった。
「どういう意味です?」
「侯爵が――」
言いかけてから、エルバーは口をつぐむ。次の言葉を待っているオリヴィエたちに対し、エルバーは息子と顔を見合わせてから、再びオリヴィエたちに窺うような視線を投げかける。
「初めてお会いする方を……ここまで信用するのも変な話ですが……」
「話すのに気が引けるというのなら、無理強いするつもりはありません」
丁寧に、しかし形式ばった印象は感じさせない口ぶりで、オリヴィエは答える。
「ただ、お話いただくとしても、そうでなかったにしても、私たちはレウキリアを抜けて東を目指したいと思っています。エレウンディリアに入るためには、中間世界から国境を越えた方が目立ちにくい」
「まぁ私らも、向う脛にひとつや二つ、傷はあるわけですよ」
すかさずシロットも合いの手を入れる。
「旅の恥は搔き捨て、とも言いますし。お互いさまって奴ですね。この国を出たら、お話はさっぱり忘れることにしますよ。神に誓ってもいい」
「話しをしましょう、父さん」
改まった口調で、エルバーはギルに言う。机の上に投げ出されたギルの腕は、生傷の痕が痛々しい。
「黙ってたところで、このままじゃ全滅だ。客人に話したところで、これ以上状況が悪くなることはないでしょう」
「そうだな……分かった」
息子の言葉に、エルバーも覚悟ができたようだった。
「数か月ほど前のことです。侯爵の指揮の下で、私たちは宮城の開墾作業をしていました。ご存じかもしれませんが、レウキリアの町は、“世界の冬”より前の時代に存在していた都市の遺構の上に成立しています。少しでも農地を確保するために、私たちは遺構の一部に分け入り……そこで発見したのです」
「何を?」
「リュヴ・スメクスです」
“笑い声”――エルバーの唱えた一節が、頭の中で意味を結ぶようになるまで、シロットは時間がかかった。隣にいるオリヴィエも同じのようだった。“笑い声”という言葉は、そのくらい強く二人に作用した。
前時代の文明が崩壊するにいたった直接の契機。それが最終兵器・“笑い声”である。一瞬にして都市を蒸気に変えた、この大陸の北部にあったはずの湖が、海と繋がる原因を作った、大陸のどこかには、休眠状態のままとなっている機体が残っている、――そんな伝承を、二人は耳にしたことがある。
「ですが……本当なんですか?」
オリヴィエが尋ねる。
「ええ。ただ、侯爵も私どもも、初めはそれが何か分かりませんでした。少なくとも旧文明の遺物で、復元すれば高額で売却できるだろうというのが、侯爵の見立てでした」
エルバーの額を汗が伝う。
「少しでも高値で売り払おうと、機体の特徴を伝え、見積もりを求める手紙を、侯爵は三大傭兵ギルドに送ったのです。城に残る古い文献から、それが“笑い声”であると侯爵が特定したときには、全てが遅すぎました。侯爵は手紙を取り消そうとしたのですが、そのときカリハが来たのです」
「侯爵はどうなったんです?」
「カリハの軍勢が山のすそ野から見えたところで、侯爵はカリハに降伏したんだ」
オリヴィエの質問に、ギルが話を引き継いだ。
「侯爵は自分の身柄と引き換えに、レウキリアの全ての住民が町から出られるようにしたんだ」
「ただ、カリハの約束は口だけだった」
「え?」
「あなたは鼎頭狗に襲われている」
まじろぐギルに、オリヴィエが話を続ける。
「あれは合成獣で、カリハが軍用に開発したもの。カリハの親方級傭兵の中には、合成獣研究の第一人者がいる――レウキリアにやってきた傭兵たちは、その親方級の指揮によるものでしょう」
「いや、そんな馬鹿な」
ギルが言った。
「そうだとしても、セオが死んだのに説明がつかない。あの鼎頭狗は、セオの中から出てきたのだから」
「まさか! 見まちがいでしょう」
シロットは肩をすくめた。
「そんな、鼎頭狗が人間の中に隠れていたわけじゃあるまいし――」
そこまで言ってから、ブルガーで体験したことを、シロットは唐突に思い出した。崩落しかけた建物の中で横たわるオリヴィエ、彼女を守ろうとする青年。青年は光に包まれながらオリヴィエの中に分け入っていて――そして今、“オリヴィエちゃん”はここにいる。
あれは、オリヴィエと“青年”の融合が解除されたためだ。人間と融合して、デウスは無類の力を得る。鼎頭狗がもし、そのような力を得ていたとするならば?
「プロトマギヌス……」
イカーナがかつて言っていた言葉が、シロットの唇から、不意を突いて出てくる。それからシロットは、隣にいるオリヴィエを見やった。オリヴィエもまた、同じことを考えているようだった。
「いずれにしても」
オリヴィエは咳ばらいする。
「あなたたちが考えている以上に、三大傭兵ギルドはてごわい。約束を履行するつもりなど、はじめからカリハにはないのでしょう」
「そんな……では、どうすれば」
「カリハを追い払う」
オリヴィエの言葉に、テントの中は水を打ったように静まり返った。
「宮城を奪還して、侯爵を救出する。全ての傭兵ギルドに手紙を送っているというのならば、機構と六芒星がここに現れるのも時間の問題のはず。二勢力が結集すれば、カリハも勝手な真似はできない」
「ですが、どうやって――」
「私が宮城に入ります」
息を呑んでいるエルバー父子に、オリヴィエは言った。
「ヒューッ! オリヴィエちゃん、かっこいい」
「あなたも一緒よ――」
「お願いします!」
すがるようにして、エルバーが言う。
「どうか侯爵を……シーラ姫をお助けください!」
今度は、オリヴィエとシロットの二人が黙りこくる番だった。
「シーラ“姫”?」
「先代の侯爵、父君に当たる方が急逝しましたので、現在は姫が侯爵の地位を相続しています」
「ひょっとして、私たちと変わらないくらいの年ですかね?」
「ええ」
「ハハハ。ちょっと失礼」
立ち上がると、額からドバドバと脂汗を流しているオリヴィエの襟首を、シロットはつかむ。
「先ほど『旅の恥は搔き捨て、とも言いますし。お互いさまって奴ですね。この国を出たら、お話はさっぱり忘れることにしますよ。神に誓ってもいい』と言いましたが」
すくみ上っているオリヴィエを立たせると、シロットはエルバー父子に言う。
「あれは嘘です。一部訂正します。というより、全部訂正します。というより、忘れてください」
「ええっと、どちらへ――」
「連れションです」
あっけに取られているエルバーをそのままにし、シロットはテントの外までオリヴィエを引きずり出す。
「よいしょ」
ちょうどよいところに、テントの金具が出っ張っていたので、シロットはそこへオリヴィエを引っかける。つるし上げられた格好のオリヴィエは、シロットの眼前でうなだれていた。
「『中間世界を経由して、東へ向かおう』ってあなたが提案したときは、私も賛成したんですよ」
オリヴィエの目の前で、シロットは腕組みをする。
「どの傭兵ギルドも、進んで中間世界には関わろうとしない。カリハとエンマハが衝突していて、両者とも私らを追っているとなれば、なおさらね。だけどあなたは中間世界の、特にレウキリアを選んだわけだ。愛する人に会うために」
「ち、ちが……うぶっ?!」
右腕を伸ばすと、オリヴィエの頬をシロットは掴む。
「ハーン? どの口が言ってるのかなァー?」
「あっぷ、あっぷ?!」
「さっさと吐きなさいよ、シーラを――」
シーラを愛している、って――と、そこまで言いかけてから、シロットは考える。
橋を渡りきる前、シーラは誰かと、シロットは尋ねた。そのとき、オリヴィエは知らないようだった。そして、オリヴィエが嘘をついていないと、シロットも感じていた。――女の勘というやつである。
そうである以上、シーラがだれか、オリヴィエは本当に知らないのだ。にもかかわらず、オリヴィエはシーラの名を呼び、シーラが誰なのか尋ねられると脂汗を流し、シーラの故郷であるレウキリアに向かっている。――記憶は抜け落ちていても、オリヴィエはシーラを愛したことがあり、そのときの体験が、オリヴィエの無意識下に沈み込んでいる。
自分以外に愛人がいる。それがシロットには引っかかる。が、今のオリヴィエが知らない以上、深く穿鑿したところで価値あるものは出てこない。
反面、これまでのオリヴィエの行動が、シーラを追い求めるがための無意識の結実だとするのならば、それだけオリヴィエは、シーラを愛しているということになる。それもシロットには引っかかるが、しかし本当に愛しているのならば、オリヴィエにはその愛を証明し、毅然と振る舞ってほしい――というのがシロットの願いだった。早い話、シロットの頭の中では、相矛盾する二つの考えが屈折して、その交点に、理想のオリヴィエ像が結ばれているのだった。
はぁ、と、シロットはため息をつく。「シーラを愛している」とは言ってほしくない。しかし「シーラを愛していない」とも、シロットは言ってほしくなかった。オリヴィエの喉をわしづかみにすると、シロットはテントの金具から彼女を外し、地面に放り投げる。
「シロット……?」
「行きましょ」
それ以上深く考えないことにして、シロットは来た道を戻る。背後からは、オリヴィエの足音が続いてくる。




