第25話:中間世界(School J'ail)(2)
「何かいる」
対岸に向け、バイクを進めていたオリヴィエが、これまでの経緯も忘れて、シロットに声を掛ける。
「見えてるよ」
そう答えつつ、サイドカーの中でシロットは姿勢を低くする。相手からの不意の狙撃を回避するのがねらいだった。さきほどから、対岸では黒い鬼火のようなものがちらついている。
「待ち伏せじゃないと思う。どうする?」
「駆け抜ける」
「行けるの?」
答えの代わりに、内燃機関の轟音がシロットの耳にこだます。次の瞬間にはもう、バイクは対岸に向けて驀進を始めていた。視界の中央にあった消失点は、シロットの眼前で大きく展開されてゆき、輪郭を、質量を帯びていく。影のいくつかは人間で、ある者は血を流し、ある者は倒れている。
残りの影は――。人ならざる者の形姿を、シロットが見極めようとした矢先、バイクを運転していたオリヴィエが、やにわにハンドルを切った。上半身をよじると、オリヴィエは左腕を正面に突き出し、人ならざる者に銃口を向ける。銃声。人ならざる者の脳天が弾けた。
橋を渡りきった位置で、バイクは停止する。タイヤの焦げた臭いが、シロットの鼻孔をくすぐる。
「大丈夫?」
木の側でうずくまっていた男性に、オリヴィエは声を掛ける。男性は粗末な服装だが、清潔なみなりだった。かれの傍らには、別の男性が横たわっている。肌は紙のように白く、全身は血だまりに沈んでいた。
異形の亡骸を、シロットは見つめる。異形は犬のようだが、それにしては大きい。男とさして変わらないほどの体躯がある。全身は鱗に覆われており、細くて鋭い歯の隙間からは、蛇のような舌がだらしなく垂れている。
「何があったの?」
「お前たちは誰だ?」
オリヴィエが握る銃を、男性はにらんでいる。
「カリハの者か?」
「ただの旅の者よ」
シロットは肩をすくめてみせるも、男性の質問が気がかりだった。“中間世界”に対して、積極的に関わりを持とうとする三大傭兵ギルドはいない。にもかかわらず、男性はどうしてカリハを気にするのだろうか?
ホルダーに収められている鉄槌の柄に、シロットは触れる。ただ、警戒の矛先は男性ではない。背後にせまる別のものだった。オリヴィエもまた、その存在を感知している。感知していながら、あえて気付かないフリをして、その対処を自分に任せようとしているのが、シロットにもわかった。
「彼女の言うとおり、私たちは通りすがりの旅行者よ」
そう言いながら、オリヴィエは銃をしまう。
「あなたに危害は加えない。レウキリアの宮城に向かっているの」
オリヴィエが、わざとらしく首をかしげてみせる。銀色の長い髪が揺れ、白い首筋があらわになる。
相手は、その瞬間を見逃さない。――背後に隠れていた異形が、どう猛な唸り声をあげて、オリヴィエに肉薄する。
しかしそれこそ、二人の思うつぼだった。オリヴィエは身をひるがえし、シロットが間に踏み込む。鉄槌を逆手に構えると、
「はあっ!」
という掛け声とともに、異形めがけて、シロットは鉄槌を振りかぶった。鉄槌は異形の口腔に命中し、その身体が水平に叩き切られる。返り血を浴びないで済むのは、シロットの一撃が重すぎるために、血しぶきもろとも消し飛んでしまうためだ。
「どうよ?」
「完璧! それで……これは鼎頭狗よ」
「ツァー……何て?」
「合成獣よ。複数の生命を、ひとつの肉体に宿した獣。人間を基体として、犬と、それから蛇を合成した」
立ち上がると、オリヴィエは男性の方を振り向く。
「あ……」
「分かったでしょう? あなたに悪さをするつもりはない」
オリヴィエから差し出された手を、男性は少しのあいだ見つめていた。それからようやく決心がついたのか、男性はオリヴィエの手を取って立ち上がった。改めて見れば、男性というよりは、青年といった方が良いくらいの若さだった。
「それで、カリハがどう――って言っていたけれど」
シロットと同じことを、オリヴィエも気にしていたらしい。
「ここはレウキリアの領内のはずでしょう? カリハに何の関係があるの?」
「着いてきてほしいんだ。説明するより、見た方が早い」
汗を拭いながら、男性は言う。
「詳しいじゃん」
男性を追いかけるために、バイクの方へ戻るオリヴィエに、シロットは声を掛ける。
「え?」
「合成獣よ。初めて見た」
「前に見たことがある」
「どこで? バンドリカ?」
「アルティワトラで」
アルティワトラ――ジルファネラス帝国の首府にして、カリハ大盾白衣傭兵団の総本山である。




